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2006年11月

2006/11/29

本棚だって太るわ

机のわきの狭い本棚、すごく悲惨でした。

本棚の後ろの背板が一部とれちゃったので、
両脇の板が、たわんできて、
カーブになってました。

そこにむりやり本詰め込んでぎゅうぎゅうにしたら
本棚のくせに
なんか太ってきました。

机の前に座って横見るたびに
この本棚太ってきたなと
思ってました。
触るとゆれるし。

太りすぎで
棚板が落ちてしまったので
本やノートやコピーの資料をつんで
その上に棚板を置いて
本載せてました。

出したり入れたりがたいへんだった。
ゆらゆらゆれるので
地震が来たらわたしの上に崩れるかも…
と、心配しながら。

しか~し、崩れる前に
とうとう本棚を替えたのです。
40㎝の幅しかないけど天井まである。
奥行き15㎝。

いいわぁ、ゆれない、きれい。
しかし、いいことばかりじゃない。

あらっ、こんなにノートやコピーが…
段ボール一個分は、はみ出ちゃった。

こうしてみると
太る本棚ってのも、なかなかよかったわねぇ…。

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2006/11/26

天上天下唯我独尊って?なに?

龍樹本です。
方針を少々切り替えました。
今までは

「好き放題に書く」

という方針でした。

で、切り替えた方針は?

「もっと」好き放題に書く

です。
かわってんでスカ?

もち!変わってるわよ。
でも、ちょっと好き放題もすぎたかしら、って思うので
その部分をここに載せてしまおう。

なんか、無意識に書いたんだけど
考察が甘いのと、それと、でも、ちょっと突いてるところも
あるので
お待たせしているみなさまに
お暇つぶし に、読んでください。

       ********

 ブッダにかんする誤解されやすい表現として、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」がある。ブッダは生まれるやいなや、七歩歩いて右手をあげこの詩句を述べたと伝えられている。この詩句の意味するところは、「天の上にも下にもわたしが最勝である」ということである。生まれた瞬間から、自分は最高であると述べるとは、なんたる傲慢なことだろうと解釈されてしまうため、仏教徒泣かせの表現なのである。そして、「唯我独尊」は高慢な態度を形容する言葉になってしまっている。

 この言葉をどのように受け取るかで、ブッダ論理学と西洋論理学の立場のちがいをいくらかでも示すことができるのではないだろうか。(ここがあまいよな!)

 すぐ「なんて傲慢なんだ」と思ってしまった人は、「どんな人にも最高などということはありえない」と考える人である。人間は不完全なものであって、「自分が一番」などと言えるだけの根拠をもつことはできないと思うのである。そして、「人間は不完全」というこの考えは絶対なので、「わたしが一番だ」という人に対しては、即「傲慢」とするのである。そう言っても、自分は間違うことはないと確信できるからである。この世において完全であるということはありえない。これがこの人の思想である。
(ここに、一つ問題見つけた!「人間は不完全」と思う人は、自分の「人間は不完全」という意見を不完全とは思わず、絶対的に主張する、という点。ある意味、矛盾してる。)

 もう一方には、このように考える人もいる。「わたしが最高だ」というこの人は何者なのだろうと思い、本当にそうなのか確かめてみようと思う人である。「人間は不完全だ」という思想をもたない人である。「彼が何か最高のことを知ったのかどうか自分自身で確かめよう。わたしは、彼が一番かどうか確かめることができる」と思うのである。その意味では、自分の能力も不完全とは思っていないわけである。

 さて、傲慢だと思ってそのままずっとそう思っている人は、基本的に西洋論理学の思考法によっていると考えた方がよいだろう。不完全なのは人間である。世界のあらゆることを知ることは難しく、わたしたちはこのすぐれた現代科学によってさえ帰納的に真理に近づいていくのみなのである。
(こう言えるんですか?自分でちょっと疑問。神をもつ人々の思想から来るのもあるかもね。神は絶対で、人間は不完全という思想です。)

 一方、ブッダの「一切智者である」という言葉にも、それほど抵抗を覚えない人は、ブッダ論理学を含むインド論理学の思考法が向いている。「一切」を知るということも、ありうるだろう。物事を演繹的に見るとき、根本の原理から出発すれば、広がる世界もその原理のもとに制御されるはずである。真理は、がんばれば手にすることができるかもしれない。
(こっちは、まぁ、これでもいいかもね。)

