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2005/09/12

せんせいは奧が浅い

日々労働する管理人です。
ああ、労働してる間に、自民党が圧勝してしまいました。

新たな戦前の始まり、なんてことになりませんように。
たのむよ、ほんとに。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
哲学の90枚の答案つけ終わり、ふう、なかなか。

1)自分の死生観を述べ、他の死生観と比較して論じなさい。
2)認識は正しく対象をとらえうるかという問題について述べなさい。
一問選択です。

4月に入ったときには、哲学の素養なんてゼロだから、みんな。
死んだあとどうなるかなんて、考えても仕方ない、なんて言ってた子たちだから。
哲学なんて、答えが出ないんだから、意味ないし、むずかしくてかたくるしいって、言ってた子たちだから。

それがですよ、どの子も、持ち込み不可で、少なくとも原稿用紙3枚から、多い子は10枚くらい書けるようになる。
全部自前の意見だしなぁ。すごいよね。
どんどん勝手に考察をはじめて、進む子はどんどん広がっていくし。

夏休み、相当みんな考えましたね。
もう、人間ちがってる。別人だわ。

ううん、見習いたい!

多くの子は、死生観を自分なりになんとか見つけて、そして、それが「生きる意味」につながっていくことを知ったのでした。死生観を語りながら、最終的には、自分がどう生きるかをがっちり確保してきているんですね。

なるほどね、

死生観をもたない人間は生きる意味を知らない!と断言できそうですよ。

で、結論としては、
輪廻転生、あるいは、死後の世界を認めるタイプと、
今生きている命を見つめてこの一生しかないと死後の無を語るタイプと

大きく二つのタイプに分けられる。

輪廻転生タイプは、くり返し生きるその生き方の中で、何がもっとも善い生き方か(倫理)を考えるし、
輪廻思想なんて逃げだぞ!いかん、この一生・この命を大事にして生きろと語るタイプは、実存主義的。

それとおもしろいのは、若いからかもしれないけど、
自分は「他によって生かされる・生きる」と、他者(親・友人・先生)とのつながりを重視する子が多い。
縁起的ですよね。
みんな、なんだかんだ言っても、愛されて育ってるんだわね。

いや、ほんと勉強になります。
それで、みんなが最後に感想書いてくれたりするんだけど、「哲学は奧が深い」と書いてくれた子が多かった。
そうすか。いや、あなたも奧が深いです。

二問目もとった子は少なかったけど、けっこうカントの「物自体」にせまる子がいたのは、ほほう。
こっちもいろいろおもしろいけど、今日は省略しよう。

で、

一つ思いますことです。

死生観のような、認識できないもの(例えば輪廻転生・天国・地獄)については、

何らかのことがあるとも言えないし、無いとも言えない。証明できない。

このようなものについて何らかのことを主張するとすれば、その根拠はどこに求められるのか?

それは、率直に言うと

「信仰」というしかない。

それを善しとする、誰もが納得する根拠を見つけることはできないのだから。

だから、ちょっと飛躍気味ですが、ある哲学体系の内部で語られることは、

その哲学体系を信仰している人の言葉なのだということです。

そして、それは、論理学においてすら、言えると思う。

ある演繹論理学の体系を受け入れた人は

その論理学を信仰している人だということになる。

だからね、

あらゆる人に普遍的な論理の基盤というものは、じっさいには存在しないのだと思う。

あるのは、対立する二者が、お互いに詭弁だと思う論理学だけ…

ううん、さびしすぎる結論だが、むりやり一つにするよりましかなぁ。

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コメント

はやしさん、「東洋は非論理的」は、ちがうのね。


すみません、ではでは、「西洋は非論理的」をとりさげます。
でも、世の中って案外単純だから、どっちが非論理的であるにせよ、対立はないとは言えない…潜在的にあって、ときたま顕在化してくるような、そんな感じですか。

はやしさん、わたしね、前に、「分析哲学の本を読んでて、仏教だなぁ、っと思う思想が見える」っと話したことがあったと思うんだけど、だれの説だったか、サールでもないしと思ったり。


まだよく思い出せてないんだけど、「逃げても現実が追ってくる」という考えと結びつくのです。

わたしの見ている西洋論理学(現代論理学)って、「いっつも逃げてる論理学」っていうイメージなんですよ。パラドックスが出てくると、それを回避しなくちゃ、って思って、回り込んだり、違う方向に進んだり、こりゃダメだからとぜんぜんちがうものを探そうとしたり、そうして、おんなじクロノス(時間)にいつも追いかけられることになる。


