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2007/04/11

お釈迦さんは、エンターテイナー

やっぱり、がまんできずに、出版社に
問い合わせてみました。

龍樹本のその後の展開でございます。

没になってるのかな?(ドキドキ)と思いましたが

今のところ、そうではなくて

じゃん!

☆◇○ 読んでるところです ○◇☆(いろいろ使ってみましたよ)

とありました。現在進行形の文です!

うほっ!
be reading now って、ことなのです。

前進、前進!
今月中にはなんとか、
おっしゃっていただけるということです。

すぐ読んでわかる文章じゃないので、
たいへんだとは思いますが
がんばってください。
編集者殿 m(_ _)m

読み終わって、ボロボロになっても
当局は一切関知しないので
その旨、ご了承ください。
編集者殿 m(_ _)m

生きて帰ってきてください。
編集者殿 m(_ _)m
お、おい、そこまで、言うか。。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
一般的に、本というのは、読者を必要とする。
あたりまえだけど。

でも、読者を拒むとしか思えないような本だって
たくさんある。

だいたい、仏教の経典や論書は
本来なら、
「なに言ってるかわかりませんよ、
もう少し読者のことも考えてくださいよ」
といわれて、しかるべきであると
思うのである。

だけど、誰もそんなこと言わないどころか
むずかしければむずかしいほど
ありがたいと思うのである。

いいなぁ、経典や論書って。

読者を突き放すようなところが
かえって引きつけるのかも。
また、
読者を拒んでいるようで
よく読めば
ほんとにやさしく書かれてある
というところに
みんな、惹かれるのかもね。

親しみやすいジャータカの物語も
むずかしいアビダルマ論書も

みんな同じように扱われているのが
いいよね。

そういえば、阿含経には、次のような分類があります。

1,経(スッタ) 教説を短く散文の形にまとめたもの
2,重頌(ゲイヤ) スッタの内容をもう一度偈の形でくりかえす形式
3,記答(ヴェイヤーカラナ) 簡単な問答
4,偈(ガーター) 詩の形をとるもの
5,感興語(ウダーナ) ブッダが思わず感興とともに漏らした偈
6,如是語(イティブッタカ) ゲイヤの特殊な発達形。
7,本生譚(ジャータカ) ブッダの前生物語
8,ヴェーダッラ 教理問答の一種。定型句に特徴がある
9,未曾有法(アッブダダンマ) 珍しい法、仏・菩薩の奇跡を集めたもの

この分類は、九分教と言われます。
十二に分ける分け方もあります。

こんなに、いろんなスタイルで、教えは説かれているのね。

お釈迦さんて、ほんと、エンターテイナーだったのだなぁ!

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コメント

>態度で示すことが、説得ですか。
 そうです。

>みみっくさまにとって、そうなら態度で示します。みみっくさまとは議論はやめます。
 態度で私を説得しようとしているのではなく、管理人として議論を望まない意思を表明されたのだと思いますので、そのように解釈して今後の投稿は遠慮させて頂くことにします。
 もし、撤回される意思がある場合にはメールして下さいませ。では。

投稿: みみっく | 2007/04/15 02:35

みみっくさま

残念ですが、ヒマカナ掲示板でも出てきた「不毛」という言葉が、この議論にはふさわしいようですね。

この議論は空っぽです。

態度で示すことが、説得ですか。みみっくさまにとって、そうなら態度で示します。みみっくさまとは議論はやめます。

投稿: 管理人エム | 2007/04/14 19:34

>みみっくさまの述べるコピーを使うという手法は、わたしの意図を正しく伝える手段にならない、とわかりました。だから「やめた方がいい」と言うのです。
 なるわけがありません。

 コピーを使うという手法は、相手の選択を狭め、議論を単純化するテクニックなのですから。

>この点では、わたしはみみっくさまと同じ意見です。今まで、「人を説得するのは技術ではない」と述べてきました。
「コピーを使うのは議論テクニックである」
 と私は書いています。

>それは、コピーを使わない方法だとわたしは思います。 
 どんな方法を使おうが関係ありません。
 人を説得するのは技術ではないのですから。
 同じ言葉をたどたどしく繰り返しても構わないし、色々な話をしても構わないでしょう。
 
「こうすれば相手を説得できる技術」などあるはずがありません。
 何故ならば、人を説得するのは技術ではないからです。

 でも心得ならあります。
 人を説得するのに必要なこと。最低限守らなければならない「ルール」です。

 例えば、「相手を説得できなくても非難してはいけない」というようなものです。
 その反対もあります。
 人に説得される時、
「説得できないことを悲しんでいるのか怒っているのかを見極める」というようなものです。

>わたしは、「噛み合わない」とするわたしの主張が否定されることを望んでいるのです。わたしの意図は、そこにあります。
 会話が継続されているのは何故でしょうか?