         *********

以上の意見
当たってないわけでもないと思うのですが、
もう少しピタッと決め球をなげたいすよね。

で、これはボツにしました。

でも、びっくりしたことが一つある。
「天上天下唯我独尊」の解釈。

辞典などいろいろ見ましたら、

「この言葉の真意は、つまるところ、
だれであろうと『私という存在』はこの宇宙の中でかけがえのない唯一の存在のだということ。
一人ひとりの命の尊さを示す仏教の教えがこめられていることばなのである」

とありました。

ひぇー!こりゃないですよ。
かなり苦しいいぃぃぃ。
どの人にも「天上天下唯我独尊」があてはまるなら、
みんな「オレが、オレが」の世界になってしまうのじゃないでしょうか?
つまり「私の命が一番大事」という思想ですよね。
ここを起点に、このまま思想展開すると、すごいことになりそうです。

なので

私の書いた文章の中で、一つ真実を突いていたことが判明しました。

「生まれた瞬間から、自分は最高であると述べるとは、なんたる傲慢なことだろうと解釈されてしまうため、仏教徒泣かせの表現なのである。」

うーん、ほんとにこれまで仏教徒泣かせだったのですねぇ…

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2006/11/24

若者は、今…

あまりうるさいこと言わないことにしてる
寛容な(?)教師Aです。

哲学は、うるさく言うといけない。
お説教みたいになってしまう。
自由に考えてもらわないと、と、思ってたのですが…

ここ数年、思わずうるさく言いたくなりそ、で、
ぐっとガマンする日々が多いのだった。

(問題)悪い王様が、あなたに、正しくないと思うような命令を出しました。
あなたは従いますか?どうする?

一応、「自由意志」に関連する問題なんですが…

意外と多いのが
王の命令なんだから
「従うもんだ」という答え。

(問い)え?一も二もなく従っちゃうんすか?!
(答え)王の命令は逆らえないです。

(問い)え?では、あなたの自由意志は働いているとは言えませんね?
(答え)いや、「従わなきゃダメ、逆らわない」という自由意志も
働いているので、そうしているのは自分の責任ということになります。

(問い)え?「逆らわない」というのはあなたの自由意志!なんですか?
「従うもんだ」っつうてるのにですか???ま、ええか。
じゃ、悪い王が転覆して、王に従ったあなたも糾弾された場合はどうですか?
「何であんな王に従ったんだ」と言われて牢屋に入れられたら?
(答え)それも、僕の責任です。仕方ないです。

うう~ん、なんだか、ヤケにものわかりよすぎます。
為政者にとっては、ありがたい人民のような気もする。

今の若者は、そんなに自己犠牲的なのか~、って思ったあなた。

でも、どうもそうじゃないんだわね。
権力にはすぐ従ってしまう側面をもちながら
何か
その権力を自分の傘にしてるようなところも見える。
いかにうまく立ち回るか、って、気配も感じるところがなぁ…

な、なんか処世術、わたしよりうまくない?
この国は、どこに行くんでしょう?みたいな気持ちがしてくる

でも、中には、
王様と話し合って説得するとか、
断固従わないとか、
みんなの意見に合わせるとか
自分ならガマンできるけど大切な人に危害が及ぶならいやいや従う
とか
いろいろあるのが救われる。

あらゆるものから自由だったお釈迦さんが
懐かしい!
「自己を捨てるな、自己を与えるな」
と言ったお釈迦さんが
恋しいわ!

自由意志はどこまでも貫けるのだよ!

若いんだからさ、
年寄りじみないでほしぃわよ。

最近、なかなか哲学にならなくて…さびしいわね

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2006/11/22

詭弁ぽいほど龍樹らしい

ようやく雪が降りました。
長かったなぁ、11月も下旬に入っているのにね。

長かった、といえば、こちら、龍樹本。

お待たせしております。<(_ _)>

龍樹本は、少し進んで、半分弱。
やっかいなところが、ほぼ終わった。

来るだろうなぁ、という、反論を封ずるために
すごく力んじゃったから、がちがちじゃ。

反論きたら、かじるから、みたいなかんじ…
でも
反論こなくても、かじるから、みたいなとこも…

反論一つもない、って、さびしいし
でも
反論だらけってのも、問題感じるし

複雑ねぇ

そうだ!あらかじめ、反論の回答集を作っておこう。
きたら、すぐ反論に応答できてラッキーだわ!

