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2007年3月

2007/03/25

身体と心と無我

バタバタする管理人です。

くるぞくるぞ、という感じで
ぐぐっと忙しくなってきました。

ヤダ!

といっても
やって来るものはやって来る。

仕方ないので
気にしないことにします。

忘れるために話題を変えよっと。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@
先日アップしました
『大智度論』の
「鬼に身体を食われた男のはなし」
いかがでしょうか。

このおはなしに似たのは、
授業で何度か使っているんですよね。
哲学の
身体と心の問題で。

他の人と、たとえば、身体が入れ代わってしまったら
どちらの方を自分だと思うか、みたいな問題です。

自分の身体+他人の心
他人の身体+自分の心

このうちどっちが自分でしょう?
こういう問題は、わりと学生さんも乗ってくれる。

西哲系でも、これはよく問題にされて人気です。

『大智度論』のこのおはなしも、仏教ですが、
かなり現代人向きなテーマで
ちょっとおしゃれ(?)な感じかな。

『大智度論』は、現代感覚で読んでも、
じゅうぶん通用するし
さらに、それよりもっとふかいことがわかる。

西洋哲学の心身の扱いを、
さらに一歩も二歩も超えたところに
問題が設定されているからね。

この「鬼に身体を食べられた男のはなし」もそう。
よく見ていくと、
かなりむずかしいんだわ。

けっきょく、仏教の根本である「無我」と結びつくので
思想的にここまで理解してもらおうと思うと
相当時間をかけて、エネルギーを費やして
考えてもらわなきゃならない。

で、

あげく、ほとんどうまくいかない。

身体と心に分けると、
心のある方が自分だと、という人は多い。
中には、身体が自分と思う人もいる。
ここまでは、スムーズ。

けど

心において自分と思うのは
あるいは
身体において自分と思うのは

それは迷いであって
ほんとうは、「自己ではないもの」を

「自己!」

と誤って思っているんだと
いうふうに考えるのは、
至難のワザなんだよね。

一つめの関所。

これを理屈でわかるためには
まず因果関係を理解しなくちゃならない。
因果関係を理解するにしても
帰納論理学でわかってる程度じゃ
まだ仏教の真髄ではない。

二つめの関所。

とりとめない心の因果をつかむには、
よくよく考えて
よくよく素直でなきゃならない。

すんなり了解する人は、
すぐはいないかもしれないが
「こういうことを考える人もいる」
ということがわかるだけでも、いい。
世界が広がる。

自分が煮つまってきたとき
この「無我」の思想は
とても役に立つ。

苦しいときに
そのときこそ
とても役に立つ。

やっぱり「苦を除く」思想なんだな。
だから、
このおはなしも、ここに載せておくと
みんなの役に立つかもね。

おもしろくおぼえてもらって
困ったときに役に立つ

いいおはなしだにゃ~


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2007/03/20

仏教つれづれ

どうも最近勉強不足だ!
大乗や密教の茫洋とした大地を行くには
基礎体力が欠けてる。

その昔、『ブッダ論理学五つの難問』を書いたとき

龍樹(紀元後150~250)のあと
ぴょんと時代を飛んで
わたしが『方便心論』を世に問うまでの長きを考えると
その間に誰もこれに言及した人がいないのは
間が開きすぎていておかしい

と思ったのだった。

『方便心論』は、仏教の分野では
正統に伝わらなかったことは
はっきりしている。
その中身も、いまだに
仏教内では、よく知られていないようにみえる。

だけど、ほんとに路傍の石のように
『方便心論』は放っておかれたのだろうか。
「ほんとの」仏教徒だったら、
あの本の重要性は、すぐにわかったろうと思う。

『方便心論』の部分をニヤーヤ経由で受けついだ
ディグナーガやダルマキールティもすばらしいが、
龍樹の大きさに比べると
小粒の感は否めない。
かれらは、唯識学派の人である。
ちょっと、論理では足りないところがある。

なんか、大乗仏教の発展を考えると
その進む方向に、いくぶん恣意的なものを感じるのは気のせいだろうか。

なぜ、大乗は、部派の人々を小乗と呼んだのだろうか。
なぜ、もっと部派を大事にしなかったのだろう。
当時の時代背景もあるかもしれない、
が、しかし
部派の教えは、
必ずしも「小さい乗り物」という側面しかないわけではない。
阿羅漢を一人かくじつにゲットできれば
その人のいる地域全体は大きく救われることは必定だ。

