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2007年4月

2007/04/30

『ブッダの実践心理学』第三巻 出ました。

Image028
昨日、西岡水源地というところに行ってきました。
水芭蕉でございます。

接写モードで、
離れてとったら
なんとなく美しく
撮れました。

ぼやけて
よろしいわ。。

Image042
こちらは、近くの公園のコブシでございます。
適当にシャッター押したら
まずまず画面に入ってました。

ええですね。。
去年は、ほとんど花が咲かず
もうこの木は
寿命かと思いました。

一年休んでただけなのか。。
よかったっ!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@
連休は、なんだかあっという間にすぎそうな予感。

やること、やっとかなきゃ、
あとでひどい目にあいそうな予感。

予感はあたりそうな予感。

ということは
連休だからといって
気を抜かず
働け!管理人!
ってことか。。トホホ。

@@@@@@@@@@@@@@@

などと
グチなぞこぼさず、

さっそく
次の書に行ってみよう。
一日、びっちり、
はまりにはまって
読みました本です。

『ブッダの実践心理学』第三巻 
「心所(心の中身)の分析」です。

著者は、ご存じ!
藤本晃氏
アルボムッレ・スマナサーラ長老
のお二人です。パチパチ!

繊細で 微妙で 不可思議で 大胆なるこの書。

ブッダの教えのなかでも
本来ならば
秘義に
属すものとしてもよいところでしょう。

しかし、「師の握り拳(秘義)をもたず」
と述べた
ブッダの教えを守る仏教でですもの。

それを 惜しげもなく 開示し
懇切丁寧にこれでもかと
解説するのです。

その熱意と、そして、その力量に 感動です。

テーラワーダ仏教の心の中身の解釈を
詳細に語っています。
禅定の深い段階まで
現代の言葉で!説明した本は
これまでなかったのですよ。

ぜったい読むべし。

仏教とは、これほどのものかと
おどろくこと請け合いです。

@@@@@@@@@@@@@@@

学問研究で、部派の法の分析は
ずいぶん研究されていますが
おおよそ、言葉上のものにすぎず
具体的、実践的な見地はほとんどありません。

わたしも、部派の研究書は、
あれこれ探ってみましたが、
正直言って、
ほとんど何言ってるのか
わかりませんでした。

煩瑣な分類ばかりが並んだ
無味乾燥としたもののように見えました。

本当はそうではないのだろうと思いましたが、
どう手がかりをつかむか
手をこまねいていたのでした。

最近は、部派の論書から入らず、
龍樹に
足がかりを得て
けっこう自分なりに
心、心所の分類に
とり組んでいましたのじゃ。

少し、具体的に見えてきたかな
というところで

善い心の分類なんか
あれこれ検討していたところだったのだった。。

だから、

よくわからない分類名や
どうして、この分類がここに?みたいな位置関係や
修行と心の関係
などなど

疑問に思っていたことが、
この書で一気に解明!

そうかそうか、という感じです。

尋(ヴィタッカ)、伺(ヴィチャーラ)、勝結(アディモッカ)
詳しい説明で、よくわかりました。
なんとなくこんな感じかと思っていたことも
はっきり感覚的にとらえられて、
ほんとありがたいです。

いや、もう、ほんと、感謝感謝です。

@@@@@@@@@@@@@@@

わたしが、こうじゃないかと思っていたことが
そんなにはずれていないということが
わかったのも、うれしい。

たとえば、四月二八日「梵天、梵天、ぼんてん、ぼんて。。」の
コメント欄に書いた

「もの」を分析する現代科学と
「心」を科学する仏教という対比が

ほとんどそのまま257頁に載っています。

あら、おんなじだ!

他にも、どことは言えないけど
ずいぶん似たような発想をしているところを
見つけて
うれしくなりました。

それと、これは書いておかなくちゃ。

大乗仏教の「捨身飼虎」のジャータカを
批判しているところ
ウフフ、と、思いながら読みました。

テーラワーダ仏教の同じような菩薩のジャータカを
とりあげて、心所の問題に絡めて説いています。

そして
正しい道徳を説くのは、
「こちらのテーラワーダのジャータカの方」
としています。

詳しい話は省くけど
なるほどなぁ、と思って、拝読しました。

この大乗仏教批判は
とてもおもしろいです。
ここに、部派の特徴がよく表れているからです。
(批判はけっこう的を射ています、
うまいなぁと感心しています。)

しかし、また

大乗からも
反論できなくはなさそうな気がします。
大乗仏教の特徴を前面に出すと
まあ、それなりに納得の答えが出そうです。

何か、
スマナサーラ長老さま・藤本氏の論を立てる上での
緻密な計算が
ちょっと見えて、ウフフと言いたくなるのです。

大乗側の反論を期待してるんじゃないかって
思うのですよ。
大乗にも、花もたせてやりましょ、みたいなね。
しっかりしろ、大乗、ってところかなぁ。。わたしの想像ですけど。