反論として、まずありそうなのは
「この解釈は間違っている。こんなことは、龍樹は言ってない」
回答
「龍樹の文章は空だから、つじつまあえばよいのです」

反論
「○○氏の龍樹説を検討していない。不十分だ」
回答
「○○氏の説を検討しない研究方針なのです」

反論
「ほかの龍樹の本とぜんぜんちがう」
回答
「同じだと盗作になるので、ちがうのです。」

反論
「本当に龍樹がこんなこと言ったとは思えない」
回答
「龍樹ですから、あなたの想定外がふつうです」

反論
「龍樹なのに、理屈にあってるのはおかしい」
回答
「龍樹だから、理屈に合っているのです」

反論
「龍樹なのに、理屈に合わないのはおかしい」
回答
「龍樹だから、理屈に合わないのです」

反論
「この本は、龍樹作と言うのは疑わしい」
回答
「疑わしい本ほど、龍樹らしいのです」

調子いいわね!反論・回答集。

え?何ですか、、、
詭弁ぽいとこ、だんだん、龍樹に似てきてるって?

詭弁ぽいほど、正しい龍樹研究の成果なのです。

何かなぁ、
墓穴を掘ってるような気もしてきたりして…

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2006/11/21

龍樹心と秋の空

えび天サンバさまの鋭い眼力に敬服
ママならぬ秋の夕暮れ、って言われちゃった管理人です。
(19日コメント欄より)

ぴったり当たっていることを 知るのだった … う

と申しますのは …

   *********

久しぶりで、龍樹本にとりかかる…

あ、間違えた…今まで、書いたところを読んでみる

すっかり忘れているんで、新鮮だ(オイ!)

え?そうだったのか…とか思うのはいいとして(オイ!)

む、むずかしすぎて、何言ってるのかよくわからん(オイ!)

どうしよ(オロオロ!)

もんのすごく、
肩肘張ってるのが、
我ながらよくわかる。

昨日は肩肘抜けて喜んでたのに…
まずいわよ(ママならぬ…う)

   *********

龍樹なんだもん
むずかしいんだいっ!

と開き直るか

龍樹なんだから
わかりやすしませんとっ

と書き直すか

   *********

どっちかでしょう。

どっちにしよ…やっぱ、楽な方で…(オイ!)

とりあえず
これから、
どんどん肩肘抜くことにしよ(えい!ママよ)

鋼鉄のよろいを着た龍樹が
どんどんよろいを脱いで
最後は
ボロの袈裟一枚

こんな感じの本にしてみよかな…

してみよかな、って、管理人っ!

無責任すぎるぞ!
そんな本、誰も買わないと思うぞ!

まま、おさえて、おさえて
変なところで、肩肘抜けてるんで
きんちょーかん、でまへんのよ

ままになる~なら~、いまい~ちぃ~ど~♪

だいじょぶですか?管理人っ!

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2006/11/19

世間を知るコツ、君に伝授しちゃうから

じつは、先週(日曜から今週として)は
ハードスケジュールだった…
(てんてんはその余韻です)

切り抜けられるか、あまりに不安で
日記に書けませんでした。

火曜から土曜まで、いろいろあったので、
授業がすっかり「肩肘ぬけて」ました。

ん?調子よくない?!
なんかさ…
(てんてんは疑問のこころ)

なんだ!いままで気張りすぎてたんかな…
(てんてんは複雑なこころ)

つらつら考察するに、

管理人もようやく
「世間とまじわる」ということを
知った
ということでしょう…
(てんてんは「あきれた余韻」)

~~~~~~~~~~~~~~~~
アレクサンドル・デュマの名作
『モンテクリスト伯(巌窟王)』では

主人公のダンテスが、無実の罪で
シャトーディフの牢屋に14年間つながれます。

死にものぐるいの逃走劇で
その牢を脱出し、
ダンテスは、自分を陥れた人々への復讐を開始するのです。
名は、モンテクリスト伯として…
(てんてんは、わくわくどきどきです)

(クリちゃん、君煩悩ありすぎ、ってのは、今はおいといて)

~~~~~~~~~~~~~~~~
で、管理人思いますに、
14年間外界と遮断されてたら
突然貴族やっても、
「世間」から
浮いちゃうんじゃないか
ってことです。

「世間」の常識をマスターするのに
何年もかかるのでは?

