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2007年7月

2007/07/29

管理人、腕まくりをするの巻

これから心おきなく
龍樹本、最後の仕上げにかかります。

学会の発表も
龍樹本の基礎づけに役立つだろうと
思って行いました。

手を入れたいところは
3ヶ所にしぼられました。

○ 「空性」にかんするゲーデル問題
○ 龍樹作品の問題
○ 龍樹の位置づけ

いずれも
今の段階では結論の出ないような
大問題ですが

でも、

「今」に限って

まとめます。

もっと調べていると
また、どんどんちがうことを
書きたくなってきそうだ。

そうしたら、いつまでたっても
仕上がらない。

もういいかげん
完成させないと
時機を失してしまう。

という気がします。

龍樹本で、新たに出てきた問題は
また、みなさまと議論することにして

「今現在のブッダ論理学」

を、出そうと思います。

さ、がんばるぞ!
腕まくりぃ。

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つれづれ

苫小牧で学会でした。

とてもきれいなところでした。
道路はまっすぐで、人がいない。
車も少ない。
広い見晴らしのいい公園のようなキャンパス!

バスの運転手さんも親切で
いろいろ教えてくれました。

乗ったのがわたしだけだったからかな。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

学会のために
『方便心論』をまた
しみじみ読んでいたのですが

前とはまるきりちがうように見えてきました。

以前は、『ニヤーヤ・スートラ』との対比が
いつも念頭にありました。

『方便心論』には、二つの目的があります。

1 諸論の門を開くため
2 戯論断滅のため

1は、今までの研究で、身に染みてわかった。
ところが、2の方がイマイチ、ピンとこなかった。

ところが、今回、戯論断滅の方に
目がいくのです。

うううううむ、そうダッタのかぁ。。という感じです。
龍樹本効果ですね、きっと。

ようやく、『方便心論』つかめてきたかな。

7割くらいは読めてるかと思ってましたが
どうやら4~5割程度だったようです(トホホ)。

って、いうか、ひょっとして3割くらいかも。

しかし、この『方便心論』という本は
おそろしい本ですね。

どれだけ、中身が入ってるのだろうと
ほんとに、恐怖すら感じます。

龍樹という人は、ただ「頭」という点だけなら
ブッダを超えてるのかもしれない。。。
しかし、
その龍樹が、これだけ傾倒したブッダという人
やっぱり人間超えてるんですね。。。

インド哲学、おそるべし!

インドやって、ほんとラッキーだった。

『方便心論』は、そのうち、また
わかったことをまとめて
HPにでもまとめてみようと思います。
しばらく先だけど。

オシムジャパン、なかなか苦戦中。。。

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2007/07/27

しぶとく生きる!

お暑うございます。
ほんと、暑いよ。。。

でも、無事がっこは前期を
終えました。

試験も山ほど届いている。
これから
レポートも山ほど届く。

その前に分厚い
出席表の大袋が届いた。

これから試験をするところもある。。。

うううッぷ~、もう、おなかいっぱい!
って、とこです。

さらには、学会が待っている。。
といっても、もう、明日だ。

おおおっとっと、発表原稿!発表原稿!

駅のベンチで書きました。。うそです。
しかし、気分は、歩きながら書いたようなもんです。

ほんと綱渡りで生きてるなぁ~
と、人ごとのように感心してしまう。

つくづく思うけど
わたしって、けっこうしぶとい!

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2007/07/23

「鼻」が龍樹だと。。。

龍樹の「鼻」は、犬の鼻。

どんなかすかな善悪でも
嗅ぎわける。

心についた自我のシミを
においでキャッチ!ワン、ワン!

ここほれ!ワン、ワン!
ここほれ!ワン、ワン!

龍樹の「鼻」は、警察犬の鼻。
自我の麻薬を摘発だぁ。

管理人!
シミだらけだぞ!

もう、りゅうじゅ犬、
ヤダわよ、そんなこといわんでええから。
しみ抜き、間に合わないんだもん。

地球にやさしい酸素系漂白剤は
効きが悪いから、
自我のシミもぬきにくいのよ。

ブッダもまた言ってるじゃん。

「ブッダは、諸比丘に告げて言う。
『我によるから、我がものがある。
もし我がないなら我がものもない』と。」
(『十二門論』観因縁門第一)

仕方ないのよ、シミだらけなのは。

管理人!
シミだらけだぞ!
管理人は、シミだらけ!ワン

もう、りゅうじゅ犬!
アンタを書いてるのは
ワタシなんだから
著者のワタシに逆らうなんて
なまいきだぞぉ!

