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2005年12月

2005/12/28

ブッダ論理学決算報告

補習が終わる。

暮れまでめいっぱいだったけど、
学生さんがよくできて、ほんとたのしかったわ。
ほとんど二人でるんるんおしゃべりしてた。

テキストのプリント、「わかりやすい」とべた褒めされる。
いや~、そんなぁ~、照れるわよぉ~。

でも、けっこう苦労してんのよ、わたしも。
自ら開発した独自の講義だから。
看護師さんに合うように、論文をまとめたりするときのための実用論理学なんだもん。

その上、とどめのブッダ論理学ばっちり伝授する。
これは使えるけど、「西洋論理学は使えない」と、呪文をかける。

不思議なんだけど、
お釈迦さんの教えたとおりに教えると、みんなすごくよくわかる。
どんな人でもよくわかる。

で、

そうだ、やっぱり、巷では現代論理学っつうのもあるから、そっちも教えないと

っと、思って、そっちの話を混ぜると、とたんにみんな話がわからなくなる。

なんか、ダメだわ!説明が、へたくそなんだ。
あ、わたしじゃなくて、現代論理学の説明方法それ自体が。

二人で忘れられない「魂の講義」をしながら、いっつも授業がこんなんだといいね、
と言い合う。

「このがっこに入ってよかったです」と、相手が言うので、
「このがっこに勤めてよかったです」と、わたしも言う。  

めでたい二人

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
もう、ほんと、悪いんだけど、わたし、現代論理学には、文句だらけなのよ。

悪いと思って、言わないようにしてたんだけど(そのわりに、いっつも言ってるって)
言わないのは身体によくないので、言うわ。

だけど、「悪口」を言うのはよくないので、「批判」を言うわ。
(おんなじようなもんだろ、って?)

ちがうわよ。

つまり、西洋論理学が何をしてきたか、いま何をしてるのか、何をしていないか

これらを考察すべきだと思う。

みんなは、ただ「論理学」としか言わないけど、
みんなが習っているのは、現代西洋論理学とか古典西洋論理学とか
名づけられるものだと思う。

なぜ、そう言えるか?

だって、ブッダ論理学が別にあるからだわ。
別の体系だからね。

年末になったので、「論理学」の決算します。

これまでのところ、ブッダ論理学、おそるおそる世に問うてみましたが、
おもてだって、批判がきていない、ぜんぜん。

ぜんぜん批判されてないのよっ!!!

無視されているのかもしれないわ(そりゃ、ありうる)。
それとも
感心されているのかもしれないわ(そりゃ、ない)。

でも、「ブッダ論理学」決算報告書には、こう書いておくことにするわ。


はっきりと否定されないかぎり、「ブッダ論理学」はもはやなくなりません!

今年は、ブッダ論理学元年としよ。

ブッダ論理学は、時間を語る弁証法をもっています。
ブッダ論理学は、因果関係(縁起)を語ります。
ブッダ論理学は、演繹論理学を語ります。
ブッダ論理学は、ブッダ哲学の一切を語りきります。
ブッダ論理学は、パラドックスをもちません。
ブッダ論理学は、メタ論理学にもタッチできます。
ブッダ論理学は、言語批判を行います。
ブッダ論理学は、対機説法です。

あ、昼ご飯作らなきゃ。まだ思いつきそうだけど、ここでやめとこ。
あ、もう一つあった。

ブッダ論理学は、ご飯には勝てません。

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2005/12/25

メリー・くるしみます、じゃないって!

みみっくさま、塵ほこり、ありがとう

横井さま、「思索する」、感謝です

宮本さん、うん、因果性です、うん

Sitaさま、ともに女性初の哲人に!

はやしさん、もっと「いちゃもん」!

みなさま、メリー・クリスマス

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2005/12/24

ふりかえる…なよ!

今年をふりかえるだけの管理人だった。

「だけ」というのは、「ふりかえる」にかかる修飾語です。
つまり、「エムは反省しない」という意味が、
読者のみなさんの心に浮かんでるはず。

浮かんでない人は、即、浮かばせるように。
(自動詞をむりくり他動詞にすんな!)

ま。こういうわけでふりかえってたら

そう言えば、カウンタ50000ヒットのとき
誰も申し出てくれなかったな、って、今ごろ気がつきました。

なぜ?

