« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »

2005年7月

2005/07/31

ブツの悟り、ぶつ、ぶつ。

書こう書こうと思いながら、ほとんど日記にまで力が及ばない管理人エムでございます。

本出て、マニカナサイトの人生変わった管理人です。
マニカナサイトの人生が変わったんだから、「サイト生」かな。
管理人の日常は何にも変わりません。

あ、そうだ!ブッダからのメッセージがあるんだ。
みんなに話さなきゃ。おおい!ブッダァ~。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

やぁ、ぼくブッダ(何か、軽いノリだな)
ぼくがどうやって、ブッダ論理学覚ったか教えてあげようか。

うん、なんで?

ぼくっち、修行してるじゃん。

ちょっと軽すぎ。あんたほんとにブッダ。

そうだよ。訳し方が悪いんだ。ぼくって、庶民派よ。知らなかったの?

知らないわよ、そんなこと。イメージ狂うから止めてほしいわよ。

ぼくの方こそやなんだぞ!あ、いけない。悟ってるんだ。忘れるとこだった。

なさけないわねぇ。それで何よ。メッセージって。

あ、そうそう。ぼく、修行でたいへんじゃん。それにほとんど無一物でしょ。
鉢とゴザだけだしさ。服ったって、着た切り雀だし。

見りゃわかるわよ。ビンボーなのはさ。んで?だから?

だから、その点考えてほしいんだな。
ぼくみたいな一切知者は、一切知ってるんだから、何でもコンパクトに覚えておかなきゃダメなのよ。
鉛筆とか紙とかもってないんだから。わかる?

ふうん、そういやそうねぇ。PCとかももってないわけ?

あのねぇ、コンセントないんだから、PCもないのっ!

すげぇわね。コンセントないどころか家もないと思うけど、コンセント知ってるだけでもえらいわよ。

ま、ぼく一切知者だし…
それはいいんだけど、一切知者を維持するためには努力がいるわけよ。

ふうん、それで?

で、どうするかってえと、体験して・整理して・記憶するわけ。
わかる?

なに?それ。

体験したことは、要点をまとめて、ぼくの頭に入れとくのさ。
そうすれば、簡単に取り出せて、しかも体験に基づいてるからたしかで忘れないんだよ。
それをみんなにあわせてアレンジして話すんだ。わかる?

ぼくは、言葉だけでものは考えないから、さ。
いつも実体験っていうのを重視してるのさ。

ふうん、けっこうえらいのね。ビンボ-なのにさ。

関係ないだろ、ビンボーは。
んで、先を急ぐと、六感をよく使うんだよ。

へぇ。六感て?

眼、耳、鼻、舌、身、意(心)だよ。
ぼくは、これによって一切知者になりました。

ぼくからのメッセージはだよ、

きみらも磨け!六感は一切知者への登竜門!

んじゃ!かる~く修行でもすっか。ばいちゃ!
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ブッダって、六感使って悟ったのかぁ、知らなかったなぁ。
簡単そじゃない?でも、使うって?どうすんだ?

| | コメント (26) | トラックバック (0)

2005/07/24

龍樹っ!あんたのせいよ!

ココログ開いたら、あれ、何もない。
一週間ごとに区切って表示されるので、
週が変わって何も書いてないと、メタルむき出しになっちゃうんだ。

ひぇ~、はやく言ってよ。
何もネタないのに、とにかくメタルむき出し状態を避けるという、それだけのために書き込むわたし。

って、いっても、さびしかった掲示板にも書き込みがありましたし、
ココログにもコメントついてるし、
幸せです…しみじみ…

なんて、喜んでると、お尻に火がつくかな。
はやしさまの
「はやしのブログ」の
長期化する可能性のあるかもしれない
…かもしれない
辛口「いちゃもん」に
答えられないと…

インド論理学でいうところの

「敗北の立場」になってしまう。

『ブッダ論理学五つの難問』で、

第一章に現代論理学批判を書いたのは、

龍樹のさしがねなんですよぉ。

りゅうじゅのおばかぁ~~、やっぱり、反論くるじゃん。

これから、はやしさんちに行ってきます。どきどき…りゅうじゅのばかばか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/18

