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2007/04/17

流れるもの、それは。。

Image022まさか、もう
こんなに咲いてるなんて!
アパートの南側の日だまりで
みっけ!

昨日より二段くらい春度アップしてますねっ。
早いなぁ。

さて、さて、最近、因果的生き方というのが
けっこうわかるようになってきました。

人生が、今までとはかなりちがって
見えてきましたよ。

事実の集積が、人生を作るような気がしていましたが
そうではないんですね。

意識の流れが因果的に交錯していくことが
人生なんですね。

だから、なんとなく次に何が起こるかということが
想像できるようになってきました。

といっても、予知能力はないので
ばくぜんとしたものです。

何か善いことをしていると、そんなに悪いことは起こらない
かりに起きても、なんとか最小限のダメージで済む

悪いことをすると、そのときはよくても
なんとなくじわじわ具合悪いことになる

という まさしく 善因楽果 悪因苦果 の
因果応報の基本原理が 
肌でわかるようになってきた感じなのです。

それは、必然的なんだな、と思うのです。
つまり、人間の意識というのは、
そのようにできているのです。

悪いことしてるのに、うまく立ち回って罰を逃れている人だと
なんとなく、みんな、「やだな」と思って、
ほんとに困ったときに助けてあげない。。

善い人なのに、損なくじばかり引いていると
なんとなく、みんな、「気の毒」と思って、
いろいろそっと助けてくれる。。。

まぁ、最終的に、損得は 人間誰でも同じようになっているんですね。

それは、わたしたちが、そうでなければ
理屈に合わない と思うからでしょう。
意識の中に、論理がひそんでいるのでしょう。

人間、素直になるとき、もっとも論理的ではないでしょうか。

我執や執着にとらわれているとき
意識の因果は、乱されるので、

善いことしても悪い結果や
悪いことにしてるのによい結果が
得られたりすることもあるのではないでしょうか。

だから、悪者同士が一緒に仕事すると
善因楽果と悪因苦果の 
因果が乱れているので
何を信じていいかわからず
仲間われがおきて
悲惨なことになるのではないかと

思ったのでした。

たくさんの財宝をうばった盗賊たちが
みんな殺し合って自滅したりとか、
よくお話にありますよね。

因果を支えるのは、
人々の
意識しない
意識の流れである

それは、流れる 論理 である!

きまった!

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コメント

春間さま

つまり、

人間の意識というのはそのように(=因果的に考えるように)できていると、そのように、認識し、思惟するものを、「意識」と呼ぶ

ということですか。。。なるほどな。意識は、そのように意識して、そのような意識になるわけですね。意識の意識、って感じですね。

自らが助けるのでありながら、それは無意識に意識され(?)、意識においては、みんなが助けると意識する、そのような意識が、意識である。。意識が入れ子になってます。

空海さんの一生を考えると、因果の流れにきれいにあっているので、まるであらかじめ計画された人生を歩んでいるような具合になってしまっていますね。
劇的な変化が、必要な時に必要なタイミングで起こります。
自らが助けた人ですね。だから、みんなが助けた人なんですね。。おもしろいですね。

投稿: 管理人エム | 2007/04/17 19:18

>人間の意識というのは、そのようにできている

そのように認識し、思惟するものを、意識と呼ぶのではないでしょうか( 意識の源泉かな ? )
それに対する 
>我執や執着にとらわれているとき
のその意識に対する、評価の判断を、普通意識と呼んでいるのだと思います

>みんな、、、いろいろそっと助けてくれる。。。

(みんなの中の)自らが助ける(?)ということが、根本だと感じます
それを、”みんなに助けられる”と
判断(意識?)するのではないでしょうか

ここが、deepa の、私の解釈です

投稿: 春間 則廣 | 2007/04/17 18:30

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