そんなにうまいこと
復讐できないんでは?

このように心配する人がいるため
物語の中では
ファリア法師という牢屋仲間の知恵者に
知識を授かることになっています。

やっぱり、話ができすぎです…
(てんてんは、物語ですもんの気持ち)

~~~~~~~~~~~~~~~~
で、何が言いたいかというと

管理人もシャトーディフではないですが
14年子育て修行した結果
「世間」がいまいちつかめません。

ファリア法師もいないので
あたって砕けろ です…
(てんてんは、砕けたこころ)

で、砕け尽くした結果、
気を張っていた心が消えました…
(てんてんは、もしや?悟りっでは?あまい!!の境地)

つかめなくていいのだ
ホントはないんだから

と、わかったら
気が抜けてちょうどよくなってきたような。

「世間」知らずの
自称モンテクリスト伯として
わかったことが一つだけあります。

   ****
(わたし的正解)

「世間」は虚像です。

だけど、
「世間」は、虚像だと
知ってる人と
知らない人が
いる

ということです。

  ****
(世間的別解)

「世間」は実像です。

だけど、
「世間」は、実像だと
知ってる人と
知らない人が
いる

ということです。

   ****

じつは、どっちもでも、可です。

(わたし的正解)
「世間」は虚像なのに、虚像と知らない人
(世間的別解)
「世間」は実像なのに、実像と知らない人

このような人々には、とても生きにくいのが、世間です。

ということは、

すべての人にとって
世間は、生きにくいのです。

   ****
これが「世間」を知った管理人の結論です。

久しぶりに、

すっきりした

結論だったなぁ…ん?

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2006/11/16

二人の聖者ブッダとイエス!

公開講座も、無事終了しました。
たくさんの方にきていただいて
ありがとうございました。

わざわざ来ていただいた方もいて
申しわけないような…
だって、こんな話ですもん、(どんな?)

いやぁ、
もう少し、うまく話せなかったかしら
と、反省しきりでございます。

仏教とキリスト教

むずかしいですね。。。

神をもたない宗教 仏教
神のかわりにあるのが、縁起の理法

こういう視点を打ち出してみましたが
いまいち、詰めが甘かったでございます。

ブッダは、理法で
理法は、ブッダ

このあたりも、もっと強調したかったですが…

では、ちょっとだけ、イエスとブッダの比べッこ、してみますか?
こんなんなりました。

      **********

ヤサの出家のあと、友人など続々出家し、61人の阿羅漢が生まれました。
ブッダは、伝道を宣言します。

「今や多くの人々の利益と幸福のため、世間を憐れみ、その利益と幸福のため、諸国を巡り歩くがよい。
一つの道を二人して行くな。
初めもよく、中頃もよく、終わりもよく、正しい道理と表現をそなえた法を説くがよい。すべてにゆきわたれる清らかな修行を教えるがよい。…」(増谷文雄『仏陀』角川書店)

      **********


同じように、イエス・キリストは伝道に72人を派遣します。

「主はほかに七十二人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。…
わたしはあなた方を遣わす。それは狼の群れに子羊を送り込むようなものだ。…

どこかの家に入ったら、「この家に平和があるように」といいなさい。
その家に泊まって、そこで出されるものを食べ、飲みなさい。
働く者が報酬を受けるのは当然だから。家から家へ渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される食べ物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなた方に近づいた』と言いなさい。」(ルカによる福音書10.1-9)

      **********

同じような伝道開始の場面ですが、対比してみるとおもしろいですね。
ブッダは、「二人していくな、一人でいけ」と言い
イエスは「二人でいけ」と言っています。

イエスの伝道には危険が及びそうな気配が漂います。
イエスの弟子を案ずる気持ちが、「狼の群れに子羊を送り込む」という表現になっています。
ブッダは、阿羅漢である弟子たちに、「世間を憐れんで、諸国を巡れ」、と励まし
おそれを抱いている様子はありません。

また、イエスは、家に入ったらそこに泊まって食べ物を食べて飲みなさい、と言い、
それは仕事の報酬なのだと言います。家から家へ渡り歩くなとも、言います。