A Logical Mystery Tour へようこそ

ブッダ・ロジカル・ワールドにお越しのみなさま、ようこそ。

入り口は、『ブッダ論理学五つの難問』。

中に入っていくと『方便心論』のラビリンス(迷宮)。

そこを必死で抜けると、そびえ立つ『中論』の岩山。

死にものぐるいでそこを突破すると

夜盗の出没する恐怖の『廻諍論(えじょうろん)』の崖の道。

生きて抜け出せたものだけが、ブッダ・ロジックのすべてを手に入れられる。

何か、こんな感じでしょうか。ほんとにほんと、ズダボロ・ツアーにようこそ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、みなさま、『ブッダ論理学五つの難問』の関して
インターネットのいろいろなところでたいへん好意的な書評いただきありがとうございました。

それで、御礼をかねて、さっそく読者のみなさんにお願いを。

さて、この本の主題
「ブッダが論理学を説いていた」
ということ、
みなさん、納得していただけたでしょうか。

本の最後にある質問には絶対ちゃんと答えてくださいませませ。

質問「みなさん、これはダンマと言えるでしょうか。」

ここは、しっかりお答えください。
疑問の個所はビシバシチェックをいれて、
作者の論にミスがないか、厳しく厳しく検討してから答えてね。
(そんでもって、あったら、教えて…こっそりね)

考察を手抜きしちゃダメ!
ちゃんとやってよ。
(だんだん読者に向かって命令調になってきたな。わりい、わりい。)

だって、ね、わたしのみつけたブッダ・ロジック、まだあるんですもん。
話してないこと、まだたくさんあるのよ。
だから、次に進むためには、読者のみなさんのお力が必要なんですわよ。

ブッダがどれだけ天才か、ぜったいみなさんにおみせしたい!
(と、なんでわたしがこれほどブッダに入れ込まなきゃならんのか、
って気もするんだけど…)

だから、納得したら「よしっ!」って言ってね。
それを合図に次に進むわ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2005/07/17

学生さんは哲学する

暑いですねぇ。
ここ数日、勉強しようと思っても、暑くて暑くてはかどりません。
普段は嫌いな茶碗あらいばかりしてしまう。水を使うと気持ちいい!

最近、龍樹の空思想が幻覚のようにいつも思い浮かんでこまったもんだわ。

哲学の授業でも、当初は全然話しをする気がなかったのに、
蜃気楼だの陽炎だの逃げ水だのをとりあげて錯覚について考察してしまう。

認識のどの過程でミスを犯すか、認識対象か、認識器官か、その他の感性・情緒・知識・経験か、あるいは認識判断かなんて複雑な考察をさせる。

どうなるかと思ったけど
不思議なことに
学生諸君が、みんなちゃんと話しについてくる。

急にむずかしくなっているのに全然平気で
感動もんのレポート出してくれる。

みんな、とっても頭がいいのよ。
へたに哲学の素養がないぶん、先入観がない。

この分でいけば、龍樹話してもついてこれるんじゃないかな…
って、思うとわくわくしちゃう。

じっさい、多くの学生さんは、自由に思索させると、
どんどん仏教的な考え方へ傾いていくことに、
最近気がつきました。
自分じゃ仏教だなんて気づかずに。

哲学って、ほんと素人と玄人の差がない
ンじゃなくて
玄人って、自分で思ったら、もう哲学終わりだと思うよ。
ほんとに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/16

変化に弱い…

とうとうアクセス数は、一日100を超えたと思う…
明日は赤い雪が降るにちがいない…

なんでいちいち、文の後ろにてんてん(…)つけるんだ?

だって、書くたびに動揺するからよ。
わたしって、意外と変化に弱い動物なのよ。

昨日だって、へましたし…

授業2講終えた後、
昔はじめて非常勤やったときに受講してくれた教え子の人と待ち合わせしてあいました。
ステキなマダムに変身してました。
わたしは何に変身してたかって?…どっちかっていうと仮面ライダー…なわけないす。
本をプレゼントしていろいろおしゃべりする…いろいろ…

別れて、買い物あれこれして、地下鉄乗ったらバテバテで意識朦朧だった。
変化に弱いす…
意識はない…

は、降りる駅だっ!
ど、動揺するわたし…

あわてて降りる。
改札抜けたら、通ってしまった後で、「通れません」の表示がでてばたんと閉まりました。
ど、動揺するわたし…
変化に弱いし…

で、悪態つくのだった。
おせえよ!改札!(きれいな言葉を使おう…)