1.50000人目の人が、カウンタを見てなかった。
2.50000人目の人が、カウンタを見て逃げた。
3.50000人目の人が、カウンタを見た後、記念品を見て逃げた。

この3つの選択肢しかない!

1は、カウンタというものを知らない人かもしれない。
(知らないものは、存在しないわけだ)。

2は、管理人との接触という「やっかいごと」に巻き込まれたくない
という、本能的な反応でしょう。 
 … わかります、その気持ち。(実は、ここだけの話、わたしもそうする)。

3は、あえて、管理人と接触するという勇気ある行動に出ようとするも、
記念品(まずさ抜群!ジンギスカンキャラメルだぞ)を見て、のけぞる。

うーん!
どー見ても、申し出る要素がひとつもないわね。
やっぱ、記念品はみんながいやがらないものにしなくちゃならんわね。

60000ヒットのときは、
「管理人のサイン入り色紙」ってのにしようかな~。
それとも、表紙の色があせたけどさ、
共著『インド新論理学派の知識論 『マニカナ』の和訳と註解』ってのは、どう~?

せめて、3だけでもクリアしないと…
どっちがいいかしら?悩むなぁ。

(夫:  … サイトに誰も … 来なくなる …)

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2005/12/22

きれいさっぱり…ない

机の上を整理し掃除する。

10日くらい前にも、一度きれいにしたし、その前にもきれいにした。
でも、あっという間にペンの置き場もなくなる。

キーボードのところだけ深い谷になっていて、
まわりに膨大な本や
プリントや
ゴミや
ペン立てや
フロッピーや
手紙や
封筒や
雑誌や
抜き刷りや
メモ帳や
ノートや
CDや
文房具や
が、ごった煮状態で積み上がってる。

で、ときどき雪崩れる!キーボードの上に。

んで、運が悪いとリセットボタンの上にものが落ちて、リセットしちゃう。あ!


なんか、ね、こういう風景を見ていると

研究もおんなじだな、って思うわ。

いろんな資料や本で頭をいっぱいにして雑多に詰め込んでいると

ときどき、ざざーぁっと、雪崩れて、全部リセット … 何にもなくなるわけよね。


まぁ、いいか!

プラパンチャ(戯論)が寂滅した、ってことにしよう。

と、我が身に言い聞かせて、きれいな机ときれいな頭で

ふたたび勉強する管理人だったのでした。


めげないヤツ!

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2005/12/21

空(くう)だじゃ

もう、あと10日で来年なんですね。
感慨も何もないですわ。

ここ数年、お正月は、だんだんお正月でなくなって、お正月気分というのもないす。
ごくごくありふれた日常生活の延長にすぎなくなりました。

一年の計なんか、元旦にないよ、って感じですか。

でも、計画立てよ。一応、計画立てるの好きだから。
ぜんぜんその通りにならないけどね。

今年は、わたしにとっては、「ブッダ論理学元年」だったから、
よし!来年は、わたしにとって、「龍樹弁証法元年」にしよう!

今年の苦しみを来年につなげよう、ってのもなぁ、、、なんかイヤだけど、
どうしても、そうなりそ。

思えば、あれは2003年の後半だった。

「あれ」とは?

「あれ」とはですね。
わたしが、はじめて『方便心論』の論理学の主要部分が、
阿含経典『アングッタラ・ニカーヤ』を下敷きにして
設計されたものだとわかった時です。

ほぼ4ヶ月かかった。
8月からだから、12月にわかったのであったらしい。
もう覚えてないけど。

どこから見ても、でたらめにしか見えないご託を並べたへりくつのオンパレードが、
一気に整列して、お行儀の良い論証式の見本市に変わったときは
ほんとに自分でも腰がぬけました。 
これって、もしや、…え、世界的 …発見なの?

でもさ、まぁ、それはいいのよ、終わったことだし。
問題は、それからだっちゅうの。

それから、何がわかったか?よね。
こんな論理学の一つや二つ、龍樹にとっちゃ取るに足りないことなんだから。

ま、その後少しはわかったのよ。戯論寂滅の技が、ね。
「ロゴスの穴」(「戯論寂滅(けろんじゃくめつ)とヨンさまの深い関係」)にもちょっとあるんだけど。
だけどさ、そんなもんじゃないって!

ふーっ!