 言葉ではなく、態度で返事する。
 人を説得するということはそういうことではないでしょうか?

投稿: みみっく | 2007/04/14 12:35

みみっくさま

「文章をコピーすることは、議論において効果的である」と、みみっくさまは言いました。
「効果的ではない、やめた方がいい」とわたしは言いました。

わたしは、文章をコピーしました。意図的ではありませんでした。
なぜそうしたかはわかりませんが、今から思うと、みみっくさまの意見によって、わたしの言葉で説明してもわかってもらえないと、無意識に感じとったからだと思います。
コピーしたとき思ったことは、みみっくさまの言うとおり、もしこれでわかってもらえるなら、楽な道である、ということでした。

で、結果を待ちました。みみっくさまは、わたしの言うことをやはり理解しませんでした。(と、わたしは思いました。)

みみっくさまは、コピーの内容(噛み合っていないことを示す議論のさま)は気にしませんでした。
わたしは、噛み合っていないことを示そうと、みみっくさまの手法を使って示そうとしてみましたが、逆に、みみっくさまは「コピーを使って示すことは有効である」を議論の主題と考え、それに賛成しているものと見なそうとしています。

以上のことから、
みみっくさまの述べるコピーを使うという手法は、わたしの意図を正しく伝える手段にならない、とわかりました。だから「やめた方がいい」と言うのです。

>  相手の気持ちを操作するのは説得術です。そして人を説得するのは技術ではないでしょう。

この点では、わたしはみみっくさまと同じ意見です。今まで、「人を説得するのは技術ではない」と述べてきました。それは、コピーを使わない方法だとわたしは思います。

しかし、「気持ちを操作するのは説得術だ」とも述べていますが、ここはどうですか。みみっくさまは、前後の文で合わないことを述べているのですか。
たぶん、そうではないと思います。
説得術を用いても、最終的には、技術は説得には必要不可欠ではない、ということでしょう。

わたしは、みみっくさまの「コピーする」という術をみみっくさまにあわせて使いましたが、説得のための手段であって、最終的には、それは必要ないものと考えます。筏は、川を渡ったら捨てるのです。これがブッダ論理です。

わたしは、「噛み合わない」とするわたしの主張が否定されることを望んでいるのです。わたしの意図は、そこにあります。

投稿: 管理人エム | 2007/04/14 09:44

>噛み合っていないと感じる、わたしのこの気持ちを、みみっくさまはどんな議論のテクニックを使っても消すことができません。
 相手の気持ちを消す議論テクニックなど私は持ち合わせていません。
 そんなことはあり得ないことです。議論は相手を説得することが目的ではないのですから。
 相手の気持ちを操作するのは説得術です。そして人を説得するのは技術ではないでしょう。
 
 
>噛み合わない議論と解するかどうかをたずねていましたが、みみっくさまにとって議論の内容自体はどうでもよいようですね。
 そもそも「文章のコピーで返答する」の話から始まった議論であるということを忘れていませんか?
「文章のコピーで返答をしているかどうか」は重要な議論の内容だと思いますけどね。
 

>> この返答からすると、意図的なものと解釈してもよいようですね。
>
>意図的ではありません。
 意図的ではないということは「該当する文章のコピー」は撤回されたと解釈してもよろしいでしょうか?
 それとも「文章のコピーで返事すること」をエムさんが認めたと解釈すればいいのでしょうか。
   
 エムさんの意図がわからないので質問しています。

「相手の意図がわからなければ返答できない」ので。

投稿: みみっく | 2007/04/13 20:02

みみっくさま
> この返答からすると、意図的なものと解釈してもよいようですね。

意図的ではありません。

> 「相手は自分の結論に自信がある」という印象を持ちましたね。

噛み合わない議論と解するかどうかをたずねていましたが、みみっくさまにとって議論の内容自体はどうでもよいようですね。
主張をもたずに議論をするのは不毛です。
ブッダの法を理解しようとせずに、弁証法のテクニックだけをまねるのは、危険です。