統語論から意味論へ、いや、ダメだ、もっと語用論的な言語分析だ、っとなるけど、語の意味から語の使用・言語行為の問題へと、どんどん進むんだけど、同じ問題がそのたびに趣を変えて表れる。
語と語の意味はどう関係するんだろう、と考えて、確定記述説とか指示の因果説が出てくるけど、なんとなく解決できないな、と思ったら、ヴィトゲンシュタインの「語の意味は語の使用である」が魅力的に見えてくる。そこから、やれ、オースティンだ、ストローソンだとなり、言語行為へと関心が移っていって…と続く。
どこに行っても、おんなじ問題があるんですよ、って言いたくなってしまう。(ある・ないにかかわらず)言葉の本質というのをみんな探しているんだと思うけど。
前に残して置いた宿題を片づけないで、次に行くから…。


こんな風に思うのって、わたしだけなんだろうか。

投稿: 管理人エム | 2005/09/28 10:56

あ、あと、「東洋は非論理的」って、それ勝手に宮本さんがでっち上げたことなんで、おれは別にそうは思ってないですよ。大体、洋の東西で、論理的/非論理的なんてことが、ぱかっと分かれると思います? 何か、どうも、石飛さんはそう思ってる風だけど、だとしたら、「単純やねえ」と思います。

あと、「西洋論理学に、どんなに逃げても現実がおってくるぞ」って、これ全然実感が湧かないんですけど、たとえばどんな具合に?

投稿: はやし | 2005/09/28 08:23

あ、別に売り込んでないし、そんなことはっきり言ってどーでもいい。ただ、おれが繰り返し言っているのは、間違ったことを言うな、の一点のみ。

ほんと、ありもしない対立をでっち上げて、ぎゃーぎゃー騒ぐの好きだよねえ……。おれはそういうの、いい加減飽きてきたよ。

大体、宮本さんがやってることって、「宇宙を分断する試み」に他ならないんじゃねーの?

投稿: はやし | 2005/09/28 08:14

愚痴ばかり言ってても冷蔵庫は売れないよ。
北極圏で冷蔵庫使うメリットを主張しなきゃ、
は や し さん♪

投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/28 01:43

宮本さんって、ほんとに読解力ないねえ……。

何か、思うこと、っつったら、それだけ、だな。

投稿: はやし | 2005/09/27 19:36

おおっ!と、読んじゃいました。
一行に知らない名前が三つくらいあると、四回くらい読まないとな。ヤニスとヨルゴスがエレニの子ども。


個人の人生としてみるなら、
いやはや、もう救いようのない重苦しさですね。エレニがインドに生まれていたら、たぶんこりゃ出家の道ですね。


また、グローバルに見渡すと
といっても、ヨーロッパ世界を世界として見たときですが、二五〇〇年の歴史全部を個人エレニの中に見てるんですね。この文章を書いている西谷氏のことです。


こりゃぁ、本気でルサンチマンは消す方向にいかないと、何も解決しませんね。
怨みは怨みによって止むのではない。怨みを捨ててこそ止むのである。(『ダンマ・パダ(法句経)』)
これだわね。それでもって、
ルサンチマンがなくなると、哲学が残るな、っと。


パンドラの箱みたいなもんで、残ったもんは希望。


だから、哲学は希望。


投稿: 管理人エム | 2005/09/26 09:13

>神格化されたブッダ…
神格化されたイエス…
だったりするんだよな、これが。
西洋vs東洋っていうより…
そのどちらの内でも争いがあり、現に勝者として振る舞っている「西洋論理学」っていう立場。
に対する「ルサンチマン」抜きでの「敵対」っていう立場に、我が身を置こうじゃないの、で、ええかな?

>http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/nishitani/hitokoto/hereni.htm
この西谷修氏の論考は必見。
母権制から父権制への移行、と単純に言えないにしても、この古代ギリシャへの視線は見落とせない。


投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/25 19:30

強敵(とも)よ!


お、いいすわね!これ。


イヌイットに冷蔵庫売りつけにきたセールスマン!ははは、すごいなぁ、これも、とってもいいですね。


関係ないけど、うちも、冬になると、冷蔵庫には、凍ったら困るもんを入れときます。サイダーを冷やそうとして、物置においたら、凍って中身が膨張して瓶が割れちゃったもん。…って、こういう話しじゃないんだわよ。


そっか、東洋は非論理か…
それは、ちがうと思う。わたしの意見では…


逆です…すんません


>「現実」にフィットするからって、何なの?と正直思う。大体、パラドキシカルじゃない世界だなんて、面白くもなんともねえじゃん?


