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2005年6月

2005/06/29

よくわかった話

五月はバテ気味だったけど、六月はやや回復し順調。
なんて言ってたら、もう七月になるのか…はやい、はやすぎる。

さて、先日、元気よく講義をしていました。

「または」という接続詞を勉強していました。
「または」は二つの文を結びつけます。

「または」には、強い「または」と、弱い「または」があります。
強い「または」は、二つの文のうちどちらか一方しか成り立たない場合です。

「トラは犬か、または、猫かどちらかです」…①

トラというのが犬でなかったら猫だし、あるいは、トラが猫でなかったら犬です。
トラが犬猫という動物であることは考えられないのです。

では、弱い「または」はどうでしょう。
これは、二つの文が両方とも成り立つこともある場合です。

「奨学金は、成績の優秀な学生に与えられるか、または、家庭の貧しい学生に与えられる」…②

成績優秀で家庭が貧しければ、言うことないのです。絶対もらえるのです。
これが強い「または」だったら、学生さんは泣いちゃいます。

あ、時間ですね。では終わります。

さて、授業が終わったら、質問にきた学生がいました。
「弱い『または』がよくわかりません。うまく例が見つからないんです」

「え、ううん、(とっさに出ないわよ)選択科目で数学か物理かをとれる、ってのは?
両方とってもいい場合もあるでしょ。」
「はぁ」
「(ダメか)ううん、じゃぁ、じゃぁ、ううん、えええっと、こんなんどう。
(出てこない、はやく考えつかなきゃ、)
ええ、リレーの選手を選ぶのに、足の速い人を選ぶか、または、うう、うう、(なんだ、なんだ、はよ、出ろ)

…顔…かお、

のいい人を選ぶかどちらかである、ってのはどう?…(いいのか、こんな例で)」
「ええっ~っ!顔のいい人ですかぁ!リレーの選手にぃ」
「(やっぱり、まずいかすら)うん!顔で選んでたら、勝負は捨ててるけどね、
だけど、うまいこと、足が速くて顔がいい人がいたら、言うことないじゃん」

「あ、いま瞬間、わっかりましたっ!『顔はいい人』って聞いて、すっごくよくわかりました!」

「え?!わかったの???こんな説明で」
「はい、『顔はいい人』って、ところでひらめいたんです」
「へぇ!(そうなの、どういう発想してんだろ?)あ、もうちょっとましなヤツ思いついた。
オーディションでは、演技がうまい人か、顔のいい人かどちらかが選ばれる、これどお?
これなら、グーな例だわよ。演技のうまくて顔がよければ、絶対だもの。」
「せんせ!ありがとございました、
さっきの『顔のいい人』って説明、すっごくよくわかりました」

「そ、っそおお、よかったわ、喜んでもらって…」

????

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2005/06/26

哲学者のあたまは固い?

熱波の嵐が吹き荒れる今日この頃。
お暑うございます。

とはいえ、今日はちょっとこちらは気温が下がりました。

昨日のラッセルさまのパラドックス、感動でした。
あんなにきれいに、矛盾律が表れてくるなんて。

あのお話は、もう少し違った角度からも考えることができると思うわ。

命題が、「~と信ずる」という部分を含んでもいいかどうかを検討してみることは必要だわね。

でも、何はともあれ、話題が、「思考法則かどうか」に関わるから、仕方ないかもね。
後で、もう少し考えることにするわ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ラッセル先生の例ではないけれど、
わたしたちは、いつも、ある種の偏見というか、色眼鏡で世の中を見ていると思うわ。

「ものが外界にあって、それを見ているんだ」と考えている人は
そうじゃない考え方が、思いつかない。

バークリ先生流に
「存在するとは知覚されることである」と考えてしまった人は
観念の膜でしっかりコーティング。

あたま、かたいわ、哲学者って。
というか、すぐ固くなるのよ、まんじゅうといっしょで。

哲学は、ほんとに、素人と玄人の差がないわ。
一番よく考えたもん勝ちよね。
きびしいわねぇ。ああ、しみじみ。

なんだ、結局、グチだったかしら。

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2005/06/25

む、むむ、むむむ、矛盾律ぅ~

くやしいです。
がんばって大作書いて、よし!アップだっ、っと
クリックしたら、

うう、全部消えちゃった!