真実、自分にはいいたいことがあるとき、テクニックは不要です。どんな話し方でも、人は知ろうとしてくれると思います。

噛み合っていないと感じる、わたしのこの気持ちを、みみっくさまはどんな議論のテクニックを使っても消すことができません。
ただ、それをできるのは、問題に真摯に向き合って答える誠実さだと思います。

ブッダ論理のもっとも肝心のところをつかんでいただきたいのです。

投稿: 管理人エム | 2007/04/13 16:31

>おっとっと。。一本とられました(笑)。
 この返答からすると、意図的なものと解釈してもよいようですね。

>さて、どんな印象をもちましたか?
「相手は自分の結論に自信がある」という印象を持ちましたね。

 文章のコピーで返答するというのは、「新しい要素を持ち出さずに反論する」ということですから、現在までの議論の流れに自信がないとできないことです。

「自分は言うべきことは既に言っている」というメッセージが含まれていると解釈すべきでしょう。

 相手のこのような態度に対して取るべき選択は多くはありません。

「相手の発言を否定的に解釈してその自信を覆すべく反論を行う」か「相手の発言を肯定的に解釈して質問する」
 のが基本でしょう。

 ちなみに、私の「文章のコピーで私に返事しているのですか?」はこの両方を兼ねた返答です。

「質問」と解釈すれば「肯定的な解釈」になり、「反語表現」と解釈すれば「否定的な解釈」になります。
 決め付けを避けようとすると、こういう文章になるのですよ。
 相手が間違っていると決め付けて議論を進めるのは不毛ですが、勘違いしていないと決め付けて話を進めるのも適切ではないことが多いのです。

 相手の発言が「前に言ってたことと矛盾しているように見える」場合、意図的にやっている場合と、うっかりしている場合が考えられますが、これはどちらとも判断し難いことが多いのです。
 むしろ最後までわからないことの方が多い。なにしろ質問しても返事が返ってこないのでね。
 
 議論では、当事者同士で決着をつけてもあまり意味はありませんから、それはそれで構わないのですけどね。

投稿: みみっく | 2007/04/13 12:46

みみっくさま
おっとっと。。一本とられました(笑)。

さて、どんな印象をもちましたか?

投稿: 管理人エム | 2007/04/13 06:26

 文章のコピーで私に返事しているのですか?

投稿: みみっく | 2007/04/13 01:08

みみっくさま

>> みみっくさまの意図は、わたしにはまったく伝わっていなかったのは、たしかです。
>  そうは思えませんが・・・。

>> ううん、ちがいますね。ブッダの論理を知って使わないと逆効果です。真似だけしてもうまくいきません。
>  うまくいくかどうかの話はしていません。
>  手法としてはありふれていると言っているだけです。

ええ。。。なんと申しますか。。。このように噛み合わないのです。

投稿: 管理人エム | 2007/04/12 19:58

>みみっくさまの意図は、わたしにはまったく伝わっていなかったのは、たしかです。
 そうは思えませんが・・・。

>ううん、ちがいますね。ブッダの論理を知って使わないと逆効果です。真似だけしてもうまくいきません。
 うまくいくかどうかの話はしていません。

 手法としてはありふれていると言っているだけです。

投稿: みみっく | 2007/04/12 19:12

みみっくさま

>  この解釈は間違っています。文章のコピーで返事する方法は、そもそもブッダがやったことを私が真似しているのですよ。

ううん、ちがいますね。ブッダの論理を知って使わないと逆効果です。真似だけしてもうまくいきません。

みみっくさまの意図は、わたしにはまったく伝わっていなかったのは、たしかです。
理解しようと心がけている人に伝えられないとき、伝えようとする側になにも問題がないとは言えません。ここを素直に見つめることができなければ、ブッダ論理学はわからないのです。
ブッダ論理学というのは、ある意味、奉仕の論理学なのです。

投稿: 管理人エム | 2007/04/12 17:44

>おそらくこの手法はあまりよい効果は生まないと思います。
>相手の意見を理解しようという態度ではなく、相手の非をあげつらうという態度になるからです。

 この解釈は間違っています。文章のコピーで返事する方法は、そもそもブッダがやったことを私が真似しているのですよ。

>もしかすると、相手がずれているのではなく、みみっくさまが、実際流れている議論についていけていないのかもしれないのですから。
 だからこそ、文章のコピーで返事するのです。
 