やっぱり、お正月には北海道神宮に初詣に行った方がいいかも。
困ったときの神頼みィ

っと、

どうして、こういう論理と関係ないこと思いつくんだ!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
そういえば、龍樹としばらくお話ししてないわね。
龍樹に聞いてみようかな?

(わ)もしもし、龍ちゃあん、龍樹ぅ、戯論寂滅で、何やったのよっ?答えてよぉ~。

(龍)呼んだ?

(わ)呼んだわよぉ~♪。あんたのせいよぉ~、プレイバック、プレイバック♪

(龍)僕は、修行の身。つまらない無駄話や調子っぱずれの歌舞音曲から離れているから、下手な歌歌わないでくれる。

(わ)なによ!へたじゃないわよ。
それにさ、大きな声じゃ言えないけど、あんたとっても評判悪いから。

(龍)大きな声じゃん。ぼくって、誤解されやすいんだ。
「空(くう)だ、空だ」しかいわないと思われてるし。

(わ)え?事実、「空」しか言ってないんじゃ。

(龍)何言ってんだよ!ぼくのこと、一番よく知っててくれると思ってたのに(リップサービスだァ)。
管理人がそんな程度じゃ、ぼくどうすればいいのか…うう(泣きまね)。
自分じゃ、汚名を晴らせないんだから。死んじゃってンだぞ、ぼく。
君がたよりなんだ、ううう(泣きまねしながら、チラッと見る)。

(わ)わかった、わかったわよ。泣かないでよ。
あんたに泣かれると、わたしだってつらいのよ、ぐすっ(もらい泣き)。

(わ)でもねぇ、天下の龍樹のわりには…ねぇ…たよりねぇわねぇ。
それに
死んでるわりには、ずうずうしいしさ…ぶつぶつ。

(わ)で?
どうなの?「戯論寂滅」って何よ?ヒントくらいほしいわよ。

(龍)ああ、ヒント?
これでも、まだヒントがいるのかぁ。全部『方便心論』に書いといたのに。

(龍)ヒントはね、

(わ)うん、ヒントは?…おお、わくわく

(龍)ヒントは、もち、「空(くう)」だじゃ。

(わ)ばかぁ~、やっぱ、「空」しか言わないじゃん。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
こんな話ししか、思いつかない管理人。
ドンだけ、煮つまってるか、察してください…

一番「空」なもの  …  それは … 管理人のあたま

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2005/12/20

苦楽、くらく、くらくら

今日は補講で出かけるけど、その前に、日記を少々。

苦しいことと楽しいことが半々。
補講で、学生さんと楽しく講義。
なぞなぞクイズを出しあっこして、勉強してる。

小鳥遊

これは苗字です。何という名前の人でしょう。

ことりあそび

ぶっぶー!

「たかなし」でした。
何でかというと、鷹が「無し」なので、小鳥が楽しく遊ぶんだって。
すんごくべんきょになるぞ!

で、お礼に、クレタ人のパラドックスやらなんやら、お話しして楽しんでもらう。
論理学の本をみせてあげたら、パラパラめくって、「トートロジーってなんですか?」というので、

「水曜日の15日後は何曜日でしょう?」
という、ぱっとしない質問で、トートロジーを教授する。

友達にこの問題出すと言って、ちゃんとノートに取るところがエライだ。
動機も純粋だし。

なんとなく、ついでに述語論理学の命題関数を教えてしまう。
こういうもんは、ついでに教えるもんだっけ、って思うけど、ま、いいや。

楽しいから。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
で、苦しいこと。

本が読めない!

読むと、いろんなことが頭の中に渦巻くので3行読むと、呼吸困難になる。
酸素マスクつけて、本が読みたい。

研究は、完全に暗礁にのりあげ!
で、今までだと何がわからないかわかっていたけど、
今回は、最悪。

自分が、何がわからないのかわからない。
だから、何をすればよいのかわからない。

今度のトンネルは、なが~いぞ、きっと。
抜けないかもしれない…と思いつつ、仕事に行きますわ。

岩見沢に行くんだからさ、
「トンネルを抜けると、そこは雪国で」あったりしてほしいす。

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2005/12/17

生きるためには

しばらくぶり、懐かしいわね。この日記。

昨日は、駅プラットホームの階段を下りようとしていたら、
大きなリュックを背負った山登りのような格好をした人が、
ほんとに元気よく上がってきました。

どんどんでもなく、すたすたでもなく、わせわせかな、
何とも言えないオーラを発しつつ上がって来た人を見たら
あれ、どこかで見た人だ。

あ、三浦雄一郎氏でした。
近所のおじさんかと思ったわ。

しかし、すごい人だなぁ、彼を見てからまわりの人を見ると
歩いてる人がみんな死んでるように見えました。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

そして、今日です。地下鉄から○越デパートに入り、
○善の書店に寄っていこうと思いました。
通路代わりの○越デパートを突っ切って、いつも通る入り口についたら…
ない!ただの壁だ!
ああ、○善がない!ただの空きビル!

