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2007/08/06

ふりかえるなよ!ふりかえれば波瀾万丈

龍樹本の「あとがき」を書くために
昔のファイル箱をあけて
ファイルをひっくりかえしていました。

そういえば、龍樹本て、いつから書き始めたんだろ?

あれ、7月、なんにもない。
あれ、8月、目次の作りかけがころがっている。
あれ、9月、なんにもない。
あれ、10月、目次のアイディアが8日の日付である。
ああ、こりゃ、だめだわ、使えん、って感じのもの。

だ、だいじょぶかいな!
管理人!なにやってんじゃ?

おお!
10月31日、突然龍樹本の一部出現。
原稿用紙80枚分くらいが、一気にできてる。

へぇ!
とつぜん、覚悟がかたまったか、管理人!

あれ、12月、第3章と第4章ができてる。
あれ、1月18日、第1章はできてます。
           第2章空白だらけ。

あれ、1月、29日、第2章、資料が原稿に混在。

だいじょうぶ?
かなりぐちゃぐちゃだぞ!
空白も多いなぁ。

あれ、1月31日、え!? うそ!できてる!

完成してるぞ、うそみたい。

いやぁ、我ながら、ハラハラしますわ。
どうやって、書いてるんでしょ。。。ナゾだ。

けっきょく、11,12,1月と10月の半月くらいの
3ヶ月半ですか。

あと、6,7月で見直して、今日にいたる。
見直しは、正味1ヶ月もないですね。

自分でいうのもなんですけど、
管理人の思考回路って、そうとう変かもしれない!

ぜったい無理、っていうタイミングになると
なぜかスムーズに
ものごとが進行してくことがわかりました。。。

いやぁ~、ふりかえってみて疲れました。

こういう人生って、イヤだ。。。といっても、どうしようもないか。
ふりかえったのが、よくなかった。

ふりかえらなければ、なにごともなし。。かもね。


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コメント

>よくわかりません。
 笑いには受容と拒絶があるということなんですけどね。

>>  相手に「拒絶」されているのに何も感じないのは異常です。
>すみません。ここで吹き出しました。
 私は「相手に拒絶されているのに何も感じないのは異常です」を受け入れているから笑いませんが、エムさんは拒絶しているから笑うのです。

 だから私は、私が笑わないところでエムさんが何故笑うのか理解できます。
 私が笑うところで笑わない人のことも理解できます。
 エムさんは笑うポイントが人と違うことで苦労しているんじゃないかと思ったのでこういう話をしてみました。

 具体例は例によって挙げません(笑)。

 以上です(笑)。

投稿: みみっく | 2007/08/14 00:19

みみっくさま

>  私が何を言いたいかわかりました?

よくわかりません。やっぱり、異常かな?
「笑われても平気な顔を続けるようにしている」というのもあたってるような、あたっていないような。

笑われたとき、笑ってる内容は、その人にもあてはまってることが多いです。「わたしと同じだな」と思って黙っています。

投稿: 管理人エム | 2007/08/13 08:39

>能力の限界こえてることをいつも要求される、笑うしかない。。。
 私はずーっとこんな感じです。もう、「笑うしかない」という感じです(笑)。

>> 人に笑われて「好ましくない状態にあると感じる」のは正常な反応です。
>この程度なら、わたしもようやく正常です。
 そうですね。

「好ましくない状態にあると感じている」ということは、つまり、「何かを感じている」ということです。

>> 「笑われる」のは(その行為を)拒絶されているということなのです。
>>  相手に「拒絶」されているのに何も感じないのは異常です。
>すみません。ここで吹き出しました。異常はイヤだ!けど、どうやら限りなく異常に近いようで。
 上の文章を読む限り、エムさんは「何も感じていない」のではありません。

 つまり、「笑われても平気な顔を続けるようにしている」ということです。

 私が何を言いたいかわかりました?