テーラワーダ仏教の立場を
しっかりと
打ち出し

しかも

仏教全体におよぶ普遍的な
心の分析をなしとげた

『ブッダの実践心理学』第三巻

ここに出ました。

お見事です!
そして
このような本を出してくれて
ありがとう
といいたい。。。。。わざわざ わたしのために

おいおい!ちがうってば、管理人。


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2007/04/28

梵天、梵天、ぼんてん、ぼんて。。。

今日は、朝日カルチャーセンターで
お話ししてきました。

ここにお知らせを書こうかなと思いましたが
昨日は
ぜんぜんうまく話せる自信がなかったので

お知らせする勇気が湧きませんでした。
終わってから、お知らせしよ、って思ってね。。へへ。

で、今、お知らせしてるとこです。

で、ゴータマ・ブッダのお話でした。

ほんと、自信なかったのよ。。。

なのに

口を開いたとたん
話が止まらなくなり
1時間35分ノンストップで
しゃべって
「もう終わりなんですかぁ」と
未練たらしく
やめる羽目に。。。

ったく、どういう性格なんだろ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

仏伝などで、よく現代人にとって解釈しにくい内容が
書かれていると

後代の編纂者が
神話化をはかった

などと言われます。

最近、このような意見は
どうかなぁと思うんです。

そういう解釈は
自分たちにとっての
整合性を優先させたものであ~る。

ちょっと理解できないからといって
すぐ否定してしまうのは
問題ではなかろうか。。

たとえば、
成道後に、教えを説く気持ちがなくなっていくお釈迦さんに、
梵天が
「世間は滅びてしまう、どうぞ教えを説いてください」と
頼むところがあります。

これは、お釈迦さんの胸の内に実際にすばらしい発想が
起こったということで
それを、経典の文学形式としては
このような言い方をとるのが常套であるっと
増谷先生はおっしゃいます。

「文学形式としてこういう言い方をする」というのも
なんだかわかったようなわからないような。。

梵天が出てくると、まずいですかね。
非合理的に見えるのかしら。

心に重きを置く 
ブッダの思想は

ものにのみとらわれる
現代人には
なかなかわからないところがある。

だから
そのことをよくわきまえて
書いてあることは
とりあえず
そのまま読むとよいのではないか

思います。

そのうち、自分の理解が深くなると
納得できるようになるかもしれないしね。
すぐ説明をつけてしまう必要はないような気がする。。

最近、現代人の「もの」にばかり執着する
その心のありようの方が
なんか、変だ と思うのでした。

なんせ悟ってる人なんだからね!ブッダは。

悟りのことなんか
何にも知らないのに
何で、梵天が出てくるのが
おかしいなんて言えるのか

しみじみ考えると
そっちの方がよっぽどおかしい。。。

と、
過激に思うのでした。

この意見、
自分じゃ
すんごく正論のような気がするんですけど、
おかしいかしら?どう?

だってね、

梵天、梵天、梵天、梵天。。。
ほらね、言ってると、変じゃなくなるでしょ。。

慣れると、梵天も出てくるんじゃないか、って
そんな気がする。。。変?

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2007/04/26

諸行は無常なんですけど。。

4月16日
Image018_14月23日
Image0264月24日
Image027

変わるもの。。

何でしょう?


管理人の
立ち位置。

うーん。。

同じ場所で、同じカメラの位置に
しないとダメだ!

空気中にバッテン書いておくには
どうすればよいか
考える愚か者だった。

池に落とした物を見つけるのに
船の縁に目印つけた話よりマシかな?

似たようなもん?
やっぱりね(笑)。

だんだん疲れがたまって
ものを考えるのが
つらくなってきました。

連休よ。。はよ、来い!

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2007/04/24

怒っても、仏教

管理人には、足がある。

だから、
最近、よく歩くのです。

北大の中をぬけたり
駅前をちょろちょろ歩き回ったり
仕事帰りに
今日は、近代美術館にも寄りました。

空海曼荼羅展を見てきました。

両界曼荼羅図を拝見!
すっばらしいのです。

4メートル四方の立派なものです。
でも、かなり色がかすれて文様が
はっきりしません。
赤外線写真やレントゲンなどでとった下絵の
線描画は、とても精密に描かれています。

完成当初はどんなにすばらしかっただろうと
思わせられます。

空海直筆とされる、三教指帰も見てきました。

運慶の八大童子像は
みごとだし、ほんとにほれぼれする。
まるまるとした身体に、きりっと厳しい表情が
よく似合う。。

一人だけ、
お釈迦さん顔の阿耨達(あした)童子が
なんか、ぱっとしない。。
もっと きりっとしなさい
と心の中で文句を言ってしまう。

厳しいと言えば

快慶の不動明王と愛染明王の
忿怒の形相は 
なぜだかわからないけど
チョーステキ!
うっとりと見ほれる。

そうだ!怒れ!
もっと怒れ!
拳を振りかざせ!

