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2006年3月

2006/03/31

研究を憂う

今日で3月も終わり。
明日から、恐怖の4月ですね。

仕事が束になってやってくる月。
これから、月月火水木金金の毎日。

ぶるるっ!
武者震いです。武者震い。

今週も、もうけっこう忙しかった。
忙しい合間をぬって、
机のまわりや下や本棚や床や床や床の整理整頓をしました。

何で、床が3回出てくるかって。
だって、床の上に本が積み重なって雪崩れて
机にたどり着くまでに
本の山をジャ~ンプしなけりゃいけないんだもん。

一番床の本の山が難所なのさ。

これから使いそうな本を本棚の前に出して、
今研究してない分野を奧に追いやる
という作業にいそしむ。

仏教本がどんどん前に出てくる。
中観・唯識のテキストがまぁまぁあるので、
ほこりをフッと吹き飛ばして丁重に扱う。
チベット・パーリのテキストを手の届くところにおいて
ニヤーヤのたくさんの本を後ろに追いやる。

ゴメンよ、ゴメンよ!
さよなら、さよなら!
ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ、ナヴィヤ・ニヤーヤ。

何だか、仏教をやり始めて、研究人生変わったと思う。

ニヤーヤってのは、研究が少ないというか、
ほとんど全くないから、
なんでもかんでも全部自分ひとりでやらなきゃいけなかった。
要するに、テキストひとつと鉛筆いっぽんで
この世をわたっていかなかなきゃならなかった。
全部自分で読んで、自分で考えて、
自分で成果をださなきゃならなかった。

それが、研究っちゅうことだった。

それからすると、仏教研究はすでに研究だらけだ。
だから、一見すると、研究はチョーしやすい。
研究書読めば、何だか研究になってくる。

 ま…表面的にはね。

でも、本当は、ここはここでたいへんなのだ。
誰かが必ずもうすでにやってるんだから、
それをふまえなければ研究できない。
それ以上を出さなければ研究にはならない。

業績が出てしまった分野は研究されなくなってくる。
ってか、研究しにくくなってくる。
虚心に研究分野を眺めて、新たな発想で研究するなんて
至難のワザだ。

これまでの研究が積み上げてきた成果、
つうか
言い換えれば、研究の澱とも言うべき
仏教の固定観念の中に浸りきっているんだわ。

これは、きついなぁ。

サングラスをかけたまま生まれてきた人に、
サングラスかけてることに気づけ、って言ってもむずかしいよね。
仏教研究は、どうしても似たような発想で研究されてしまうわけか。

ニヤーヤの学問分野を眺めてきた、その目で
仏教の分野を眺めてみよう。

たくさんありすぎるくらいの研究がそろっているのに、
誰もいかない未開拓の仏教の領域も、また広がっている。

研究が全くない分野もやりにくいけど
研究があまりにも多い分野もまたやりにくいのです。

なんか平凡な結論だったわね。

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2006/03/25

チュウ、チュウ、中論、えさだぞ!うごけ!

「この世は空だにゃぁ」って
暗示にかけつつ過ごしていたら、

なんか調子いいです。
昨日とはうってかわって
スムーズよ。

掃除機かけたし
晩ご飯も作っちゃった。
茶碗洗いもした。

さっきまでパーリ経典も読めたし。
るんるんで、進んで

で、『中論』にきて

ピタッと一切が動かなくなる。

凪だな。。。。。。
       …
       ……
       ………
       …………
       ……………
              う、うごかん。。。    
              

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2006/03/24

空性に住まいせよ!

「空」をべんきょーしようと思って
漢訳文献、パーリ、サンスクリット文献、
種々の論文群、
種々の研究書を
漁る。

ダメだ、こりゃ!

昨日から、
心臓が何度も口から飛び出そうになる。

いろんな人のいろんな意見に
完全に振りまわされて
ジェットコースターに乗ってる気分です。

涅槃をめざすはずが、
天国と地獄のピストン輸送になってしまって
有頂天になったり奈落に落ち込んだり
激しいことこの上ないでございます。
つ、つらいよー(泣 ポロポロ)

こういうときこそ

無我だぞ!む・が!