本屋さんがなくなるとショックは大きい!
まわりのクリスマスの明るいイルミネーションが、かえって虚しい。
街が死んでるな。
歩いてる人が、みんな生気のないマネキン人形のように見えるのでした。

オーラを出すのは人だけでもないのね。

生きるために必要なのは、「寿命と熱と意識」とブッダは言ったけど
それに、本屋、ってのもいれとこ。

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2005/12/12

雪かきすると

とうとう降りましたわ、雪。
今年、初の雪かきをする。

ここ数日、いくらか行き詰まってきたので、何かと苦しいです。

なもんで、あれこれインターネットをクリックしまくって、
あっちを読みこっちを読みしていると、
なおいっそう混乱して苦しくなるです。

みんないろんなこと言うんだもん
って、いろんなとこクリックするからだぞ!

なもんで、こんどは、あれこれやみくもに多種の本を
読んでいるとさらに混乱して、くるくるしいです。
なに?
くるくるしいって?
苦しいが二つ…

ああ、なんて、わたしは世間知らずなんだ!
こんなことじゃ、何十年何百年生きてても、なんにもならん!

死ぬとき、
「な~んにも収穫なかった人生だったわねぇ、
ああ、結局、生まれなかったのと一緒だったわ」
って、思うのも、さびしいなぁ。

と、思い、世間を知ることにする!えらいぞ!

で、雪かきをすることにしたのです。

どうして、そういう発想になるの?
世間を知るのに、なんで雪かきが必要なんだ?

いや、つまるところ、
世間の人がすることをしなければいけないということで…

人間、土にまみれて、じゃなくて、雪にまみれて生きなきゃ、
ダメだ!
こんなとこで、本ばっか読んでたってろくな人間になりゃしねぇ。

んだ!

っつうわけで、雪かきしたら、とってもよかったですの。

悟りましたわ。いや、ほんとによ。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
これは、悟った中身です。

あのね、よくお釈迦さんは、喩えを使うじゃない。
自分の出家の修行を、たとえば、田を耕すことに喩えたりね。

「わたしにとって、信仰が種である。
苦行が雨である。
智慧がわがくびきと鋤とである…」とかさ。

「…わたしは真実を守ることを草刈りとしている。
柔和がわたしにとって、牛のくびきを離すことである…」

なんて、言うでしょ。
ってことはよ、修行が、田を耕すことに喩えられるなら、
逆に、田を耕すことは、修行にも喩えられると思うのよ。

ここまでいい?

二つは同じようなものだってことでしょ。
それなら、修行する代わりに
田を耕しても、解脱できるってことじゃない?

そうでしょ、そうでなきゃ、おかしいと思うのよ。
だって、田を耕す代わりに
修行しても、ご飯食べられるんだから。
理屈でしょ。

だからさ、雪かきしても、解脱できるってことだなぁ、
って、思ったのよ。
がんばるわ。毎日、雪、降ってもらうわよ(天気に命令するなっ)。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

…しかし、なんというか、いいんですかね?
悟ったっつう内容が、こんなんで…

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2005/12/08

ブッダを超えろ(って、よくいうよ)

いよいよ本格的に寒いです。
本日の最低気温は、(マイナス)7度となっている。
でも、雪がないから、イマイチ、冬としてはぱっとしないすね。

スチームドライス、なかなかおいしくできました。
新鮮な味で、好評!感謝!
みな、いつになく神妙にかしこまって食しておりました。

ブログのレシピに神秘を感じたのかもしれない。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

とつぜんですけど、人間はやはり理想をもたなければならないと思う。

つまり、今の自分ではない、
もっとよいにちがいないと思えるような自分

これをめざすことが必要だと考えるにいたりました。

で、夢は大きい方がいいので

できるだけでっかい夢を考えることにしてみました。

世界で一番の理論をもった人、それはブッダ。
一番は最高という意味(と最低という意味)をもっています。

大胆ですが、だいたいブッダの思想はゲットできてきたと思うので(おい)、
さらにそれを超える思想を目指すことにしてみました
(、、っと、簡単にいっていいのかぁ、、、、、、あ、、せ、、)。

というか、上を目指せば、ブッダの理論がもっとよく実感できるはず。

こう思って、しばし考えているのですが、ブッダの教説は、ほんとスキがない!