と、大いに共鳴する。。

こうして 管理人は、イカレた。。(おい)

冗談はおきまして
なぜかは知らねど、最近、

「怒る」という形相に

魅力を感じるのです。

瞋(いかり)は、捨て去るべきもの。。。なんだけど、
忿怒の形相は、捨て去るべきもの と言われてないもんね。
などと、言い訳しつつ

なぜだろうと思う。

「怒る」というのは、
人にメッセージを伝える簡便な方法だからかも。
「怒る」と、みんなビックリしてこっちを向いてくれるしね。

みんな、 まじめに 聞いてくれる。。。。。
ふぬけた精神がぴりっとするような気がする。

う~ん、これかなぁ。
真剣になってもらいたいからかもしれないな
って、思いながら
人間て、おもしろいなと思うのでした。

「怒り」は、みんなに嫌われる。
ブッダも、怒りを捨てなさいと言った。
そうだと思う。
怒って、いいことなんか これっぽっちもない。
すぐに自己嫌悪とともに苦しみがやってくる。。

だけど、「怒り」はいつも人間とともにあったのだ。
怒るなんて嫌だ、と思いながら、「怒り」と一緒にいる。

まぁね、かなしい友達なのさ。。嫌われ者の、ね。

だから

この不動明王の忿怒の顔には、どこか
悲しみが宿っているような
感じにも見えるよね。

いいよね。仏教って、さ。
怒っても、仏教なんだもんな。

って、思って帰りましたとさ。。

ちょ、ちょっと!
管理人!
か、かおが、不動明王に似てきてない。。。

まずい!見過ぎた。

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2007/04/22

驚き・疑い・自己、そして、悪魔の話

「哲学は驚きからはじまる」というフレーズ
なにげに書いてしまいましたが
カラスノエンドウさまにコメントいただいてから
かえって、意識にのぼってきました。

そういえば、どこで見ただろう、とあらためて
考えていました。
アーラヤ識の中に入っていたらしい。

夫が、「ヤスパースの『哲学入門』にある」と
教えてくれました。

三つの根源的動機と題して
その最初に、プラトンの言葉があり、
次にアリストテレスの言葉も引かれています。

プラトンと言われると、そんな気もしてくる。
アリストテレスと言われると、また、そんな気もしてくる。

「驚きから問いと認識が生まれ、認識されたものに対する疑いから
批判的吟味と明晰な確実性が生まれ、人間が受けた衝撃的な動揺と
自己喪失の意識から自己自身に対する問いが生まれる。
そこでまず最初にこの三つの動機を明らかにしてみましょう」(『哲学入門』新潮文庫)

こんなふうに書いてあって、
「驚き」「疑い」「自己」の三つ検討されています。

インドでは、「驚き」という言葉は、ちょっと思いあたらないけど
「疑い」は、大きな哲学の要因として出てきます。

「疑い(サンシャヤ)」 は、ニヤーヤ派では、
第三番目のカテゴリーなのです。
「なんだろう」と疑って、決定できないことだといいます。

ま、こんなふうに書いちゃうとね、身も蓋もない感じですが、
「なんだろう」と疑って、決定できない、ということからすると
多くの哲学の現在の状況を示すものでもありますね。

答えの出てしまった仏教においてすら、
ブッダは、「わたしの言うことを鵜呑みにせず疑いなさい」と
いうようなことを弟子たちに言いました。

おどろいて疑える世界 
これが 哲学の世界 ですよね。
意外と希有な世界なんですよね。

わたしが、若い人に与えたいと思うものは
じつは この 世界 なんですよ。

哲学の時間だけでも、

じゅんすいにおどろいて疑える体験をしてもらいたいのよ。

他の世界じゃ、無理でしょ、たぶんね。
みんな、おりこうさんにすぐなっちまう。。つまらないよね。

しか~し

哲学と名のつく現実の世界においてすら
「おどろくこと」と「疑うこと」は
そんなにそんなに奨励されているわけでもない。

実際には、哲学の世界であっても
それらを拒む要因が多いのは

ほんとに
ほんとに
ほんとに

なぜなんだぁ、って

おどろいて、疑ってしまう われ であった。

ありゃ

三つ、テーマがそろいましたわ、こんなとこで。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
こんなふうに考えると、哲学の道も茨の道だなと思うのでした。
話がずれてきておりますが
そのまま続けますと

こう、なんと言いますか、
哲学するぞと勇んできましたが
まっすぐ進みたいのに
脇から あれこれ 言われ続けて
それを払いのけ払いのけして
生きてきたような気がしてなりません。

かならず邪魔が入る
心の中で これは悪魔(マーラ)だ と思って
払いのける。

いったん言うこと聞いたら
悪魔は、すべてをうばっていくので
油断なりません。

ブッダは、7年間、悪魔にまとわりつかれましたが
最後に払いのけました。

「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうといた。
しかもよく気をつけている正覚者には、つけこむ隙をみつけることが
できなかった」(『ブッダのことば』446,岩波文庫)

よく、この悪魔はなんだろう、と言われます。
ブッダの心の中の迷いである とか
ブッダの修行を妨げる人々のことである とか
言われますが
ぴったりこないですね。

あたっているとは言えず
さりとて
ぜったいはずれているとも言えない。

説明しにくいですが
なんとなくわかります。

ブッダの道も、哲学の道と同じだとすれば
ブッダの進む行く先々で 妨害するものだ
と思います。
修行に悪魔は つきもの なのです。

『十住毘婆沙論』の中で
退転する菩薩、不退転の菩薩という区別が出てきます。

いかにして菩薩行から脱落してしまうか
それを動機という観点から説いています。

菩提心を起こすに七つの因縁がある
このうち、三つは達成できる道である。

仏が教えて発心せしめること
仏法を護ろうと発心すること
衆生に憐憫の情を起こして発心すること

次の四つは、うまく達成できないことがある。

菩薩に教わって発心すること
菩薩の行を見て発心すること
布施をし終わって発心すること
仏身の相を見て発心すること

後者の四つは、なるほど、ちょっと弱そう。
他の人に誘われて、その気になる、という感じもします。
ちょっとした悪魔の誘いに、退転してしまうのかも
しれません。

修行に悪魔はつきものと知って
怠らず精進せよ!