 文章のコピーで返事するということは、真剣白羽取りのようなものです。
 もし自分が間違っていたらそのまま切られる技なのですよ。

投稿: みみっく | 2007/04/12 12:18

みみっくさま

>  議論していて相手の返事がずれていると感じた時は、相手は文章が頭に入らないまま返答しているのではないかと疑うことにしています。
>  具体的には、「文章のコピーで返事する」ようになります。

みみっくさまと議論していて思うのですが、議論が噛み合わない印象を受けることが多いです。

特に噛み合わないと感じるのは「文章のコピーで返事」されるときです。
おそらくこの手法はあまりよい効果は生まないと思います。
相手の意見を理解しようという態度ではなく、相手の非をあげつらうという態度になるからです。

議論は流れており、表現はいろいろ変わりますが、言いたいことはおおよそ一貫しています。一貫しながらも、話題の変化と共に、文脈によって前とはちがうことを述べたりするのです。

ですから、コピーがでてくると議論が前に戻ってしまうように思うし、けっきょく自分の言ったことは理解されていないと感じるだけだと思います。
少なくとも、わたしは、そう思いました。「なんだ、ほんとにこの問題を議論したいわけではなかったのだ」と思うのです。だから、「もういいや」と意欲減退してしまいます。

ブッダは、前とちがうことや、人によってちがうことを、平気で言いました。だから、みんな最初混乱します。
でも、ブッダほど一貫したことを述べた人はいないのです。
コピーはやめた方がいいと思います。みみっくさまの言葉で、自分の理解したとおりに述べて、確かめるのが、誠実だと思います。
もしかすると、相手がずれているのではなく、みみっくさまが、実際流れている議論についていけていないのかもしれないのですから。

投稿: 管理人エム | 2007/04/12 08:47

>書いてるとこ、見えるのかしら(キョロ、キョロ)。
 バレタカ。

 って違いますよ(笑)。
 いつもこの時間に私がチェックしてるだけです。

>おおお~。。は、反応はやすぎです。
 いつも私のコメントしている時間にエムさんがブログをアップしたのです。

>> 酸素ボンベくらい送ってあげて下さいませ。
>あ、そ、そうですね。まさか、手遅れってことはないよね。。
 呼吸困難になるような文章は、いくら読んでもなかなか頭に入らないようですから、そちらを心配した方がいいかもしれませんね(笑)。
 
 議論していて相手の返事がずれていると感じた時は、相手は文章が頭に入らないまま返答しているのではないかと疑うことにしています。
 具体的には、「文章のコピーで返事する」ようになります。

「重要な文章(要約したもの)は繰り返して読む必要があり、繰り返し主張する必要がある」ということですね。
 だから議論の最後はお互いに同じ主張を繰り返すことになりがちなのです。

「文章のコピー(同じ主張の繰り返し)」が返事になっているかどうかは、相手の反応で量るしかないということでもあります。

 相手の反応を変える力がないのであれば、同じ主張を繰り返すことは不毛です。
  
 文章のコピーで返事すると決着が早くなるんですよ。
 同じ主張を繰り返していることが明白ですから(笑)。

投稿: みみっく | 2007/04/12 02:05

みみっくさまっ!

おおお~。。は、反応はやすぎです。

一瞬、二回同じものを投稿したと思って、
「やばっ、一つ削除しなきゃ」と
ドッキリしてしまいました。
でも、 > のマークで、我にかえりました。ビックリよ。

書いてるとこ、見えるのかしら(キョロ、キョロ)。

> 酸素ボンベくらい送ってあげて下さいませ。

あ、そ、そうですね。まさか、手遅れってことはないよね。。

投稿: 管理人エム | 2007/04/11 13:39

>読み終わって、ボロボロになっても
>当局は一切関知しないので
>その旨、ご了承ください。
>編集者殿 m(_ _)m
 酸素ボンベくらい送ってあげて下さいませ。

>生きて帰ってきてください。
>編集者殿 m(_ _)m
>お、おい、そこまで、言うか。。
 私には冗談に聞こえません。

>前進、前進!
>今月中にはなんとか、
>おっしゃっていただけるということです。
 首を長くしてお待ちしております。 

投稿: みみっく | 2007/04/11 12:45

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