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2006/04/30

『スッタ・ニパータ』考

『スッタ・ニパータ』(中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫)は

むずかしい経典である。

最も古い経典ということになっている。
ブッダが語ったことばもそのまま
含まれているかもしれないと
言われている。
とくに第4章と第5章は古く成立したと言われている。

この経典の成立が古いのは、それはそれでよい。
古い語形を残しているといわれるなら、
そうかもしれないと思う。
その点は、別にとりたてて疑問はないのだけれど、

しかし、どうもわからん。

もし、そうなら、
ブッダの教説は
最初から
完成していたことになるのではないか。

『スッタ・ニパータ』は、経(スッタ)を集めたものだ。
スッタは、教えの内容を短いことばでまとめたものである。
「スッタ(経)」が、説かれたということは、
すでに、その思想内容は完成されていたと見なければならない。

スッタとは、教えの要点をまとめて簡潔にしたものだからなのだ。
つまり、背後には、膨大な思想の体系がひかえている。

現に、わたしの見たところ、詳細は省くけど
その内容は、
『ディーガ・ニカーヤ』
『マッジマ・ニカーヤ』
『サンユッタ・ニカーヤ』
などに説かれている
重要な教説をすでに含んでいる。

また、
内容は、各章、ヴァラエティに富んでいる。
でも、
章の中の内容は一貫してまとまっている。

この点も、背後にきちんとした体系があることをにおわせる。

さらに、この経典は
ブッダと弟子
ブッダとバラモン
の間で説かれたものも多く

その内容は、ちょっと見た目には
わからないかもしれないが
相当に高度な論理的な内容を含んでいる。
また、
教義的に専門的な内容を含んでいる。

つまり、いずれにせよ、プロ同士の会話なのである。

一方的にブッダが弟子に語るものもあれば、
ブッダとバラモンが論議をする場合もある。
それは、シビアな哲学問答である。

そんなこんなで考えると

第五章にでてくる
ブッダの三十二相も、
何かそこに関係してくるような気がする。

互いに、相手が本物か、
腹の探り合いを表したものと見ることができるのではないか。
質問し答えるのに、ふさわしい相手かどうか
互いに探り合っている真意は、当人同士でしか
わからないだろう。
非常に微妙なものだと思う。

「どこまで知っているのか」
「答えを求めても大丈夫か」

「相手は何を求めているのか」
「本当に答えても大丈夫か」

そのあたり、まず話をはじめる前に
お互いしかわからないやり方で
探り合うのであろう。

それをハタで見ていた人たちは、
その様子を
三十二相のような特徴を探すような
話として残していったのではないだろうか。

このあたりは、まだ、推測だけれど。


『スッタ・ニパータ』は

「仏教が発展する以前の簡単素朴な、
最初期の仏教が示されている」(p.438)

と、中村先生は述べているが、
これはちがうのではないだろうか。

この内容で、沙門、バラモン、仏弟子の人々を説得できているのである。
簡単素朴ということはないのではないか。

ぎりぎりの線で火花を散らす
智慧の応酬のようにみえる。

智慧の応酬になると
表現は互いにわかりさえすればいいから
非常に簡単なものになる。
要点とか核心を示すことばが飛び交うのである。

だから、一見すると
簡単素朴のようにみえる。
けど、『スッタ・ニパータ』は難しい経典だと思う。

なぜ、わたしがそんなことを思うかって?
それはね、学問的には、今は内緒。
いつかわけを書くわ。

だけど、学問的じゃなかったら
わけを書いてもいいわ。

それはね、
「掲示板」三つもやってるからよっ!

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コメント

ペンギンどの
そうですか。それはすばらしい。ぜひお願いします。
中村元先生も人気ありますが、ペンギンどのも人気ですね。

わたしがやるとすれば、問答やってるとこだろうなぁ、って、『スッタニパータ』をしみじみ眺めてました。
第3章、第4章なども、とてもむずかしいですよね。

ところで、こちらは、なかなか多難です。進んでるのか進んでないのかわからんのです。ペンギンどのは、着々と何でもされてしまうのでうらやましいですわい。

投稿: 管理人エム | 2006/05/06 23:06

 わたくしの元教え子で、現在、テレビ番組作成のための「リサーチ」の仕事を職業としている女性(30代半ば)に、拙著『仏教の倫理思想----仏典を味読する』(講談社学術文庫)を送りました。

 その礼状が本日届きました。自分が読んだだけでなく、わざわざ一冊購入して、弟さんに送ったのだそうです。ありがたいですねえ。

 その彼女、猛烈に忙しい人なのですが、愛読書は『スッタニパータ』(中村元訳)だそうです。折に触れて手にしているとのことです。

 『スッタニパータ』の愛読者は多いと思われます。中村元訳はよく売れてますしね。しかし、内容はそう簡単ではありません。わたくしは、上述の拙著の中で、「犀の角」の節だけを解説しましたが、もっと『スッタニパータ』の解説書が出てしかるべきだと思います。管理人エムさんにも書いてもらいたいですが、わたくしもまた機会を見て、書いてみようなかと、ちらちらと考えております。

投稿: 紫陽花ペンギン亭主 | 2006/05/06 16:08

 管理人エム様。
 そこまで『スッタニパータ』に入れあげておいでなら、龍樹についての執筆活動を終えたあと、エム節で『私のスッタニパータ----初期仏典の愉しみ』のような、面白くゴータマ・ブッダの教えの核心を示す本を、ぜひ執筆して下さい。
 わたくしは、ここしばらくは仏教から離れて、古巣のインド哲学の方面で執筆活動を行います。仏教はエム様におまかせ。気楽でよろしいですわ。

投稿: 紫陽花ペンギン亭主 | 2006/05/03 15:19

ペンギンどの
え!ペンギンどのも、そう思ってらしたんですか!
もう、早く言ってくださいよぉ。
これ書くとき、けっこうキンチョーしたんですから。

前から『スッタニパータ』については、思うところ大だったのですが、どうもみなさんの意見とちがうようなので、遠慮してたんです。

では、では、

『仏教の倫理思想』で、『スッタニパータ』とりあげていただき、うれしかったですが、これからも、機会あるごとによろしくお願いします。


投稿: 管理人エム | 2006/05/03 10:06

 わたくしも、『スッタニパータ』には、ゴータマ・ブッダの哲学体系がぎっしり詰まっていると思います。一見、つまらなそうな文言が、ばらばらに散らばっているかに見えますが、どの1スッタをとっても、その背景に一貫した体系があります。ですから、どのスッタに拠っても、ゴータマ・ブッダの哲学体系を展開できるのですね。
 『スッタニパータ』は我(アッタン、アートマン)を説くから、あるいはそれは苦行を認めるから、ジャイナ教などの典籍と同じく「苦行者文学」(外道)だから、『スッタニパータ』を仏典と認めてはならないという人たち(松本史朗氏など)は、永遠にゴータマ・ブッダの哲学体系の何たるが理解できないでしょうね。

投稿: 紫陽花ペンギン亭主 | 2006/05/01 11:20

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