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2007/08/09

二冊いきます

龍樹本の「あとがき」も書きました。
変かもしれないような気がしてきました。

あんまり何回も読んでたので
完全に頭が麻痺して
いいのか悪いのかわかりません。

ああ!龍樹!
なんか龍樹中毒って感じだ。
むずかしいのかやさしいのか、
もう完全にわからん!
ちょっと休もう。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@

そこで、本をご紹介します。
二冊です。

★杉本卓洲氏『ブッダと仏塔の物語』(大法輪閣)★

杉本先生の本は、とても読みやすいなぁ。
(龍樹本もこんなふうになればなぁ)

仏塔や寺院などの遺跡
出土品やレリーフ、彫刻などから
わかることを丁寧に紹介してくれます。

このような仏塔を中心にした研究の成果をまとめた本なのです。
とてもおもしろい。仏教の本と思うと、すごく新鮮な印象です。

文献の中からは、知ることがむずかしい
さまざまな仏塔をめぐる当時の社会状況や歴史の様子を
興味深く伝えてくれます。

遺跡や遺物を中心にしていますが
文献的な研究もじゅうぶんなので
説得力のある見解を出してくれているのです。

大乗仏教が仏塔崇拝を母胎にして生まれた
という定説化した意見に異議を唱えています。

また、
大乗と部派は対立していたというのは、
正しくない。

などなど。
とても参考になります。

わたしも、
龍樹の頃を調べていて
大乗と部派は共存共栄していたなど
いろいろ知りました。

龍樹がいたと思われる
南インドのナーガールジュナコーンダあたりは
部派の仏教がさかんだったようですし。

龍樹といえば、部派批判ばかりが知られていますが、
調べると、龍樹自身、部派っぽいところもある。
これまでの龍樹解釈には、ちょっと疑問があるので
杉本先生のこのご本は、とても刺激になりました。

龍大乗仏教の様子、部派の様子、仏塔の周辺、
ヒンドゥー教のありさま
当時の人々の様子が彷彿としてきます。

インドの宗教を全体に見渡すような視点もあって
ヒンドゥー教に興味のある人も読んでもいいかも。

お勧めです。

次の本は
★スマナサーラ長老さま『般若心経は間違い?』(宝島新書)★

出ましたね!ウフフ。
なんて、喜んで
最初にパタって、開いたら、なんと108頁!
おお!なんとおお!

なんで驚いてるのかって?

だって、タイトルが

「龍樹の失敗」

ページがわたしを呼んだのね。
ううん、イテテ、っというところもあるけど
龍樹のためだ、
ここだけ反論したいわん。

でも、さすが、長老さまじゃ、
簡単に反論できないように
さりげなく先手先手で、反論を
封じてあるのは、すごい!

龍樹の「空」を、「龍樹の相対論」という表現で
説明しています。
そして
長老さまは
「すべて空だ」と言ったのは、まちがいと言います。
「哲学を作るなかれ」というお釈迦様の戒めを破ったのが
龍樹の失敗だった、とされています。
で、「仏道」を見失ってしまったと。。言われたぜぃ、龍樹ぅ~~

おろおろ、反論しなくちゃ、はんろん、はんろん、はんろん
よおし~

ある意味、あたってます!

(おいっ!はんろんになってないじゃん。)

これからするのよ!はんろん、はんろん

あたってるけど、
でも、だいじょうぶ。
龍樹は失敗していないんですぅ。
わざと、そうしたんですぅ。

(これって、はんろんなのか?
はくりょくないぞ!はんろん)

これからだっちゅうの、はんろん

「すべて空だ」といっても
哲学を作ることにならない

わかって言ったんですぅ。
だから「仏道」を見失ってないと
思いますぅ。
それから
「すべて空だ」は
修行のためなんですぅ。

わたしの龍樹本に
ぜぇ~んぶ、はんろん書いてありますぅ。

まるで
サマナサーラ長老さまの批判を
あらかじめ聞いてたみたいなほど
ぴったしかんかんのはんろん!が
ありますよぉ!

出すぞ!はんろん
じゃなかった
出すぞ!龍樹本

(わかった、わかった、興奮するなよ。
で、『般若心経』の方は?)