はやっすさん!そんなことないよ、おもしろいじゃん。「現実」はパラドックス・パラダイスだよ。でも、現実だから、そう思わないようにわたしたちはできてるんだけど。
男女がいて、子どもが生まれる、なんて不思議なことでしょ。集合って、子ども生める?(こういうこと書くから、また論理を知らないと言われるんだよ、エムや)


宮本さん、龍樹って「皆殺し」?
みんなを生かしたんだじゃないかって、そんな気もする今日この頃。焼き畑農業みたいに、畑を燃やして何もなくしたようにみえるけど、その中から実りあるいろんな学問の果実が育ったような。


ラーゲリに送られた人や、ポル・ポトに粛正された人、…その他…神格化されたブッダ…


投稿: 管理人エム | 2005/09/25 15:01

>西洋論理学を良しとする人は、その論理学をどんな論理学だとおもっているのだろ?
>「現実を論理に含める論理」というのをはやしさんが「論理」と認めてくれるかどうか

っていうエムの問いかけに対しての答えは
>>西洋も東洋も、論理も非論理も
つまり「東洋は非論理」って事だから…

>そのロジックを、はやしさん自身の言葉で聞きたいのですが
この質問は今の彼にはきついかも知れないな。
エム、Mが造り上げた「インド」世界に
彼はイヌイットに冷蔵庫を売り付けにやってきたセールスマンみたいな役割を背負ってる。
彼の言う
>とりあえず別のもんだよ。
>おれの言ってる論理学はこの「現実」とは殆ど関係ないし
「とりあえず」「殆ど」っていう文言も、彼の正確な事を言いたいっていう誠実さよりも、『逃げ』だろ?
っていう印象を強くあたえちゃう。
俺は「殺し」っていう表現でなにかを非難してはいない。
それを言うなら龍樹なんて「皆殺し」だぜ。
俺が
>「現実」の世界で現実に切り捨てられ、殺され…
って言ってる時に思い浮かべてるのは
スターリンによってラーゲリに送られた連中、ポルポトによって粛正された知識人達…ほかにも…

投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/24 21:02

エムさん、心配してないです。
「果て板」にいる仲間のフニャコが得意な「クリンゴン語」という宇宙人の言葉が、あるんですが。
その中にね。
「強敵(とも)よ!」って敬愛の挨拶があって、そんな感じかな。
眠いので、また今度お邪魔します。
おやすみなさい!

投稿: Sita | 2005/09/24 00:05

あのねえ、宮本さん、「そもそもそんな『法』が定常的にあるの?」っていうのは修辞疑問でしょ? それぐらい読み取ろうよ。

で、宮本さんが言ってるのは、論理学の、というよりは、要素還元主義的な西洋科学観ね。それと論理学は、関係ないとは言えないけど、とりあえず別のもんだよ。ま、ともあれ、機械論的要素還元主義的なことを「殺し」というのであれば、「それはそかもね」だけど。ただ、話をちょっと広げちゃうと、「言葉」というものを使ってる時点で、われわれは「殺し」に加担してるんだよ。

ともかく、何度でも言うけど、おれの言ってる論理学はこの「現実」とは殆ど関係ないし、別に何の役に立たなくてもけっこうだし、無価値でもいいと思う。それこそ、面白くて、「おおっ」と思えれば、十分。それにくらべると、石飛・宮本コンビの語る「論理」は、それほど面白くもなければ、「おおっ」とも思えない、残念ながら。「現実」にフィットするからって、何なの?と正直思う。大体、パラドキシカルじゃない世界だなんて、面白くもなんともねえじゃん?

ほんとは石飛さんへのリプライを主にしたかったんだけど、またしても宮本さんがあまりにもおバカなこと言ってたんで、それへの応答で終わっちまった。

つわけで、おれはこれからStatement of Purposeを書かねばならん。さらばじゃ。

投稿: はやし | 2005/09/23 22:45

Sitaさん、グプタさまさまでした。
ほとんど「心の友」ってか、「仕事の友」だったです。また貸してくださいね。って、もう仕事、来るなよぉ。


Sitaさんの心配する状況になってきました?
大丈夫よね。
セットセオリストはやしさんの答えといい、宮本さんの戯論寂滅といい、わたしが本書きながら、きっとこう書いたらこう批判が来るなぁ、そしたら、こう答えて…って、考えてた展開にとても近いんで、はぁ、とってもいいわぁ、すばらしいわねぇ…うっとりしちゃうです…(意味なく感動するんじゃないす)