でも、でも、理論上の出家主義を否定すると
残るのは、理論上の在家主義しかない。
そうすると、理論上「大きい乗り物」と言わざるをえなくなってくるわけか。

部派を否定することによってしか
大乗は生まれえなかったのだろうか。

もしそうなら、大乗には、その理論の中に
欠けるものがあることにならないか。
小乗と呼んだ部派の教えを、
あえて、いくぶん欠くことになるだろう。

そういう意味でなら
大乗が
龍樹の『方便心論』についても
冷淡だったのは、ある意味、わかるところもある。
『方便心論』は、部派の論理基盤にもなるからだ。

そしてまた、
部派の人々が
『方便心論』に気づかなかったのもわかる。
龍樹は、「大乗」中観派の開祖とされてますもんね。

つまり、
あわれ、『方便心論』は
どちらからもそっぽを向かれるような立場にいたのであった。
しかも、外教徒からはもちろん敵視されるし。
四面楚歌の論書だったわけだ。。。かわいそ

ということは
部派と大乗あわせて、
ブッダの仏教全体が形作られることになる。
両方おさえることができたのは、龍樹のようだ。

龍樹以後を考えますと、
かくじつに龍樹をおさえることができた人、
かれが
仏教界全体をリードする存在となりうるということだ。

で、

その人は、誰だろうかとながめると

どうやら弘法大師空海ではなかろうかと、

このように思えてならない昨今です。

で、
基礎体力つけて確かめてみなくちゃな
と思う管理人なのでした。

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2007/03/19

すぱむの謎をさぐる

ITにも詳しくなってきたぜ!、っと、わたし的には思う
今日この頃です。

スパムの意味も分かったし、
(おちゃらけさま、ありがとう。
知りたい人は、「お気楽掲示板」を)

スパムの謎も少し解明。

変な英語のスパムが大量におくられてくるのは
直接読んでもらいたいからではなく、
検索されるサイトとして、
自分のサイトを上位にあげるためということらしい。

いろんなところにリンクが貼られていると
自分のサイトが、よく読まれているという証拠になって
検索エンジンで、上位にとりあげてもらいやすいからなんですと。

ふーん
そんなに大事なのか、上に行くのは。
知らなかった。

だってね、
管理人の場合、検索するとき

goooooooooooooooogle

とあると

真ん中へんの o とか
最後の方の o とかから
クリックするんだもん。

一番最初のページの一番上にあるのは
たいていクリックしたことないですねぇ。

みんな見てるのとおんなじじゃつまらない
と思って、
なるべく見てないのを探すのよ。
(なんのために検索してるんだ!)

なんか、ほら、掘り出し物って、
人の気がつかないとこにあるものでしょ。

え?発想が主婦だ、ですって。

ははは、ま、いいじゃない。
ITというのは、
軽くいくのが
イイとこなんだから。

ぱっとしないと
さっさとあきらめて
ほかの検索エンジン使ってみたりする。

でも、スパムについては、
とても
勉強になったわ。
世の中、
ほんと
いろんなことを
考える人がいるのね。

って、

管理人、
あんたに言われたくないよ(by スパム業者)。

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2007/03/17

生命の躍動する春(中身とあってないぞ)

春になると、生きものは浮かれる

暖冬であろうとも、
やはり、春は春なのである

ある種、冬眠状態から目覚めて
生きものは、浮かれた状態になるのである
生きてるならしかたないのである

だから、

冷静沈着・質実剛健・堅忍不抜の
管理人も

生きものである以上
浮かれないわけにはいかないのである
生きものはつらいのである

@@@@@@@@@@@@@@@@@@
わかった!わかった!

