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2007年5月

2007/05/29

一天参上。。。なんだけど、さ。。ぶつぶつ

先週は、訪問者数、アクセス数がすごかったです。
とうとう24日には、最長不倒と思われる433に達しました。
す、すごいぞ。

最初の数字が、訪問者数、後の数字がアクセス数です。
2007年5月22日(火) 64, 233
2007年5月23日(水) 107, 328
2007年5月24日(木) 96, 433
2007年5月25日(金) 83, 253
2007年5月26日(土) 81, 266
2007年5月27日(日) 68, 192
2007年5月28日(月) 63, 190

ふつうは、訪問者数は50くらいです。
なぜでしょう?
考えてもわかりませんね(笑)。
ま、いいか。

それより、25日の日記の流者さまのコメントにあった
お言葉を考えていました。

> 梵天勧請は釈迦の迷いと見えたれども、
> 然らず、唯、人の姿を現すなり。
> 時来れば、芽出でて、華果自然と現るるなり。
> もし動きなくば、縁起の理法もなく、仏世に出でる事もかなわじ。
> されど、仏世に出で、よく法を説けり。
> 周知の事実なり。

おっしゃるとおり、「仏世に出で、よく法を説」きました。
縁起により、仏の説法は起こったのですね。
周知の事実です。これは、否定できない、誰にも。

つらつら考えてましたら、そういえば、わたしも
諸天ではないですが、一天に出会っているんです。
思いだしました。
そして、同じように、否定できないこともあると気がつきました、。

前にコメントで「わたしには諸天が顕現したことがない」と
述べてしまいましたが、まちがいでした。
すみません。

『ブッダ論理学五つの難問』のあとがきで、龍樹が出てきて
「書け、書け」と勧めたと書いたことがありましたが、
あれって、よく考えれば、
龍樹勧請 かも。
ちょっとずうずうしいでしょうか。

だけど、あれは、変な体験で、いまだに奇妙なんですよ。
とても具体的で、はっきりしていた。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ちょうど、ニヤーヤ研究と龍樹研究のあいだに立って
迷いまくっている最中でした。

ニヤーヤ派は、常識の道、これを研究していれば、
ま、ほどほどの称讃(?)がある。
龍樹は、チョー非常識の道。研究しようもんなら
詭弁論者だのなんだのはげしい批判をあびる。

バラ色の道といばらの道。
どっちを選ぶでしょう。

そりゃ、ニヤーヤ。龍樹なんて、研究したらダメだ。
たしかにすばらしいけど、誰にもわかってもらえそうもない。
わかってもらえないんじゃ、無駄骨だもん。

そうしたら
「大丈夫だ、だいじょうぶだから、書け」
といわれたんです。

で、こっちも必死に会話する。
「大丈夫って、なぜ?
『方便心論』にまだまだ証拠がねむってるの」

「わたしは準備万端だ、ぬかりはない」

「ぬかりはないって、いわれてもねぇ。
他の龍樹作にもまだ何かあるの、それとも阿含?
ことごとく批判されるなら、いくら出しても無駄だよ」

「大丈夫、そんなことはない、書け」

(まだまだ会話は続くが、省略)

けっこう懇願調なんすよ。
で、とうとう、折れて
「そ、そうお、ほんとに大丈夫?
そんなにいうなら、ヤダけどやってみようかな」

そしたら、声は消えました。

@@@@@@@@@@@@@@@
で、奇妙なお話のようですが
ほんとに奇妙なのは、このはなしではないのです。
このはなしを、Aと名づけます。
そうすると、ほぼ同時に、わたしは次のように
考えていました。

次のはなしはBとしましょう。
###############
なに?これ。
これって、もしかして、わたしの
心の葛藤って、ヤツかしら。
それにしちゃ、ヤケにはっきりしてるわね。
それに、心の葛藤なら、わたしは悩んでるはず。
なのに、なんで「大丈夫」なんて自分でいうんでしょう。
大丈夫かどうかわからないから、葛藤が起きるはずなのに。
「大丈夫」っていってるのは自分じゃない!!
###############

ええ~っ!
誰だ、これ。
こんなにはっきり内容について断言できる人
それは、 龍樹 しかないよ。。。

AとBは、ほぼ同じころ起こったできごとです。
もし、二つがわたしの心の中のことなら
一度に二つを考えるという、器用すぎることをやっていることになる。

Aを分析するBが、心の中のことなら
Aは実際に起こっていることになる。

だいたい、わたしが「大丈夫だ」なんて
思うはずない。
はっきり言って、ぜんぜん大丈夫じゃない状況なんだから。
自信ありげに「大丈夫」という根拠は
どこにもない。

ふううむ、めずらしいこともあるものだ。。。
でも、まぁ、リアルな夢ってことにしとこ。

それより現実を考えなきゃ。
トンデモないことになるぞ!