ブッダの場合はちがいます。報酬は受けてはいけない、家から家をまわって、乞食がルールです。
家に泊まることは基本的にありませんね。

イエスの伝道には危険がついて回るが、ブッダの布教にはそこまでの危険はない。
イエスの場合、報酬として食事を受けるが、ブッダの場合、布施として食べ物をえる。

二人の聖者は、考える基盤がどこか共通であるように思います。
そうでなければ、ここまできれいに対比的にならないのではないかな、って思いました。

キリスト教もおもしろいですね。
北星学園の山我先生のご著書『雑学3分間ビジュアルシリーズ 聖書』PHP研究所 拝読中なり。

先生曰く「3分間、っていうのは、本一冊3分で読めるってことじゃないですからね。
図の入ってるページと本文の見開き2ページが3分間ですよ」

え?そうなんですか。さすがに200ページを超える本だから3分は無理か。
でも、2ページ3分ってことは、100×3=300分かかるってことね。
ってことは、5時間!そんなにかかるんだ。

しかし…

じっさい読んだら、3分じゃ終わらないや。10分くらいかかっちゃうよ。

となると、18時間以上かかる!? 
ううむ、かる~くだまされますね。

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2006/11/14

勇気をもって因果を語れ!

看護学校で、論理学をやっています。
ブッダ論理学に、完全移行してから
めちゃ、調子いい!

四聖諦なんて、そのまんま医療の現場に
応用できる。
なんで、もっと早く気がつかなかったんだろ?

「因果律」も、ブッダの公式で教えてます。
そしたら、気がついた!

因果律は、看護師さんの必殺アイテム!
体温計とおんなじくらい、大事なものよ!

患者さんを見つめるやさしくも厳しい目は
いつでも的確に因果を見つめます。

すぐれた観察力で
たちどころに因果を見極める!

でも、問題は、その後なのだ!
因果関係を語る「勇気」がないのだ。
文章にするとき、因果を表すことが、もうできない。

言われたことは、完璧にこなす看護師さん
患者さんにも、やさしく適切に対応できる看護師さん
有能そのもの、看護師さん

だけど、足りないものがある

あなたの、その大事な提言をみんなが待っている
どうすれば、もっと医療がよくなるか
じいっと考えて

因果を見つけたら
おそれず勇気をもって語れ。

みんな、はっきり言うのがこわいので
あいまいににごして、
文の中につっこんじまう。

だから、事実なんだか考察なんだか
わからないような文ができあがる。

「不適切なケアにより痰が口に入らなかった」

これは、因果にならないよ、
文の意味もはっきりしない、ね。

因果を語る言葉は
「これがあるときかれがある」だよ

「適切にケアするとき、痰は口に入らない」のさっ。

論理学の授業で
まさか

「勇気をもって言う気をだせ」

なんて
言うとおもわんかった。

こうなると論理学って

結局、文章の書き方の問題じゃないわね。
結局、人間の生き方の問題だってことね。

ブッダ論理学、バンザイ!

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2006/11/11

公開講座のお知らせ

みなさま、こんにちは、

と、書く日記もないものですが

はたまた

「公開講座のお知らせ」を書く

日記というのもどうなんでしょう…問題感じますが…
まま、気にせずいきます。

札幌の北星学園大学で、このたび、講演をすることになりました。

もっと早くお知らせしようと思いましたが、演題が、
前の7月の在家仏教協会の主催でお話したときのものと
似てしまいましたので、言い出しづらくて…

って、何ですか、それ。

ったく、
変なところで、遠慮するんだから。

話す内容は、これから日夜考えるのです。
だいたいは決まっていますけど、
さらにアイディアを練ってみたいと思います。

平日なので、むずかしいとは存じますが、もしよろしければ
ヤングなあなたも、お出かけください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

演題:『仏教の「論理」-ゴータマ・ブッダの説法を中心に-』
講師:石飛道子
日時:11月15日(水)Ⅱ講目(10:30~12:00)
会場:北星学園大学 C201教室
その他:入場無料

※事前申込みは不要です。直接会場へお越しください。

問合せ先:北星学園大学 エクステンション課
       (℡011-891-2731)

札幌市厚別区大谷地西二丁目3ー1 

アクセス方法はこちらです↓
http://www.hokusei.ac.jp/support/access/index.html#06