で、何やったわけ?
さっさと言ったんさい。

オホン!
管理人は、晩ご飯を作っていたのである。
いなり寿司を作って、
ご飯があまったので
海苔巻きも作ることにしたのである。

入れるものがないので
いつも、海苔巻きは、かっぱと決まっているのである。

キュウリを切って
のりを置いて
ご飯をひろげ
手前のほうに
キュウリをおいて
巻いたのである。

手順はどこもおかしくない。

なのに
ま、巻けない。
おかしい。
もっと上手だったのに。
けっこうきれいに
キュウリが中心にくるのよ。

なのに
のりが破れて
ご飯がはみ出して
巻いても
もとにもどっちゃうう、うう。。

なぜだ??なぜなんだ?

ぜんぜん理解できずに
失敗作をお皿において
次にもう一度挑戦することにしたのである

次も同じ。ますます、おかしい。。

もういち。。は。。あら。。。

巻きすが 巻きすが ない!

巻きすなしで海苔巻きを作っていることに
まったく気がつかなかった
管理人でした。

冷静沈着(巻きは丁寧、いつもと同じ)
質実剛健(中身はキュウリ)
堅忍不抜(キュウリのみ)

なのに、
巻きすを忘れるなんて

春のせいだ。

としか言えない。。


。。。。春でよかった。。

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2007/03/16

曼荼羅みたいなわたしのPC

昨日は、日記を書きかけて、
そのまま他のところに行って
遊んでしまい
寝るとき、スイッチ切ろうとしたら
書きかけのがアップされてしまっていました。

い、いつ、アップしたんだろ???

あやしいPCだなぁ。
というより、ちゃんと書かないからだぞ。

あっ!やばっ!
RSS機能って、これにもついてるんだった!
管理人の気まぐれ行動におつきあいして
数行、読んじゃった方、すみません。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

という前置きで、両界曼荼羅のお話。

今、札幌に両界曼荼羅が来てるんですね。

北海道新聞

のニュースにありました。書くより早い。ほらね、ご覧ください。

テレビで、両界曼荼羅の一つを公開し、撮影しているところを
ちょっとだけやっていました。

テレビのアナウンサーが、
「たいへんな緊張感で、固唾をのんで見守る中
公開されました」
というようなことを言っていましたよ。

パソコンに写し出された曼荼羅図は、
仏・菩薩の顔などの線ははっきりしているようでした。

800年の時をこえて甦るんですね。
すばらしい!
生きててよかった(ははは、ちょっとおおげさかな)

4月から空海展があるので、楽しみです。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ようやくここ2日、
インターネットに詳しく(?)なってきた
管理人です。

だいたいホームページだって、なんだって
直感でやってるんだから

トラブルが起こるとすごく困る!

つまり、わたしにとって、PC言語って、
戯論寂滅しているのです。

龍樹に言われずとも、
PC世界じゃ、わたし、悟り状態なんす。


「困った」ということはよくわかるが
何がどうなって、どうだから困ったかを
説明できない。

だから、とても人には「言えないような」
(言いたくても言えないという意味と
とても人様には言えないという意味と
二つ)
いろいろな試行錯誤をして
悪戦苦闘する。

最後にどうしようもなくなったら
夫 
という手もあることはあるが

めちゃくちゃバカにするので
けっして知られないように
ひそかに血みどろの戦いをくり広げるのです。

しかし、たいていバレルわね。
知るとたいていあきれる夫だった。

何でだろ。

PCの中は、いろんなファイルの残骸で
はちゃめちゃになってるけど
かまってられん。

バックアップをくりかえし
あっち削り、こっち書き足し
へぇへぇ、ぜぇぜぇ
なんとか仕上げる。

アップすると、感動!
中がどんなにひどくても
外から見ると
まともに見えるじゃん

なせばなる!
どうやったかわからないけど…

ってのがさびしいです。

で、何を言いたいかと言いますと

そんな修理あとの残骸ファイルでいっぱいだったのを
ようやく整理して捨てました。

はぁ、すっきりぃ。。
曼荼羅のように
フォルダ如来や
ファイル菩薩が
きれいに並んだわ。

消えると困るものもあるけど
消えるとうれしいものもある

というお話でした。

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2007/03/14

定方晟氏「医神アスクレピオスと仏教」をご紹介

つい先日、春秋社のPR誌『春秋』2・3月号を見て
おどろきました。

定方晟(さだかたあきら)先生が

「医神アスクレピオスと仏教」

という題で、寄稿しているではありませんか。

カラスノエンドウさまに、お知らせしなくちゃ。
(ヒマカナ掲示板で話題 沸騰! わたし的にはね)

とても興味深く読みました。おもしろいです!