龍樹で頭がいっぱいで
それどころじゃなかったわ。
でも、
スマナサーラ長老さまに賛成したくなる。

わたしも、ほんとに
『般若心経』書いた人って
わかって書いたンか、って
思ったりしたことが
ないとはいえないとはいえないとはいえない。。

龍樹なら、はんろんできるけど
『般若心経』は
わたしもわからないんだもん。
空海さんでも読んでじっくりやらなきゃダメだわよ。

たぶん「第一義諦」ではんろんしないと
しきれないと思うけど
わたし
龍樹で頭がいっぱいだから。

(あわれ管理人!どーよーが激しいようだな。)

@@@@@@@@@@@@@@@@@@

しかし、しかし、ありがとうございます。
スマナサーラ長老さま

こんなにスマナサーラ長老さまの
つっこみに
ぴったし答えた龍樹本をかけたなんて、

まちがってないって、ことだよね。

あ、いや
ぴったし
まちがってるって、ことか?

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コメント

う さま

拙著お読みくださってありがとうございます。

スマナサーラ長老さまは、やはりテーラワーダの立場を守るため、ことばを選んで、簡潔に表現されているのではないかと思います。
そのため、わかりにくいのではないでしょうか。

ここは、じつは、とてもむずかしい問題に「さらっと」ふれていると思います。すごく上手にさりげなく龍樹を封じていると思います。

けっこう、「なるほどぉ」と思ったりしています。どうも、龍樹は部派に嫌われたようですね。。。。わたしは、龍樹は部派でも使えるんじゃないかと思ったんですけど、やっぱりダメなのかな。

まだ先ですが、龍樹本が出ましたら(目処が立ちそうな気配です)、ぜひチェックしてみてください。
いろいろおわかりになると思います。

「一切は空である」は、ゲーデルの不完全性定理に、もろにつながります。不完全性定理は、簡単に言うと「体系内に、真とも偽とも決定できない命題がある」という主張ですが、そのような命題があると、それをめぐって体系にかかわる議論がおきます。
そして、紛糾してしまい決着できません。「争うな」といったブッダの戒めに背くことになります。
この「一切は空である」は、そのような問題を引き起こす命題なのです。
その点では、長老さまのおっしゃるとおりです。

でも、最終的にはそれは解決できると思ってるんですが。そのあたりで、いろいろ解釈が分かれてくるんだろうと思っています。

ううん、むずかしいです。

投稿: 管理人エム | 2007/08/10 18:46

カラスノエンドウさま

さっそく、ありがとうございます。簡潔にまとめてくださってありがたいです。そちらの論文はみたことがありませんでした。
その後ですね、『印度哲学仏教学』19号(平成16年)に「ブッダ・佛・仏」という題で発表しています。こちらを読むことができました。
カラスノエンドウさまのお知らせくださった説が、ここでもまとめられています。

> 仏教が中国に伝来したときにブッダを金色の神人で、空中を飛来して現れた存在、とみなした伝説に起因する(提唱者を書いていないので、藤田説?)

牟子の『理惑論』(3世紀中葉)では、この伝説を受けて、ブッダを表すのにもっぱら「佛」の語を用いていた、とありまして、牟子の解釈を上げています。それによると、「佛」をよく見えない存在として訳していたととれそうです。
一般的にこのような説が、考えられると言うことなのでしょうか。とくに、藤田説というほどでもないのかな。

「佛陀」は「佛」よりあとに現れた音写語、とあって、「佛」が「佛陀」の略語でないというのは、注目ですね。

> 北海道に妖怪が来ていたそうですね。キャー。

あ、ほんとだ!ムシムシ暑いので、妖怪で涼みます。。。。鬼太郎じゃ、ちょっと、無理かな(笑)。

投稿: 管理人エム | 2007/08/10 18:10

先生が正しいのです。
長老様の仰っておられること、書いておられることは良く解らない。私の理解力が低いのか、彼の日本語がおかしいのかどちらかだろう。

先生の御著書は、入手可能なものは全て手に入れ拝読いたしましたが、解りやすい。先生が良く理解されて居られるからこそのものだと思います。

投稿: う | 2007/08/10 10:35

エム先生

道場の方で話題になっていた「佛」ですが、藤田先生の論文を見ることが出来ましたのでご参考まで(藤田宏達「「佛」と「仏」に関する試論」『財団法人松ケ岡文庫研究年報』(17)(2003年)1-15ページ)。
藤田先生によると、「佛」の解釈には三つあり、①人にして人にあらざる超越的存在を表す(諸橋・中村説)、②『説文解字』に「佛」は「見ること審らかならず」とあるから、ほのかにしかみえないの意味。仏教が中国に伝来したときにブッダを金色の神人で、空中を飛来して現れた存在、とみなした伝説に起因する(提唱者を書いていないので、藤田説?)、③原義とは関係なく、単なる音写(藤堂説)、であるそうです。

北海道に妖怪が来ていたそうですね。キャー。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/41024.html?_nva=3

投稿: カラスノエンドウ | 2007/08/10 00:39

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