トンデモないことになりました(笑)。
だけど、『方便心論』や龍樹は
大丈夫だった。。。
非難や批判がきたけど、ほんとに、かすりもしてない。
りゅうじゅ、龍樹の言ったとおりだったよ。

大丈夫だった。。。

だけど
だけど

誤算が一つ

大丈夫じゃない分
全部、わたしがかぶってるんですけど。

「大丈夫」って中に、わたしは入ってなかったのか。。。


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2007/05/25

ブッダの門より入れ!龍樹本のご紹介

たぶんみなさまには、いろいろご迷惑を
おかけしているかもしれません。

つい先走ってしまって、
どんどん勝手に進んでしまってすみません。

さて、この辺で、我にかえったところで
わたしの得たものを
少し出してみようかと思います。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ブッダの法を、受けつぐものたちは数多くいましたが、
それらの人々は、みずからの個性と能力にあわせて
得た法をさまざまに展開して説きました。

その中で、もっともブッダの法の根幹にせまったのは、
やはり
なんと言っても 龍樹だろうと思います。

龍樹以降の人で、龍樹に影響を受けなかったという人は
まずいないでしょう。
仏教徒ばかりでなく、他学派にも強い影響をあたえました。
龍樹以後、インド思想は、数段レベルアップしたと言えるのではないでしょうか。

わたしの検討したところ、
龍樹は、ブッダの法を、ほぼまるごと受けついでいます。
それを用途に応じて
自由自在、変幻自在に活用しています。

たとえば、論法。

ブッダは、論法をみずからの語りの中にひそめて、表向きは説きませんでしたが、
随所に論理の道筋や論法の痕跡を示しております。

これらをすべて集めて整理し、その論法の体系を明らかにしたのが
龍樹の『方便心論』です。
これは世俗諦の論理が中心になっています。

これと同時に、比丘たちがもつべき論法をも整理したのが
『中論』なのです。
これは第一義諦の論理が主体です。

『方便心論』と『中論』
この二つが、ブッダの思想体系の論理を示すのです。
それは、ブッダの論理世界であり、
仏教の教えに従う人々がすむ世界です。

しかし、これで、ブッダの論理世界はおわりません。
これでおわるなら、他の宗教とそれほど変わりません。
(といっても、これだけでも、他の宗教思想をはるかに超える内容なのですが。)

自分の教えだけが正しいとする一般の宗教思想と同じになってしまいます。

ブッダの論理のたぐいまれなところは、
ブッダの思想の外にもその論理が適用されるという点なのです。

ブッダ論理
それは、「縁起の理法(因果関係)」 です。

他者が、原因として働きかけるなら
ブッダは、その結果、かならず応えるのです。

ブッダの教えに従わず、頑強な抵抗を示す人々と
ブッダは語り合う論理(弁証法)をもっているのです。

彼らと語り合うための論法の書はあるのでしょうか?
さっきの世俗諦の論理学『方便心論』で間に合うのでしょうか?

いえ、『方便心論』だけではダメです。
限界があるのです。

では、『中論』も使えば?
そうですね。それなら、多くの人を仏教に取り込めるでしょう。
でも、全員には効きません。

最後の論理の難関があって、原理的に不可能を示す欠陥があるのです。
それは、20世紀、ゲーデルが不完全性定理として発表したものです。
この論理の限界を示す定理は、ブッダの体系にもとうぜん適用されます。

ブッダも人の子、かれの体系だけが例外というわけにはいきません。
ブッダは、ゲーデルを乗りこえているのでしょうか?

西洋論理学の方からも、すでにわたしは指摘されました。
「ブッダが論理学を体系づけているのなら、
ゲーデル問題はどうなっているのか」と。

この点に、対応しているのが、
何を隠そう
龍樹の『廻諍論』です。

ブッダの思想体系の論理的な限界を示しながら、
しかも、なおかつ
ゲーデルを乗りこえる道も示しました。

それが、やはり、縁起の弁証法 なのです。
たいへん巧みに効いてくる必殺技です。

論敵が何か言えば、
(相手に縁って起こる、という)縁起は成り立ってしまうので
ブッダの法は、安泰です。

論敵が何も言わないなら、縁起は成り立ちませんが、
でも、そうなら何ごともなく
ブッダの法は、体系の内で安泰なのです。

ブッダの法は、けっして否定されないようにできているのです。

『方便心論』『中論』『廻諍論』
これらは
龍樹の論法の三部作なのです。

このような内容のことを

『ブッダと龍樹の論理学』で
ややこしくややこしく書いております。

では
目次をご紹介します。

@@@@@@@@@@@@@@@@

ブッダと龍樹の論理学 縁起と中道
                           石飛道子

はじめに

序論
ブッダ論理学の話からはじめよう / ブッダ論理学は、幸せのための論理学 / 西洋と東洋の互いの理解のために / ブッダ論理学が語りうるもの / ブッダ論理学の完成 / 龍樹論法の理解のために

第一章 ブッダ論理学の基礎

世俗諦の論理学 縁起・四聖諦

一切智者としてのブッダと龍樹 / 西洋論理学の基本構造 / 真理表 / 西洋論理学の特徴 / ブッダ論理学の基礎固め / はじめに言葉ありき / 【単語】 / 【文】 / 【否定】 / 世俗諦と第一義諦 / 二つの真理(二諦)と十二支縁起 / 【接続詞】 / 【世俗諦の接続詞】 / 【縁起(因果関係)「~(する)とき」】 / 「ブッダの公式」を使ってみよう / 「ブッダの公式」が適用される真理表 / これに依ること(此縁性) / 【真理表5】 / 四聖諦 / 「縁起」は相依相関関係にあらず / 生因と了因 / 【真理表7】 / 相対的な言葉の扱いについて / ブッダ的思考方法 /【真理表2と8と10】 / 【真理表9(苦・楽・苦でも楽でもない)】