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

じつは、数日前に、
また体調を崩しかけ、
「これはマズイ」と
紅茶でうがいをして
ついでにティーバッグを無駄にすまいと
紅茶も入れて飲み
さらに
葛根湯(かっこんとう)を飲んで
ひたすら寝ました。

ハニーレモンも飲んで
ビタミンCもとりました。

脇目もふらずに寝たおかげで
無事、事なきをえて
今日に至っております。

なせばなるっ!

元気になったので
公開講演のネタを
寝ながら考える日々です。

睡眠学習が得意なわたしですもの。
アイディアが浮かぶはず…

果報は寝て待て、なんちゃって。

なんか、管理人、寝てばっかりジャン。

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2006/11/09

火はほのかだからといって見下してはなりません

火はほのかだからといって見下してはなりません。
(『神々との対話』岩波文庫、158-159頁)

この言葉が、いつも頭にあって忘れられません。

最近のニュースで、
「いじめ問題」にかんする悲惨な事件を見るたび
そう思います。

「イジメの実態」調査とか
イジメ防止への取り組みとか
いわれているけど

そんなコトして
イジメがなくならないのは
世界中の誰でも知っている。

カウンセラーをおいたり
専門家を派遣しても
イジメがなくならないのは
世界中の誰でも知っている。

イジメはどこにでもある。
みんなの心に、欲の小さな火が燃えているかぎり
イジメの種は
なくならない。

問題なのは
小さなイジメの種が
大きく育って
大火にならないようにすることだ。

誰かが、
ちょっと勇気を出して
いじめてる子に
「そんなことやめなよ」
と言えれば
事件は起こらなかった。

誰かが
ちょっと気づいて
いじめられてる子に
「どうした?」
と声をかければ
事件は起こらなかった。

子どもが小さいうちは
いじめてる子といじめられてる子のお互いが
イジメとそうでないものの区別は
つきにくい。

気づいたときには
取り返しがつかない。

火は小さいうちなら消えるけど
大きくなったら
誰もが消すことができなくなる。

昔、イジメがあったとき
親のわたしは、「どうしましょ」と思いました。
どうしたらよいかわからなかったけど
してはいけないことは、なんとなく
何かわかりました。

学校に相談してはいけない(事なかれ主義で御都合主義だったから)
よそのお母さんに相談してはいけない(みんなに広まってしまうから)
当人の親にもいってはいけない(どうなるかわからないから)

両方の子どもがひどい目に
あわない方法は?
そして
悪いことと良いことがわかるためには?

本人にいいました
「○○ちゃん、うちの子いつも叩いてる?」
「うん」
「こんどから叩かないでね」
「うん」

イジメはイジメと気づかれないうちに
消えていきました。

イジメ実態調査をするということは
みんなの心にある
イジメの種を
燃え上がらせることになりはしないだろうか?

ほんとに、相手を大事に思うなら
小さい火のうちに
自分で消すように
気づかせることだ。

ほんのちょっとの勇気と
ほんのちょっとの注意で

イジメの炎は
消えていく。

イジメと
火は
どこにでもあるのだから
誰もが注意しなければならない
ということです。

網でからめとり、
多くのものを貪り食う火が
黒い燃えさしに残っているのを
小さいからといってあなどってはならない
軽蔑してはならない
火が薪を得たならば
火の勢いは大きくなって
近づいてくる愚かな男女を
直ちに焼いてしまうだろう
(『神々との対話』岩波文庫、159頁)

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2006/11/07

すすめ!すすめ!龍樹よすすめ!

「論理」というだけだったら
龍樹の本はもう書けてるんだけど

「仏教」ということがからむと
龍樹は、とてもむずかしい…

って、

「仏教」がからまないと
龍樹にならないですねぇ

ははは、何言ってンでしょ。

インターネットで、昨日、なんとなく
龍樹や仏教関係のサイト検索していて

みんな、すごく、悩んでるんだな

と思いました。

2500年間続いている 
仏教の教え

これって、何でしょうか?
お釈迦さんは何を説いたんでしょ?
大乗仏教は、どうして出てきたんでしょ?
何でお釈迦さんとちがうこと説いてるのに
大乗仏教は仏教なんでしょ?

みんな真剣に考えてるんですね。

『ブッダ論理学』の本を読んでくれて
目からウロコが落ちてくれてる人もいました。

で、