で、駅員さんのところに行って、
「通ったら、『通れません』って、1秒後に表示が出て閉まったんですけど…」
「どれ、切符を見せてください」

いつも「ウィズユーカード」っていう地下鉄のプリカを使っているので、それを見せると

「お金引かれてませんね、このカードですか?」
ど、動揺するわたし…
変化に弱いし…

「へ?たしか、これのはず…だけど、他のだったかな…」
「他のもあるんですか」
ど、動揺するわたし…
変化に弱いし…

「じゃぁ、これかな」と別のカードを出す。
「これ20円しか残ってませんよ」
ど、動揺するわたし…

「あらん、ごめんなさい。じゃぁ、これかな?」
「これは、昼割りのカードだから、時間外です」
ど、動揺するわたし…

「あれ?じゃぁ、これでどうでしょ」
「これは6月20に使ってますね、改札通った印字がないですよ」
ど、動揺するわたし…

「じゃぁ、これかしら?」
「これ、ワンデーカードでとっくに期限きれてます」
ど、動揺するわたし…

「じゃぁ…どれだろ?」
「お客さんっ!少しカード整理したらどうですかっ!(物持ちのよさに感心してる…風はない)」
ど、動揺する…のも疲れるわたし…

で、心の中でぐちる
(そんなのおらの勝手だぁ…改札がにぶいんだいっ!…)

漫才みたいなやりとりの後、

で、結局、最初のカードからお金を引いてもらったのでした。

おらが悪いんじゃねぇ!
変化に弱いだけ…だってば。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/14

(誰も聞いてない)質問にお答えします

な、なんだ!どうしたっ!

朝起きて、おべんと作って、子ども送り出して、ハァ、やれやれ仕事すっか、

と、

のんきにHP開いてビックリ仰天。

カウンタの数値が、数値がぁ…ぁ…ぁ…

昨日は79名もの来訪者あり。そのうち何回かはわたしだけど、それにしても、すごい!

普段の倍以上じゃありませんか。

やっぱ、本かしら?『ブッダ論理学五つの難問』の?
そうだったら、ま、まずいわ(何が?)。

読者の質問に答えなきゃ(誰も聞いてないでしょ)。

よくあるQ & A、ってのがいると思うのよ(いらないと思うよ!)

(  )は無視よ!それどころじゃないわよ。
いくわよ、みなさま

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

★質問1  第一章の「龍樹、命題論理学を斬る」の節で、作者は龍樹になりかわっていますが、どうやってなりかわったのですか?

仮面ライダーのように、へ~ン~し~ん、っという決めのポーズがあるのです。
その為に必要なアイテムは、大きな声では言えませんが、小さな声で言うと
『方便心論』です。この本のある部分を心に思い浮かべるのです。

ここは龍樹がしゃべっているので、すこしむずかしく、そして、いじわるっぽい議論になっています。
龍樹が言ったんだから、作者としてはいかんともしがたいのです。がまんしてけろ。

★質問2  『方便心論』と阿含経典『アングッタラ・ニカーヤ』は、どのくらい仲良しなのですか?

あ、そりゃ、もう、とっても仲良しです。「確実な知識を得る」ということについて書いてある部分は、全部この『アングッタラ・ニカーヤ』3.67を使っています。ほんとは、まだあるんだけど、書く紙がなかったので略しました。

★質問3  難問4で出てくる「貧乏農家」の「おやじ」と「息子」のせりふは訛りがありますが、住んでる地方はどこですか?

あ、すまねぇす。北海道・東北地方をイメージしてますが、あんまり訛ると、全国的に通じないと思って、70%濃度の訛りにおさえてあります。なので、ちょっとヘンす。ゆるしてけろ。

★質問4  難問5で、チョコレートケーキの砂糖の衣をはがして食べていますが、いつもそういう食べ方をするのですか。

はい、そうです。

ビターはビター、スイートはスイート、分けるとわかる、おしゃかさん

これは、わたしの作ったおしゃかさん標語です。交通標語と一緒に覚えてね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
よくある質問はこんなものかしらね(誰もこんな質問しないと思うぞ)。

うるさいわね。するわよ、もち。

っていうか、

作者が書き残したことなんだから、質問してよ、おねがい!

