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2007年2月

2007/02/28

教師が教師だと学生もたいへんよ

はたらく管理人ですっ!

またまた、恒例の机の整とんをしました。
ゴミの大袋4つ、作ってみました。

作りたくて作ったんじゃないす。
自然にできちまったんです。

わたしの、かわいい学生さんは 
すんごくよい子だったことがわかりました。

なんと後期だけで、
授業で書いて提出してもらった用紙が
重ねて積み上げると
30㎝を超えました。

ええっ!すげぇ!
すみません、品がなくて。

こんなに書かせてたのか!
なんちゅう教師じゃ。

あ、またでてきた。
この袋にも詰めてたんだわ。

今の学生さんて、えらいのね。
きっと、世間を、何も知らないから
言われたとおりにやったのね。
よかったわ。。。世間知らずの1年生で。

それなのに、
「もっと、ちゃんと考えろ」なんて
文句言ってゴメンね。
(っていっても、肝心の学生さんは、聞いてないと思うけどさ)。

それにしても
読んだわたしも、すごいよね。
どうりで、後期は、なんだか
疲れるなぁ、って思ってたのよ。

これにプラスして、龍樹もやってたのか。。。
どうやって生きたんだろう。

ううむ、人間というのは
けっこう
しぶとい生きものなんだなぁ。。。。

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2007/02/27

「悟り」考

えび天サンバさま、春間さまのコメントに触発されて

「悟り」について、少々考えてみました。

「悟り」というのは、「煩悩を滅すること」と
簡単に言ってしまえるけど

このとおりにするのは、並大抵のことではない。

だから、なかなか悟れる人がいないのだ。

で、

むずかしい「悟り」に近づくための方法は
いろいろある。

1 瞑想などによって、心の鍛錬をつむ。
2 いろんな身体を使った修行をして、自分の煩悩をなくすようにがんばる。
3 理屈で見取り図をこしらえて、実行してみる。

どんなやり方でも、悟れると思う。
たぶん決まったやり方はないのだろう。

で、羅什訳『中論』の、僧叡の序を見ていたら
こんなことが書いてあった。

中論は、五百偈である。:龍樹菩薩が、造ったものである。
「中」をもって名前とするのは、その真実を照らすからである。
「論」と称するのは、その言葉を尽くすからである。
真実は、名づけられなければ、悟れない。
だから、「中」という言葉によって、これを述べるのである。
言葉は、註釈なしには尽くすことができない。
だから、論をかりて、これを明らかにするのである。

注目したいのは

「真実は、名づけられなければ、悟れない」

というところ。

1でも、2でも、なにも言葉で言わないのではなくて
やはり、「心を無にしなさい」とか「お布施をしなさい」とか
何か言葉で言われる。
つまり、名づけられる。

あるいは、
龍樹のように
「中」ということによって、悟りを説明する。
この「中」というのは、「中道」のことね。

「悟り」は、言葉で言い表せないのかもしれませんが

じっさい
「悟り」ということについては、みなさん能弁なのです。

なんとか説明しないと
どんなものかわからないからですよね。

ほんとに悟っていたら、
それをあらわす表現や行為やが
その人なりにできるはずです。

それは、悟ってないわたしたちが見ても
すぐ わかる! と思います。

その表現や行為や作品の中に

「一切智」という観点が含まれているかどうかで

見つけることができる

と思います。

「一切智」といわないときは
「完成されたもの」と言います。
「完璧」でも「完全」でも
いいかもしれません。

生まれてきた人間の「完成」は何でしょう。

それは、誤解されそうでちょっと言いにくいですが、

かくじつに「死ぬこと」です。

「コイツハかくじつにイキのねを止めたゾ」って、
言ってもらえるようなとき
「完成」しているのです。

たとえば、お釈迦さんみたいにです。

それが「涅槃」ということであり
「滅」ということであり
「出離」ということであり
「離欲」ということであり
「解脱」ということであり
「不死(甘露)」ということであり
「常住」ということである。

未完成の人間は
死ねないので、
ずるずる生を引きずって輪廻しちゃう。

完成した人は、生と死の体系の中で
完全に「閉じている」。
他の影響を受けない
不変そのものです。
永遠と言ってもいいのです。

だけど「有」じゃない。

なぜなら
閉じているからです。
なので
「無」なのです。

へぇ~、そうだったのかぁ。。
と、自分で言ってるなんて
問題かもね。

変かもしれないけど
アップしちゃお。

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2007/02/25

こころ はっけん!