現実を扱わないはやしさんは、なぜかというと、言語の世界、思考の世界の中を活動場所にしているからですよね。そこから出ないようにして、語るから、シンタックスの問題を中心にするけど、でも、セマンティックスにまったく無縁というわけにもいかないんじゃないでしょうか。
とにかく、真偽をもつ事実文を扱えばセマンティックスがせまってくるっちくす(韻はふまないな)。それにプラグマティックスの問題だと人間も要素になるから、人間て、そのものずばり現実なので、排除していた現実と向き合わざるを得なくなるんじゃないかと思うんです。


西洋論理学に、どんなに逃げても現実がおってくるぞ、って、その点を考えてもらいたいと思って、挑発的に「現代論理学は、時間を扱えない」とか「真理表にな穴がある(あの穴は現実への抜け道だから)」とか言ってみたんだけど、西洋論理学のイロハも知らないと言われただけであった…ははは…各所でだから、はやしさん、気にしないでよ。


んで、やっぱり、「現実」を論理の要素に含めようとするかどうかが、はやしさんと宮本さん・エムの最大のちがいですか。
それで大事なことは、「現実を論理に含める論理」というのをはやしさんが「論理」と認めてくれるかどうかだわね。


それでは、宮本さんとわたしの方は、何か妥協すべき点てあるかしら。おらたちゃ、西洋論理学を激しく罵倒するのみ?


投稿: 管理人エム | 2005/09/23 22:31

>そもそもそんな「法」が定常的にあるの?
>>定常的に
かぁ、あわれだよな、西洋論理学信奉から一歩も出られないヒトって…。
>「宇宙」って言葉をまた勝手に定義
したりしないよ、宇宙の定義は一貫してる。
「全ての可能な出来事の間の関係の総体」
これ以外に「宇宙」があるならお教えいただきたい。
出来事もその相互の関係も、生成し変化する。
「生」ってのは運動/変化がその本質を成している。
西洋論理学(西洋の考え方の基本)ってのは、その動きを停止させ(殺し)分析し(切り分け)総合する(でっちあげる)ことで、ここまで世界を制覇してきた。
君らは殺し屋さ。
集合論も西洋論理学も犬にくれてやれ!
君らの「抽象」が抽象したその切れ端が、「現実」の世界で現実に切り捨てられ、殺され…

投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/23 19:58

いや、おれの立場としては、「西洋も東洋も、論理も非論理も、全部まぜこぜでいーじゃん!」って立場なんだけど、一番排外主義的なのは宮本さん、だな。つか、あれだよな、宮本さんって、差別されてた側が差別する側の諸々を裏返しに反復しちゃう(たとえば黒人がBlack is beautifulって言い出しちゃうとか)、っていう茶番めいた挙措を、それこそ喜劇的に反復しちゃってるけど、それどうなのよ?

ま、それはともかく、集合論にしても、(西洋的)論理学にしても、何度も言うように「現実」ってのはあんま関係ないんですよ。そりゃ、「数学の世界」っていう「現実」を掴まえる、っていう意味では、集合論や論理学もなにがしかの「現実」を扱っているわけだし、そうした「数学の世界」もひろくスコープを取れば「この現実」に属してるって言われりゃそうなんだけど、少なくとも「この現実」が前景に出てくるシチュエーションは少ない、というか、思い浮かびませんね。ともあれ、集合論にせよ、論理学にせよ、それが「現実」把捉に何がしか有効な手立てを提供するってのであれば、「お、よかったね」と外野からは言うしかないですな。逆に言うと、それでうまくいかないからってあーだこーだ言われても、んなこと知ったこっちゃないのです、プロパーなセットセオリスト、ロジシャンからすれば。

あと、「不完全性定理」っていう言葉が見られるけど、これも何度も言うように、これってあくまでシンタクスの世界での話であって、セマンティカルなことは関係ない。だから、シンタクティカルに真偽が不定だとしても、セマンティカルにはみんな「真」だと思ってるわけです、ゲーデルも含めて。だから、セマンティカルな局面での話、つまり「現実云々」を語ってるときに、この「不完全性定理」を持ち出すのは場違いも甚だしい。

それで、そうだ、おれは「現実」という言葉で「宇宙がそれに厳密に従っている『法』」っつーことを指示してたんだけど、そもそもそんな「法」が定常的にあるの? って、こういうと、今度は「宇宙」って言葉をまた勝手に定義しなおして、いいように言うだけ、なんだろな。そういうのを「アドホック」っつーんよ。あ、これは石飛さんにではなく、宮本さんに対する評言ね。