投稿: みみっく | 2007/08/12 04:47

みみっくさま

> 「笑われる」のは(その行為を)拒絶されているということなのです。
>  相手に「拒絶」されているのに何も感じないのは異常です。

すみません。ここで吹き出しました。異常はイヤだ!けど、どうやら限りなく異常に近いようで。

> 人に笑われて「好ましくない状態にあると感じる」のは正常な反応です。

この程度なら、わたしもようやく正常です。思わず(笑)と書いてしまいそう、危ない、危ない。

> 「笑えない話なんだけど、もう笑うしかない」時です。
> 具体的な例は割愛させて頂きます。事情はお察し下さいませ(笑)。

かわりに、わたしの具体例なら、最近いくらでもあります。ブッダや龍樹のものを読むと、いつもこんな気持ちですよ。

これを読んで理解しろっていうの。冗談でしょ。こんな判じ物みたいなもん、わかるわけないでしょ。。あ、わかった、わかった、やるわよ。3年読むわよ。

能力の限界こえてることをいつも要求される、笑うしかない。。。

投稿: 管理人エム | 2007/08/12 00:02

春間さま

> 取り繕う(笑)は、エム さまが使われるのも、ある程度仕方ないかとも思いますし、

取り繕っているわけでもないのです。取り繕う余裕はないというか、だけどまだ、笑うだけの余裕はあるというか。

> 安易に、場を繕っていただくより、じっくりと、自らを攻め込んでみていただきたい気もあるので、

では、仰せのとおりに。
といって、おっしゃるとおりにしようとすること自体、はたから見るとなんか笑える状況かもしれないって、気がしたりもします。考えすぎてますね。

投稿: 管理人エム | 2007/08/11 23:14

再度お伝えします

論を進めるときは、必ず目的を設定しているのです
そして、その目的が、心の平安へとなっていないときは、
必ず、論は破綻します

この場合、心の平安とは、
自らが、”安楽”と規定することとは、
違っていることが、通常です

以前、書き込みで、エム 様が、安楽 という目的を
設定された時、その事を取り上げたのは、上記の理由からです
(もっとも、取り越し苦労のようでしたが)

岩波文庫 ブッダのことば(中村元訳) 762頌 には

他の人が安楽であると称するものを
聖者は苦しみであるという
他の人々が苦しみであると称するものを
聖者は安楽であると知る
無知なる人は、ここに迷っている      (抜粋)

とあります

この頌は、多くの事を語っています
人を認めるときも、論を否定するときも、
目的が、自らの(人類すべての)安楽へと
常に確認されていないときは、
人は迷妄に陥り、無知なる人となっているのです
正しい、正しくないは、論にあるのではなく
状況に応じた、生き方の中にしかないのです
論は、すべての人の「安楽」の為にあるときだけ
真理を表します

目的を忘れた論は 「 虚仮 」です
聖徳太子は法華経義疏の中で
世間虚仮唯佛是真  と喝破しています

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/11 19:21

>わたしが笑うのは、自分のなかで、二つの対立することがらが拮抗してにっちもさっちもいかなくなるときです。
 私も、笑いの本質とはこういうものだと思います。
 笑いには2種類あるというのが私の持論です。
「受け入れることが難しいことを受け入れた時」と、「受け入れることが容易なことを受け入れなかった時」です。(両方同時の場合もあるでしょうね)

 笑いには「相手を受容する笑い」と「相手を拒絶する笑い」があると言い換えた方がわかりやすいでしょうか。
 

>たいていの場合、笑われても不愉快にはなりません。
 本当にエムさんはそうなのだろうと私は思います。そして、私がエムさんを「天界の住人」扱いするのは実はこれが理由です。

「笑われる」のは(その行為を)拒絶されているということなのです。
 相手に「拒絶」されているのに何も感じないのは異常です。

 #人を笑わせている場合と、笑われている場合の違いは、拒絶されているか受容されているかの違いであると考えています。

「不愉快」という言葉だと意味が強すぎるかもしれないので、「好ましくない状態にあると感じる」(愉快とはいえない)ならどうでしょう。

 人に笑われて「好ましくない状態にあると感じる」のは正常な反応です。
 ということです。

 どのように対処するべきかは状況によるでしょうけどね。
 
 ちなみに「受け入れることが難しいことを受け入れない」と、「受け入れることが容易なことを受け入れる」時には笑いは発生しません。

>もう笑うしかないだろ!って。
「笑うしかない」というのは、
「受け入れるしかない」という状況なので、「受け入れなかった人」は笑いません。(これが「冗談の通じない(認めない)人」です)