第二章 ブッダ論理学の完成

第一義諦の論理学 中道・四句分別

ブッダの論理世界 / 苦楽二辺の中道 / 【真理表15(中道)】 / 世俗諦から第一義諦へ / 言葉の上だけで考えると / かき氷はどこにいった / 四句分別 / マールンクヤプッタに与えた形而上学説 / 【真理表16(四句分別)】 /論議の道も根絶やしにされた / 戯論(プラパンチャ)と空性 / ブッダの説く修行は二段階 / 論争してはならない / 龍樹の決意と『中論』/ 八不中道と形而上学説 / 不滅不生 / 不断不常 / 不一不異 / 不去不来 / 無常・苦・無我 / 無常・苦・空・無我 / 空であるのは自性についてである / 如来を「無我」と見よ / 去りつつあるものは去るのか / ブッダは「空」を用いたか / 【真理表1】 / 最後に

第三章 龍樹の著作について

龍樹研究は、舵を失った船のごとく / 龍樹入門は著作の確定から / 龍樹著作『中論』 / 論法の三書『中論』『方便心論』『廻諍論』 / 『廻諍論』は最高難度の論理学書 / 六句論議 / 『廻諍論』と『中論』の関係 / ゲーデルを超えて / 『中論』と『方便心論』の関係 / 龍樹のとった対機説法 / 思想書としてみると連作 / 話題が減ると内容は難しくなる / 『ヴァイダルヤ論』の性格 / いかなる動機で作品は作られたか / 龍樹研究は、時に逆らうことなく / 龍樹研究は、龍樹の説くがごとくに / 言葉の中身は空っぽ / あえて、一言申しあげれば

第四章 龍樹にせまる

一 論師龍樹
龍樹作品の中の龍樹像 / 龍樹の生存年代 / 龍樹の伝記 / 因縁物語のもつ意味

二 龍樹の前半生
出家まで / 論師誕生 / 龍樹の挫折 / 龍樹の挑戦 / 無生法忍の悟り

あとがき

文献のご紹介
@@@@@@@@@@@@@@@@@@
今のところ、このようになっています。

これから、もう少し書き直しますので
目次は、少し変わると思います。

智慧を尽くして
ブッダの門より入れ!

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2007/05/22

「空に足跡なし」を拝読

みなさまには、ご心配をおかけしているようで
すみません。。。。。。

続く言葉がぁ。。。思いつきません。

なるべく常識を身につけるようがんばります、
ってのもね、変ですけど、ま、努力してみます。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、
テーラワーダ仏教の月刊誌『パティパダー』6月号を
拝読。

今回、スマナサーラ長老さまの巻頭法話に
ぐっときました。
めちゃむずかしい内容ですね。
なのに、これだけ平易に書けるなんて、
なんてすごいんだ!

出家をすれば、これだけ自由に書けるのだと思って、
うらやましくて、管理人はちょっとよだれが出てしまい、
ずるっとそででぬぐうのでした(汚いな)。

題して
「空に足跡なし」です。
ええですなぁ、題が。

お釈迦様のことば

「空には足跡がない。
仏教以外は沙門が存在しない」(『ダンマパダ』)

が取り上げられています。

これは、とてもむずかしい内容のお話です。
ブッダ論理学を駆使しています。

「仏教以外には沙門はいない」

というのは
ブッダ論理学(縁起の理法)から出てくると思います。
証明することのできる問題です。

長老さまの答えは
「仏教以外、現状では解脱の道を語る宗教はないから」
というものです。

なるほど、上座部だと、そう来るのかっ!(いちいち感動)

たしかにそうなんですよね。
縁起にもとづかないと、解脱は説明できない。
縁起(因果関係)をきちんと語れるのは、仏教だけ。
だから、仏教以外には沙門はいない、となると思います。
(わたしの解釈です)

また、スマナサーラ長老さまは
「涅槃の境地」とこの「仏教以外解脱に達する道はない」
の二つは
わたしたちの理解能力の範囲を超えている
とも、述べています。

これは、論理の限界を示すことばですよね。
これもとてもむずかしい。
「仏教以外解脱に達する道はない」というのは
ちょっとわかりませんが、「涅槃の境地」という方は
長老さまのおっしゃるとおりかなと思います。

どこまで語りえて、どこから語りえないかを
はっきり示すことのできるものは
完成された理論です。
ブッダの論理学体系は閉じています。
閉じているから、体系内のことには
すべて答えが出せる。
しかし、体系の外になると、語りえぬ部分が出てくる。
ブッダは、自分の理論の限界もはっきり示しています。
それによって、かれは一切智者なのです。
体系内のことにすべて答えが出せるという理由だけで
一切智者なのではないのです。
(わたしの解釈です)

また、スマナサーラ長老さまは
解脱した人は、ブッダの教えにすらたよる必要がない。
仏教徒と言えないし、異教徒とも言えない、

このような内容を述べています。
むずかしいなぁ。
そして、よく考えるとすごい意見だよね。
(仏教の立場を乗りこえて発言してるものね)
でも、そうなんだよね。

ちょうど、このことをわたしも地下鉄の中で
考えていました。

「この世には、3種類の人がいる。
仏教徒
非仏教徒
これら二つのどれともちがう
ブッダ論理学徒
これだけだな。」

この「ブッダ論理学徒」というのが

解脱した人やブッダや龍樹にあたるのです。

縁起の論理の中にいる、というだけの人です。
仏教の教えすら必要ない人です。
でも、ブッダ論理(縁起)は形式だから、
これだけは残るのです。
なので
「ブッダ論理学徒」と名づけたのです。

ここまではよかったのよ。
それで、さて、わたしはどこに入るかな
って考えたの。

仏教徒でもない
非仏教徒でもない
じゃ、
ブッダ論理学徒となるな。。。

あら、ブッダと同じグループになっちゃった。

むむむ、ちょっと、というか、
相当、問題ありますな。。
一人だけレベルちがいすぎだにゃ。

仕方ない
三つの分類は、わたしが悟るまでお蔵にいれとこ。。。

と思ったのでした。トホホ
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、そう、「空に足跡なし」に戻りまして、
スマナサーラ長老さま、渾身の法話に
圧倒されまくった管理人でした。

ここで、この法話のもうひとつの重要ポイント、
見逃すな、みなさん!