ですね。うむ!

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2007/04/21

哲学は、驚きからはじまるのさ

怒濤の一週間を終え
とりあえず、ホッと する管理人です。

ホッとする暇無いだろ。。という心の声に
ホッとくらいさせてよ。。と抵抗しています。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

昨日は、若い諸君と、哲学問答してきました。

あなたが生きていく上で大事に思っていることはなんですか?

この問いに、答えて

・人を信じる 
・人とのつながり、友人、家族…自分がかかわるすべての人
・温故知新 ・お金 ・やる気 ・愛情 ・自分を大事にすること ・思いやり
・感謝の気もち ・空気 ・目標に向かって努力する 
・一つの考えに固執しないようにする ・家族 
・愛と規律と正義 ・自分の意思や個性を大事にする 
・生きているということ ・信じる心 ・優しい心 
・ポジティブに考えていく

いろいろ出たんです。

で、みんなに意見を聞いていったら

すごい、「やる気無いぞ」オーラを発散している子がいて
その子が「だりぃよ、せんせ!うざい」という態度満載で

感想は
「何も無い」
といいました。

わたし、もう、こういう子、好きなのよ。。じつは。
で、ちょっとかまって遊ぶ。

「何も無いですか?そうですか。
じゃ、あなたの意見はこの中にありますか」

「あります」

「じゃ、生きていく上で大事なこと、って、なんと書きましたか?」

「『やる気』 です(やる気ゼロの態度で)」

噴きだしそうになるのを必死でこらえ
「それじゃぁ、哲学についても 『やる気』出してくださいよ」

「それはできません(だりぃ~という感じをだそうとつとめつつ)」

ダメだよ、そんなとこで、カッコつけようとしても、えへっ!
かわいいなぁ、若い子は。

んで、もう一人。きりっとした子です。 

「ぼくは、この、『自分を大事にすること』と書いた人は、
自己中 なんじゃないかと、思います(はきはき)。」

「えっ?そうですか?そりゃぁ。。ちょっと。。ないと思いますが。。」

「ぼくなら、こうは書きません」

「え?そうですか?あなたは、なんと書きましたか?」

「『思いやり』と書いたのが、ぼくの答えです」

まるっきり、思いやりのない意見を言う君が、『思いやり』かぁ、と、
思わず、また噴きだしそうになるが、ここは、
ちゃんと言わなくちゃと、しっかりフォローすることにする。

「この『自分を大事にすること』と書いた人のことを
もう少し考えてみてください。

あえて、こう書かなければならないということは、
なかなか積極的に自己を主張できないから、
こうなりたいと思って書いたと
考えられないでしょうか。

先生や家族や友達に「こうしろよ」とか
プレッシャーかけられると、
嫌と言えずに従ってしまったりする
おとなしいタイプの人だと
『もっと自分を大事にしたい』と
思うのじゃないでしょうか。

君は、そうではないでしょ。
もっと自分を主張できますね。」

「そうです」

「だから、他人を『思いやろう』と
積極的に他人に向かっていけるけど
この人は、たぶん、そういうタイプではないのでしょう。
君のような人をうらやましいと思って、君のように
なりたいと思っている人だと思いますよ」

へぇ、という顔をしている。
けっこう、ビックリしてるみたいだ。

そしたら、他の子が
「わたし、自分を大事にしたい、と書いたんですけど、
先生の言うとおりです」
と、言いました。

「思いやり」の君は、他人を思いやるようになったかな?
「やる気」の君も、他の問題にも答えて書いている。

いやはや。。。なんとも。。
今年もいろいろあるぜ、って感じです。

哲学は、驚き! から、はじまるんだから ねっ!

せんせ も、なんだか おどろいちゃったよ。。


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2007/04/19

管理人はつらいよ

今週は、ボロボロの管理人です。

昨日は、はじめての学校で初めての授業でしたので
勝手がわからず、てんやわんやでした。

1時間も前に行って、準備してたのに
講師室の説明や教室の場所、はたまた、コピーのとり方
教室の機材の使い方など、教えてもらっている内に
授業になってしまい、

なだれ込んでの授業でした。
次の時間は、いつ終わるか時間がわからなくて
1時間40分もしゃべってしまいました。

息も絶え絶えで帰って、
次の日の講義の準備を必死で間に合わせ
飛び起きて、JRに乗って
哲学の講義をして、さっき帰ってきたとこ。

きつい!

科目がバラバラなので
頭がきりかわりません。
明日も講義があるけど、
土曜日に何も予定がないのが
今週は 救い です。

来週は、これに土曜日が加わる。。

どうなるんだろ?!

管理人の運命や、いかに?