って、いうか、
「空性の住処」の経典でも読んで
心落ち着けなくちゃ。

「アーナンダよ、たとえば、この鹿母講堂は、象・牛・馬・騾馬については空であり、金・銀については空であり、女と男の集会については空である。しかし、ただ空でないもの、すなわち比丘集団[があるということ]に基づくただひとつの[空でない]ものがある。
アーナンダよ、それと同様に、比丘は、村の想いを作意せず、人の想いを作意せず、森林の想に基づくただひとつのものを作意する。森林の想に対して、彼の心は勇躍し、澄浄になり、確立し、勝解する。
彼はこのように知る。
村の想に基づいて知るかもしれない諸々の煩いはここにはない。人の想に基づいて生じるかもしれない諸々の煩いはここにはない。しかし、ただこれだけの煩いがある。すなわち森林の想に基づくただひとつのものである、と。…」
(訳は、藤田宏達先生「原始仏教における空」より)

はぁーーーー、よかった~~

しかしだ

研究対象にこれだけ癒されるわたしって、
研究する資格あるんでしょうか?
(やっぱり泣く おおぼろぼろ)

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2006/03/22

身辺雑記

口の悪い友人に

「日記更新少ないですね」
と言われ
「サイトがちょっと女性らしさに欠ける」
と言われ
「日常雑記でもいいじゃないですか」
と言われました。


「道ばたに咲いてる花でも、いいじゃないですか」
「道ばたの花、…って言われても、
雪が泥をかぶってるだけなんですけど」
「  … (う、わびし)」

「サイトの表紙も、女性らしく、ピンクにするとか」
「え?ピンクですけどぉ、
龍樹の「龍」の文字がかわいいピンク、… ですよお」
「  … (たらっ)」

「毎日ちょっとしたこと書けばいいじゃないですか」
「今日もパソコンの前に座っていた、
っていう、くりかえしになっちゃうけど … いいすか」 
「  … (う、さびし)」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こんな風にとっても会話が弾みました。

はずんでるの?
ま、ま、気にしないでよ。

とにかく、身辺雑記の日記が書けたっ!うふっ!

どうだっ!女性らしくきめてみましたっ!(どこがだ)

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2006/03/21

尊者スマナサーラは因果を説きたもう

打てば響く管理人です。

何で打ったんですか?

バットで(おい)、
じゃなくて
スマナサーラ長老『無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福』(サンガ)で!
打たれた管理人は響くのです

何と?

ゴーン!(おい)
じゃなくて
しょぎょ~~むじょうぅぅぅぅ~。

すっかり、頭の中で、無常がこだましております。
ああ~ぁ、ほんとの仏教書ですよ。

「尊者スマナサーラは因果を説きたもう」

の一言ですね。

緻密な縁起の論理の網の目の上に、
諸行無常というお餅をのせて
こんがり焼いた
ブッダのしょうゆもち。
しょうゆは、上座部風味を演出するのです。
おいしく味わってみてください。

だけど、この本はそれだけじゃない。

この本のすごいところは、
一見すると、
ぜんぜんすごく見えないところ。
たいしてむずかしそうに見えないところ。

でも、じつは、ものすごい本なのだ!

どんなところからつっこまれても
揺るがないように
耐震強度最高で建てられている智慧の高楼です。

ブッダの語り方を熟知して
龍樹の論法まで応用し
語る順序と
語る言葉に
まったくすきがない。

しかも、誰が読んでもよくわかる。
平易な言葉づかいと
巧みな喩えで
人の気をそらさない。
無理なく自然にそう思ってしまう。

「なんだ、こんなもの」と反論しようとしても
つけいるすきを与えていない。
平易な語り口にだまされてはいけないよ。
他学派批判に反論できるかな?
論客諸君!スマナサーラ君に答えてあげてよ。

形而上学には答えないという形で
自らの哲学を説く
仏教哲学ここにあり。

パーリ仏典をわずか一冊にまとめたマニュアルです。
忙しいあなたにおくる、初期仏教の綱要書。

ほんとにおもしろかった。ほんとにすごかった。
管理人、あっとーされちゃいました。

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2006/03/17

引退?何をおっしゃる!