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005/07/13

わたしは純粋!

他人の作ったブログ様式を採用していると、
わからないことだらけで使いこなせないわ。

わたしが原始的にできているせいだろうか。
という言い方は、傷つくわね。
言い直すわ。

単純にできているせいだろうか。

やっぱり、傷つくわ。

純粋だからだろうか。

いいわね。欠陥が目立たなくて。これでいくわ。

で、言いたいことは何かというと

ブログの左側のコンテンツ表示などいろいろ

変えられるのね。今知ったのよ。

「マニカナ」にもどりたいときどうしたらいいか
みなさん困ってたと思うんですけど
もどれるようになりました。

コンピュータみたいな人間機器(?)って困るわ。
他人の思考が、もろ、操作の回路に入ってくるので、
わたしの思考回路とけんかしちゃう。

で、わたしの方が折れるわけよね。
言われたとおりクリックしないと何もやってくれないものね。

コンピュータ使ってて、思うことは、

わたしって、けっこう常識ない、じゃなくて、非凡だな(トホホ)、ってこと。
ほんと、わたしって、純粋!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/11

しみじみ過去をふり返ってみたりする

いやはや、天候不順です。
ムシムシしたり、すずしかったり変ですね。

ひさーしぶりに、このサイトの名前になっている『マニカナ』という新論理学派の綱要書をめくっていて、
すごく新鮮でした。
新論理学派(ナヴィヤ・ニヤーヤ学派)の根本教典となる『タットヴァ・チンターマニ』に対する綱要書と考えられているのです。

いや~、大きな声では言えませんが、今から思えばかつてこれを訳したとき、
全然わかっていなかったなぁ、って思います。

やっぱり、大きな声では言えませんわね。

今見ると、3世紀頃に書かれた古いニヤーヤ学派の論理・思想の伝統をひしひしと感じる。

だけど、

これやってるときは、ナヴィヤ・ニヤーヤ学派の錯綜する専門用語の中にどっぷりつかって格闘してたから、
ほとんど目の前のことしかわからなかった。

広い視野、っていうのが、まるっきりなかったわねぇ。

仏教やったりして、いろいろ学問の地を遍歴するのは、やっぱりいいことだわ。
古里に帰る喜び、っつうのがあるもん。

自分の研究対象を外から眺めることができてはじめて、自分が何やってたかわかるのだわねぇ。

「かわいい自分は旅させろ」ってことわざにあるとおりだわっ!
(こんなことわざあったっけな?)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/10

「わからない」って、なに?

最近の哲学的考察。

世の中には、わかることと、わからないことがある。
当然、わかることはわかるが、わからないことはわからない。

(今までのところ、考察にミスはないですね)

で、知りたいのは、わからないことである。
わからないから、それは何か、どんなものか、知ろうとする。

(ここまでのところ、考察にミスはないですね)

わからないことは、いつかわかる。
わからないことは、永遠にわからない。
上の二つのうちどちらかである。

(ここまでのところ、考察にミスはない)

そうすると、わからないことは、

永遠にわからないことなのか、
それとも
いずれわかることなのか

それを知ることも、それについて「知る」ということになる。

(ここまで、考察にミスはないはず…)

何だか全然わからないんだけど、
いずれわたしが「わからないなぁ」と思うことについて
「いずれわかるべ」と思うなら、それは「知っている」ことがらなのである。

何だか全然わからないんだけど、
いずれわたしが「わからないなぁ」と思うことについて
「ぜったいわかんね」と思うなら、それは「知っている」ことがらなのである。

(ここまでの、考察にミスはないかも…)

わたしは、上の二つの選択肢のうち、どちらかには必ず思うはずである。

って、ことは、ね、

どっちに転んでも、
「知ってる」ことがらということになるんだから、

わたしって、「何でも知ってる」ってことじゃん。

って、こういう結論になっちゃうんだけど、

「何でも知ってる」って結論のわりには、
自分で「何でも知ってる」感じがしないわねぇ。

おかしいわねぇ。考察は正しいのに、ぶつぶつ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/09

更新しました。トップページ。

眠いです。久々にHPをごそごそとやっとりましたら、今までかかってしまった。
1時半。

メインのページを原始的なタグ打ち手法で作ってたんですが、
うっかり間違ってワードで開いてしまいセーブしちゃったら、
次から、もう訳のわからないファイルに変身していて、
どうやったら編集作業ができるのか、皆目わからなくなりました。

それで、メインページさっぱり更新されずほったらかされていたのでした。
どうしよ。
どうしよ。
どうしよ。

今日、といっても、昨日、とうとうもとのファイルにもどす作業をしてようやく何とか見慣れたファイルになったのでした。

え?
見慣れないもんがある?