昨日は、ヨガ・スクールのみなさまとお話してきました。
今回は、ちょっとひねってみましたよ。

仏教 
かくも合理的で科学的な、
まるで学問のような宗教
こんな宗教は、他にはない。

最近では、このようなイメージをもつ人も多いかもしれません。

これは、仏教の重要な側面だと思います。
合理的であり理性的であり知的であり
人の心をじっくりと観察して得られた
ありのままの姿を語っています。

インド思想も同じです。
ヨガは心を科学的に分析する

わたしも
かっこつけて語ってきたのです。

今までは、このような側面を
いやっというほど
語ってきたのです。

で、

昨日は、
これまでとはいささか趣向をかえて
これら「合理」を超えたものについて
ちょびっと、語ってみました。

「心」というものは、
ほんとうに不可思議なものだと思います。

理性だけでは割り切れぬ

ブッダは、
心を
観察(ヴィパッサナーの瞑想)

実験(サマタの瞑想)
によって
科学した。

だからといって、
わたしたち現代人が
非科学・擬似科学と思っているような
呪文・迷信・占いの要素を
残りなく捨て去ったわけでもない。

このあたりの説明が微妙でむずかしい。
呪文や迷信を認めたというと
ちょっと嘘になる。
では、
認めなかったかというと
それもそうでもない。

「心」にせまれば
凡夫には
神秘とか迷信とかマジックにしか見えないようなことも

いくらでも出てきてしまう。

梵天が現れたり、マーラ(悪魔)がでてきたり、
神が出現する世界も、また、ブッダのいた世界である!
ブッダは、とう利天にお説教にいったりもする。
授記をあたえる、神通も使ったりする。

って、

こっちの方も、語ってみました。

こちらの話は、
うまく言ってる意味をつかんでもらえないこともあるので
少しおそるおそるでしたが
ヨガの人達は
心と身体のエキスパートなので
スルッとつかんでくれました。

「心」には、ふつうに暮らしている人には
気づかないような
そんな側面もある

らしい。

経典からは、そんな部分も学べる。。

だから
ブッダの教えは
すばらしい。

心 発見の旅
これが、仏教かな、どうかな?

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2007/02/22

象さん、象さん

おお!なんとぉ!
打てば響くような アクセス数!
200でおどろいちゃぁいけねぇよ、
みたいな数字をはじき出しております。

アクセス数: 232 (前日値:172)
訪問者数: 92 (前日値:79)

すごいなぁ!
また、おどろいたら、300になってるかも。。。

こら、チョーシにのらない、管理人。

は、すみません。
でも、こうなったら
何か、書かなきゃね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

先日、アフリカ象のでてくるテレビを見ていました。

よく、インドの経典などにも象がでてきます。
象は、発情期や危険なときなど
興奮すると、こめかみから汗をを出す
というようにかいてあります。

あれは、ほんとうなんですね。

アフリカ象も、何か危険なことがあって
緊張したり興奮すると
ほんとにこめかみから
汗のような分泌物が出て
濡れていました。
かなりたくさんでているので
はっきりわかります。

アフリカ象は
雌だけで家族集団をつくって
子どもを守りながら群れで行動します。
子どものうちは、雄も入っていますが
大きくなると、抜けていきます。

仲間は、意思の疎通も良好です。
きめ細やかな愛情を家族にそそぎます。
危険になったら一致団結して向かっていきます。
リーダーは危険を顧みず、集団を守ります。

ううううん、最近の人間には
見あたらないものばかりだなぁ。。。
学ぶところが、多すぎる。。

もし、これをビデオに撮って
中学・高校で見せるとしたら
なんの科目がふさわしいでしょうか。

生物
倫理
社会
外国語
道徳
地理

ぜんぶ、あてはまりますねぇ。
どの時間にも、いい教材だと思うわ。

え?