などと、言ってる場合じゃないよ。。ほんと。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
といいつつも、思いだしたので、ひとこと。

数日前、アメリカで銃の乱射事件が起こって
32人もの命がうばわれました。
そして
日本でも、長崎市長が、暴力団の一人に
銃で撃たれて、なくなりました。

重なるようにおきたこれらの暴力事件。

The sword is mightier than the pen.

なんてことが、あってはならないので、
書いておこう。

銃規制に反対する全米ライフル協会は

「人を殺すのは人であって銃ではない」

という
スローガンを掲げています。

このスローガンは、わたしが『ブッダ論理学の5つの難問』の
【難問4】で、使おうかな、と思ったものでした。

主語を見よ!ここは「人」が主語になっている。
言い換えると
「人が人を殺すのである」という意味だからです。

「銃が殺すのではない」という意味になっているのです。

「銃が」と、ものを主語にしてはいけないということです。

殺すのは人だから。。

しかし、イラク戦争のときには、
彼らアメリカ人は、「大量破壊兵器がある」と
いいかえれば
「大量破壊兵器が人を殺す」と

ものを主語にして語ったのです。
そして、人々は武器で人を殺した。

スローガンの文法を守るなら

「人を殺すのは人であって大量破壊兵器ではない」

考えねばならなかったはずです。

アメリカの二枚舌が、ここに表れています。

自分たちに都合のいいときには、
「人」を主語にして
武器をもち
自分たちに不利益になるときは
「もの」を主語にして
武器を規制する

sword を頼みにする身勝手な人々は
「人を殺すのは人であって銃ではない」
として けっきょく 銃を持つ のです

pen の力を頼みに理屈を知る人々は
「人を殺すのは人であって銃ではない」
として それゆえ 銃は持たない のです

penの力を信じる人々が多い世の中でありますように。

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2007/04/17

流れるもの、それは。。

Image022まさか、もう
こんなに咲いてるなんて!
アパートの南側の日だまりで
みっけ!

昨日より二段くらい春度アップしてますねっ。
早いなぁ。

さて、さて、最近、因果的生き方というのが
けっこうわかるようになってきました。

人生が、今までとはかなりちがって
見えてきましたよ。

事実の集積が、人生を作るような気がしていましたが
そうではないんですね。

意識の流れが因果的に交錯していくことが
人生なんですね。

だから、なんとなく次に何が起こるかということが
想像できるようになってきました。

といっても、予知能力はないので
ばくぜんとしたものです。

何か善いことをしていると、そんなに悪いことは起こらない
かりに起きても、なんとか最小限のダメージで済む

悪いことをすると、そのときはよくても
なんとなくじわじわ具合悪いことになる

という まさしく 善因楽果 悪因苦果 の
因果応報の基本原理が 
肌でわかるようになってきた感じなのです。

それは、必然的なんだな、と思うのです。
つまり、人間の意識というのは、
そのようにできているのです。

悪いことしてるのに、うまく立ち回って罰を逃れている人だと
なんとなく、みんな、「やだな」と思って、
ほんとに困ったときに助けてあげない。。

善い人なのに、損なくじばかり引いていると
なんとなく、みんな、「気の毒」と思って、
いろいろそっと助けてくれる。。。

まぁ、最終的に、損得は 人間誰でも同じようになっているんですね。

それは、わたしたちが、そうでなければ
理屈に合わない と思うからでしょう。
意識の中に、論理がひそんでいるのでしょう。

人間、素直になるとき、もっとも論理的ではないでしょうか。

我執や執着にとらわれているとき
意識の因果は、乱されるので、

善いことしても悪い結果や
悪いことにしてるのによい結果が
得られたりすることもあるのではないでしょうか。

だから、悪者同士が一緒に仕事すると
善因楽果と悪因苦果の 
因果が乱れているので
何を信じていいかわからず
仲間われがおきて
悲惨なことになるのではないかと

思ったのでした。

たくさんの財宝をうばった盗賊たちが
みんな殺し合って自滅したりとか、
よくお話にありますよね。

因果を支えるのは、
人々の
意識しない
意識の流れである

それは、流れる 論理 である!

きまった!

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2007/04/16

Image018毎日、毎日、
寒くて雪ばかり
春はどこ?

お天気はいいのに
この雪山はなに?

ちっとも雪山は
小さくなりません。

春は来ないなぁ!

は~るよ、来い!
は~るよ、来い!
は~やく、来い!

Image019
おお!
なんとぉ!
春だ!
春だ!

へへっ、携帯って
なかなかたのし!

通勤途中で
地面にはいつくばって
接写に余念のない
わたしです。

後ろから来た人が
怪訝な顔して
いきました。

意外と写真とるのは
むずかひい。。
自分捨てなきゃだめだな。

@@@@@@@@@@@@@@@
昨日は、夕方から、昔とっておいた
インド関係のビデオを見てチェックする。

授業で使えるかな?