長老さまは、第一義諦を語っています。
しかも、もともと部派で説いていた
勝義有の解釈ではないようです。
たとえば『倶舎論』などの解釈ともちがいます。

すみません、詳しく文献あたっていないので
まちがっていたらごめんなさいです。
微妙なところですが、
長老さまの解釈には
ちょっと龍樹の解釈が混じっているような
気がします。
「空」「中道」をうまく活用して
ダイナミックな部派の理論を
紹介していると思います。

これまでの部派が説いていた
ちょっといまいちの解釈(ゴメン)を
かなりアレンジしなおしてる感じです。

(厳密に文献で詰めてなくて申し訳ない。
『ブッダの実践心理学』などもほんとは
見なくちゃいけないけど。
でも、文章の勢いで突っ走ります)

出ましたね、さすが!スマナサーラ長老さま
これは、もう止まらないでしょう。
イケイケドンドンの世界です。

大乗仏教が、もたもたしている中に
長老さまに龍樹を持っていかれますよん。
ついでに「空」も持っていかれそう。

それから、
大乗仏教の「法身」に対する批判。
これに応えられる大乗仏教の人はいますか。

なんか、こんなにすごい人が日本にいるなんて
わくわくしちゃいますね。
スマナサーラ長老さま、がんばれ!
サーリプッタに龍樹がプラスじゃ、こわすぎるけど。

そして、大乗仏教、しっかりするのよ。
龍樹の『中論』は部派に渡しても、
『十住毘婆沙論』は守ってね。

ちなみに、わたしは、龍樹本の中で
「法身」にかんして
スマナサーラ長老さまへの答えを
書きましたよ。

長老さま、いつか見てね。
すばらしい法話をありがとうございます。

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2007/05/20

本の方程式

1+1=2
この式が成り立つならば
(1)A+B=C
これも成り立つはず。
そして
(1)が成り立てば
(2)B+C=A
(3)A+C=B

これらも成り立つはず。

Aは何でしょう?Bは何でしょう?Cは何でしょう?

A=AUTHORs
B=BOOKs
C=CUSTOMERs

(1)から(3)までは出版方程式です。

(1)著者(A)と本(B)があれば、読者(C)が生ずる
(2)読者が本を求めれば、著者がいる
(3)著者と読者がいれば、本ができる

今回は(1)ではなく、どうしても(3)でいきたいですね。

なんせ純粋に龍樹を追求しようという本だから
たくさんの人が、読んですぐわかる、
ということはそうそうないと思うの。

とことんつき合ってくれる人でないと
この本から得るものは少ないかも。

でも、じっくり読んでもらうと
けっして読者を裏切らないという
ここは最低おさえたい。

だから、自分で責任もてることしか書けない。
さらに、龍樹にあんまり迷惑はかけたくない。。あんまりね。
ふつうに迷惑かけるのは、ま、仕方ないとして(おいおい)。

管理人のせいでもっと混乱したじゃないか、
って、龍樹に言われるのは、ちょっといやだわ。

となると
これかなぁ

必要な人に必要なだけ売る

オンデマンド本!

いいかもっ!

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2007/05/18

『リグ・ヴェーダ』を読むのです。

しばらく
ヴェーダとウパニシャッドを
読んでますが
なかなかすごいもんですね。

もし仏教が生まれなかったら
その深遠な思想は今でも現役だろうと思われます。

深遠なる『リグ』の最高峰、宇宙開闢の歌をどうぞ!

■『リグ・ヴェーダ』10・129 宇宙開闢讃歌■

そのとき、無もなく、有もなかった。
空界もその上の天もなかった。
何ものが活動したのか。
どこで、誰の庇護のもとに? 
深くてはかりしれぬ水(原水)は存在したのか?

そのとき、死もなく、不死もなかった。
夜と昼の標識もなかった。
かの唯一者は、自力により風なく呼吸していた。
これより他に何ものも存在しなかった。
太初において、暗黒は暗黒に覆われていた。
この一切は光明なき水波であった。
空虚に覆われて顕れつつあったかの唯一者は、
熱(タパス)の力によって出生した。
最初に意欲(カーマ)がかの唯一者に現れた。
これは意(思考)の第一の種子であった。
聖賢たちは熟慮して、有の縁者を無に見出した。

聖賢のひもは横に張られた。
下方はあったか。上方はあったか。
はらませるもの(男性的な力)があった。
展開する力(女性的な力)があった。
本来ある力(女性の力)は下に。
衝動力(男性の力)は上に。