外国語ってのは、どうだ?
ですって

もち
象語の時間で
OKよ。

象は言葉をもっているんですもん。パオーン!

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2007/02/21

考えるシュフ

久しぶりにアクセス解析でも、チェックしてみますか。
おおお、すごい!200を超えた日もある。
最初の数字が「訪問者数」で、あとの数字が「アクセス数」です。

2007年2月14日(水) 65 135
2007年2月15日(木) 67 122
2007年2月16日(金) 65 151
2007年2月17日(土) 69 209
2007年2月18日(日) 69 175
2007年2月19日(月) 60 137
2007年2月20日(火) 79 172

たいしたこと書いてないのに
すみませんねぇ。

もう少し波乱に富んだ人生おくった方がいいかしら

って、それもたいへんそうです。

なんで、アクセス解析を思いだしたかというと

「ひじる日々 東京寺男日記」

仏教ブログ ランキングというのがあって、
アクセス数を競う大会(?)があるのを知ったのです。

で、参加している寺男さまにご協力して
毎日、1回クリックしに行くのでした(笑)。
ついでに、他の人のサイトにも行って見ています。
いろんな人のサイトにいけるのでおもしろいですね。

そんなわけで、うちにもアクセス解析って、あったっけな
って、思いだしたわけなのです。

ろくに更新してないのに、多くてビックリよ。
心苦しいわね。

なので、むりやり書くのです(笑)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、仏教の深い森に分け入る管理人ですが
ほんとに森の入り口付近で、ちょろちょろしてただけ
ということを知りました。

でも、入り口でちょろちょろする管理人にも
それなりに、言い分、っつうもンがあって、
心ひそかに、こんなことを思っていたのでした。

龍樹を研究し、龍樹の著作を読む人達は多いのですが、
多くの人は
『方便心論』が、龍樹作だとは知らずにいる。
それから
『廻諍論(えじょうろん)』も、詳しく研究されていない。
だから
龍樹の論法は、あんまり知られていない。
なのに
『中論』は、よく読まれている。

ということは
どういうことだろう。
『中論』だけで、龍樹がわかるということは あるのだろうか。

もし、わからないとすれば、
『方便心論』は、ろくすっぽ読まれたことがないのだから
み、みんな、よくわかってない
ということになる…オロオロ

『中論』だけでも、じゅうぶん龍樹を理解できるなら
問題ないけど…でも、そうなら
『方便心論』の立場は、ないよな

口には出さねど、けっこうドキドキしてたんですわ。
あちらを立てれば、こちらが立たず
って、感じですもんね。

それで、答えはどうなんだ?
でありますが、

よくわかりません。

なくても、後代の大乗仏教の数々の経書は
龍樹の影響も受けながら
ブッダの教えをはずれず、しかも、自由に展開している。

『方便心論』なんて、なくたっていいんだ(ぐすっ)
という気もして、いじけそうですが

でも

何か足りない気もする。

ディグナーガやダルマキールティの論理学は
ニヤーヤ学派の影響を受けたものだ。
(誰も、そう言ってないけど)

龍樹から直接きたわけじゃない。

仏教論理学という名で呼ばれる学問体系は
他の大乗仏教の思想から、
ちょっと距離をおいたところにあるのは、そのせいだろう。

『方便心論』と『中論』の二つの論法を
一緒に学び受けつぐ人がいなかった
ということは、とても大きな痛手のような気がする。

中観派が、帰謬論証派と自立論証派に分かれてしまうのも
そういうことなんだね。

両方あわせて使える人がいなかった、ということだもんね。

こういうことから考えると

仏教では、
どんなものでも
どんなにいらないもののように見えても
捨ててはいけない
ということだわね。

「もったいない」となんでもしまっておく
おばあちゃんみたいなタイプでないと
仏教をものにすることはできない

というわけなのか。。。

主婦向きの学問でよかったわ。

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2007/02/20

ぶっきょう、おそるべし!