バングラデシュの第二の都市
チッタゴンには、
数少ない仏教徒たちが
集落を作って住んでいる。
彼らは、イスラム教徒たちから
身を守るかのように
集まって暮らしている。

カルカッタにも、チッタゴンから
でてきた仏教徒たちが
わずかながらいる。

彼らは、スリランカ・東南アジアに伝わった
上座部の仏教を信仰している。

インドで、ヒンドゥー教の神さまではなくて、
ブッダ像が祀られているのを見ると
ちょっとした違和感とも安心感ともつかない
複雑な感じがする。

ガネーシャ神とかヴィシュヌ神などが
いかにも祀られていそうな
小さな寺院に
おだやかなふつーのブッダの顔があると
おお!って、感じです。

このヴァーラナシーのごみごみした町並みに
沙門ブッダが裸足で歩いていくところを
想像すると
やはり、仏教はインドのものだ
という気がしてくる。

バラモンたちとの論争や
布施をする人々の熱烈なる崇拝ぶりが
彷彿とされる。

農村のあぜ道を一人行く
放浪の行者 ブッダが
目に浮かんでくる。

時を超えて
孤高の人ブッダがよみがえる

@@@@@@@@@@@@@@@@

って、感慨にふけってしまいました。
は~~~ぁ、いい~~わぁ~~

ま、それはいいんですが、
醒めた目で見るなら

しかし、

こんなに何ももってないブッダが
一切を知る教えをもっていたなんて

そのギャップに、
ほんと!ついていけないっ!

しみじみ思うことは


人は、ほんとに見かけによらないですねぇ。。。
(もう少し、マシなこと考えたら、管理人っ!!)


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2007/04/13

哲学は あついぜ

昨日と今日と哲学の講義があって
最初だから、
はりきってしまいました。

哲学に必要なものは何か?

まずは、「頭」である。
次に、「ペン」である。

だから、学校に来るとき
頭とペンは忘れずにもってきてください。

よく「頭」、忘れてくる人がいるけど、
必須アイテムだかんね、忘れちゃダメよ。

頭を使って、「哲学する」とき、必要なものは何か?

なんですか?みなさん
先生、知識。

おお、いいですねぇ、他に。
題材

これもいいね、他にありますか。
睡眠

???授業中に居眠りはよして!
せんせ、ちがう、ちがう、
考える前に睡眠をとっておくんです。

なるほど。冴えた頭にしとくのね。他には?
経験

うん、いいですね。あとまだある?
わかりません。

あとね、わかりにくいけど、考えるときには
かならず、言葉がいるんだよ。
言葉で考えるのね。
言葉がなければ、じつは、
わたしたちは考えるということができない。

その他に、哲学するとき、必要なのは

自分に正直であること
真理を求める情熱があること
持続する力があること
注意深い観察力があること
真実を語る勇気があること

いやはや、自分で言ってても、ちょっとくさいすね。
青春の根性ドラマみたいになっちゃったよ。

ま、純情可憐な1年生にしか通用しない文句だけど
静かに聞いててくれるの、今だけだもん
このチャンスを逃すものかは。

では、今日の講義、柔道一直線 を終わります。。。

あ、まちがいました、哲学を終わります。。。でした。


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2007/04/12

携帯するのは?

Image003

新しく携帯電話を手に入れました。
こんどのは写真も撮れるのです。

今どき、遅れてますか?
はじめてだとなんでも
新鮮!
写真撮ります!撮ります!

最初、写真が真っ黒になって
どうしたのかしら
と思ったら
指で、レンズをふさいでいました(笑)。

撮るものないので
本棚でも撮りますか。
というか、
どこを向いても
本棚しかないや。。。

かならずぶれるところも
なんとなくいいわね。。そうかい?

あ、床は写さないようにしなくちゃな。
じつは、床も、本棚なんだもん。

ということで、携帯もって
仕事に行こう。

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2007/04/11

お釈迦さんは、エンターテイナー

やっぱり、がまんできずに、出版社に
問い合わせてみました。

龍樹本のその後の展開でございます。

没になってるのかな?(ドキドキ)と思いましたが

今のところ、そうではなくて

じゃん!

☆◇○ 読んでるところです ○◇☆(いろいろ使ってみましたよ)

とありました。現在進行形の文です!

うほっ!
be reading now って、ことなのです。

前進、前進!
今月中にはなんとか、
おっしゃっていただけるということです。

すぐ読んでわかる文章じゃないので、
たいへんだとは思いますが
がんばってください。
編集者殿 m(_ _)m

読み終わって、ボロボロになっても
当局は一切関知しないので
その旨、ご了承ください。
編集者殿 m(_ _)m

生きて帰ってきてください。
編集者殿 m(_ _)m
お、おい、そこまで、言うか。。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
一般的に、本というのは、読者を必要とする。
あたりまえだけど。

でも、読者を拒むとしか思えないような本だって
たくさんある。

だいたい、仏教の経典や論書は
本来なら、
「なに言ってるかわかりませんよ、
もう少し読者のことも考えてくださいよ」
といわれて、しかるべきであると
思うのである。

だけど、誰もそんなこと言わないどころか
むずかしければむずかしいほど
ありがたいと思うのである。

いいなぁ、経典や論書って。

読者を突き放すようなところが
かえって引きつけるのかも。
また、
読者を拒んでいるようで
よく読めば
ほんとにやさしく書かれてある
というところに
みんな、惹かれるのかもね。