毎日書くぞ!日記ですもの。

っと、二日目が過ぎます。

とてもお天気がいいのです。
今年は、北海道は雪が少なく穏やかな冬だったのです。
ごめんね、新潟地方のみなさん。
で、雪解けが早いのです。
道路は、ほぼ雪がないのです。

だからでしょうか、
ジャンプの原田選手が引退したのです。
さびしいのです。

ああ、引退ね

引退って、スポーツ選手にはよくあるけど、
ふつうの人には、あまりないですね。
そういえば、
わたしのやってることは、
引退できないことなのです。

ブッダも、最後の一息まで引退しなかったですもんねえ。

しみ
じみ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あら!そんなとこで何してんの?ブッダじゃない?

ぼくだよ!ブッダっ!
ちょっと、文句言いにきたんだ!

え?だれに?だれによ?

管理人にきまってるだろ。

管理人って、わたしじゃない。何で、わたしに文句があんのよ。
いっつも、ブッダをよいしょしてるじゃない。
歯の浮くようなお世辞だって、いっつも言ってるのよ。
これほど見え透いたお世辞を言える人って、そんなにいないんだから。

あ、それはいいんだ。
事実だからさ、天上天下唯我独尊なんだもんっ!
そうじゃなくて、
「最後の一息まで引退しなかった」ってところさ。

え?
あ、ゴメン!最後の一息じゃなかったの?
じゃ、二息?三息?
いろいろ禅定にはいるから、わたしわかんなくなっちゃうのよ。
アーナンダだって、間違えちゃったじゃない、滅尽定なんかに入るから
死んじゃったと思われたのよ。

ああ、いいんだ、そんなこと。
ぼくが文句いってるのはさ、
じっさいに死んじゃうことについてじゃないんだ。
ぼくはさ、

「今でも現役だぁ!」

って文句言いにきたんだ。

え?え?今でも…
そういや、わたしのサイトに出没してるもんね。
ブッダって、どこにでも出るんだなぁって思ってたけど…

なんか、ヒグマみたいに言わないでくれい。
ぼくはね、経典の中でいつでも現役やってんのさ。
わかるだろ?管理人だって。
いっつも経典読んでんだから。
君みたいにものわかりの悪いのって、
ぼくだってつらいんだぞ!
だけど、愚者の中では最高限度まで愚者だから
ま、愚者度最高、ってことね、
ぼくもさ、実力出せるんだ。
まぁ、やりがいあるって言うことかな。
そんなわけだから、直しといてよ、
今も現役ですってさ、頼んだよ、じゃね。

…何なの!
どうせ愚者だわよ。
っていうか、誰のおかげで実力出せてんのよ
って、開き直っちゃおうかしら。

まぁ、でも、お世話になってるから、
言われたとおりにしておこか。
2500歳で年寄りだしね。正しく直しとくわ。

みなさん、
最後の一息は、実は、死んだふりで
その後、ブッダは、ずっと現役です。

これなら、文句言われるめぇ。。。

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2006/03/16

読書三昧

書くことが腐ってきてるけど、何とか書こう。

あんまりご無沙汰で、ここに日記があるのをわすれてたっ! 
なんてことは、ありませんっ!
実は毎日プレッシャーになってんのっ!

心に強く思えば書けるかもしれない。

毎日書くぞ、どんなにくだらなくてもっ!

ネタも少し腐れてきたけど
むりやり書きますっ!

さいごの
「っ!」
の字に、決意を感じるわ、自分でもっ!

さて、わたしは勉強家っ!
ここ数日、本を読んでます!

竹村牧男氏『禅と唯識 悟りの構造』(大法輪閣)

立川武藏氏『聖なるもの俗なるもの』(講談社選書メチエ)

谷貞志氏『<無常>の哲学』(春秋社)

『 通俗仏教歴史問答』(第1 印度之部)永井竜潤著,明35.9

「最後の本がすごいな」ですって?
国会図書館の電子図書館に入ってるのよ。
200問あって、仏教のことが何でもわかっちゃう。

上の三つの本は、とてもバラエティに富んでいるでしょ。
立川先生のも竹村先生のも出たばっかりでホヤホヤです。

立川本では、仏教神学と名づけて、「聖なるもの」をキーワードに
仏教という宗教のもつさまざまな現象を切り取って見せてくれます。
インド、チベット、ネパールなどを中心とする広い仏教世界が、
魅力的に描かれています。  … 印象は、とってもカラフル。