ここほれ!ワン、ワン!
ここほれ!ワン、ワン!
管理人はシミだらけ!
ワタシ、ワタシ、とシミがふえてくゾ!

りゅうじゅ犬!
いい加減にしてっ!
もう、アンタなんか
消しちゃうから。。。えいっ!

ひどい。。わん。キャィン。。。。シーン

はぁ、ヤレヤレ。。。。
ちょっとかわいそだったかな?
でも、でも、うるさいんだもん。。。

  。。。。。。。。。。。

かわいそ?。。。。。。。
だった。。。うる

  。。。。。。。。。。消すこと無かったかな

りゅうじゅう、かんばぁ~っく。。。。。涙

って、こんな感じで
「鼻」が龍樹だと、

破局の結末しか思いつかないよ

ったく、汚点だらけの管理人。。。なさけな

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2007/07/22

はぁ、「口」が龍樹になったぜ、トホ

昨日は、まずいことに、朝から
「口」が龍樹になっちまって、
シニカルな一日だった。

夜になるまで、日記は待とう。
少し「口」も、おさまって
おだやかになってるかも。。。

って、思ったけど、
夕ご飯に食べた

京都伏見の
青唐辛子のせいなの(?)
(ほんとは、辛くない、おいしい)

「口」が、チョー辛口。。。

で、日記は、やめよ、って思ったのよ。

読んでたものが
『十二門論』と『廻諍論』

これのせいかな。。

@@@@@@@@@@@@@@@@@
『十二門論』については
もう完全に龍樹作と、信ずるにいたる。

羅什訳は、論法に弱いうらみがある。
どうも、訳が、論理的には、甘い。
『大智度論』でも、ミスを一つ見つけた。
原典なしでも、「あ、これミス」とわかる。
論理学上の問題をとらえきれてないかな、と思ったりする。

そんなわけだから
『十二門論』は、ちょっと読むと
論法の要素があまり入っていないようだけど

相当ややこしく難しい問題をあつかっている。

『方便心論』『廻諍論』あたりもおさえないと
わからないかも。
『中論』だけでは、おさえきれない。

そもそも、大乗の「空義(=空性)」を明らかにするためだから、
難しくなるのは、仕方ない。

「大部分の深い意義は、いわゆる空である。
もしよくこの義に通達すれば、大乗に通達する。
六波羅蜜(智慧の完成)を具えて、障害がない。
このゆえに、わたしは、今ただ空を解釈するのである。
空を解釈するに、まさに十二の門によって、
空性(空義)に入るべきである。」
(『十二門論』冒頭)

つまり、大乗の「空」を明らかにする書です。
こんな書き方でわかるように、

「大乗」の空

を説こうとしています。

主に般若経典に見られる「空」ですね。
大乗仏教が、とくに注目してきた「空」の特徴を
とらえて話そうとしているのです。

で、内容は?というと、
『方便心論』『中論』『廻諍論』の議論を
引っぱってきて、「これでもかぁ」と
「空」の証明に費やしています。

大乗の「空」を
なぜ、龍樹の論証で
証明するんですか?

なぜ大乗の般若経典のような書き方を
しないんでしょうか?

『廻諍論』の議論を用い、
それに
『方便心論』の用語をあてて
独自に説明しています。

その説明の仕方は
この「大乗の空義を明らかにする」
という目的にそって
『方便心論』から
わざわざ、そのための用語を
ぬいているのです。

『方便心論』を熟知しないと
これはできません。

また、内容的に
「空性」を確立するという目的は
そのまま『廻諍論』の目的です。
つまり、論理の極致なのです。

『廻諍論』を熟知しないと
これはできません。

また、空の理解には
『中論』の思考や言語の使い方が
欠かせません。

『中論』を書いた人でないと
これはできません。

以上によって、
『十二門論』は、龍樹作となります。

『中論』に註釈した、謎の梵志(バラモン)、青目を
作者であるとする人もいますが※
それは無理だと思います。

※ごめんなさい。青目という意見は、なかったかもしれない。
他の著作の作者問題とごっちゃになってます。
とにかく青目ではない、と言いたいと理解してください。
(2007.07.23)


青目は、「空性」に通じていません。
ニヤーヤ学派の論法などには通じています。
かなりの人ですが、最後の決めて「空性」を
あつかえないと、注釈者どまりです。

まえに、Oさまに教えていただいた
チベット文献の目録にある『十二門論』の名前
これから、何かでないかなと思ったりもするけど
今のところ、アイディアがないわ。。。念念

ああ、
まだ「口」が、龍樹だ。。。
けっきょく、書いちゃったし。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

スマナサーラ長老さまの

「パパンチャを破る-禅の物語『無門関』にちなんで」の
目次を見て、興奮する。
(中身は、まだ拝聴してないけど)

http://gotami.txt-nifty.com/journal/2007/07/dhamma_270f.html

こう言うのを
キターーッ、って言うのかな。

龍樹ですね。

仏教は生きている。
部派は発展する。
スマナサーラ長老さま、がんばって!