「拒絶するしかない」場合も同じです。「受け入れた人」は笑いません。(これが「冗談を真に受ける人」です)

 これが、「笑えない話なんだけど、もう笑うしかない」時です。

 具体的な例は割愛させて頂きます。事情はお察し下さいませ(笑)。

 以上です。

投稿: みみっく | 2007/08/11 17:50

エム さま

赤ちゃんは、自然に(屈託なく)笑いますね

笑いは、人として根源的に持っている
訴えかけの表現でしょうね
たとえ、幼子でなくとも、笑っている表情の人へ、
悪い感情を持つことは出来難くなっているのが、
私たちの基本パターンだと思います

困ってしまったときに笑うことは、
相手がいるときの場をつくろう方法(手段)として
有効な手段(方法)だと思います

それが、安易に多用されることは、
別の問題を内包していると思います

スマナサーラ氏の説教でも、それを感じるのです
書かれたものには、逡巡が殆ど無いようにまとめられていますが、
誰かの、校正の手が入っているのではないかと勝手に想像しています
(対談となると、論調に飛躍が多くなり、煩悩からの言葉が、何倍にも増えています)
(あくまでも、私の勝手な感想です ー 関係のある方は気を悪くなされないように願います)

取り繕う(笑)は、エム さまが使われるのも、ある程度仕方ないかとも思いますし、
そこで、逡巡していると想像することは、ある種、
加虐的ともいえるような、気持ちを引き起こさせて、
変な気分ではありますが、(悪くは無い) のです が!

しかしです、
安易に、場を繕っていただくより、じっくりと、自らを攻め込んでみていただきたい気もあるので、
(笑)を控えて チョ ! とねだってみたのです

WEB上では、無邪気な笑いは存在する場所がありません
(少なくともテキスト・スタイルでは)

なさけない顔をして、相手に笑われて、
笑われて、なさけない思いをして、
その顔は、表情筋の多くが、喜びの顔のそれと、
共通しているから
相手は、つい追及の矛先を納めてしまうのです

お互いに、
厳しく(おこたり無く、精進)していきたいものです)

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/11 15:57

みみっくさま

> 「人に笑われないようにしなさい」と子供に言った経験くらいあるでしょう。

ないです。

笑いを禁じられているので、笑えなくてつらいんですが、「人に笑われないようにしないさい」ということばは、わたしの使わないことばです。
たいていの場合、笑われても不愉快にはなりません。

わたしが笑うのは、自分のなかで、二つの対立することがらが拮抗してにっちもさっちもいかなくなるときです。
もう笑うしかないだろ!って。

そこで次のことばを読みましょう。

> だけど、日常もよく笑う方ですね。

笑えない話だった。。。(ここで(笑)と書きたい、莓矢毒蛙さま、いいなぁ、ずるいぞ、自分だけ)

投稿: 管理人エム | 2007/08/11 15:13

>だけど、日常もよく笑う方ですね。
>なかなかむずかしいものですね、ことばというのは。

「笑い」とはどういうものだと思っているのです?

「人に笑われないようにしなさい」と子供に言った経験くらいあるでしょう。

 これは言葉の問題ではなくて、文化の問題ですよ。

 もちろん言葉の問題は文化の問題でもありますが・・・。


 人に笑われて不愉快に思うのは正常な反応です。
 人が笑っているのをみて不愉快に思うのは異常な反応です。

 人に笑いかけられて不愉快に思うとしたら、その相手を嫌悪しているのです。
 人に笑われても不愉快ではないとしたら、その相手に好意を持っているのです。

>主にインターネットやパソコン通信上の電子掲示板やチャットなどで用いられている
 そもそも「(笑)」が主に掲示板やチャットで使われているのは、「使わないと誤解が増えるから」なのです。

 繰り返しますが、「人に笑われて不愉快になるのは正常な反応」です。

 それでいいのです。

投稿: みみっく | 2007/08/11 13:11

『昭和史の論点』(坂本 多加雄、半藤 一利、秦 郁彦、 保阪 正康 文春新書)
で、対談形式の本だったのですが、重いテーマなのに(笑)を連発して、軽薄な感じがして非常に不愉快な読後感を抱きました。まあ、編集側の問題ですが(笑)