竹村本は、禅です、唯識です、という、こちらはモノトーンの渋さが魅力。
インド、中国、日本と仏教世界は広がる。
唯識と禅なんですから、むずかしいのよ。
1回読んだぐらいじゃ、わからないわよ(威張って言わない!)。

谷本は、どっぷりつかる仏教の論理世界。
ダルマキールティだからね、むずかしいの。
全部読んでないから、感想これだけよ。

最後の明治の仏教本、痛快仏教もの!
小気味いいテンポで、簡便に要領よく仏教が学べる。
けっこう出来がいいわ。
古くさいですって?
そうでもないのよ。漢訳文献しかない頃だけど、
仏教の本随をちゃんと伝えて、立派!

こんだけいろいろ読んだら
詰め込みすぎて
頭が破裂しました。

どの本もそれぞれ異なる独自の仏教世界を伝えている。

その世界一つ一つが存在感ありすぎで、

圧倒されたのだった。

すっかり疲れて、
思うことは

わたしの研究してるのなんだっけ?

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2006/03/11

過去の記憶は

高校時代の友達と再会したのがきっかけで、
昨日、高校時代の恩師のお宅に、たくさんでお邪魔してきました。

うちのすぐ近くに住んでおられたのは、ビックリだった。
知らなかったよ。車で5分で行けちゃうじゃん。

高校時代なんて、すっかり記憶の外でしたが、
話しているうちに思い出すもんですね。

みんな記憶に残っているのが、
同じ出来事のまったくちがう側面なので、
とてもおもしろかった。

例えば、ビッグイベントの修学旅行。、

一つのハプニングについて
いろんな人が
その人の記憶に残った印象を
語るとき

「あれ、この人はそんな風に見ていたのか」
という意外な思いや記憶ちがいがあっても

自分のもっている印象と
あんがい違和感なく溶け合ってしまう。

不思議だ。

で、あらたに情報を得て
修正されたり、付加されたりして

記憶は作られる。

そうなんだわ。

記憶というは、
実際に起こったことをそのまま覚えておくことではなくて、
印象のモザイク画のようなものなのね。
それも、いくらか欠けたところのあるモザイク画。

思い出すたびに、書き直される。
情報がないときは、大きなモザイクに単純化され、
情報が加わると、細かいモザイクに書き直される。

過去の記憶は、日々新た

っていうのは、矛盾してるみたいで矛盾でないね。

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2006/03/05

書くことに意義が、あるってか?

日記とは名ばかりですが、久しぶりに日記でも書きましょ。

毎日、「あ、これを書こう」「これを書いたらおもしろいかも」と
日記のネタを探しつつ、はっと気づくと何日も経っているという

「なんちゅうこっちゃ人生」を歩む管理人でございます。


掲示板を二つにしたため、読むのにおわれ、書くのにもおわれ、
考えるのにも遅れをとり、家事には大いに遅れをとり、
仕事の締め切りだけは、遅れをとると死ぬので、必死で守る
という、「カレーな毎日」をおくっておりますが、
みなさまには、ご健勝のこととお喜び申し上げます。

っつう、わけわからない文ですね。長いしさ。

しかし、掲示板さまのおかげで、視野が広がります。
というか、自分がいかに狭い世界に生きているかわかります。
というか、みんな、どうしてこんなむずかしいこと考えてるんだ!
というか、現代人はものを考えないとか文章書かないとかいわれてなかったけ
というか、仏教っって、こわいすね、こわすぎる
というか、龍樹!あんた、もう少しわかりやすく書いてよぉ
というか、「脳みそ20%増量」って、今だけサービスあったらなぁ

という悲痛な叫びをあげておりますが、
こう書いたからと言って、何にも解決しないのは、
わかっているのよ。
これは、グチというものかと。

余裕のない管理人は、これでアップしてしまうのです。
だって、昼ご飯作らなきゃ。

「日記は、書くことに意義がある」
(いや、追いつめられてますなぁ、管理人)

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