それから

大乗仏教も、がんばってよ、ほんとに!
最初に龍樹をつかんだのは、大乗だったのに。

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2007/07/20

龍樹の「目」

さて、さて、自然観察者、龍樹の目で
世の中を見ておりました管理人でございます。

龍樹ほど、自然観察にすぐれた人も
いない。。。ような気が、勝手に する。

こんにちは。
「目」だけ、龍樹のつもりで、
昨日は過ごしてみました。

恵み野のJR駅で
電車を待ちながら
空を見上げました。

恵み野は、とてもきれいなところです。
周囲には、田園が広がり、
個人の住宅は、ガーデニングが
さかんで、
どの庭にも花々が咲き乱れています。
ガーデニングの町なのです。

でも、今回、庭は関係なくて
見上げたのは、空。

で、

あれ?不思議な空だ!

大海に浮かぶ島のように
ふわふわした綿飴みたいな雲が
ぽこぽこたくさん空に浮かんでいます。

どこまでも広い大地に
はるかとおくの山まで
見渡せる。
空一面にぽこぽこでっかいわたあめ。

それが、右から左にかなりの速さで
流れていく。

どこがふしぎ?
ぜんぜん不思議じゃないじゃん。

これだけなら、不思議じゃない。

さらに、わたあめの雲の上
はるか上空
秋の空に見られるような筋雲が
青空にハケではいたようにある。

筋雲だけでなく、鰯雲のようなのもある。

ほお、ちょっと不思議!

さらに、よお~く見ると
鰯雲と筋雲は
わたあめと反対の
左から右へと
流れているのです。

おお、不思議だ!

はるか遠くなので
よくわかりませんが
たしかに動いている。

空の低いところと高いところでは
風の向きが逆なのだ。

「目」が、龍樹になると
自然もそれにあわせて
ふつうじゃないみたいだ。

ラッキーだ!

しかし、
「目」が龍樹だと、楽しいけど
「口」が龍樹、ってのは

やめた方がいいような。。。。。

そんな気がするにゃぁ。。。


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2007/07/18

龍樹はどんな人?

そろそろ前期の授業も終わりに来て
もう少しがんばればぶじ終わりそう。。。かな。

ヤレヤレです。

龍樹本も、第1章・第2章で、ブッダ論理学を
完成しました。

こっちもヤレヤレ、すごくホッとしました。

この龍樹本で、ブッダの法を守るんだ!
『方便心論』のように、
荊棘の林になれたら、ええなぁ~!

これは、わたしの夢ね。

この龍樹本を書いたら、
もう少し、『方便心論』を見直して

楽しい 龍樹 を
書いてみたいような気がしてきました。

難解な論法をふりかざす龍樹ではなくて
どことなく、まじめなのに笑える龍樹って

そんな龍樹もほしいなぁ。。。

ブッダ一筋だし
けっこう一途でかわいいんだけど
あんまりそんな龍樹って、
描かれたことないよね。

ほんとは、ほんとは、どんな人物だったんだろね。。。

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2007/07/17

生死 即 涅槃。。。そうかい?

龍樹本は、第一章と第二章を終わって
ホッとするまもなく
第三章に入りました。

八不中道は、むずかしかったす。
前に「涅槃」で発狂しそうになりましたが、
やっぱりイマイチわかってなかったことが
わかりました。

「生死」は「涅槃」である、って聞いて、

ああ、そうなの、そうね、ほんと
涅槃と生死、変わんないわね

って、
なかなか言えないよね。
いやぁ、今回ようやく
そう言えるようになりました。

うれしい!

なぜ、言えないかというと
わたしたちは、どうしても
生死に こだわってしまうからです。

死んだらヤダ、とか、もっと生きたい、とか
死ぬのと生きるのはぜんぜんちがう

思っているのです。

あらゆる執着を滅したら
生死も超えられるんだ
(つまり、どうでもよくなる、おい)

頭ではわかるのですが
心の底から、細胞の核から
それを納得できないのです。

「涅槃」は、
わたしたち凡夫には「死後」と言い換えられます。

死後の世界はあるのだろうか
死後の世界はないのだろうか

このように悩むとき、「生死」ということに
ひっかかって、そこから離れられていないのです。

生きてる今、「生死」にこだわらないのは
どのような人でしょうか?