あ、それ、本です、一応。

とってもおもしろいから読んでね。

いや、ほんとは、おもしろいかどうかわからないんだけど、
おじいちゃんが読んで「おもしろい」と言ったから、
書いておきます。
違ったら、じいちゃんをうらめ。

ブッダは本当は論理学を説いていたのだっっぁ~~っ!

ということが書いてあります。

龍樹も出てきて、ちょっぴり、詭弁論者ぶりをご披露するのもご愛敬です。

イラク戦争も書いたし、無我・悲我も書いたし、

何か、たまっていたものを全部はき出して、すごく、すっきりしました。

下宿人さまが、いいました。
「本が出て、最初に開くと…」

「え?最初に開くと、何なんですか?(わくわく)」

「誤植が見つかりますよ。」

ええっ!不吉なぁ。聞くんじゃなかった。

…で、

みつかりました、誤植。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/07

『インド思想史研究』論文不採用のお話

ちょっと、まじめに、お知らせです。

昨年2004年12月11日京都で開かれたインド思想史学会で、発表した「ニヤーヤ学派の言語論」
の原稿ですが、『インド思想史研究』の採用はボツとなりましたので、お知らせします。

いろいろな意味でとても残念です。
聞いてくださった人が、何人も
「雑誌掲載になったら、読んでみますよ」
とおっしゃってくださったので、
けっこう力を入れて書きましたが、査読により採用不可となりました。

この論文は、インド哲学研究にとって、ある意味、問題提起の内容を含んでいるので、
どう評価されるかな、と気にはなっていました。
しかし、正直言ってボツとは思いませんでした。

で、

よく考えると、
この論考は、このままでは、闇に葬られることになってしまう、
ってことに気づいたのです(おい!気づくのおそいよ)。

なので、

このホームページに、栄えある「不採用記念論考」として載せようと思います。

日本語を英語に直して出しましたが、
こんどは英語をまた日本語にもどして、っと…

そんなわけで、すぐには載せられませんが、
直し次第載せますので、お楽しみに。
どんなものを書くと「ボツ」になるのかご参考になさってください(なさるかっ!)。

【ボツ理由について】
さて、論文のボツ理由は、『方便心論』の「言失」という言葉の解釈が論拠不十分というものです。

おい!おい!
この論文のテーマそのものなんですけどぉ。
これがダメと言うことになると、自動的に全部の内容が消滅しちまうんですよぉ。

対立の論点

「言失」の解釈は、

この日記の中(2005/02/26)や「ロゴスの穴」の「戯論寂滅(けろんじゃくめつ)とヨンさまの深い関係」(2005/02/27)で、すでに述べてあります。

一見何でもなさそうな「言失」のこの二つの説明が、

たぶん、

いずれ、

龍樹研究だけではなく、

インド哲学研究の方法論上、

大きな問題を提起することになる…

預言者エムは思います。

この「言失」は、龍樹の「空」思想の根幹にも関わる内容です。

「言失」を用いて、

龍樹が当時のインド・仏教の思想界にどんな殴り込みをかけたのかを

明らかにしたのが

今回の論文なので、


ぜひぜひ

みなさんに、発表したままをご覧いただきたいのです。


「言失」論拠不十分ということでしたが、
じっさいには、論拠ははっきりしていると言えばはっきりしているのです。

これは、引き算を用いた証明問題なのです。

わたしが、証明したのは

『方便心論』=『ニヤーヤ・スートラ』-『チャラカ・サンヒター』

だったのですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/05

心の満足か、財布の満足か

昨日、時事英語の先生に、「お釈迦さんのことわかる?」と聞かれました。

「あ、最近(?)、わかりますっ」

「お釈迦さんは『慈悲(compassion)』についてなんて言ってるの?
西洋の慈悲とどうちがうの?」

え?
おしゃかさんから何にも聞いてない。
それに西洋の慈悲って?

