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2005/07/07

『インド思想史研究』論文不採用のお話

ちょっと、まじめに、お知らせです。

昨年2004年12月11日京都で開かれたインド思想史学会で、発表した「ニヤーヤ学派の言語論」
の原稿ですが、『インド思想史研究』の採用はボツとなりましたので、お知らせします。

いろいろな意味でとても残念です。
聞いてくださった人が、何人も
「雑誌掲載になったら、読んでみますよ」
とおっしゃってくださったので、
けっこう力を入れて書きましたが、査読により採用不可となりました。

この論文は、インド哲学研究にとって、ある意味、問題提起の内容を含んでいるので、
どう評価されるかな、と気にはなっていました。
しかし、正直言ってボツとは思いませんでした。

で、

よく考えると、
この論考は、このままでは、闇に葬られることになってしまう、
ってことに気づいたのです(おい!気づくのおそいよ)。

なので、

このホームページに、栄えある「不採用記念論考」として載せようと思います。

日本語を英語に直して出しましたが、
こんどは英語をまた日本語にもどして、っと…

そんなわけで、すぐには載せられませんが、
直し次第載せますので、お楽しみに。
どんなものを書くと「ボツ」になるのかご参考になさってください(なさるかっ!)。

【ボツ理由について】
さて、論文のボツ理由は、『方便心論』の「言失」という言葉の解釈が論拠不十分というものです。

おい!おい!
この論文のテーマそのものなんですけどぉ。
これがダメと言うことになると、自動的に全部の内容が消滅しちまうんですよぉ。

対立の論点

「言失」の解釈は、

この日記の中(2005/02/26)や「ロゴスの穴」の「戯論寂滅(けろんじゃくめつ)とヨンさまの深い関係」(2005/02/27)で、すでに述べてあります。

一見何でもなさそうな「言失」のこの二つの説明が、

たぶん、

いずれ、

龍樹研究だけではなく、

インド哲学研究の方法論上、

大きな問題を提起することになる…

預言者エムは思います。

この「言失」は、龍樹の「空」思想の根幹にも関わる内容です。

「言失」を用いて、

龍樹が当時のインド・仏教の思想界にどんな殴り込みをかけたのかを

明らかにしたのが

今回の論文なので、


ぜひぜひ

みなさんに、発表したままをご覧いただきたいのです。


「言失」論拠不十分ということでしたが、
じっさいには、論拠ははっきりしていると言えばはっきりしているのです。

これは、引き算を用いた証明問題なのです。

わたしが、証明したのは

『方便心論』=『ニヤーヤ・スートラ』-『チャラカ・サンヒター』

だったのですから。

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