みなさま、機会があったらぜひ手にとってご覧ください。

簡単におはなしすると、
医神アスクレピオスの誕生物語のモチーフと
仏典『ディヴィヤ・アヴァダーナ』の中のお話がよく似ていて
仏典は、ギリシア神話のこの話から採ったものではないかと
定方先生は推定しているのです。

ギリシア神話は、こんなお話。
アポロン神の恋人だった娘コロニスが、
他の若い男性と語らっているのを
白い鳥 (アポロン神から見張り役に派遣されていた) に
告げ口されてしまいます。

アポロンは怒って、コロニスに矢を放ちます。

コロニスは死ぬ前に
「身ごもっているあなたの子を助けてくれ」と叫びます。
アポロンは、火葬の火の中から、嬰児をとりだし
子どもは救われます。

この子が、医神アスクレピオスなのです。

以上のお話の、
「火の中から胎内の子を救い出す」というこのモチーフが、
仏典の中にもあるのだそうです。

救い出すのは、ブッダです。
身ごもっている女の人に子どもの性別を聞かれて
ブッダは教えてあげます。

ジャイナ教徒の悪巧みによって、
彼女の夫は、妻に薬をあたえ、妻は死んでしまいます。

ブッダの予言がはずれたことになって
ジャイナ教徒はよろこぶのですが
ブッダは、火葬の火の中から、予言どおり
男の子を取り出すのです。

その子は、火の中から取り出されたので
「ジヨーティシュカ(燃え立つ者)」と
名づけられたとあります。

この仏教説話にアスクレピオス伝説が影響しているのではないか
という定方先生の推測なのです。

ほんと、よく似てますね。

また、アスクレピオスと薬師如来の関係についても
ふれています。
こちらは、エッセーをご覧ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
定方晟先生は、仏教ばかりではなくインド思想全般に
たいへん詳しい専門家ですが、

他の学者が気がつかないような、
独自の問題意識と発想と視点を具えていて
いつもたいへん啓発されます。

文化と文化がぶつかりあうところ

ここが定方先生の考察の舞台です。

だから、
アレクサンダー大王のインド遠征とか

ギリシアからイランにいたるさまざまな文化と接した
クシャン朝の興隆とか

そんな文化と文化の接点を

歴史学者の目をもって文献を解読し
宗教学者の目をもって思想を比較し
哲学者の目をもって普遍性を探るのです。

こういうことができるためには
公平・中立に文化や思想をながめられる冷静な目と
人間のその内面にせまろうとする温かい目と
両方なければならないので、
その両方を兼ね備えた
ほんとに希有な学者であると思って、感心するのです。

だから、定方先生が、何か言うときは
いつも、ちょっとわくわくしてしまう。

こんどは何かな?って。

期待を裏切らないのよねっ!

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2007/03/08

木は森に隠せ

お、ちょうど一週間のご無沙汰でした。

マニカナ道場のログをぶっ飛ばす、という
ドッキリなことをしてしまい
一週間、動揺し続けました。

なさけないぞ、ったく。。
管理人、管理はしっかり!せい!

へい、へい、すんません。
しかしですよ

悟ったブッダなら、どうしたと思う?

「諸行無常」っていって、終わるかしら。 
それとも
一字一句まちがわずに、思いだして
口述するかな。

どっちもありえそうね。

で、もって、どっちもできないところが
凡人の凡人たるゆえんだわね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さあて、
新学期が始まる前に、いろいろやっておかなくちゃ
と思って、
チベット語のフォントを入れてみたりする。
いいすね。
ローマナイズだと、何種類か書き方があるので
ごっちゃになって、わけわからなくなることがあるのよ。