何か、長くなっちゃったんで、この投稿はここで一旦打ち切り。

投稿: はやし | 2005/09/23 17:53

今までのやりとりや、他所で語られている、エムさん、浩樹、はやしさんの言説を鑑みると、三者とも西洋、東洋の論理を全否定されている訳では、ないと思うのですが、違いますか?
多分、それぞれの立場を取られての議論だと思います。
西洋、東洋とその場所で起こり、発せられた先人達の思想は、どちらが優れているといった優劣では、勿論ないと思うし、それを見渡せる手段を持つ今、差異ではなく一致点から、先に進み探ることは、出来ないのでしょうか?
例えば、ブラフマンであるヴェーダ聖典の言葉は、「世界をその言葉通りに創る力を持つ」というインドでの思考は、「はじめにロゴスありき」ということと同義ではないのかと、ならその言葉を使い、何かを「知っている」もしくは「悟っている」のなら「まっすぐに届く言葉」を使わなければ、他者には、伝わりにくい。(これって、お前だよ!って自分のことだけど)
知りたいという気持を持つ者にとっては、
「それが、赤だと思う」「それは、赤だと信じる」「それは、赤に見える」 ではなく
「それは赤です」ということを知る糸口は、どこからでも良いのです。
色んな分野や思想に橋が架かって、自由に行き来できればと願う者にとっては、論議が決裂しちゃったら、勿体無いな~って・・・。

で、エムさん、グプタさんは役に立ちました?

投稿: Sita | 2005/09/23 12:49

>「論理」で「現実」を掴もうとしている
んじゃなくって
宇宙がそれに厳密に従っている「法」に言語表現を与え、実は我々もその同じ「法」に厳密に従っているという事(論理と倫理が一致する地点)を明らかにしたブッダと龍樹の仕事を現代に持ち込み、戯論寂滅、邪見断滅を意図してるんだよ。
新・エム/Mコンビは。

投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/23 11:12

はやしさん、きっと宮本さんも書いてくれると思うけど、おもしろいなぁ、ほんとに平行線みたいですね。


一つだけ。
>「論理」で「現実」を掴もうとしている
のではなくて


「現実」で「論理」をセーブしている


って、感じですか。
西洋論理学の中では、集合論理学はどんな位置づけなんでしょう?って、いう疑問は、西洋論理学自身の中からは出てこないんだろうと思います。
というより、「集合を抜きにして論理学を語る?!」だぁ、それじゃあ、ものすごく語る内容が乏しくなるだろう、っと思われて終わりかな。
ZF理論も、集合論の中での、いわば、ゲーデルに対するアド・ホックな対応ですよね。実在論的に集合を見る立場では、理論の開発は困難に挑む未知への探求であり、発見の旅という要素がでてくるので、なんとなくそれなりに「現実」的かもしれませんが、そもそも集合論的な見方をとらない人(というより、その「論理」は「現実」によってセーブされるべきとする人)には、「ううん、その考えをもちだされてもなぁ」と反応するしかないのです。


集合論は、アメーバのように、本来そういうことを意図していない論理学の中にも容易に入ってきて、当然のように居座ってしまいます。
はやしさんは、「論理は普遍的ではない」、論理それぞれ、その使い道があるという意見ですね。それなら、それぞれの論理がぶつかりあうこともありそうですが、そんな風でもないです。ということは、それら全部の論理に共通する「棲み分け理論」か「共通基盤」みたいのがあるんじゃありませんか。
それが、集合論じゃないかって気がします。


宮本さんとわたしの論理も一応「論理」なので、はやしさんの言う「それぞれの論理」の中に混ぜてもらっても良いように思うのですが、ぜんぜんまざらないところを見ると、やっぱり、西洋論理学全体を覆うUr-logic(原初的論理?)に反するところがあるのだと思います。

そのロジックを、はやしさん自身の言葉で聞きたいのですが、どうですか?つまり、西洋論理学を良しとする人は、その論理学をどんな論理学だとおもっているのだろ?っていう疑問です。

投稿: 管理人エム | 2005/09/23 11:01

ああ、また宮本さんのよくない芸風が出てるなあ。すなわち、雰囲気だけで物事を語っちゃってる。

「普遍性を捨てた論理に価値も使い道もない」って、どういう価値? どういう使い道? もしかして、これら価値と使い道には全称子がつくの? もしそうだとしたら、これは端的に偽だから、お話にならない。

それで、話の最初っから分からないことなんだけど、何で「西洋論理学」が「殺しの論理学」なの? 何か、ムリヤリ「西洋論理学」が「最初の出来事」を措定せざるを得ないような語りっぷりだけど(にしても、何で「最初の一歩」を措定すると「殺し」になるのか、分からない)、宮本さん、ここいらのこと、集合論、それもZFのそれと混同してない? 確かに、ZFは正則性の公理を置くから、任意の集合に関して最小限の存在を主張し、ゆえに「起源」を仮定してるけど、正則性の公理を仮定しないで展開する集合論だってあるわけだしねえ。

