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2007/04/22

驚き・疑い・自己、そして、悪魔の話

「哲学は驚きからはじまる」というフレーズ
なにげに書いてしまいましたが
カラスノエンドウさまにコメントいただいてから
かえって、意識にのぼってきました。

そういえば、どこで見ただろう、とあらためて
考えていました。
アーラヤ識の中に入っていたらしい。

夫が、「ヤスパースの『哲学入門』にある」と
教えてくれました。

三つの根源的動機と題して
その最初に、プラトンの言葉があり、
次にアリストテレスの言葉も引かれています。

プラトンと言われると、そんな気もしてくる。
アリストテレスと言われると、また、そんな気もしてくる。

「驚きから問いと認識が生まれ、認識されたものに対する疑いから
批判的吟味と明晰な確実性が生まれ、人間が受けた衝撃的な動揺と
自己喪失の意識から自己自身に対する問いが生まれる。
そこでまず最初にこの三つの動機を明らかにしてみましょう」(『哲学入門』新潮文庫)

こんなふうに書いてあって、
「驚き」「疑い」「自己」の三つ検討されています。

インドでは、「驚き」という言葉は、ちょっと思いあたらないけど
「疑い」は、大きな哲学の要因として出てきます。

「疑い(サンシャヤ)」 は、ニヤーヤ派では、
第三番目のカテゴリーなのです。
「なんだろう」と疑って、決定できないことだといいます。

ま、こんなふうに書いちゃうとね、身も蓋もない感じですが、
「なんだろう」と疑って、決定できない、ということからすると
多くの哲学の現在の状況を示すものでもありますね。

答えの出てしまった仏教においてすら、
ブッダは、「わたしの言うことを鵜呑みにせず疑いなさい」と
いうようなことを弟子たちに言いました。

おどろいて疑える世界 
これが 哲学の世界 ですよね。
意外と希有な世界なんですよね。

わたしが、若い人に与えたいと思うものは
じつは この 世界 なんですよ。

哲学の時間だけでも、

じゅんすいにおどろいて疑える体験をしてもらいたいのよ。

他の世界じゃ、無理でしょ、たぶんね。
みんな、おりこうさんにすぐなっちまう。。つまらないよね。

しか~し

哲学と名のつく現実の世界においてすら
「おどろくこと」と「疑うこと」は
そんなにそんなに奨励されているわけでもない。

実際には、哲学の世界であっても
それらを拒む要因が多いのは

ほんとに
ほんとに
ほんとに

なぜなんだぁ、って

おどろいて、疑ってしまう われ であった。

ありゃ

三つ、テーマがそろいましたわ、こんなとこで。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
こんなふうに考えると、哲学の道も茨の道だなと思うのでした。
話がずれてきておりますが
そのまま続けますと

こう、なんと言いますか、
哲学するぞと勇んできましたが
まっすぐ進みたいのに
脇から あれこれ 言われ続けて
それを払いのけ払いのけして
生きてきたような気がしてなりません。

かならず邪魔が入る
心の中で これは悪魔(マーラ)だ と思って
払いのける。

いったん言うこと聞いたら
悪魔は、すべてをうばっていくので
油断なりません。

ブッダは、7年間、悪魔にまとわりつかれましたが
最後に払いのけました。

「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうといた。
しかもよく気をつけている正覚者には、つけこむ隙をみつけることが
できなかった」(『ブッダのことば』446,岩波文庫)

よく、この悪魔はなんだろう、と言われます。
ブッダの心の中の迷いである とか
ブッダの修行を妨げる人々のことである とか
言われますが
ぴったりこないですね。

あたっているとは言えず
さりとて
ぜったいはずれているとも言えない。

説明しにくいですが
なんとなくわかります。

ブッダの道も、哲学の道と同じだとすれば
ブッダの進む行く先々で 妨害するものだ
と思います。
修行に悪魔は つきもの なのです。

『十住毘婆沙論』の中で
退転する菩薩、不退転の菩薩という区別が出てきます。

いかにして菩薩行から脱落してしまうか
それを動機という観点から説いています。

菩提心を起こすに七つの因縁がある
このうち、三つは達成できる道である。

仏が教えて発心せしめること
仏法を護ろうと発心すること
衆生に憐憫の情を起こして発心すること

次の四つは、うまく達成できないことがある。

菩薩に教わって発心すること
菩薩の行を見て発心すること
布施をし終わって発心すること
仏身の相を見て発心すること

後者の四つは、なるほど、ちょっと弱そう。
他の人に誘われて、その気になる、という感じもします。
ちょっとした悪魔の誘いに、退転してしまうのかも
しれません。

修行に悪魔はつきものと知って
怠らず精進せよ!

ですね。うむ!

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