自然界について、語りうる。
実在論的であれも観念論的であれ、対応可能。

人間について語りうる。
心理的にも物理的にも。

言語について語りうる。
声として、言葉として、表現形式として。

形而上学について語りうる。
語り得ぬものに、沈黙 … しているようで、していない。

かと思えば、

語りうるものに、沈黙 … してないようで、している。

存在について語り、時間について語り
論理について語り、倫理について語り

戒律について語り、修行について語る


 彼を超えることは…むずかしい… 

って、いままで本気で考えてたわけね!管理人!!
(もち、だわ。理想は、でっかくだもん!ふがっ!)

あ、あったわ!あったわよ!

わたしが、ブッダに勝てるのは、

       ……

晩ご飯のめにゅうと子どもの数!
な、ないよりましかな…

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2005/12/05

アビダンマは豊饒の海!

ほんとに、すべり込みセーフ!っという人生だわ。

今朝やる試験問題、昨夜ようやくメールで送る。
で、今朝、届いてないという電話に、発狂しそうになる。

勘弁よ!結局、無事届いていることがわかって、ホッ!

これで片づけた仕事は、三つ。やれやれ。

とりあえずは、目前の仕事のこと、考えなくてもいいのかな。
いいようね。
  
では、書きたいと思っていたお話を、ちょっくら。

  ………ほんとに大丈夫だよね、
      今日明日の仕事はないよね。

ああ、この強迫観念、なんとかしたいぜ!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、掲示板でもばれてきておりますわたしの弱点

(たくさんありすぎ、どれのこと?)

たくさんなんかないわよっ!
一つだけよ!

 ……ぶっきょ、これだけだから…うう

しかし、弱点としては、十分すぎる!

中でも、「本気で」苦労してるのが、部派のアビダルマ。

龍樹は、部派の基本思想を批判したのであって、
これこれの文献にもとづいて批判した、っと言うことはない。

このようなことは、前々から言われてきたことです。

たしかに、部派のどの論書を見ても、ピッタリ来るところは見つからない。

…、っと言いたいが、

じつは、どの論書見ても、何かいてあるのか「本気で」わからん!

『八けん度論』(「けん」は、けものへんに建)、『発智論』
あとは、いわゆる六足論のたぐい。

読んでると眠くなる。

仕方ないので、先学の研究書を読んで知識を吸収。
どうして、こんな無味乾燥とした中から、
こんな豊かな研究が生まれるんだろうと思うくらい
優れた研究がたくさんある。うっとりしちゃう。

だから、わたしがわからないだけで
「きっと、アビダルマは、豊饒の海なのだ」
っと思っていたのだった。

そう思う理由は、まだ他にもあった。

あの『チャラカ・サンヒター』、
あの中にもアビダルマの知識らしいものが、けっこうはいっている。
哲学的な議論もさかんだし、
医学書にしておくのは惜しい(というのも何だけど)。

龍樹が、あえて否定したもの、
あんだけ力こめて否定したもの、
それは否定するに足るだけのもの

「知識の宝庫」を作り出してきた智恵の数々、理論の数々だったろう。

それらの理論は
わたしたち凡夫の世界では
「有益な知識」と言われるものを、
もたらしてきたのだろうと思う。

仏教心理学
医学の知識
経験科学

役立つ知識満載の感じがする。

これらを生みだす元になったのが、
おそらくアビダルマだろうと思われ。

ハァ、知りたいもんだわね、って思ってたのよ。

そしたら、望んでいたものが望んでいたとおりに
手にはいっちまったわ。

(枕が長いぞ!さっさと紹介せんかい!)

スマナサーラ長老さまと藤本晃先生 『ブッダの実践心理学』

お勧めしとく!