親しみやすいジャータカの物語も
むずかしいアビダルマ論書も

みんな同じように扱われているのが
いいよね。

そういえば、阿含経には、次のような分類があります。

1,経(スッタ) 教説を短く散文の形にまとめたもの
2,重頌(ゲイヤ) スッタの内容をもう一度偈の形でくりかえす形式
3,記答(ヴェイヤーカラナ) 簡単な問答
4,偈(ガーター) 詩の形をとるもの
5,感興語(ウダーナ) ブッダが思わず感興とともに漏らした偈
6,如是語(イティブッタカ) ゲイヤの特殊な発達形。
7,本生譚(ジャータカ) ブッダの前生物語
8,ヴェーダッラ 教理問答の一種。定型句に特徴がある
9,未曾有法(アッブダダンマ) 珍しい法、仏・菩薩の奇跡を集めたもの

この分類は、九分教と言われます。
十二に分ける分け方もあります。

こんなに、いろんなスタイルで、教えは説かれているのね。

お釈迦さんて、ほんと、エンターテイナーだったのだなぁ!

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2007/04/09

原始への回帰

変化のはげしい日々を送る管理人です。

最近の一大できごと

梅酢を冷蔵庫の中でこぼしてしまい
それが一気に、脇を伝い、下の階へと流れ落ち
冷凍室から、製氷室から、野菜室から、

全部 ピンク色 になりました。

ひぇ~

冷蔵庫の棚をはずし、引き出し抜き取り
掃除をしましたが、

冷蔵庫ってのは、冷気を全体に行きわたらせるため
すべての階は、通じておるのであった。

すべての道はローマに通ずるように

プラスチック街道を、ピンクの液体が流れ
外壁とうち壁の間にピンク液がたまっちまいました。

下の階の天井部分と、上の階の床とのすきまにも
たまって、ちゃぽちゃぽいってます。

外壁と内壁の間は、ピンクでいいや。

天井と床のすきまには、布をつっこんだり、
涙ぐましい努力の結果
少々ピンクを残すのみで、なんとか復帰しました。

おシャカになるかと思いました。

冷蔵庫が壊れたら、
その日の食べ物は、その日に買うことにしよう
これは、ただの蔵箱として使えばいいか

なに?
蔵庫よ、冷蔵庫の冷をとったの。

と、切り替えのはやいわたしだった。

しかし、文明の生活というのは、
危ういものですなぁ。。。

梅酢ごときで、あやうく原始生活ですもんね。

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2007/04/04

もういいかい?まあだだよ

って、かんじですね。

何が?

龍樹本です。。。待ちくたびれてきました。

みなさまには、お騒がせしたあげく
音沙汰なしで申し訳なく思っておりますが

出版社の方から、何もないので
どうしようもありません。

4月頭には、何か言っていただけるということでした。

今は、4月 

そして、

頭。。です。。よ。。。。。ね。。。うちのこよみじゃ

メールすると、
うるさいヤツだと思われるかもしれないので
ここに書いて、出版社に、「気」を送ろうかな~~

げ・ん・き・だ・まぁ~、とぉ~りゃあぁ~

ドラゴンボールの読み過ぎ、管理人!
元気玉、送ってどうするのよ。

おねがい!なんか言って!出版社どの!
こうなったら、なんでもいいからさ (え?)。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
本の内容にかかわると思って、
龍樹の話も書きにくいのよ。

パユットー師の『仏法』についても
龍樹がらみで書きたいこともあるけど
本が出ないとダメかなぁ、って
思って、がまんしてるのだ。。

もの言わぬは、腹ふくるるおもい って、
昔の人は言ったけど、ほんとね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
龍樹本を、
今、ようやく読み返してみてるんですが、
なんか酸欠になりそうです。
書いてるときの、息苦しさがまた甦る。

砂嵐のタクラマカン砂漠を進む法顕のように
呼吸困難になりそうです。

脳みそがまわりきらないんですね。
「一切智」を必要とするのに
「部分智」しかないので
フル回転で脳みそ使いまわしてるかんじですわい。

推敲しようと、前は思ってたけど
もう ちゃんと読み直すことができずに そのままでした。

わたしの書き方としては、ありえないのです。
推敲しているうちに形になってくるのに、
今回は、書いたら書きっぱなしでした。
限界超えてたので、
もう自分のものを読むことができなかったんです。

だから、今 読むと、ほとんど他人の書いたものだ。。
へぇ~、こんなことも言えるのか
って、自分で言っててどうするの、って感じです。

パユットー師の『仏法』を読んで
観点、似たところがあると思いました。
でも、読んでいくと
わたしの説って、やっぱり、わたしなんだなぁ
と、他人事のように自分で思うのでした。