誰が正しく知る者であるか。
誰がここに宣言しうる者であるか。
この創造はどこから生じ、どこから来たのか。
神々は、この創造より後である。
さすれば、創造がどこから起こったか知るものは誰か。
この創造はどこから起こったのか。
誰が創造したのか。あるいはしなかったのか。
最高天にあってこの世界を監視する者のみがこれをよく知っている。
あるいは彼もまたこれを知らない。

#############
一つ一つの言葉を確かめながら
読んでいくと
インドの思想発展の道筋が
見えてくるような気がします。

無もなく有もないところからはじまるのは
もっともだと思いますし
唯一なものが、自力で呼吸しているのも
もっともじゃ。
タパスでみずから出生するのも
ありうるか。。
そこから、意欲が生まれて思考が生まれ
相対が生じて、男女になっていく。。。

瞑想・苦行のなかから、この詩は生まれてきたのかな。

『リグ・ヴェーダ』の時代(紀元前1200年ころ)から、

インドは、現代をはるかに超える
眼には見えない精神の世界をもっていたんだなぁ

って、思ってため息が出るのです。

ストレス社会や暴力社会の中にいる
わたしたちの貧しい心にも
満ちてくるものがあるかな。

だから、読んでみるのです。。。

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2007/05/17

言われてやるのが管理人流

忙しいのに慣れてきて
やれやれ、調子がつかめそう
なんて思ってたら

がーん!もっと忙しくなることがわかる

勘弁してよ、って思うけど
問答無用で来るんだろうな。

完全に 悟ります 管理人!
有無をいわさず、

無我の境地 で行くぞ

これまでも、なんとか生きてこれたのは
じつは、何を隠そう
ブッダさまさまのおかげなのです。

ここ最近、ずっと、ブッダのようになることをめざして
毎日毎日、ブッダのことを考えて暮らしているのです。

つまり、どういうことかというと

請われて説くのが、ブッダです。
言われて動くのが、管理人です。

(だいぶブッダとは印象ちがいますね、ははは)

でも、意識としては、縁起を肌で感じて
その縁となるものに(適切に)呼応する
という、これを実践してるのです。

それで、どうかって?

ま、うまくいくときもあれば、
まるきり失敗のときもある
という感じです。
というか、失敗の時が多い。

でも、無念無想の境地で(オイ)
無視するのです。

うーん、これじゃ
仏法の悪しき応用例
って感じですねぇ。

でも、おかげで、これまで
なんとか切りぬけてきましたよ。。ありがと、ブッダ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、じつは、龍樹本ですが
案の定というか、なんというか
出版社の方でボツになりました。

正直なところ決着して
いっそすっきりしました。

みなさまには、お待たせして申し訳ないですが
新たな道を模索することになりました。
いろいろ方策を考え中です。
ちょっと時間がかかるかもしれませんが
なんとか出したいと思います。
よろしくお願いします。

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2007/05/15

百聞は一見にしかず

先日、チベットスピリチュアルフェスティバルで
チベットのお坊さんを拝見してからというもの
たいへん調子が良い。

立て続けにチベット密教関係の本を
読んで、はまっているけど
とてもよくわかる。
『入菩提行論』も、
ぐううううんと身近に感じられてしまう。

今までは、
じつは、
何がどういう関係で
どう結びついているのか
密教の論理がさっぱりわからず

簡単な解説書ですら
理解できなかった。。。

やっぱり「百聞は一見にしかず」というのは
ほんとなんだな
と思う。

なぜ、お坊さんを一見すると
仏教がわかるのか、というと

だって、
お坊さんというのは、
じつは、
法が人の形をとったものだからでなのです。

密教全体が、一人の人の中に
まとめられて、そこに完結しているのです。

法の部分、修行の部分、心の部分、
それらが一つになっているから

お坊さんを見てしまうと
そこから
どの部分でも取り出せるのです。
そもそも
黙って立っているだけで、法の香りがただようのです。

しかも
何かひとこと、お坊さんの口から
言葉が出てくるたびに
法がぽろりとこぼれるのです。

お!っと、拾うわたし。

また、ひと言。。

おおお!っと、拾うわたし。

ちょっと見苦しいですか?
法に飢えてるので
かまってられません。

ありったけ、拾い集めて
お持ち帰りしてきました。

具体的に、何がどういうわけでもないんですけど
本を読んでも曼荼羅見ても
仏法が急にいきいきしはじめました。

ええやん!
生きてる、仏法が!