空海先生の『弁顕密二教論』を
しみじみ読むことにする。

しみじみ
しみじみ

読んでいるうちに

『守護国界主陀羅尼経』という経典が出てくる。

お!図書館からちょうど借りてるのだっ!
ラッキー!とばかりに
こちらも開いて読んでみる。

え?!ものすごくむずかしい。

読んでるうちに、おかしな感じになってくる。。
空海の『弁顕密二教論』にもどっても
なんとなく、おかしな感覚がする。

ものすごくふかい。。。ような気がする。
だって、
経典みずから、空海みずからが、そう言ってるんです。

むずかしいっ、ってね。

なんと、あの龍樹先生が、一瞬色あせてみえるほど
何か難解で微妙なことが書かれているようだ。

まいっちゃうわね。

密教は、さらにむずかしい世界なのか。

まずい、まずいわよ。
それじゃ、
はまっちゃう。

龍樹をある程度やったら
ニヤーヤ学派にもどる予定だったのよ。

ああ、このままずるずる
大乗・密教といくなんて

まずいっ

けど

行くな、こりゃ。。。
あり地獄にはまった蟻のようだす。。ぬ、抜けられない

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2007/02/17

蜘蛛の糸

バタバタしております管理人です。

確定申告の手引きを熟読しながら
税金の仕組みをマスターするのでした。

年々進歩する管理人です。

今にして思えば、
二年前は、税務署に行って、
言われたとおりに書き込むだけでした。

昨年は、インターネットの確定申告の
計算フォームを使ってやってみました。

今年も、同じ確定申告のページに行ってみると
電子なんとか、と書いてあったので

くらっ!っとなって止めました。

覚悟を決めて、マニュアルどおりに
原始的に計算してみたのです。エライぞ。

どんなに少なかろうと
税金は、納めていれば 納税者だいっ

はぁ、つかれたよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、お客さんとのおしゃべりで
おもしろかったお話。

芥川の短編「蜘蛛の糸」の話になりました。

カンダタという極悪人が地獄におちてくるしんでいました。
でも、かれは一度だけ蜘蛛を助けてよいことをしたのです。
そこで、お釈迦さんが、極楽から蜘蛛の糸を垂らしたのです。
カンダタは、それにすがりついて、極楽への道を上っていきました。
ふと下を見ると、地獄で苦しむたくさんの人が
カンダタのあとから登って来るではありませんか。
「おい!オレの糸だぞ!みんな登ってきたら、切れてしまう、登るな」というと
かれの頭の上で糸は切れて、また地獄におちてしまいました。


仏教にまつわるこんな話をしていたら、
「イスラムじゃ逆だよ」と言われました。

ムハンマドが追われて洞窟の中に隠れたら
蜘蛛たちが、せっせと糸を張って
洞の入り口をふさいでくれたのです。
蜘蛛の巣が張った洞を見て、
こんなに糸が張っているのだから
なかに人がいるはずがないと
追っ手は、調べずに行ってしまいました。

かれは蜘蛛に助けられたのでした。
だから
イスラム教の人は、蜘蛛を大事にするんだそうです。


おもしろいですね。
蜘蛛の糸というのは、
いろんな想像と創造をかき立てるのかな?


わたしの知ってるもうひとつの話は
蜘蛛になったアラクネ、ギリシア神話です。
女神アテナより機織りが上手いと、奢った人間アラクネは、
女神アテナと機織り競争をして、
アテナの怒りにふれて、蜘蛛にされてしまうのです。

お!
貪・瞋・癡 になってませんか?