『アビダンマッタサンガハ』という論書に対する、
スマナサーラ・藤本氏による現代人向け「注釈書」です。

この書は、『アビダンマッタサンガハ』のコメンタリーとして、
今後、上座部の伝統の中に位置づけられていくわけですね。

しかも、日本語だかんね。すごいよね。
ふつうなら、ありえないことだ。日本人専用のコメンタリーなんて!
「その土地の言葉を使いなさい」といったお釈迦さんの言葉を守っていますよね。

この特権をありがたく活用しましょう。

パーリ・アビダンマの中に何があるのか知りたい人には、

とてもすばらしい入門的専門書、というか、本質的専門書だと思います。

「本質的専門書」って変かな?

現代風にアレンジしてあるのも、わたしたちにはわかりやすいですね。

学者の研究書とはひと味ちがうけど、
 「生きてる」 アビダルマを知りたい人には
ぜったいお勧めです。

およそ2000年以上、
部派仏教が、人々の中でどのように生きてきたか、よくわかる。

「来たれ、見よ」の教え(ダンマ)の伝統を受け継ぐものです。

ふう!すごいもんだ。

と、感動ばかりでは、いけないわね。

これで『八けん度論』読んでも眠くならないにちがいない。
感謝!感謝!

それにしても

こんなすごいものを批判してたなんて!
やっぱ、龍樹ってすごいわね!

(って、どうしても、最後は龍樹にいくのね、管理人!)

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2005/12/01

社長さん!も一つ、道徳いかが?

もう、けっこうですって?

まま、そう言わずに、身体にいいですから、お一つどうぞどうぞ!

あ、ちょっと苦いかも。わるいなぁ、ゴメン、ゴメン。

苦い話しというのは、大いに話題になっている建物の耐震強度偽装事件です。

業界の癒着の構造がだんだん見えてきております。

偽装しようと考える人は、
どのように世界を見ているのか、
何を考えて生きているのか

そのあたり興味があります。

たくさんの人を苦しみに巻き込んでいるこの事件は、
それほど多くはない人びとの富と利益の不当な追求から起こったものです。

建築主「ヒューザー」の小嶋社長のことばは、非常に衝撃的です。
彼は、確認検査機関「イーホームズ」の藤田東吾社長に圧力をかけてこういいましたそうな。

「正義を貫いてなんの意味がある」


そうですか(*_*)!

そうですか(-_-;)ぁ~

そうですか(?_?)?


では
「貫くべきは、不正義」とな?


正義を正義と知り、不正義を不正義と知った上で、

不正義を貫く。

これはたいへんに苦しい生き方でしょう。
とても一貫した人生をおくることはできません。


ええ、できませんともさ。


だって、新聞の次の行には、もうすでにこう書いてあるんですから。

「(衆院国土交通委員会で、)小嶋社長は『全く違法性がない』と偽造への関与を全面否定。」

このように、小嶋社長は、正義を追求するものとして、自分の姿勢をアピールしています。
まあ、「正義を追求する」ということまでは言えないとしても、
「不正義を追求しない」という姿勢は貫いている、
と言っているように見受けられます。

一方で、      「正義を貫いて何になる(=不正義を追求する)」
もう一方で、    「まったく違法性はない(=不正義を追求しない)」

一人の人が、この二つの矛盾する考えを「同時に」表明しなければならないとき、
その時、その人自身は完全に破滅してしまう。

破滅したくなければ

「同時に」こう言わねばならない状況から
徹底的に逃げるという、「真実からの逃亡」という人生をおくらねばならない。
たいへんな人生です。

破滅しないことによってもう破滅してる、表技だと思うから。


★ だけど、もう一つの道がある ★


破滅したくなければ

それは、自分から「同時に」言わねばならない状況を作り出すということです。
徹底的に自分から飛び込むという、「真実への希求」という人生をおくることです。
たいへんな人生です。

破滅することによって破滅を避ける、裏技だと思うから。

これは、

「自己は破滅しても 迷惑かけた他者の 破滅は避ける」 という意味もあるし

「今までの自己は破滅しても これからの自己の 破滅は避ける」 という意味もある。


「論理をただせ!こうなら、まだ生きられる!」


このことばを小嶋社長にタダでプレゼントします。
以上、わたしの意見でした。(いらないって言われたら、自分でもらっておこ。)

※『エムの格言集』(あったっけ?)より、今日のことば

自己の中で論理的に矛盾すると、自己の外で倫理的に破綻する。

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