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2007/04/01

中の中。。

気ぜわしい春。。。しかし、寒い。

昨日、室蘭の入江運動公園競技場に
サッカーの試合を見にいきました。

いろいろ忙しいにもかかわらず
むりやり
時間を作っていきました。
一家で動くのも最後かな。と。いうことで。

室蘭駅の真ん前にある、
海からの風のまとも当たる
競技場は、片側が小高い丘に面しています。

不思議なシチュエーションの風景で
好きな競技場です。

でも、とにかく、ここで試合をやるときは

寒い!
せいぜい5~6度しかないのがふつー。

芝生に座ると、

ず ご ぐ ざ ぶ い

いくら 北海道人 やってるとはいえ
春の軽いジャンパーでは死にます。。。

あ、でも、試合は 勝ったので 
いいのです。

@@@@@@@@@@@@@@@@@
帰って来ましたら

申し込んであった
プラプロム・プナーポン長老著
『仏法』が
到着していました。

テーラワーダ協会のajitaさまのブログで
お勧めの本です。

タイのお坊さんの書いた、
上座部の仏教の解説書(アビダルマ)と
言っていいでしょうか。

じゃん!これぞ 正統なる 仏教解説

という感じに仕上がっていて、
たいへんおもしろいです。

仏教研究としてアビダルマ文献を読みますと
部派の教えは、とおい昔の 
カビくさい教義のように
思ったりするのです。
それは、わたしが、よくわかってないせいですね、きっと。

でも、この本は

生きてる仏教が、生きてる長老の
いきいきした語りで、正面から
説かれます。

とてもよくわかる。

スマナサーラ長老さまとは、ちょっと似ているけど
しかし
まったくちがうとも言える。

仏教というのは、同じ教義を説いても
非常に個性豊かに 自在に 展開できるのだ

とわかります。
ああ、こうも説けるのか~、って感じ。
説き方にとても個性が光ります。すごいや。

上座部の魅力を余すところなく伝える書である
と、言ってみよう。

そして、また、タイの国での事情にもふれてあって
そこもおもしろいです。

たとえば、

「現代のタイ人は『業』という言葉を聞くと、
大抵は業がついて来て如何に罰を下すかという面で思い浮かべる。
業について語れば、、罰を下すような、或は、
我々をああしたりこうしたりする何かを思い浮かべる。
特に前世のことを考える。
すなわち、業を前世の業、善くないことの面で見る。」(208頁)

へぇ~、そうなのか。タイの人も、わたしたちと同じようですね。

現在、こんな不幸が起こるのは、過去世に何か悪いことをしたからだ

というように考えるんでしょうか。
なんか、人間てみな同じように考えるんですね。
親しみを感じますねぇ。
凡夫同士の連帯感,みたいな。。。(笑)

これに対して、長老さまは、ビシバシと
論を展開していきます。
イタイ!耳にイタイです。
しかし、
聞いてて気持ちいい~ぃ。
ああ、叱られて さわやか~~
って、かんじですわ。

このような智慧に満ちた人々を抱えるタイという国は
なんて幸せな国なんだ!!!
と思います。

うらやましい。
だけど、日本にも、スマナサーラ長老さまのような人もいますから。
そうなると
大乗のお坊様で、このような!光ってる!お坊様、いないですか。
ほしいですね、こんな智慧者を。
わたしが知らないだけですか。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、喜んでばかりいずに、もっと冷静に
この本をながめてみましょう。

プラプロム長老さまの本を買おうと思った理由の一つは

ajitaさまの紹介する目次に

第一部 中による説法
第二部 中道

とあったからです。
これは、ぴか~っ!光る目次ですよ。

現代の仏教研究で、まったく、
手のつけられていない分野
といっても良いのではないかと思います。

中道

これについて、何かまともに論じてあるのが
あるでしょうか。

大乗でも、「空」は語る
部派でも、「縁起」は語る

「縁起と空」 このような題の本はたくさんある

だけど

「中道」を正面から論じた本を見たことがありません。

お!あった!
龍樹の『中論』だ!

しかし、
龍樹の『中論』を「中道の本」だと規定して
説明してある研究書は
見たことない。

したがって
「中道を語る」というのは
これは、相当むずかしいことだとわかります。

それを、目次にドンと出している『仏法』は
ただそれだけでも、すぐれた本であることが
わかる
と思ったのです。

で、内容は どうかって?

あ、まだ、そこまで読んでないの。
だって、日記書いてて読めなかったんだもん。

ったく。管理人!
最初が調子よく、上々に 始まっても
最後がいつも 下の下 なんだからな。

間をとって、中 で勘弁してやるよ。。落ちもきまらん

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コメント

>多くの研究書は、みみっくさまの手を使っているようですね(笑)。
 私の考えた手みたいに言わないで欲しいですね(笑)。

>ありますよ。(あとは、出るだけ。。)
 いつ出るんだか・・・。

 中道は「現実に正面から向き合うこと」
 空は「現実」
 中は「正面」
 仮は「向き合う」
 
 中道とは、「空に中して仮る」こと

 なんてどうでしょうか。では。

投稿: みみっく | 2007/04/03 12:57

みみっくさま

> 同じだと言っておけば説明しなくて済むんですよ(笑)。

多くの研究書は、みみっくさまの手を使っているようですね(笑)。

> エムさんの龍樹本はどうなんでしょう。解説あるの?