ほんとにありがたい、ありがたいと
家に帰ってから
お坊さんをおがむわたしです。

遅いんだよね、管理人!
家に帰ってからおがんでもなぁ。

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2007/05/14

訃報

昨日は、金沢大学の島先生が
お亡くなりになったという
とつぜんの電話に
ほんとに衝撃を受けてしまう。

インド哲学にとってはあまりにも
大きな痛手でなんと言ってよいかわからない。
心からお悔やみ申しあげます。

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2007/05/13

マンダラ

さて、さて、昨日は、ちょっと珍しい催しに
行ってきました。

チベット仏教のフェスティバルです。

砂曼荼羅の制作風景が拝見できるということで
さっそく行ってきました。
テレビで見たことはありますが、生でははじめてです。

薬師如来の砂曼荼羅です。

では!どうぞ!
Image063

きれいですねぇ。

色のついた細かな砂を細い金筒の先から
少しずつ落として描いていきます。
昔は、手で砂をにぎって少しずつ
落として描いたということです。

これはほぼ完成に近いですが
このくらいのものですと
ぜんぶ仕上げるのに
5日くらいかかるのだそうです。

「夜もやれば、もっとはやいです」と
えらいお坊さんの弁。

みんな
「それ、残業ですねっ!」
と唱和しました。。笑話でしたなんちゃって。

中央に薬師如来が配置されています。
まわりに花びらみたいに見えるのは
花びらです。。じゃなくて、それぞれ仏・菩薩を
意味しているのだそうです。

花びらの外側の部分
四色に塗り分けられていますが

東が青で、阿閦如来
南が黄色で、宝生如来
西が赤で、阿弥陀如来
北が緑で、不空成就如来

を表しています。
おなじみの名前ですね。

20代の若い僧侶たちが四人で、描いています。
3年くらい、描く修行をするんですって。

頭の中にすべての絵柄を全部描いて
それを実際に地面に描くだけだと
説明してくれました。

虚空にある曼荼羅が地上にそのまま
おりてくるようなものだそうです。

Image064

このお坊さんは、ええっと、21才だったかな?
それとも、22才?
みんな、そういうところは、
一生懸命質問するんだから(笑)。


また、数は、
チベット語も日本語もほぼ同じなので
ここだけ通訳なしでわかるのです。

だから、ここだけ
会話がはずむのです!

ところ変わっても
人は、人ですね。

そして

ところ変わっても
仏教って、仏教なんですねぇ。

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2007/05/12

縁って、縁って、縁ってぇ、起こるぅぅぅ♪

連休明けで、一週間が無事すぎました。

生きててよかった。。という感じです。

自分のもてる能力を全部使って、
それでも、足りない!ということになるのでは?
と戦々恐々としていましたが
どうやら、ボロを出さずに切りぬけました。

この後は、どうやってボロを隠しつつ
生きのびるかに
なるのです。

智慧よ!出でよ!

一週間のあいだ、何度も、上のマントラを唱えて
ブッダを念想しましたら、

ウパニシャッドで一つ進展があり
ブッダの法で一つ進展がありました。

講義の予習と自分の研究の二つで
得るものがあったのは、ラッキーでした。
ほんとに、「窮すれば通ず」だなと思いました。

わたしが、このまま西洋の論理学や思想の中にいたら、
絶対に授業ができなくなってるにちがいないと思います。
講義で、口を開いて何か言うことができない、と
思います。
信じられることが一つもない! と気づきたくなくても
気づくころだからです。
ヤバイ話でございます、ほんとに。

ブッダの法では、「死」ということについて考えました。
輪廻転生はもちろんのこと
あらゆる死をブッダは説いた、と知って、
驚きあきれました。

これは、いつか、どこかに書きたい。
混沌の世界、エヴァの中にいる子どもも、ブッダは救っているのです。
あらゆる人のあらゆる死を、ブッダはそっと下から支えている
という感じです。

えらいなぁ、ブッダって。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、連休明けでもうひとつ気になるのは
龍樹本ですが、16日まで返事待ちになりました。。

おかしいなぁ。
ただ日程が先延ばしされるだけです。
良いとも悪いとも言われません。

何がどうなっているのか一つもわかりませんが
わたしの第六感 (あんまりあたらないけどね) では
おそらく、縁がないかな というところです。

龍樹本

しみじみながめると、
おもしろい本だという気がしてきます。

本の中身じゃなくて(本の中身もだけど)
数奇な運命をたどるんじゃないか、って
そういう意味でね。

世界ではじめてのことを書いた。

ま、ここから言っても、素直に出るわけないか、って
いう気もするのよ。

すべては、縁起ですからね。。。
って、お釈迦さんも言ってます。

縁って、うう、ううん、起こってっ。。。。ない
というかんじですねぇ。
今のところ。。

これに因と縁による条件をプラスしていって

縁って、縁って。。それいけ!、起これぇ

となって

縁って。。。やれやれ起こったぜ!

となるのでしょう。。。。(なってよね)。

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2007/05/06

はるは、はる

おはようさん!管理人だっちゃ!

毎日、日記を書いてる管理人ですよぉ~。
えらいなぁ。。
と、自分で言うのも、なんですね。

なぜ、日記を書いているかというと

なぜでしょう?

それはあ、ね、

写真を撮ってきたからです。

数日家からほとんど出ずに
本の虫になっていましたら

家族が、とつぜん、
「桜が咲いてるよ」
っと、言うではありませんか?

え?
さくら?
いつ咲いたのよ。。こうしちゃいられない。

さっそく
手当たり次第にとってきたのであります。

携帯電話ってのは、光が当たると
画面が見えないので
どんな風に撮れているか
ほとんどわかりません。

でも、その方が、管理人の場合、
案外よい写真が撮れるのです。。って、ことは
。。
ま、まあ、深く考えるのはやめよう。


では、では、北海道の春を満喫してね。
サクラは、きれいです。
Image04500

Image046サクラ、サクラ、
よおし、どあ~っぷ!
 
 
 
 
 
 

Image049

次は、よそのおうちのレンギョウ。

すばらしい。


 
 
 
 

Image050

 

これは何かな?
可憐な花は、
今しか咲かない、
カタクリです。
 
 
 
 
 


Image054
お、まぶしい。白樺の一連隊!

実際は
もっと、光り輝いて、真っ白だったのに。

それに写真がなぜかこれだけ小さい、変ね。
 
 

春は、いいね!

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2007/05/05

ぶっきょ的

久しぶりにアクセス数の発表ですっ!
じゃーん!