過去を消された女、ってあやしいタイトルにしようかな。
イヤ、消されまいぞ。
もう一回挑戦だ。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

昨日は、あまりに暑くて、哲学の時間もみ~んなやる気なし。
もち、わたしも。考えてられるかぁ、ってかんじです。

そうしたら、学生さんが
「隣の視聴覚室、冷房はいるんですよ、風は抜けるし、すずしいですよ」と悪魔のささやきをささやく。
ほんとだ。別天地。
「よし、みんな、隣の教室にかってに移動だっ」

もう快適にるんるんで授業をしたのでした。
他のクラスの人はごめんなさい。
人間は快を求め不快を避ける動物なのだ。
頭は使うものなのだ。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
さて、暑さを冷房で乗りこえたわたし、
帰りに列車の中で元気にラッセル『哲学入門』を読む。

おお!やった!
これは、ラッセルさまも気づかぬパラドックスではなかろうか!
おもしろいから、みんな。いくよ!

カントが言うところの「矛盾律は思考法則である」という意見に反対するラッセルさまです。

彼は、
「矛盾律を信じることは、ものに関して何かを信じることであり、思考に関する信念にかぎられはしない」
というの。
もう少し引用すると次のよう。

(わたしたちは)「私たちがある種の木をブナだと考えるならば、同時にそれはブナではないと考えることはできない」ではなく、「ある種の木がブナであるならば、同時にそれがブナでないことは不可能だ」と信じているのである。したがって矛盾律はものに関わるのであって、思考にのみ関わるわけではないのである。…」

さらに、問題の個所です。以下も引用よ。

私たちが矛盾律を信じているとしよう。そのとき信じている矛盾律が世界内のものについて正しくないとすれば、たとえ私たちが「矛盾律は正しい」と考えるよう強制されていたとしても、それが間違っていないことにはならないだろう。ここから矛盾律は思考法則でないことがわかる。

この文章、わっかるかなぁ!パラドックスを含んでいると思わない?

「矛盾律は正しい」をAとするわ。
私たちは、Aを信じてるのね。
だから
  A … ①
だけど、じっさいは¬Aだった、とするのね。(¬は「~でない」をさす)
だから
  ¬A … ②

そのとき、「Aなんだぞ、わかったな、それを信じるんだぞ」といくら脅されても(①を主張)、
じっさい事実としては¬Aなんだから(②が成立)、「Aが間違っていないことにはならない(=間違ってる)」、すなわち、¬Aだろ、それしかないじゃんと言っておるのよ。

つまり、彼は、自分自身、①と②が同時に成立してはいけない、って思ってるのよ。
だから、見事に

¬(A∧¬A)

を「信じている」ことをここで証明してるのよね。

「矛盾律が(思考法則ではなく)事実として成り立っている」という強い信念を、矛盾律それ自身によって表明しているのだわ。

おお!信念というものが、かくも、かくも、強固に抜きがたい、っつうことを自ら示しているのヨンさま。

感動だわ!
もう、事実と思考のみさかいがない…っていうと変かしら。
そこまで、信念は強いものなのねぇ。

したがって、ラッセルさまの証明により、
「矛盾律は思考に関わらない、ものに関わる」を証明するという彼の意図とはうらはらに
「矛盾律は思考に関わらない、ものに関わる」を信じているという彼の思考「法則」を

知ったのでした。

「矛盾律は思考法則である」

と言うか、

「矛盾律は思考の約束ごとである」

のだと、わたしは、思うわ。

だって、ある種の木がブナであって、同時にブナでないこともあってもいいよね。
知ってる人にはブナだけど、知らない人にはブナではない。
燃えおちたブナの木は、ブナの木であって、もはやブナの木ではない。

ラッセルさまには申し訳ないんだけど、
ブナの木が、ブナだったことって、
むしろ少ないかもよ。

はぁ、ラッセル大好き!