ふつーのこと書いてるつもりで、
ものすごく変わってるのかも。。
それとも
やっぱり、ふつーなんだろうか。。

龍樹は、ほんとはすごく純ないいやつさ
ということは、書きました。

どうも、その点を書いてある本がないような気がする。

ということは、
もう、そこからして ふつーじゃないのかしら。。。ね

出版社どの、ブログ読んでないと思うけど、
インターネットで「気」をおくります。。

ザワッぁぁぁぁぁ  

としたら、わたし だかんね。。


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2007/04/03

やっててよかった 仏教

春の雪というのは、どうもよくない。

ちらちら降ってきても、
地面に落ちるそばから消えていく。

降っても意味ないと思うよ。。。って、雪に言ってもね。

新学期というのも、どうもいまいちです。
全部一気に変わってしまうので
なかなかついていけない。

昨年度までの必死の作業が
なんだか消えている。

作業するそばから消えていく
やっても意味ないと思うよ。。。って、自分に言うなよ。

こういうときこそ
必殺の殺し文句

諸 行 無 常 

が効いてくる

事実を見つめて言うだけで
なぜかしぜんとホッとする

仏教やってて、よかったわ


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2007/04/01

中の中。。

気ぜわしい春。。。しかし、寒い。

昨日、室蘭の入江運動公園競技場に
サッカーの試合を見にいきました。

いろいろ忙しいにもかかわらず
むりやり
時間を作っていきました。
一家で動くのも最後かな。と。いうことで。

室蘭駅の真ん前にある、
海からの風のまとも当たる
競技場は、片側が小高い丘に面しています。

不思議なシチュエーションの風景で
好きな競技場です。

でも、とにかく、ここで試合をやるときは

寒い!
せいぜい5~6度しかないのがふつー。

芝生に座ると、

ず ご ぐ ざ ぶ い

いくら 北海道人 やってるとはいえ
春の軽いジャンパーでは死にます。。。

あ、でも、試合は 勝ったので 
いいのです。

@@@@@@@@@@@@@@@@@
帰って来ましたら

申し込んであった
プラプロム・プナーポン長老著
『仏法』が
到着していました。

テーラワーダ協会のajitaさまのブログで
お勧めの本です。

タイのお坊さんの書いた、
上座部の仏教の解説書(アビダルマ)と
言っていいでしょうか。

じゃん!これぞ 正統なる 仏教解説

という感じに仕上がっていて、
たいへんおもしろいです。

仏教研究としてアビダルマ文献を読みますと
部派の教えは、とおい昔の 
カビくさい教義のように
思ったりするのです。
それは、わたしが、よくわかってないせいですね、きっと。

でも、この本は

生きてる仏教が、生きてる長老の
いきいきした語りで、正面から
説かれます。

とてもよくわかる。

スマナサーラ長老さまとは、ちょっと似ているけど
しかし
まったくちがうとも言える。

仏教というのは、同じ教義を説いても
非常に個性豊かに 自在に 展開できるのだ

とわかります。
ああ、こうも説けるのか~、って感じ。
説き方にとても個性が光ります。すごいや。

上座部の魅力を余すところなく伝える書である
と、言ってみよう。

そして、また、タイの国での事情にもふれてあって
そこもおもしろいです。

たとえば、

「現代のタイ人は『業』という言葉を聞くと、
大抵は業がついて来て如何に罰を下すかという面で思い浮かべる。
業について語れば、、罰を下すような、或は、
我々をああしたりこうしたりする何かを思い浮かべる。
特に前世のことを考える。
すなわち、業を前世の業、善くないことの面で見る。」(208頁)

へぇ~、そうなのか。タイの人も、わたしたちと同じようですね。

現在、こんな不幸が起こるのは、過去世に何か悪いことをしたからだ

というように考えるんでしょうか。
なんか、人間てみな同じように考えるんですね。
親しみを感じますねぇ。
凡夫同士の連帯感,みたいな。。。(笑)

これに対して、長老さまは、ビシバシと
論を展開していきます。
イタイ!耳にイタイです。
しかし、
聞いてて気持ちいい~ぃ。
ああ、叱られて さわやか~~
って、かんじですわ。

このような智慧に満ちた人々を抱えるタイという国は
なんて幸せな国なんだ!!!
と思います。

うらやましい。
だけど、日本にも、スマナサーラ長老さまのような人もいますから。
そうなると
大乗のお坊様で、このような!光ってる!お坊様、いないですか。
ほしいですね、こんな智慧者を。
わたしが知らないだけですか。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、喜んでばかりいずに、もっと冷静に
この本をながめてみましょう。

プラプロム長老さまの本を買おうと思った理由の一つは

ajitaさまの紹介する目次に

第一部 中による説法
第二部 中道

とあったからです。
これは、ぴか~っ!光る目次ですよ。

現代の仏教研究で、まったく、
手のつけられていない分野
といっても良いのではないかと思います。

中道

これについて、何かまともに論じてあるのが
あるでしょうか。

大乗でも、「空」は語る
部派でも、「縁起」は語る

「縁起と空」 このような題の本はたくさんある

だけど

「中道」を正面から論じた本を見たことがありません。

お!あった!
龍樹の『中論』だ!

しかし、
龍樹の『中論』を「中道の本」だと規定して
説明してある研究書は
見たことない。

したがって
「中道を語る」というのは
これは、相当むずかしいことだとわかります。

それを、目次にドンと出している『仏法』は
ただそれだけでも、すぐれた本であることが
わかる
と思ったのです。

で、内容は どうかって?

あ、まだ、そこまで読んでないの。
だって、日記書いてて読めなかったんだもん。

ったく。管理人!
最初が調子よく、上々に 始まっても
最後がいつも 下の下 なんだからな。

間をとって、中 で勘弁してやるよ。。落ちもきまらん

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