「無我」を知った人です。
骨身に染みて、「むが~っ」って
知っている人は、

あっさり、こういうのです。

「涅槃も無我だろ、おんなじじゃん」

言い方が、管理人みたいだ、ですって。
いいのよ、口では悟った管理人なんだから。

口では悟った?
何?これ?

ま、論理で悟ると、
なんとなく口先三寸(くちさきさんずん)ふうな
仕上がりになるんだわん。

「中道」の論理を知ると

口先涅槃

ここに到達できる!!
すばらしい!

ほんとの涅槃まで

あと一歩
後は寿命の尽きるのを待つだけ。。。。ははは。

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2007/07/15

あると信じていたものは、かならず壊れるときがある。
あると思っていたものは、かならず無くなっていく。

あると思ったものが、その中にないとき、
あると思ったものについて、「そのもの」は「空」である、という。

「そのもの」は、あると思ったものについて「空」なのです。

「そのもの」の中に、他のものがまだのこっているとき、
のこっているものについては、「空」ではありません。

 あると思ったものがなくなるのは、常のこと。
 中に何かのこっているのを見つけることも、よくあること。
 空っぽになっても、中に何かを満たすのも、発想の転換。

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、
世界を空なりと観ぜよ」(『スッタニパータ』1119)

ブッダは「虚無」を説きません。「空」を説くのです。

身体と心の断滅(つまり、虚無)をとく賢者もいますが、
ブッダは、「これらの偏見にはこだわりがある」と知って
それを説きません。(『スッタニパータ』876、877)

そうではなく「涅槃」をとき「不死」を説くのです。

だから、さっきの「空なりと観ぜよ」に続いて
こういうのです。

「そうすれば死を乗り超えることができるであろう。
このように世界を観ずる人を、<死の王>は
見ることがない」(『スッタニパータ』1119)

「空っぽ」でも「真空」でも、だいじょうぶ。
「何も無い」のではないのです。

> 落ち込んで、かがみこめば、後には、満たして伸び上がるから 欲 なのです
(マジカル広場、[520]、春間さま、より)

これ、いいかも!
「空」の吸い込みも期待大です。

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2007/07/14

いろいろいろいろ

ディスプレイを変えました。
画面がでっかくなって、光輝いてます。

今まで800×600というサイズで、
ブラウン管のディスプレイだったので
インターネットの画面が
すぐはみ出してしまっていました。

ワープロ機能さえ使えればいいや、
という方針でしたが
いくらなんでもひどいかなと
変えてみました。

こんどは、
インターネット画面が大きすぎて
わたしの目から、はみ出しちゃうな(笑)。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@
哲学が好きという学生さんと
おしゃべりしながら
駅まで一緒に帰る。

あまりつき合いがよくないので、
家族や友達に
「周りにあわせろ」とか
「頭がかたい」とか
言われます。
でも、ちがう。
ボクの方が、頭は柔らかいんです。

と、その学生さんは言いました。
そうなんだよね。
哲学している人は、
ほんとは頭がやわらかい。
言ってること、よくわかるよ。
ほんとうは、いろんな人の考えに
ついていける。
がんばれ!負けるな!デンケンしてください!

友達づきあいを強制されるのが
イヤなんです。
みんなの中に入って
自分も同じ考えにさせられるのが
それが、怖い

とも、言いました。
ぼく「は」、哲学がいちばん楽しいです
といって、かれは去っていきました。
(ああ、「は」を強調しなくていいからさ、(笑))

よおし。哲学の授業に意味を見出した
せんせ だったあ!

@@@@@@@@@@@@@@@@
龍樹本で、ちょっと書き足そうとして
ピタッと止まっています。

やっぱり、「涅槃」のところです。
九割、わかってると思う。。。。って、思う。
でも、どこかで、何かが、ひっかかる。
なんだろ、なんだろ????

大乗仏教は、突然生まれたものではない。
仏教において、
偶然とか
突然とか
いきなりとか
なんとなくとか
そういうことはありえない。

みずからの説く「因果」
これにもとづいて起こってくる。

大乗は、生まれるべき時機をのがさず
他に縁って
起こってきたのである。

ブッダに帰依した人々の力

ブッダの法

ブッダ(如来)
により
これだけの膨大な経典が
生まれてきたのである。

『中論』も同じように考えていいだろうか?
龍樹の力

ブッダの法

ブッダ(如来)(?)
によって
生まれただろうか?