ブッダ論理学に、気づいてくれた人が
そうなると、龍樹はどうなんだ?
と、疑問を出していたので

こちらは、あら?と、逆にびっくり!

え?おんなじじゃん!
おんなじに、なりまへんか

ううう~むむむ
龍樹本に、書くことが少しわかったぞ

論理だけなら、骨組みだけね
骨組みだけじゃ、よくわからないということね

ブッダと龍樹はおんなじことを説いてます

とか

こういうことを書かなくちゃダメだ

とわかったのだった。

たぶん、みんな、『方便心論』も読みにくいと思う。

読みにくいのは、
これが
仏教の教えのどこにどうつながってるのか
よくわからない
ということなのね。

きっと、そうね!

なんだか、わたしもにぶいわね。

龍樹本が進まないのは
いろんな人のいろんな要求に
答えようとして
いろんな方向に
拡散するからなのよ…

こら、人のせいにしちゃいかんよ

カメの歩みは、40%弱
すすめ、すすめ、龍樹よ、すすめ!

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2006/11/05

「ブッダと問答」ご感想感謝

おおっとっと

ajitaさまのサイト「ひじる日々 東京寺男日記」
http://d.hatena.ne.jp/ajita/

11月3日の日記の中で

『在家仏教』に掲載されている

拙稿「ブッダと問答」が

ほめられてます(^O^)。
どうも、ありがとうございます。
うれしいですぅ。

ほめてもらうと、
「ああ、良いもの書いたんだ」とわかります。

ということは、
自分では
いいのか悪いのかよくわからないのです。

すごくあたりまえのことを書いたような気がして
つまらないんじゃないかと思ったり

思い直して

いや、こんな意見は聞いたことがないから
発表する価値はあるんじゃないかと思ったり

千々に乱れるのでありました。

ところで、ajitaさまの
「初転法輪に関するこんなクールな解説ははじめて読んだよ」
というご感想に

ちょっとビックリ。

ありっ?クールでしたか?

わたしとしては、もう、思いっきり
ホットなイメージで書いたんですが(笑)…

講演会には、
ウェット・タイプとドライ・タイプの二種のお話を用意して

お話を聞いてくださる人にあわせて

使い分けようと思ってました。

で、年配の人が多かったこともあって

ウェット・タイプのお話になってます。

なので
自分としては
「しみじみ苦労人のお釈迦さんを偲ぶ会」
って、感じの話題にしているつもりでした。

でも現実には「クール」だったということは…

うう~ん、ドライ・タイプにしなくてよかった、ってことね。

ドライ・タイプは
「ばりばり働くお釈迦さんを称える会」
って、感じの話題になるところだったのでした。

もしドライ・タイプだったら、
これを読んだajitaさまは、
きっとこう言わなきゃならないにちがいない。

「初転法輪に関するこんな『コールド』な解説ははじめて読んだよ」

「コールド(お寒い)」な話じゃ…まずいわよ…
よかったわ、ウェット選んで…ほっ!

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2006/11/03

ギョッとするお話

昨日の夜のことでした。

ピンポーンとなったので
出てみると

おとなりの奥さんが

「すみません、ほんとにすみません
いいですか、
もらってもらえますか
うちにもまだこれ以上あるんですぅ」

と悲愴感いっぱいの様子で

サンタクロースの袋のような
大きなビニール袋を
くれました。

お、重い!
中には、ギョ!

あたり!

魚(ギョ)が大量…

大漁だったのね。
おとなりのご主人の趣味は釣りです。

ホッケという魚が20匹
柳の舞(やなぎのまい)が2匹

昨日、食べたのが
柳の舞、やっと1匹。

あと21匹なんとかしなくちゃ…

おお、我が家にも
悲壮感がただよってきました。

魚の処理に悪戦苦闘
おかげで
二枚おろしをマスター
しちゃった。

それはいいけど

あとは龍樹本を書く力なく
疲れて
寝てしまいました。

~~~~~~~~~~~
プクプク…プクプク…
水に沈んでいきます。

ホッケの顔が龍樹と重なって
龍樹がホッケの顔になってます。

そんでもって
龍王に連れて行かれた
ホッケの龍樹は

海の底の竜宮城で

ホッケ経を読んでます。

龍樹!

悪いジョーダンよしてよね。
~~~~~~~~~~~~~~

あんまり毎日龍樹のこと考えてたもんだから
どんなことがおきても
龍樹と結びつくようになっちゃったらしい。

速く本書いて安眠したいな…

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