5月3日
アクセス数:322
訪問者数:68

5月4日
アクセス数: 296
訪問者数: 63

どう?すごいでしょ。
昔は、アクセス数が100くらいだったと思うけど
なんと、なんと、今では、

3倍!
のように見えますね。。

しかし

5月2日
アクセス数: 169
訪問者数:54

っと、ムラがあるのでした。

なお、本日、こどもの日は?

5月5日
アクセス数: 69
訪問者数: 32

まだ、一日終わってないので
こんなものでしょうか。
それとも
みなさま、お出かけかな?
いいなぁ、行楽地はどこもにぎわっているようですね。

で、

累計アクセス数: 47987
1日当たりの平均: 135.94

という結果になっております。
たくさんの方のご訪問、ありがとうございます。

2004年の10月のブログ開設からは
はや、3年目です。
それで、47987のアクセス数かぁ。。。すごい数だよね。。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
と、感動したところで、
管理人のつまらない日常生活をご披露します。

昨日は、家族がみんな出払っていたので
一人さびしく
『エヴァンゲリオン』の一気読みをしていました。

う、むずかしゅい!なんだか、よくわからん!

こんなにむずかしいものに
時間を使うのは、
無駄になるかもと思って

『エヴァンゲリオン』を読みながら
『チャングムの誓い』という連続韓国ドラマも
あわせてテレビで見ることにする。

一度に二つは、無駄がない!
えらいぞ、管理人!

という問題か?

いや、一度に二つは、ええですわ。
儲けた気分です。。(発想がせこいかしら)

チャングムでは、
「勝敗にこだわると、真実(真心)を見失う」
というテーマのお話しでした。

そだ、そだ、っと賛成する。
他に勝つことばかりを考えて料理を作ると
人に喜んでもらうという料理の心を
忘れるのです。。。なるほどね。

龍樹も似たようなこと言ってるわ。
「名利を求めるな」は龍樹のモットーだ。
仏教的な思想を基盤にしているのかしらね?

一方

『エヴァンゲリオン』
むむむ!
よくわからない戦闘のシーンが
続くけど、
組織の裏には、さらに裏組織がありそうだ
っと、いう展開のよう。。かな?ちがうかな?

なんというか
最後までいかないと
話がわからないようになってるみたい。
で、9巻までしかないので
さっぱりわからない。。

では、こういう展開をなんというか?

わたしは、「縁起展開」と名づけました。
Aというできごとの裏には、じつは
Bという組織がある が  じつは
その裏には、Cが。。。  じつは 
というのは、ああなって  じつは 
。。。
と、つぎつぎ新たな展開を作り出せる

こういうストーリーは、原因遡及型の縁起展開
と言えるのではないだろうか?

と、混乱しつつ、つらつら思うのでした。

そして、機械や爆弾や戦闘にあふれているのに、
それらは背景であって、
主題は人間の心の内側であるようですね。。。。
心がエネルギーを生みだすような
そんな風に
ものと心が一体になっている感じです。

どうも、どこかにこんな感じがあったような。。。

そうだ!

『ブッダの実践心理学』を漫画にすると
こんな感じにならないですか?
考え過ぎだな、きっと。。。

仏教もそうだけど
心を描く世界は、
いつでも
どこでも
魅力的ですね。

と言いながら、
夜はふけました。

それにしても、何を読んでも何を見ても
仏教思想が頭に浮かぶ管理人て、いったい。。。。。。

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2007/05/04

はかなき連休、されど連休

計画倒れの管理人です。。。

ああ、倒れてるぅ~
そもそも、ほとんど無理な計画だったけど

連休で
龍樹の『十二門論』『廻諍論』『無畏論』『空七十論』
ここを、なんとかしようと思ってたのです。
チベット訳を少しやっつけたい。。

先々の講義のノートもあらかじめ作っておきたい。。

空海さんも、もう少し読んで
『十住毘婆沙論』も、丁寧に読みたい。。
『華厳経』も斜め読みしたい。。
『守護国界陀羅尼経』を、さらに
鋭角に(?)に斜め読みしてみたい。。

パーリ仏典の和訳も、じみにしておきたい。。

ニヤーヤと龍樹・ブッダの関係を探りたい。。

計画、っていうより たんなる 願望 だなぁ。。。

高邁な理想もどこへやら

夜には、睡魔が襲ってきて
眼は開けてられないし。。
本抱えたまま、般涅槃してる管理人です。。うう。

で、けっきょく
どうなるかというと

息子が見つけてくれた
『エヴァンゲリオン』の漫画読んで、
連休終わることになるのね。。。

時よ!止まれっ!

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2007/05/02

部派と大乗、つなぐは龍樹。。どうかな?