さいごの「ブッダ(如来)」というのが
他の大乗の経典類とは
微妙にちがうような
いや
同じような。。。

そういう意味では
密教の経典に
近いだろうか?
どうなの?どうなの?

うううん、悩む。。。

みんながだ~いすきなお釈迦さま

久遠実成の釈迦牟尼仏

犀のごとく一人歩む沙門ゴータマ

読み方にもよるのかしら。
『中論』で説かれるブッダは、
三つの要素が入っている。。みたいだ。

もう少し悩んでみますか。。。

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2007/07/10

あなたの心の悩み解決します

龍樹本原稿を印刷して
仕事の行き帰りに
読み始めたけど
思ったより
そんなに
わかりにくくもないような気がしてきました。
(揺れます、女心と秋の空。。。。なさけなや)

小見出しをもう少しふやした方がいいかな
とか
もう少し話をしぼって拡散しないようにしなくちゃ
とか
いろいろ思うけど、
読めばわかるんじゃないかと
思いはじめました。

けっきょく

ブッダの法

これがわかればいいわけです。

っと、でっかくでましたが、
でも、やっぱり、わかると思います。

ブッダは、人間なんだし、
人間の考えることは
わかるはず。
おんなじ人間なんだもんっ!

そんな気がしてきました。

龍樹は、われらが同志、そして、導師。
なんとかわかるさ。
なんとかなるさ。

今日は、挫折禁止マークがきいてるぞっ、っと。
@@@@@@@@@@@@@@@@@

今日は、「ブッダの公式」をみんなにおしえてあげました。

(1)「これ」があるとき、「かれ」がある
(2)「これ」がないとき、「かれ」がない

「縁起」という関係は、見つけるのが案外むずかしい。
でも、「知りたい」と思って、よく注意していると
見えてくる。
愚か者じゃ、いけないんだ。かしこくなくちゃね。

まず「かれ」に、言葉を入れるのがコツなんだよ。
事実を見つめることから始まる。

生滅するもの、五感でとらえられるもの、
こんなものを対象にします。

そして、
「何があるとき、○○があるんだろう?」と
原因を知りたいと思うと、しぜんと気がつくものです。

「じゃ、因果関係の例、作ってみて」
といったら

すごくたくさんいろいろ作ってくれました。

かわいい女の子ばかりだけど、みんなすごくかしこい。

「良いこと」があるとき、「幸せ」がある
「太陽」があるとき、「日ざし」がある
「勉強不足」があるとき、「赤点」がある
「おぼえる過程」があるとき、「知識」がある

「ほお!おぼえる過程って、どんな過程ですか?」
「書いておぼえるんです」
「それは、すばらしい!聞いただけでは、忘れちゃったりしますもんね」

「空腹」があるとき、「食欲」がある
「話し相手」がいるとき、「会話」がある

「おお!それ、まさしく対機説法じゃん」
と思って、お釈迦さんの話をウキウキしてしまう。

前にも、「ブッダの公式」で因果関係を見つける方法を話したら
学生さんが、とても喜んで
「これがあれば、いろんなことがわかるなぁ、と思いました」
と言ってくれました。

今回は、「自分の心の中のことに使ってください」と言っておきました。
「この公式を使えば、心の悩みも解決できるよ」と

「何があるとき、苦しみがあるんだろう?」
これの答えが、見つかったら、もう悩みも解決さっ!

さすがにそんなにうまくいかないか。。(笑)

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2007/07/09

これなのね、挫折禁止

「挫折禁止」の標識

みっけ。

これです。http://www7.big.or.jp/~katsurao/zakin/

笑ってしまいました。
いいなぁ。

これ見て、今日もがんばろ!
授業だっ!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

元気に授業にいきました。
来週分のプリントも配って、
やっていましたら、

「せんせ、来週もう授業ないですよ」
といわれました。
「え?もう一回あるんじゃない?
試験は、その後でしょ?」
「せんせ、来週、海の日で休みです」

がーん!

「なぬっ!じゃ、これで終わり?!」

。。。。なんなんだ。
今日から、教室は、学生たちの座席が指定になりました、
って聞いて
授業しやすくなるわ、って喜んでたのに。
今日で、終わるなんて。

立ち直れないわ!

そ、そうか、こういうときこそ

@@@@@@
@挫折禁止@  の 
@@@@@@

標識が
有効にはたらくのね。

さっそく使えて、良かったわ。。。って、問題か!

