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2007/04/19

管理人はつらいよ

今週は、ボロボロの管理人です。

昨日は、はじめての学校で初めての授業でしたので
勝手がわからず、てんやわんやでした。

1時間も前に行って、準備してたのに
講師室の説明や教室の場所、はたまた、コピーのとり方
教室の機材の使い方など、教えてもらっている内に
授業になってしまい、

なだれ込んでの授業でした。
次の時間は、いつ終わるか時間がわからなくて
1時間40分もしゃべってしまいました。

息も絶え絶えで帰って、
次の日の講義の準備を必死で間に合わせ
飛び起きて、JRに乗って
哲学の講義をして、さっき帰ってきたとこ。

きつい!

科目がバラバラなので
頭がきりかわりません。
明日も講義があるけど、
土曜日に何も予定がないのが
今週は 救い です。

来週は、これに土曜日が加わる。。

どうなるんだろ?!

管理人の運命や、いかに?

などと、言ってる場合じゃないよ。。ほんと。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
といいつつも、思いだしたので、ひとこと。

数日前、アメリカで銃の乱射事件が起こって
32人もの命がうばわれました。
そして
日本でも、長崎市長が、暴力団の一人に
銃で撃たれて、なくなりました。

重なるようにおきたこれらの暴力事件。

The sword is mightier than the pen.

なんてことが、あってはならないので、
書いておこう。

銃規制に反対する全米ライフル協会は

「人を殺すのは人であって銃ではない」

という
スローガンを掲げています。

このスローガンは、わたしが『ブッダ論理学の5つの難問』の
【難問4】で、使おうかな、と思ったものでした。

主語を見よ!ここは「人」が主語になっている。
言い換えると
「人が人を殺すのである」という意味だからです。

「銃が殺すのではない」という意味になっているのです。

「銃が」と、ものを主語にしてはいけないということです。

殺すのは人だから。。

しかし、イラク戦争のときには、
彼らアメリカ人は、「大量破壊兵器がある」と
いいかえれば
「大量破壊兵器が人を殺す」と

ものを主語にして語ったのです。
そして、人々は武器で人を殺した。

スローガンの文法を守るなら

「人を殺すのは人であって大量破壊兵器ではない」

考えねばならなかったはずです。

アメリカの二枚舌が、ここに表れています。

自分たちに都合のいいときには、
「人」を主語にして
武器をもち
自分たちに不利益になるときは
「もの」を主語にして
武器を規制する

sword を頼みにする身勝手な人々は
「人を殺すのは人であって銃ではない」
として けっきょく 銃を持つ のです

pen の力を頼みに理屈を知る人々は
「人を殺すのは人であって銃ではない」
として それゆえ 銃は持たない のです

penの力を信じる人々が多い世の中でありますように。

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コメント

> この問いかけには、積極的な行動と、
> ” 無記 ”が当てはまることかも知れないと思います

ブログに書くのは積極的な行動です。
書かないでいることもできるからです。

” 無記 ”は、ないんじゃないでしょうか。
それなら、いっそ” あなたに ”と書きましょう。

空っぽの「空」には、そのときどきで意味をこめることができます。
そして、「縁起」は、いつも” あなたに ”返ってきます。
また、常に新たであるのが、諸行無常です。
こうであるとき、わたしたちは積極的に行動することになるでしょう。
これによれば安心であるという固定的なものなどないのですから。

投稿: 管理人エム | 2007/04/20 22:45

>望んでいるのは、同じものです。。そうじゃないでしょうか

別に、すねて物事を考えるわけではないのですが、、
このように問いかけられても、
「そうですね」とは、いい難いのです

釈尊は、”善なるものを求めて”と語ったようで、
それは、殆ど、”望んで”と同じような意味で捉えられることかと思います、、、、 が 、、、、

それでも、( 私にとって )
この問いかけには、積極的な行動と、
” 無記 ”が当てはまることかも知れないと思います

( ここは、私は、上手に言い表せないのです )

投稿: 春間 則廣 | 2007/04/20 21:39

春間さま

うーん、そうかもしれませんねぇ。。
というより、そうなのではありますが、この文脈では、たとえそうであっても、「私」とすると何を言っているのかわからなくなりそうです。

このように「アメリカ」とブログに書くことも、殺し合いをしている「私」を示すことになると思うのです。

アメリカが理性をもつことは、「私」が理性をもつことでもあります。望んでいるのは、同じものです。。そうじゃないでしょうか。

投稿: 管理人エム | 2007/04/20 19:16

>”アメリカに”理性がもたらされなければ、世界の平和はありえない

これは、”日本に”、”自らに”、と置き換えることが、”正見”となると思います

まずは、自らの現実を見つめなければ、、、

殺している、殺しあっているのは、私なのですから

投稿: 春間 則廣 | 2007/04/20 17:20

えび天サンバさま

なるほど、すんなり納得してしまいました。
「インディアン・コンプレックス」と言うのですか。あるかもしれませんね。強迫神経症にかかっているというのも、うなずけます。

> 岸田氏の唯幻論というのはブッダの
教えと変わらないなぁ、と思った記憶があります.

強力な武装を誇るのは、恐怖の裏返しなんでしょうか。わたしもブッダの言うとおりだなと思いました。

アメリカに理性がもたらされなければ、世界の平和はありえないのにと、最近思えてなりません。世界中が不幸になってきています。

投稿: 管理人エム | 2007/04/20 17:14

アメリカの二枚舌というのを読んで、岸田秀という精神分析家の
「インディアン・コンプレックス」を思い出しました。インディアンを
殺戮して建国したということを正当化するために、自我を絶対化
する論理を絶えず必要とし、そのために経済利益のためにはす
べてを正当化、利用するプラグマティズムによって自我を保つと
いう強迫神経症になっている、というものでした。私の解釈と混ざ
っているかも知れませんが。岸田氏の唯幻論というのはブッダの
教えと変わらないなぁ、と思った記憶があります。

投稿: えび天サンバ | 2007/04/19 21:24

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