で、石飛さんにしても、宮本さんにしても、「論理」で「現実」を掴もうとしていると思うんだけど、そこからして多分おれとはずれちゃってる。だから、この議論はどこまで行っても平行線、だろうな。

つか、繰り返しになるけど、宮本さんの言ってることは、納得する納得しない以前に、何を言ってるのかよう分からん。

投稿: はやし | 2005/09/23 00:31

>縁起の最初の出来事は何か?
こんな問いは殺しの西洋論理学からしか出てこないだろ?
いいよ、エム。
生徒さんの事は心配しないでいい、後は俺がここで通信講座やるから…。
でも、消える消えないの話しはもうやめよう。

悲しくなる…

エム…

投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/22 20:54

うん!わかった。


ドラえもんのポケットとスペアポケットみたいな感じね。
ポケットの中から何でも出てくるしね。

ドラえも~ん、いいでしょ、お願い!何とかして!


のび太く~ん、しかたないなぁ、
エンギ拍子木ィ~~~
この拍子木を打てば、インガがずぅ~っと見えるのさ。
あ、ギンガも見えるっち!


って、こんな感じで好き放題やるんですねっ!


まかしてよっ!


って、だけど、わたしが消えたら、あとお願い。

投稿: 管理人エム | 2005/09/21 08:58

>わたしの存在意義はいかに?
って、僕が君の事を知った時に真っ先に思った事だよ。

僕が言うべき事。言えたはずの事。言わなきゃならなかった事が、全部君に言われてる。
じゃあ、僕は?
いや、自己を語らないのが僕達の流儀だったね。
君と一つになって消えてゆくか?
いや、違う。
どちらかが互いにスペアパーツであるように、
どちらかが失敗して消えていってもいいように、
くしゃくしゃになって好き放題やればいいのさ
今まで通り…、すこしは安心して。
ええやろ?

投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/20 21:51

あら、はやしさん、気にしないでよ。いいのよ。


わたしは、わたしで、夕日見ながら、はやしさんと「赤いかどうか」で言い争ってる図なんて浮かんでたりして…
夕日見てるときは、ぜったい避けたい、論理の話しは。と、思ったのでした。


そうか、はやしさんにとっては、論理は普遍じゃないのね。確かに、様相論理学なんて種類豊富で使い分け自在ですもんね。って、納得するとまずいか。


だけど、もっと納得しちゃうのが、宮本さんの解説。


もう、まるっきり、その通りだから。
最初から、宮本さんに説明してもらえばよかったにゃぁ。


ってことは、わたしの存在意義はいかに?


投稿: 管理人エム | 2005/09/20 01:00

「普遍性を捨てた論理」に価値も使い道も認められない。「あっ、その問題についてはノーコメントね。他を当たってちょうだい。」なんて言う論理なんて無用でしょう。

「全てを説明し尽くしたい。」っていう情熱が、ゲーデルの不完全性定理によって冷や水を浴びせられた。「全ての真なる命題を矛盾無く証明できる体系は構築出来ない。」事が明らかであっても、いや、明らかだからこそ「信仰」が必然的なものになるのでしょう。

西洋論理学は殺しの論理学です。
運動も変化も生成も、表現しようとするとすぐにパラドックスが現れます。

ブッダ論理学(これ石飛さんの造語ですよね?)は西洋の因果律を包摂する「縁起」を用いて変化をその内部で表現できるためにパラドックスに躓きません。
自己言及に伴うパラドックスも生じないのです。
生成し変化する、生の、「現実の」論理学だと思います。

宇宙は出来事でできており、「可能な出来事相互の関係の総体。」がこの宇宙だとすれば、縁起の最初の出来事は何か?
それは「他に依らずに起こった。」と考えるか
それは「最後の出来事と同じである。」と考えるか

造物主/神を呼び出すか、
円環を描く時間、永遠回帰/輪廻か

石飛さんの言う「信仰」はこの事じゃないかと思います。

投稿: 宮本浩樹 | 2005/09/19 10:50

石飛さーん、おれからネタふったのに、結果的に「だんまり」な風になっちゃってすみません! ごめんなさい! つか、みんな(というか、宮本さんだよ、宮本さん!)おれが最近忙しいの知ってるんだから、とりあえず盛り上げてくれててもいいのにさ。ぷんすか。

で、結論から言っちゃうと、おれ「論理は普遍」だなんて、ぜーんぜん思っとらんですよ。むしろ、論理なんてのはいっくらでもあると思ってる。ただ、それぞれの論理には、それ相応の利用法というか、用途があるわけで、それを超えて無体な要求をされても、どーしようもないよ、っつーことです。