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2007/07/08

龍樹本、経過報告

おはようございます。
龍樹本は、とくに第二章で、目次を増やして
説明を濃くしました。

くどいかもしれない、という気持ちと
わからなかったらこまる、という気持ち

間で、揺れうごいて、
「くどい」方が勝ちました(笑)※。

※って、書いてましたが、
「くどい」方が負けたんでした。
説明は、くどいのです。まぎらわしいですね。

ブッダの法の重要な教えが
ほとんど網羅されているので
読むのが、とてもたいへんかもしれません。

龍樹の方は、
『中論』の思考法が中心なので
内容的には、
『中論』それ自体はちょっと不足です。

『中論』の読み方おしえます、って感じです。
内容的には
「八不中道」と「空性」あたりかな。
おさえてあるのは。

「空」そのものの理解より、
「空性」ということをつかんでもらうのが
大事なような気がします。

「空性」がわからないと
あやまってとらえられた蛇のように
かみつかれて
けっきょく混乱してしまう。

誤って見られた空性は、智慧のにぶい者を破滅させる。
あたかも、誤ってとらえられた蛇のようである。
あるいは、誤って行われた呪術のようである。
(『中論』24・11)

「空性」はブッダの論理の理解にかかわるのです。
論理の限界を示しています。

「空」の方は、ほとんどみなさま知ってるとおり。
でも、なぜ 「空」 ってのが、
言われるようになったのか
ブッダの法とどう関係してくるのか
そのあたりが
知りたいところです。

若干、ミスも見つかったりして
内心、冷や汗もでたりする今日この頃。

第二章の最後の方まで見直しました。
今は
「無常・苦・無我」と「無常・苦・空・無我」の節を
なんとか、わかりやすくしようと、
苦闘中です。

スカッと見渡せるようにしたいけど。。。
無理そう。。。あ、挫折禁止だったっけ!

ほんとに標識ほしいなぁ!

龍樹!挫折しない君が、うらやましーーーっ。

それでは、第二章までの目次です。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

『ブッダと龍樹の論理学 縁起と中道』
                           
はじめに

序論
ブッダ論理学の話からはじめよう / ブッダ論理学は幸せのための論理学 / 西洋と東洋の互いの理解のために / ブッダ論理学が語りうるもの / ブッダ論理学と龍樹 / 正法としてのブッダ論理学

第一章 ブッダ論理学の基礎

世俗諦の論理学 縁起・四聖諦

一切智者としてのブッダと龍樹 / 西洋論理学の基本構造 / 真理表 / 西洋論理学の特徴:入れかえ可能の原則 / 西洋論理学の特徴:使用不能の真理表3 / ブッダ論理学の基礎固め / はじめに言葉ありき / 【単語】 / 【文】 / 語順を乱すな / 【否定】 / 否定はくせもの / 世俗諦と第一義諦 / 二つの真理(二諦)と十二支縁起 / 【接続詞】 / 【世俗諦の接続詞】 / 【縁起「~(する)とき」】 / 「ブッダの公式」を使ってみよう / 「ブッダの公式」が適用される真理表 / 「ブッダの公式」を検討しよう / これに依ること(此縁性) / 四聖諦と十二支縁起 / 【真理表5】 / 「縁起」は相依相関関係にあらず / 生因と了因 / 【真理表7】 / 相対的な言葉の扱いについて / ブッダ的思考方法 /【真理表2・真理表8・真理表10】 / 真理表の後半は仏教世界 / 【真理表9(苦・楽・苦でも楽でもない)】 / 「虚妄な法」は世俗諦

第二章 ブッダ論理学の完成

第一義諦の論理学 中道・四句分別

ブッダの論理世界 / 苦楽二辺の中道 / 【真理表15(中道)】 / 世俗諦から第一義諦へ / 言葉の上だけで考えると / 世俗諦だけで考えると / かき氷はどこにいった / 四句分別 / マールンクヤプッタに与えた形而上学説 / 【真理表16(四句分別)】 / 「貪欲を離れた者」はどうなるのか / 論議の道も根絶やしにされた / 聖者のレベル / 『中論』における聖者のレベル / 戯論(プラパンチャ)と空性 / ブッダの説く修行は二段階 / 論争してはならない / 龍樹の決意と『中論』/ 八不中道は形而上学説を否定する / ブッダが選んだ形而上学説 / 輪廻と業 / 不滅不生 / 「中道」は「四句分別」へ / 不断不常 / 不一不異 / その火はどこに行ったのか / 不来不去 / 無常・苦・無我 / 無常・苦・空・無我 / 空であるのは自性についてである / 如来を「無我」と見よ / 去りつつあるものは去るのか / ブッダは「空」を用いたか / 【真理表1(一切智者)】 / 最後に