『ブッダの実践心理学』第三巻を読んで
興奮冷めやらず
『ブッダの実践心理学』第二巻もまた読んで
興奮冷めやらず
もとネタの『アビダンマッタサンガハ』を読みながら
考えました。

ずううっと考えてたのは、

南方上座部という部派のアビダンマは
この派に属す人々が、
自分たちの悟りへの道を模索する中で
くみ上げていったものだ

という点です。自分たちのために作ったのですよね。

他のやり方を取る人も、もちろんいたから
たくさんの部派に分かれていったのです。

戒律のちがいによって分かれたと
いわれることも多いですが、
このような教えの解釈のちがい
修道のやり方のちがいも
あったのだろうと思います。

人にはいろいろな個性があるように
修行のやり方にも、向き不向きがあるだろうと思います。

修行僧たちの個性なりにあわせ
いろいろ方法的に分かれていくのはとうぜんです。
そして、
それを説明する理屈についても
区別が出てくるのは、やむを得んことです。

そう考えると、たくさんの部派が生まれるのは
よくわかります。

部派どうしを比べると
大枠はブッダの八正道にしたがっているので
ちがいは細部になりますね。
基本は、確保されています。

しかし、

大乗の菩薩行になると、
それら部派とは異なる大きなちがいをもつ!だろうと
いうことは、とうぜん考えられます。

部派になるか、大乗になるか、その継ぎ目はどこか?ですよね。

部派と大乗には、わたることのできない溝があるように思います。

それは、理論上の大きなちがいです。
部派どうしのちがいではすまない、
決定的なちがいがあります。

そのちがいが何かについては
たぶん
わかったと思います。
龍樹本の中で、ふれています。

それは、
あくまで解釈上のものであり
理論上のものです。

龍樹の『中論』は、部派と大乗の継ぎ目にあります。
ここが、ある意味、ジャンクションなのです。

で、とつぜんですが

話は戻りまして、
『ブッダの実践心理学』第三巻のジャータカのお話しです。
大乗の「捨身飼虎」のジャータカと
パーリの人食い鬼に身をささげるジャータカとを
比べています。(152-156頁)

ここは、大きい!

理論的なちがいを述べているわけではないのですが
修行上の心構えという点で
大乗の精神と、部派の精神のちがいを
はっきりと示していると思います。

大乗の方は、
母虎が腹ぺこで子虎を食べようとしているのを
菩薩が身を差し出して(悲心、布施)、子虎を救う話です。

部派の方は
法が得られず世をはかなんだ菩薩が、
帝釈天が化けた鬼にであいます。
我が身と引き替えに真理を得る
という条件に同意して
菩薩は、崖の上から、鬼の口めがけて身を投げ
鬼は、真理を叫びながら口を開けて待つ
という、お話です。

『実践心理学』では、
部派のジャータカをよしとしています、もち。
鬼は、先に身体をよこせば真理を教えると無理難題をいうのです。
真理を知るために、智慧をしぼったのは菩薩です。
身体を失うのと真理を聞くのをほぼ同時に行える方法を考えたのです。
無知で100年生きるより、瞬間であっても真理を知って死ぬならよし!
という意見です。

これに対して

大乗のジャータカは、虎に食われるだけで
たんなる無駄死にになってしまうかもしれないので
ちょっとわりにあわないというように解釈しています。
この本の解釈が、とても重要なのです。

わたしとしては
ここの説明は、部派と大乗の考え方のちがいを
根本的に示す
とても重要な意見だと思って、感心して読みました。

部派は、不貪(むさぼりのない心)であって、
この言葉に
積極的な「施し」という意味をこめないというのです。
大乗では、「施し」という意味をこめているとみるようです。

部派と大乗の
修行者の「心構え」について
根本的なちがいがわかります。

心構えは、とうぜん、理論に直結します。
いや、すばらしい!
龍樹本にも、つながってくるかしらと
ちょっとあれこれ考えてしまいました。

@@@@@@@@@@@@@@@
二つのジャータカについて
どちらがどうか、ということは、
なかなかむずかしいと思います。

先に述べた
大乗と部派の理論上のちがいに
関わることだからです。

部派のジャータカは、部派の理論に立つとき、まったく正しく、
大乗のジャータカは、大乗の理論に立つとき、こうするしかない道です。

一方は、自利を優先させることによって利他を完成する
他方は、利他に徹することによって自利への道が開かれる

とも言えましょうか。どうでしょう。

これを理論上のちがいとして言うならば、
中道、 世俗諦と勝義諦  などのちがいを
持ち出すことになってきます。

部派は、有無の中道、苦楽の中道
龍樹は、八不中道(不生不滅・不断不常・不一不異・不去不来)

上の二つのジャータカの解釈のちがいは
ここに述べた、中道の解釈のちがいにも通じます。。おそらく

それがどんなちがいなのかは、ここでは言えない。。

ううん、龍樹本、早くでないかなぁ。
もっと話したいけど、がまんしよう。
話が、どうも尻切れトンボになって
すみません。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ええ、そういえば、
龍樹本は、4月終わりに何とかいってくださるということでしたが
さらに、また伸びて、連休明けになりました。

優柔不断の管理人なので、
「はい」「はい」とお返事してきましたが、
3回目となると

「読みにくいとは思いますが、がんばってださい」

と書くのも
いい加減飽きてきました。
原稿完成から
もう、まるまる3ヶ月経っちゃいましたね。

連休明けに、さらに伸びるようなら

もう、やめます

って言おう。。。

勇気と言う気を出すぞ!
んで、もって
他の出版社を考えよう!!!

って、ここに書いてしまえば、
ウソはつけないから
そうすると思うのよ。

いくらむずかしくてやっかいでもさ、
そんなにそんなに訳(わけ)わからないこと
書いてるわけじゃないと思うのよね。。。自分では、だけど。

いちおう日本語なんだしさ。

どうして、読むのに
そんなに時間かかるのかしら。

なんか不安になるわ。。。

龍樹だから。。なの?

(龍樹の声 「ぼくじゃないぞ!管理人だい!」)

ええっ!やっぱり、わたしかぁ。。。

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