欲を出したカンダタ
怒りにふれたアラクネ
愚かだったムハンマドの追っ手(これは、ちょっと、かわいそうかな)

蜘蛛の糸で貪瞋癡を学んでみました。
決まってますね、ふふ。

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2007/02/13

カレーをおいしく作るには。。

お客さんが続いて、ちょっとあたふたする
管理人です。

年末大掃除を
今ごろしてみました。

ラジョー・ハラナン
ラジョー・ハラナン

換気扇の油汚れを
ぜんぶ落とした。

悟った!のです

油落としのアラ勘を得る。
アラ勘、って?

見ただけで、どのくらい
前の油か、あらあら分かる勘を、得たのです、、

はは。。。すばらしい

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最近、ヒットだな、と思うもの。。。

前から書きたいと思ってましたが
龍樹本で、頭がいっぱいでした。

余裕のある今、書いておこう。
わたしの好きな100円ショップで買ったヒット商品。

たまたま、寒さしのぎに入った 
100円ショップで
見つけたのが、

100円なのに
とっても大きなターメリックの小瓶。

大きな小瓶って?

ふつう日本製のは、
小瓶は、ほんとの小瓶で
ものすごく小さい。

8.8gしか入ってない。
でも、100円以上する。
値段忘れたけど。

でも、タイ製の小瓶は
大きくて
45gも入っていて
100円じゃ。

それに、買ってみて
ビックリしたのは
とても香りがよい。

日本製のは
どんな香辛料を買っても

タイムカプセル臭 という感じで、

数年前にはいいにおいだったよな
というにおいがする
遠くの方で、かすかににおいがする、ってことね。

こんなことなら、もっといろいろ買えばよかった。

タイの人は、この香辛料で
お料理をしているのね。
おいしく作れそうね。

最近、カレーを作ると
売れゆきいいすね。

みなさん、緑のフタの瓶だから
見つけたら試してね。

じゃ、また、お客さんなので
バイちゃ。


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2007/02/07

何やってんですか、管理人さん!

なんとなく 日々 
つれづれ がさごそ ずるずる 
と、暮らす 管理人です。

みなさん!こんにちは!

本書いた
本書いた

いい響きだなぁ

それに三つ仕事もした

残りは、あと四つ

あらん、なんで増えてるのよ。
シラバス作って、授業の準備しなきゃ。。。
って、思ったけど

読もうと思って読めてない本を
ぱらぱら見ていたら
止まりません。

頼富本宏『空海』にはまりつつ

『大智度論』をお終いから
逆に読むとどうかな
と思って
おしまいから読んでみる。

『理趣経』と『梵網経』を見ながら
『倶舎論』を開いたところを
当てずっぽうに読む。

そうこうするうちに
『仏教文学集』という本を本棚から見つけて
なか見てたら
お!空海
『三教指帰(さんごうしいき)』があるじゃないですか。

へぇ、こんなん、あったのか

『華厳経』の入法界品
『金光明経』も
岩本裕氏の訳で飛ばしながら読んでみました。

はぁ、気分は大乗~~
『倶舎論』が入ってるのが、ちょっとなんですね。。。
まぁ、いいか(笑)

で、

さて、フィーリング・ブッダ、って言葉も
あったよね
って、思いながら

もういい頃かな

と思って

原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の和訳
『神々との対話』
『悪魔との対話』

これらを開いてみる!

おお!新鮮!
今までとちがう原始仏典が見える。
こ、こんなに、原始仏典て、大乗っぽかったんだ。。
って、ことはないですが、

今まで読んでも気づかなかった
隅々に光りがあたって、ちがう経典のようです。

ウム!阿含は、原点ですね。。。
あらゆるものが入っている

それにしても、大乗仏教は、こうしてみると
めちゃ、むずかしい。。。

新しい経典の読み方を試してみました。
みなさんも、やってみ。。。
。。。
。。
ない方がいいかも(ははは)。


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