@@@@@@@@@@@@@@@@@

「空性」がポイントなんて
風呂敷ひろげたけど
第三章で、その点をもう少しわかりやすくしたい。
ゲーデルとも仲良くしたい。

ここで、挫折禁止の標識をかかげて
少しねばりたいす。

けっきょく、書いてる本人が
あんまりわかっていないと
わかりやすくなんか
ならないんだ
って、今ごろ
実感してる
わたしです。。。おそいよ。

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2007/07/07

おらは死んじまっただ by 龍樹

やっと、また、1週間。

今週・来週は、土日を龍樹本に費やせるので
うれしいわい。

予習のすきまを盗んでは
龍樹本にとりかかり
それでも6割見直しました。

けっこう、書き直してふえてきちゃった。

見直して思ったけど、
龍樹は、ほぼ ゲットしたような気がする。
だいじょうぶみたいだ。

理屈でこうなるはずだ
と思ったら
ぜったいかくじつにそうなっている。

@@@@@@@@@@@@@@
えらいぞ!龍樹。
理屈どおりに進むなんて。

(龍樹とつぜん登場)

管理人!
そんなことで誉められてもな。。
あたりまえだよ。

あ、おどろいた!久しぶりね。
龍ちゃん、元気だった?

龍ちゃん?!
失礼だな。ちゃんと「龍樹」って、言ってほしいな。

あ、ごめん。
じゃ、龍樹ぅ、なんで出てきたのよ。

管理人の仕事ぶり見に来たんじゃないか!
とろいなぁ。
まだ、こんなとこか。
僕のこと、ちゃんと良く書いてくれてるんだろね。

あ、う、うん。
ちゃんと、書いてるよ。。

そう?あ、何これ?
「龍樹の挫折」って節があるぞ。

あ、う、うん。
ちょっと、「挫折」って、訳者の吉迦夜(きちかや)が
言ったもんだから。

なんだい、なんだいっ。僕、挫折なんかしてないぞ。
ひどいや。

あ、う、うん。
龍樹!仕方ないんだよ。
ここは、デリケートな問題なんだから。

何が、デリケートだいっ!
僕のほうが、もっとデリケートなんだい。

あ、う、ううう。
龍樹っ!「わがまま」だぞ!
菩薩なんだから、がまんしなよ。

「わがものもなく、自我意識もないとする人は、しかし、また、いない。
わがものもなく、自我意識もないと見る人は、見ないのである」
(『中論』一八・三)
これ、ぼくちん、書いたんだからね。ちゃんと読んだ?

りゅうじゅぅぅ~。変なとこで、自己主張しないでよね。
そんなとこで引用するの、悪い使い方だよぉ。
だいたい、アンタが、死んだあとのことなんだから。
死んだ後、たいへんだったんだから。

なんで、僕が死んだら、たいへんなのさ?

だって、『中論』みたいなヘンテコな本書くから
みんなわかんなくなっちゃったんだよ。

どこがヘンテコなの?ぜんぜんスムーズじゃん。
ぼく、すらすらわかるよ。

著者なんだから、すらすらわかって当然なの、もう、やだわ。
現代人には、わからなくなっちゃったのよ。。。龍樹語だから。
本気の本気で!わからなくなってんだから、ネ。冗談抜きよ。
で、さ、聞いてくれる?
どの本も、龍樹、アンタのこと書くときね、
「たいへん難解なのであるが」という前置きがつくの。
そして、「簡単に言うと、こういうことである」みたいな感じで
説明が書いてあるんだけど、それがぁ。。。。。なの?

「。。。。なの?」って?

あ、ううん、言いにくいけど、チンプンカンプンなのよ。
でも、みんな、「龍樹なんだから」そうなんだ、仕方ないんだ、
って、わけわかんないまんま、
その説明信じ込むことになっとるだ。

つうことは、ぼくちん、わけわかんないヤツってこと?
ほめられてんの?けなされてんの?

あ、ううう、りゅうじゅうぅ~、そこよ、問題は!
そこも、また、デリケートだっちゅうの。
もし、「龍樹はえらい!」ってことになってなかったら
もう、アンタなんて、ぼろくそだから、きっと。
とにかく、ありがたいことに、有名なのよ、龍樹は。
で、「すぐれた仏教徒はみな影響受けてるから」という理由で
キミは、かろうじて、ほめられてんのよ。