その上で、ある論理体系Aで実現できないことを実現できるように、別の論理体系Bをこさえよう、ってのは、それ自体批難されることでもなんでもなく、フツーのことです。つか、むしろ、推奨されるべきようなこと。

ただ、おれが石飛さんの口吻で疑問に思うのは、そうした様々な論理体系が互いに比較可能だ、というような言いっぷりをしてるところ。そりゃ、命題論理と述語論理の関係みたいに、一方が一方を包摂している場合は、包摂してる方が便利かな、って気はするけど、それすらも場合によるわけで。

ってなところで、次は暴れ馬の登場を待ちましょうか。

投稿: はやし | 2005/09/19 01:05

ヘンリーさま
カフカの言葉もピラトと大衆の言葉も、痛すぎますね。
後悔するのが人生さ、って、日本中がいう事態は避けたいぞ!


はやしさま
詰めの甘いわたしです。うれしいです、のっていただけて。


まず、「はやし─いしとび」ルールってのを導入したい。
「それは無しで考えて」っていう限定を極力入れない、って、ルールはどうですか。いいでしょ?

そうすると、まず、はやしさんとわたしは対立している。はやしさんは「論理は普遍だ」といい、わたしは「論理はそれ自身対立する」と言ってます。
「論理は一つ」とするのに対して「論理は二つ」とする立場と言ってもいいかも。
では、わたし。「論理が一つという意見は、ほんとは二つあるうちの一つを排除して、これは論理ではない、とはやしさんが考えてるからである。排除している論理とは何か。それは、現実という論理である。(ちょっと変な表現?)」と言います。


矛盾律(¬(P∧¬P))は成り立つことを承認しますと言えば、そのような論理を認める世界を考えているのであって、現実にそのような論理が誰の目にも明らかなようにそこここに転がっているわけではありません。


「(一瞬の)夕焼けの色は、赤い色でもあり、赤い色ではない」
と思ったりするとき、それは論理を逸脱しているのではなく、もう一つ別な論理の方にいます。わたしが言いたいのは、もう一つ別な論理にいるのですが、わたしはそのとき矛盾律そのものを排除しているわけではないということです。論理の場所を変えているだけ。対立するように見える二つの論理が、わたしの中に一つにおさまっています。でも、わたし自身が矛盾しているのではなく、わたしは立場を変えられる。現実という論理を受け入れるから。


たぶん、はやしさんは、矛盾律を認めないとすれば、排中律の成り立たない世界で、そこには第三の存在を認める論理があると又別に考えるのではないかと思います(ちがったらゴメン)。そうすると「論理は一つ」とする世界が、別にまたあることになってそれらは互いに相容れないのではないか、それは、まずいのではないかというのが、わたしの意見です。


なぜ、まずいかというと、はやしさんとわたしは、論理の数をめぐって今対立しており、論理は普遍的とするはやしさんは、わたしを「あ、それは、いしとびさんの論理(論理は二つ説)でしょ」といって、おしまいにしてしまう可能性があるからです。
現実を見れば、夕焼けの色で一致する見解が得られるかもしれないのに、論理をもちだすと話ができなくなるのは、論理が普遍的ではない証拠のようなものだと言ってしまうと決裂しちゃうわね。
では、やめて、言葉を変えて言うと、論理学体系をもっと広く考えて、論理学の中に、演繹論理学(論理は一つ)ともう一つ弁証法的論理学(?)(対立する論理)を一つに統括するような論理学体系を模索必要があるという意見を出したら、どう思われますか?


さっさと、この意見だけいえばよかったかのかな。もっとちがう風に言えば、論理は現実と仲良くなるべきだという意見です。

投稿: 管理人エム | 2005/09/15 09:56

「演繹論理学の体系を受け入れた人は、それを信仰している人だ」ということから、「あらゆる人に普遍的な論理の基盤というものは、じっさいには存在しない」ということを推論し、さらにその場合、「あるのは、対立する二者が、お互いに詭弁だと思う論理学だけ」とする石飛さんの議論には、看過できない「論理的間歇」が存在します。いくら「飛躍気味」とのエクスキューズがあるとは言え、詰めが甘すぎると思います。ま、「こういう議論が成り立つスキームをわたしは信仰しているんだから、これでいーの」と言われればそれまでですが。

と、あえて意地悪に「煽って」みる。

投稿: はやし | 2005/09/15 00:05

こちら「カレーな一日」には初の投稿となります。

自民党圧勝について、いくつか思う言葉がありますので、申し上げます。


「あなたは自分の2歩先すら見えないのか!」
(フランツ・カフカ 『審判』)