投稿: 苺矢毒蛙 | 2007/08/11 11:56

春間さま

では、そのように。

なかなかむずかしいものですね、ことばというのは。

だけど、日常もよく笑う方ですね。

投稿: 管理人エム | 2007/08/11 08:12

エム 様

(笑)を多用することはいかがなものでしょうか
(私には多用と感じるのです、、、)

WEB上で使われている絵文字のようなものですが
スマナサーラ氏の説教の中の笑いも、
聞き苦しく感じるのは、私だけでしょうか

釈尊が笑わなかったとは思いませんが、、、、

使うべきではない と、言うわけではありませんが、
この記号(は)を、心して使って戴きたい
ということを願っています

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/10 23:28

>>説明で理解できるようなら、こんなやりとりを続けたりしないでしょうけどね。
 会話はもう終わりということでいいでしょうかね。

 ちなみに『(笑)』について参考になる記述を見つけたので引用しておきます。

(笑)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%EF%BC%88%E7%AC%91%EF%BC%89
>(笑)(わらい、しょう、わら、かっこ わらい、かっこ しょう、かっこ わら)は、主に文章上で笑っている事を示す記号。
>
>ほんの冗談だから真に受けないでほしいという意志を表したり、笑い所や皮肉を示したり、突拍子もない発言を茶化したりする時など、幅広い応用が利く記号である。主にインターネットやパソコン通信上の電子掲示板やチャットなどで用いられているが、軽い内容の書籍や対談などでも用いられる事がある。

「(笑)」が喜びを表現したものではないということは上の説明を読めば理解できることと思います。

 以上です。

投稿: みみっく | 2007/08/10 17:33

>説明で理解できるようなら、こんなやりとりを続けたりしないでしょうけどね。

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/10 14:04

>(笑) は、喜びの表現であり
>ごまかしの手段でもなく
>あざけりの表現でもありません
 何故(笑)をつけているのかを説明するのは野暮なんですが、説明しておいた方がいいようですね。

 (笑)をつけないと不都合があるのですよ。
 今回のケースでは、「苦笑しながら書いている」ということを表現しています。
 笑いが、苦笑なのか微笑なのか、爆笑なのかは、文脈によって判断してもらうしかありません。

 笑いは喜びの表現ではありません。
 喜びの表現として笑っているわけでもありません。

>>もうひとつ、目的地とはどこですか
> 目的地を質問するのがおかしいと言っているのですけどね。
 (笑)をつけないとこのような文章になります。
 
 まあ、この説明で理解できるようなら、こんなやりとりを続けたりしないでしょうけどね。
 
「目的地を質問するのがおかしい」と言っている意味が本気でわかっていないようですから。
 ちゃんと意味があって言っているのですよ。

投稿: みみっく | 2007/08/10 13:00

 
論は、論の為にあるのではありません

中論は諸戯を不生(八不)と断ちます


そこは、出発点で、
行き着くところではありません


もうひとつ皆様にも

(笑) は、喜びの表現であり
ごまかしの手段でもなく
あざけりの表現でもありません


つねに、心して いただきたいと思います 

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/10 07:46

>もうひとつ、目的地とはどこですか
 目的地を質問するのがおかしいと言っているのですけどね(笑)。

>正しい こととは、最終の目的へ向かうことを意味します
 私の文章とは関係のない文章です。

>あなたの論は、執着から出発し
>執着へと辿り着く為のもの、のような気がします
 私の言っている意味がわからないのは仕方がないことだと思います。

 私が何故このような返答をしているのかということですけどね。

 理由があってこのような返事をしているのですよ。

投稿: みみっく | 2007/08/10 00:31

追加

人生とは、私事です
自分がどうするかということです

ちなみに 私 という字は
穀物を、(自らのために)囲い込むこと を表します

論は、論の為にあるのではありません

ちなみに 論とは論語には「理なり」とあります
理は、インドではダンマです
(老子は、自然 、親鸞は、じねんと呼びます)

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/09 22:23

貴方の言う 正しい とは何ですか
もうひとつ、目的地とはどこですか

正しくない人は、誤った見解を 正しい といいます

再度お伝えします
正しい こととは、最終の目的へ向かうことを意味します

あなたの論は、執着から出発し
執着へと辿り着く為のもの、のような気がします
これが、私の執着からのことばであれば
幸福とは、ここにあります !