ありますよ。(あとは、出るだけ。。)

投稿: 管理人エム | 2007/04/03 10:16

>これ、説明しなくちゃいけないんですよね。「中道」と「空」って、どこがどうちがうの?どうおなじなの?って、聞かれて答えられなきゃいけないんですけど。。。ないよね。
 同じだと言っておけば説明しなくて済むんですよ(笑)。

>空・仮・中ですね。これも、たんに同義語ですませているところが、龍樹研究の行き詰まりを示すとも言えますね。大胆な発言で、ごめんなさい。
 エムさんの龍樹本はどうなんでしょう。解説あるの?

>ストレートですねぇ。わたしの心の中を見られたかしらと一瞬思いましたが。。。これは、みみっくさまの意見です、といって逃げよう(笑)。
 知らない人に説明する時は用語を整理しないといけないんですよ。事情通に説明する時は未整理でもいいんです。おおまかにいう時と、詳細に言及する時とでは、言葉の使い方も違うのが当然です。
 
 例えば私がエムさん向けに書いている文章と、閲覧者にもわかるように書いている文章とでは言葉の使い方が違ってくるということですね。
 
 エムさん向けの文章に他人が割り込んでくると見当外れなレスになりやすいということでもあります。深く問題に突っ込んでいくとそれまでの議論を読んでいない人に理解できない文章になるということでもあります。

投稿: みみっく | 2007/04/03 02:39

みみっくさま

>  用語が「洗練されていない」(龍樹の影響を受けていない)からじゃないかと私は思いますが。

ストレートですねぇ。わたしの心の中を見られたかしらと一瞬思いましたが。。。これは、みみっくさまの意見です、といって逃げよう(笑)。

> 龍樹の空解釈だと、「中道」と「空」はほぼ同義語だと言われているはずなんですが・・・。

空・仮・中ですね。これも、たんに同義語ですませているところが、龍樹研究の行き詰まりを示すとも言えますね。大胆な発言で、ごめんなさい。

>  だから中道を説いた本がないんじゃないのかな?
>  空とどこが違うのか突っ込まれると説明しなけりゃいけなくなるし。

これ、説明しなくちゃいけないんですよね。「中道」と「空」って、どこがどうちがうの?どうおなじなの?って、聞かれて答えられなきゃいけないんですけど。。。ないよね。

投稿: 管理人エム | 2007/04/02 11:19

ajitaさま

お忙しいところ、さっそくお送りくださってありがとうございました。じつは、目次を一目見て、最初からねらっておりました。どうやって買うのかしらと、ajitaさまのブログをクリックしまくって、本の情報を探していたところでした(笑)。買えるようにお手配いただいて感謝です。

> そっかー、すごいすごいと何がすごいのかはっきりしないまま読んでいましたが、

すばらしい!「間髪入れず」にすごさがわかる!
スマナサーラ長老さまもパユットー師も、事によったら、大乗にいる人々より「空」ということをご存じであると思っております。
龍樹は、じつは、大乗の人というだけではないと思っています。言い方は悪くてすみませんが、(ぴったりのが見つからないので、許して)小乗の人でもあると思います。『中論』は、アビダルマ論書のトンデモ系と位置づけても成り立ちます。お二人の長老は、それをご存じなんですね。いやー、すごいわ。

投稿: 管理人エム | 2007/04/02 10:59

>仏教研究としてアビダルマ文献を読みますと部派の教えは、とおい昔のカビくさい教義のように思ったりするのです。 
 用語が「洗練されていない」(龍樹の影響を受けていない)からじゃないかと私は思いますが。
 もちろん上座部の側から見れば、用語が「歪められていない」ということになるのでしょうけどね。

>「中道」を正面から論じた本を見たことがありません。
 龍樹の空解釈だと、「中道」と「空」はほぼ同義語だと言われているはずなんですが・・・。

 だから中道を説いた本がないんじゃないのかな?
 空とどこが違うのか突っ込まれると説明しなけりゃいけなくなるし。

 タイでは龍樹の空の概念が浸透していないから大丈夫なのかなと思ったりしますね。
 
 同じ言葉でも意味が違うだけではなく、輪郭が異なっていると大変ですね。同じ意味の言葉でもニュアンスだけ違うというのはなかなかわかりませんから。

投稿: みみっく | 2007/04/02 03:18

管理人エム様、パユットー師『仏法』取り上げていただきありがとう存じます。見通しが甘かったせいで、発送遅れて済みません(まだお送りできていない方もいます……)。そっかー、すごいすごいと何がすごいのかはっきりしないまま読んでいましたが、目次からしてすごかったんですね。記事を読んで、龍樹の狙いのすごさにも納得しました(「空」思想を大成したゆーんだったら、なんで『空論』とかしないのかなぁ、とか思っていたので……)。いやはや仏法オモロすぎの日々ですね。

投稿: ajite | 2007/04/02 01:55

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