そうしたら、Time(2005.2.28の切抜きをくれました。

Pankaj Misra という人が書いたエッセーで”A Deeper Sense of Happiness(幸せのもっと深い意味)"という題でした。
そして、次の副題に

「仏教が教えるのは、心が満足に向かう道です、財布が満足に向かう道ではなく」

と書いてありました。

アメリカ大統領ブッシュの言葉「『慈悲(compassion)』は、アメリカのもっとも深い価値の一つである」
をやや皮肉っぽく引いて、仏教の「慈悲」と比較していました。

さらに、
ここから「自由」と「幸せ」という言葉をキーワードとして導き出して、

「仏教徒にとって、幸せの極致というのは、内面的に自由であることであって、何かを得たり、消費したりすることへの自由ではないのだ」

と教えています。

「幸せは、自分の外側にあるできごとによるというよりむしろ、心の状態によって決まるのだ」

とも書いています。

亡くした子どもを元に戻してくれと泣いて頼む女の人に、死者を出したことのない家から芥子種をもらってくれば、子どもを元に戻してあげようといったブッダの説話もはいっています。

アメリカもこういうエッセーを必要としてるんですね。
同じように、財布の膨らむ道を求める日本もかもね。

それにしても

本当のところ、もっとも同情すべきはどこの国なんだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/07/02

問答できれば仏教なのさっ!

さて、っと。はぁ、やれやれ。

なんでしょうか。上のため息みたいのは。

わたしの人生って、どうして、こんなに間歇温泉みたいになってるんだろ?って思ってね。

何にもないときには、いやんなるくらい何にもない。
何か起こってくれい~。お待ちしますわ、波乱さま、って感じです。

なのに

起こり始めると次から次へと怒濤のごとくに押し寄せる。
「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤時代)」なんて言葉もありましたっけね。

で、今、不気味な予感がするんだわ。地鳴りですよ。

今しばらく、何にもなかった「無」の人生の中に、
ようやくやるべき勉強・仕事を見つけたのよ、
そうしたら、というか、そういうときにかぎって、というか、
遠くから嵐のように砂煙が上がっているのが見える。
あ、あれは、おそろしい「仕事嵐」という嵐…。

で?

どうしようもないわよ。恐れおののいて通り過ぎるのを待つ作戦。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、さて、ところで、仕事嵐の来る前に、ちょっとこんな本をご紹介。

いただきましたっ!ほしみっつですぅ。(テレビ番組、堺正章巨匠の「厨房ですよ」の定型句より)

玄侑宗久師とスマナサーラ長老の対談『なぜ、悩む!』(株式会社サンガ)という御本でございます。

今まで、古い仏典とか学者の研究書とか、そういう本ばかりを読んできましたので、
こんな感じの現代仏典(?)ははじめてです!

日本の大乗仏教のお坊さんとスリランカの部派仏教のお坊さんの問答です。

読んだ感想は、

一言、

★まんま★仏教ですねぇ★(ほらね、ほしみっつ)

あたりまえですけど、どこを切っても仏教がそのまんま出てくる。
大乗、部派の二つの仏教が一度にわかる!一粒で二度おいしい本!!

また、「問答の妙」というのも感じました。

ひとりが押せばひとりは引いて、逆に、押し返すともう一方は引く、
という妙。

「はじめに」は玄侑師が、「おわりに」はスマナサーラ長老が書いています。
それ読むと、相当強烈な智恵の戦い(?)あるいは和合であったことがわかります。

わたしとしては、
龍樹と他の学派の人がどんな風に問答したのか、
あるいは、
お釈迦さんが他の人々とどんな風に問答したのか、
何だか、見えたような気がしましたよ。

仏教の本質は、「問答」なのねぇ~(感動!)

って、管理人!名僧二人の問答のやり方ばっかりに気い取られてないで、
他に何かありがたい教えについての感想はないの?
ほら、生きてくうえで大事な「今日の教訓」みたいな、さ。
「幸せになるこころのしくみ」って、副題にもあるじゃん。

え?あ?

そ、そうよね、きょうくん、きょうくん、っとね。あったけ?
問答無用…のところは…きりすて、ごめん…みたいな(汗。。。

ったく!問答無用は、管理人のほうだっ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年6月 | トップページ | 2005年8月 »