( 分かるかな ? )

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/09 22:05

 一部訂正します。
「物事を正しく進めている」とき、「状況を把握している」と言っているのですから。

投稿: みみっく | 2007/08/09 21:13

>行く先がわかっていない
>(迷っている)人は、その迷いにも気づきません
 一度も迷わずに目的地にたどり着いた人の話をしているのです。

>人生は、正しい道を知って歩むのが、普通のことなのです
 私の文章と無関係の話ですね。

>状況の“把握”が問題です
 どのような把握をしているのかを問題にするのはおかしいですよ。

「物事を正しく進めている」とき、「物事を把握している」と言っているのですから。

 まあ、意味わからないんでしょうけどね。

投稿: みみっく | 2007/08/09 21:11

みみっく 様

>一度も迷わずに道を歩けるとしたら、それは既に
(頭の中も含めて)歩いたことがあるのです

行く先がわかっていない
(迷っている)人は、その迷いにも気づきません

人生は、正しい道を知って歩むのが、普通のことなのです
ただし、知っていてもその正しいものを、
覆い隠せば見ない事になります
それが、通常の、いわゆる迷いです
正しい事を知りつつ、違う道を好むことへの執着です
(仏陀は、慈悲をもって、それを無明からの行と説きます)

 ― 心に浮かぶ執着を覆い隠すことは、
正しいものの見かた(正見)です

>「状況を把握しながら物事を進める」のは正常な思考回路です
>「状況を把握せずに物事を進める」のが異常な思考回路です

状況の“把握”が問題です
執着からの把握であれば、異常な思考回路です
(あなたは、どうですか ? )

状況を(愛→受→取と)把握などしようとせず、
心のままに行ずるときは、人の心には如来が現れます

論を進めるときは、必ず目的を設定しているのです
そして、その目的が、心の平安へとなっていないときは、
必ず、論は破綻します

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/09 20:59

>ぜったい無理、っていうタイミングになると
>なぜかスムーズに
>ものごとが進行してくことがわかりました。。。

「絶対無理」というタイミングで、問題点が把握されていると考えれば、別に不思議でもなんでもないですけどね。

>自分でいうのもなんですけど、
>管理人の思考回路って、そうとう変かもしれない!

 普通の思考回路だと思いますが・・・。やってみて気付いた問題点を修正しながら物事を進めているのであればということですけどね。

 一度も迷わずに道を歩けるとしたら、それは既に(頭の中も含めて)歩いたことがあるのです。
 
「迷った経験を忘れるから、迷わずに道を歩くことが正常であると思ってしまうのです。」

「状況を把握しながら物事を進める」のは正常な思考回路です。
「状況を把握せずに物事を進める」のが異常な思考回路です。

「状況を把握しているから物事を進めることができる」は「正常な状態」ですから。

投稿: みみっく | 2007/08/09 13:01

春間さま

> 長いもの(こと)は、短いもの(こと)によって成り立つ
> これが縁起です

思考が流れていく「縁起」ですね。

> 原因と結果について、そこに縁起が成り立つかどうかは、いまだ、論理として成立していない事だと思います

こちらは、因と縁(hetu・pratyaya、原因と条件)のことをおっしゃっているのですね。科学的ですね。

> 縁起は、個別の概念について表と裏からの成り立ちを
教えてくれる原則です
> 複合的に生起する事象について、その一つ一つの概念について、当然、縁起による確証を持つわけですが、
いわゆる、原因と結果について、それを縁起としてしまうのは、少し乱暴なところがあると思います

ううん、縁には4つある。因縁、所縁縁、等無間縁、増上縁である。第五の縁はない、と龍樹も言っていますね。
事象の中で因果関係(縁起)を見つけるのは、とてもむずかしいです。複合的ですが、個々にも縁起は追求されますね。