ポンテオ・ピラト 「この血について、私には責任がない。おまえたちが自分で責任を負うがよい」
大衆 「その血の責任は、われらとわれらの子孫の上へ」
(J.S.バッハ 『マタイ受難曲』)


「この逃避の方法は恐怖から逃れる場合と同じく、強制的である。したがってこの道は幸福と積極的な自由へと続くものではない。それは耐えがたい不安を和らげ、恐怖を避ける事になるかもしれないが、それはそこに潜む問題を解決したのでは決して無く、ただただ自動的・強制的行動だけで成立している生活をする事によって、その代償を払っているだけである」
(エーリッヒ・フロム 『自由からの逃走』)


僕は、すぐに破滅的な事態が起こるとは思いません。それは為政者が理性的であるからという積極的な理由ではなく、ひとえにこの国の外交力が極めて無力だからという消極的な理由からです。
ですから、この責任は、かつてのナチのように諸外国に迷惑をかけるという形ではなく、ただただこの国に暮らす人間がそれなりの苦労をする事によって取られると思います。
自民党にノリで入れた人が今後どのような圧政を受けようとも「自己責任」ではないでしょうか?


素数の歌さま。
悲劇というものは起こる前が一番苦しいもので、起こってしまった後は、潰されるか、それともそれに立ち向かうかの2通りだそうです。
素数の歌さまの立ち向かわれるお覚悟に感心致しました。

投稿: ヘンリー | 2005/09/14 11:30

ありがとうございます、素数の歌さま
ときどき自分も、20才になってこういう哲学講義受けてみたいもんだと思います。原稿用紙何十枚分もムキになって書くだろ、って思うなぁ。あんまりたいした意見じゃないだろ、ってのもわかる。


アジョイントな関係は、世界のあり方そのものですね。
よく知らないのですが、ゾロアスター教はアフラ・マズダーとアンリ・マンユという善と悪の神をもつと読んだことがありますが、ときどきこの対立が気にかかります。

インドにはいると、神アフラはアスラ(阿修羅)と言われて、悪魔なります。アンリ・マンユという悪魔の明主の側にいるのがダエーワで、これはインドに入ると、デーヴァ(神)と言われ、逆に善なる神的存在を指すようになるのです。

二つの対立する世界をもつゾロアスター教は、けっこうすごいんじゃないだろうかと思ったりします。
アジョイントな関係を根源としては認めているわけですよね。

ブッダも自分の教えに理解を示してくれる人をデーヴァと呼び、無理解で悪意の人をアスラと呼んだと思います。そう呼んだけど、弟子にはどっちも気にするな、って。

なぜ、宇宙は開いているのか閉じているのかわからないんだろう。なぜ、男と女がいるんだろう。なぜ、本音とたてまえがあるんだろう。なぜ、精神(魂)と肉体と普通に考えてしまうんだろう。


一方だけを見る人には、パラドックスが生まれてしまう。
何とか折り合いをつけるには、「互いに基礎づけあう関係」、アリストテレスで言えば、「中庸」のような、ブッダで言えば、「中道」のような、二人の意見はぜんぜんちがうけど、とにかく何らかのかたちで、二つの関係を意識した関係を見つけなければならないということかもしれませんね。永遠の無限後退が人類の歴史ともいえるかな。それが、止まれば、絶滅…


世界戦争というのも、一方だけを見る人々が多くなると起こりうるのでは、と心配です。何とかしなくちゃね、微力すぎるけど。

投稿: 管理人エム | 2005/09/14 09:10

>いや、ほんと勉強になります。
それで、みんなが最後に感想書いてくれたりするんだけど、「哲学は奧が深い」と書いてくれた子が多かった。
そうすか。いや、あなたも奧が深いです。

せんせいも奥が深いですよ!

奥が深い、にも関係しますが、
アジョイント、という数学概念がありまして、
指導教官の言葉を借りれば
「閉じようとしても閉じ切れない相互関係」
を表しています。

二つの対立する理論は、しばしばアジョイントの関係をなしていることが多いように思われます。
それらは実は互いに基礎付けあうのです。
これは無限後退ともいえますが、
同時に互いが「無限に奥が深い」ことを示しているとみれば、
「すばらしい」ともいえるのではないでしょうか。

>ああ、労働してる間に、自民党が圧勝してしまいました。

私もそんな感じです。戦慄します。
でも絶望はしません、断じて!

世界戦争は、今度こそは必ず止める。

一学徒として、そういう覚悟を新たにしました。

投稿: 素数の歌 | 2005/09/13 23:48

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