ほんと、なんでも、すぐ忘れちゃうわ。
じゃ、物忘れに絡んでパスワードのお話を。

パスワードなんて、
ありとあらゆるものにあるんだから
ほとんど覚えてられない管理人です。

なので、仕方なく

ディスプレイのわくに
パスワードは鉛筆で書いてある。

ほんとは、そうしちゃダメだ、っ書いてあるわね。
ノートなどに書きとめるのはやめましょう。
推測されやすい文字や数字はやめましょう。

そんなこと言ったって、ね、
ノートに書いてダメなら、どうやって覚えとくねん。

というわけで
ディスプレイに直に書いてますわよ。
ノートではない!からね。

って、そういう問題ではないか。

でも、大丈夫よ

パスワードが一つしかないなら
危ないかもしれないけど

ディスプレイのふちにぎっしり
パスワードが羅列してある場合

これはこれで
カモフラージュになると思うのよ。

木は森に隠せ(チェスタトンだっけな?)

パスワードはパスワードの中に隠せ

ってわけなのです。
ただ、わたしも、
どれだったかわからなくなるのが
欠点だわ。

で、ぜんぶ試して、とうとう、
「パスワードを忘れた人のために」という
コーナーに行ったりするのは、悔しいわね。

で、
今回の話題は、パスワードに絡んだものです。
暗号の話しなんです。。ちょっと、あやしいすか。

空海さま『弁顕密二教論』の中に『大智度論』が引いてありました。
『大智度論』三十八よりです。

「仏法の中に二諦有り。一には世諦、二には第一義諦なり。
……。また、二種有り、名字の相を知る有り、名字の相を知らざる有り。
譬えば軍の密号を立つるに、知る者有り、知らざる者あるが如し。」

え?と思うのは、この「軍の密号」というところ。

頼富本宏氏の訳です。
「軍隊で暗号を使用するのに、
それを知る者と、知らない者とがあるのと同じである」

へぇ、『大智度論』の作者を龍樹とすると
こんな例をあげるなんて、
おもしろいですね。

太古の昔から軍は
暗号を使っていたんですね。
それに、龍樹がなんでこんなこと知ってるのよ!
ますます、あやしい

そういえば。。。。思いだすわね

龍樹は、若い頃、道術をおさめたりしてるし
また、後に
南インドの王様のところに行って応募にこたえて
軍隊の将をやったりしてますもんね。
兵をととのえてうまくやった、って書いてあります。

「威、厳ならざるも令行われ、
法、彰はれざるも物随えり。」(『龍樹菩薩伝』)

威厳はなかったけど、みな規律正しく
法を説いたわけではないが、従順だった」
ってことです。

ということは、
案外、
龍樹は、軍隊のことも詳しかったのかしらね。

龍樹の隠された秘密でした。。。

って、

別に隠してないかな。


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2007/03/01

銀座のマダムと同じよ、るん

昨日、お昼ご飯にテレビをボンヤリながめていたら

銀座で、お買い物をするマダムのお財布チェック

というのをやっていました。

変わったことするのねぇ
と、ボーッと見てますと

ほんとに道行く人を止めて
お財布を見せてもらっていました。

中に入っているものを出して
チェックするのです。

で、財布ですから
お金が入っています。

一万円札が、1枚とか
千円札が、2枚とか 調べてました。

で、その他に
たくさんの人がカードをもっているのです。

へぇ、現代っ子ね。。。っていう問題ではないな。
マダムだし(笑)。

クレジットカードやキャッシュカードの他に
どこかの店のポイントカードのようなものとかも含まれます。

たくさんもっている人は十数枚ももっています。

それでお財布がぱんぱんになっているのです。

それ見ながら、「ああ、わたし、銀座にいなくてよかった」って
心から思いました。

わたしも、カードもってるのよ。
お財布に入れてるの。
それもたくさん。

カードはカードなんだけど、
ちょっと、特殊なものでな。。。

図書館で、借りようと思う本の名前や
書店でチェックしようと思う本の名前を
名詞くらいのカードに書いておいて
財布に入れておく。

どの図書館に行っても
すぐ本があるかないか調べられるし
前に借りた本でも、またカード見て
かり出せる。

書店でも、探すのに楽だし
他に目移りして、何探してるか忘れることもない。

たまたま図書館に立ち寄ったときも
懸案の本を思い出せるし、
便利だなと思って
どんどん入れていったら

お財布ぱんぱんだっ!
うふ!銀座のマダムとおんなじね。

あ、お金入るとこない。。。。おばか

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