果実の落下は、なんといいますか、事象の因果関係というより、たとえば、「結果が熟す」とか、「結果」を「異熟」といったりするような表現をイメージしていました。英語でも「成果」「結果」をfruitと呼んだりするかんじです。
考えるとよりむずかしいですね。思考に入り込んで考えると、「事象」ではなくなって、「喩え」とか「比喩」のようになりますね。。。

投稿: 管理人エム | 2007/08/09 00:58

エム 様

非常に微妙なところですね

長いもの(こと)は、短いもの(こと)によって成り立つ
これが縁起です

原因と結果について、そこに縁起が成り立つかどうかは、いまだ、論理として成立していない事だと思います

縁起は、個別の概念について表と裏からの成り立ちを
教えてくれる原則です
複合的に生起する事象について、その一つ一つの概念について、当然、縁起による確証を持つわけですが、
いわゆる、原因と結果について、それを縁起としてしまうのは、少し乱暴なところがあると思います

もちろん、最終的には、生きていくことの縁起を得て、
平安へと移るのですが、、、

熟して輪廻することは縁起となるかもしれません

じっくりと瞑想の中で浸っていきたいことです


投稿: 春間 則廣 | 2007/08/08 23:10

春間さま

> 熟すことと、木から落ちることは、縁起になっているのでしょうか ?

へ?あれ?おかしいかな。
ぜったい無理、ってタイミングで、ものごとが進行してく。。。。なので、こんな感じです。小枝のひとりごとをお聞きください。

(小枝のひとりごと)
かなりキツイな、これ以上熟してくると実を支えきれない
ああ!もうだめだ、この細枝では、こんなたわわな果実は、う~、つらい。。。
ぜったい無理ぃ~、おお、お、お、落ちるぅ~~(落下)

おおおお!万有引力、はっけん!(とオチもついてます)(笑)

臨界値に達すると、ようやくものごとはスムーズに次へと移行するのです、という感じでした。


投稿: 管理人エム | 2007/08/08 22:12

sachi.さま

拙著と格闘してくださってありがとうございます。
負けるな!はっけよい!(励ましのことばのつもりです)

> お釈迦様が人間だったんだな、と、初めて実感が湧いています。

人間だったんだ。。。そう思うと、また逆に、ほんとお釈迦様って、すごいですよね。

投稿: 管理人エム | 2007/08/08 21:45

管理人 さま

>果実も熟さなければ、木から落ちませんよね。
>まさしく何ごとも縁起なんですねぇ~~。

一段目と、二段目のつながりがよくわかりません
>まさしく何ごとも縁起  ではあるのですけれども

熟すことと、木から落ちることは、縁起になっているのでしょうか ?

それぞれ、熟すことに縁起があり、
落ちることに縁起があるような感じがするのですが、、

もちろん、熟すことは、落ちる結果を生むわけですが、、、、

 

投稿: 春間 則廣 | 2007/08/08 21:14

はじめまして。
只今、
「ブッダ論理学五つの難問」
と、格闘いたしております。
高校ぐらいから、あんまりお勉強って、してないので、先生の言葉についていくのが精一杯なのですが、お釈迦様が人間だったんだな、と、初めて実感が湧いています。

「方便心論」も、読みます。

次の龍樹本の予習です。
とりとめなくてすみませんです。

身体に気をつけて、幸せでありますように!

投稿: sachi. | 2007/08/08 21:05

zapoさま

お暑うございますっ。お元気でしょうか。

> わたしも似たような事よくあります。

おっ!そうですか?!お仲間ですねっ!世の中みなこんな感じでしょうか。
果実も熟さなければ、木から落ちませんよね。
まさしく何ごとも縁起なんですねぇ~~。

みずからも縁起の原因となりうる、とも思えば、やはり努力あるのみか。。。それにしても、暑いです。

投稿: 管理人エム | 2007/08/08 20:56

暑中お見舞いもうしあげまーす。

>ぜったい無理、っていうタイミングになると
なぜかスムーズに
ものごとが進行してくことがわかりました。。。

うーん。そうでよねー。
わたしも似たような事よくあります。
うん、やっぱり、自分とは縁起によって生まれるんですねー。
と無我の確信深めるこの頃です。^^

投稿: zapo | 2007/08/08 11:31

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