デリケートって、そんなとこか。。どっちでもいいけど、
ちゃんと僕を理解しなきゃ、正法すたれちゃうよ。

あ、ううん、イタイとこつかないでよ。
他にも、あるの。デリケートなとこ。
アンタをどこに位置づけるか、の解釈よ。
で、元に戻るんだけど
「龍樹の挫折」の節は、必要なの。
いろいろ見えてきたわ。。。
「龍樹の死後」ってのも、「如来の死後」と同じくらい
大事だってこと。。。
龍樹、アンタが大乗にいくのか、部派にとどまるか。。。。
そうか!どっちが智慧があったか、ってことのようね。
ううう~ん、ワトソンくん、謎が解けてきたようだ。。
あれ?龍樹、まだいたの。。もう帰っていいよ、

何言ってんだ?!管理人。
管理人の方が、わけわかんないこと言ってるぞ。
それに
「帰っていいよ」は、ないだろ、ひどいよ。
ぼく、わけわかんないぞ。

あ、ううん、「龍樹の死後」だから、
わかんなくていいの。
龍樹、アンタっていい人ね。
みんなの役に立つ人だから
いろんなとこで争奪戦がおきるの。。。
龍樹を理解できた人だけが、
龍樹を手に入れるのね。
わかったわ!
いまのところ
アンタは、大乗の人で、密教の人ね。
で、
きっとこれから部派の人にもなるわね。
(それから、非仏教徒にとっても宝物ね。
サーンキヤ、ニヤーヤなどなど)

ブッダと同じように、
枠を超えるんだわ。

『龍樹菩薩伝』の最後に

死後百年経ってるけど
南インドでは、
廟を立てて敬うことブッダのようだ
(爲其立廟敬奉如佛)

って、あるのもわかるわね。

りゅうじゅ!ほめとくからさ、
心配しないで死んでていいよ。
じゃ、バイチャっ!

龍樹は、さびしくひとりごとを言うのであった。

(管理人のヤツ、ほんとにボクちんのこと
尊敬してルンか、悩んじゃうぞ、ぼく。)

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2007/07/03

ふたたび『スッタニパータ』考

今日は、まじめ日記になりそうだわ。
春間さまに期待されてる ニッキ には
ならないかも。

最近、『スッタニパータ』熟読中。
(中村元氏『ブッダのことば』岩波文庫)

いかに経典というのが
人によって
多様に読まれるか

『ブッダのことば』の
表紙の説明を読むとわかります。

「後世の仏典に見られる煩瑣な教理は少しもなく、
人間として正しく生きる道が対話の中で
具体的に語られる。」

このように見えたんですね。
この表紙の文句を書いた編集者※の人には。

 (※このように書きましたが、じつは、中村先生の
あとがきにある文章でした。
う さまのコメントにより、訂正します。ごめんね)


じゃ、わたしも表紙のことばをつくってみよう。
わたしが編集者なら、こんなふうです。

「後世の仏典につながる煩瑣な教理をすべて含み、
沙門として最終的に到達する道が対論の中で
具体的に語られる。」

『スッタニパータ』は、
空入門の書であり
論争の書であり
解脱への導きであり
修行の指南書です。

だから

龍樹が『中論』執筆のために
参考にしたのだと思います。

おそらく かれの
いちばんの参考書です。

というところまで
行きついた、管理人。

今日も暑いぞ!

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2007/07/01

せんせと学生のシンデレラ・ストーリー

この一週間へたっていた理由が
解明しました。

暑かったんだぁ~!

先週木曜日
哲学の授業だった。

完全にバテてたので

もう授業なんて、授業なんて
どうでもいいや。。。

などと、けっして思ってはならないことを
思ってはならないので
思いま

せんようにと

願いつつ

思ってしまったのでありました。

で、
やる気ないのを知られないように
カラ元気出したのです。。。。念念念

だけど

「せんせ、暑いよぉ~」
と、ダル~っとした学生諸君も

せんせに負けず劣らず
やる気なし。

ああ、この貴重な哲学の授業も
もはやこれまでか、っと思われた

そのとき

なんと、救世主が!
あらわれた。

「せんせ、となりのクーラーのある
視聴覚室で授業しよう」

全員「お!(きら~ん)」

室温22度の快適空間で
授業のはかどること、はかどること。
全員、シ~ンとして集中。

終わりの鐘が鳴っても
まだ集中。

すばらしい!

別人のように
きりりと知的になった
学生諸君は
あいさつをして、出ていった。。

。。行った
しかし

一歩、教室を出たとたん
また
ダル~っとしたもとのすがたに。。

冴えてるせんせも、
教室でたら
へたれた教師に
逆戻りじゃ。

以上
せんせと学生の
シンデレラ・ストーリーでした。

?どこが、シンデレラ・ストーリーだって?

カボチャの馬車とボロの服に
戻っちゃった

ってとこが。

それに、教室出たら
せんせも学生も
シンデレラ(死んでれら)

ってとこも。

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