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2005/06/23

ほんとに、暑いって、やね。

何だったんだろうか?
昨日からずっとココログに入れず、悪戦苦闘していました。
パスワード再発行してもらったり、あっちこっち開いては閉め、閉めては開き、いろんなとこを読みまくり。

ウィンドウズのヴァージョン・アップしたからだろうか。
ココログの悪口言ったからだろうか。
暑いからだろうか。

何十回も試み、その都度裏切られる。

ほんとにあれこれ悩む。
とうとう、夫にヘルプ・ミー・サインを送る。

「ログインしてもぜんぜん開かないんだから」

っと、言いつつログインをクリックして

「ほらね」っと言いかけたら

あれ!開いたよ。
もう!
完全に立場ないじゃん。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

下宿人さま『仏教の謎を解く』(すずき出版)が明日発売ですね。
仏教の不思議が、これですっきり。

って、下宿人さまって、知らないうちに本を書いてるんですね。
下宿人さまの不思議
ですわ。

明日は、哲学の時間「認識」についてみんなと考えるつもりなんだけど、

実在論的な見方(外界がある)と観念論的な見方(観念がある)の他に、何か

おおお!

っていう、変わった理論ないかしら。

お釈迦さん、ってどうよ。

外界があるとも言わず、ないとも言いませんね。
ううん、むずかしすぎるか!
「幻のごとくである」なんて言ってもね、どうすりゃいいの。
なるほど、
やっぱり「空」の哲学って、むずかしいんだわね。

暑いせいで、頭がほんと空(くう)状態、つまり、からっぽでした。
今まで読んでくれてすんません。
空(から)思想を語ってみました(あ、おこらないでくれい)。

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2005/06/21

ラッセル菩薩本生譚

バスの待ち時間や地下鉄で、ラッセルさま『哲学入門』を拝読させていただいておりますが、
けっこう興奮するのでまずいっす!

敬語になっちゃったヨ。

ひとりで「うーーん」なんて感興の言葉が出てもまずいので、
5秒ごとに脳みそを冷やしつつ、読む。
だから、進まないや。

西洋人にしておくには惜しい!なぁ。
この頭は、インド人のもの。
絶対うまれるとこ、まちがってる。
そうか、だから、中国人の奥さんもいるのか…って、何の関係もないすね。

おお!見えます!みえます! 
彼の前世が…

じゃーん!ラッセル前世物語の始まり!始まりぃ~。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
過去世において、ラッセル菩薩はインドの地に生まれた。
彼は、インドのオウムだった。
横顔の似顔絵がそっくりだから、すぐわかるヨ。

彼は、森や林の中で日々精進する龍樹菩薩の頭に留まって、龍樹菩薩の口まねをするのがならいだった。
わけがわからなかったが、彼の論法を口まねた。

こうして功徳を積みながら

オウムの頭で習い覚えた「論法」をもって、幾世も過ごしてきたのであった。

ラッセルは、菩薩の生涯を幾重もかさね、ついに、この世に生を受けたのである。

ときは19世紀の終わり、

彼はとうとう人間界に生まれ出でたのであった。
龍樹の頭に留まった功徳により、彼のすぐれた智恵の断片を手にして。

が、

もとオウムの悲しさ、相手論者の説く論法と龍樹菩薩の説く論法との区別を忘れて、

さらには、龍樹の論法の微妙さを会得しきれず、

彼は、20世紀屈指のごりごりの実在論者として出現した。
彼の思想に、アートマンの残り香もあるのは、そのせいなのだ。

それは、反対論者の論法だっ、ラッセルく~ん!

それでも、

その鋭い論法は、迷妄の闇にしずむ20世紀人を魅了した。
彼の平和を願う菩薩行の実践は、称えられノーベル賞を受賞した。

菩薩の彼に欠けているもの、それは瞑想行である。ヨーガである。
これをプラスすれば、あと無量のカルパ(劫)の後には、ブッダ(目覚めた者)となれる…ううん、どうかな。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

しかし、まあ、管理人って、妄想癖があるのかしらね。
みなさん、ヨーロッパの人には内緒にしてね。
ラッセルのこと、誉めてるように見えないかもしれないから。
(誉めたの?そうよ、もち、誉めたんだったら)

彼のもの読むと、
ブッダの阿含経典や『ニヤーヤ・スートラ』にもわずか通ずるところがある…

けど

おおくは、4~5世紀の部派のアビダルマや唯識学派の思想、ニヤーヤ学派の思想、このあたりの議論と共通する内容をもっているように思われます。

どこが、どういう風に似てるか、そのうち勉強したいわ~。
おもしろそっ!だもん。

龍樹やって、ニヤーヤ・スートラやって、ブッダの阿含やって、その後、やるわ。
来世か、来来世か、来来来世にがんばってみるわ。
オウムに食われるミミズになってませんように。

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2005/06/19

「我執」の哲学

ラッセルの『哲学入門』がまた翻訳し直されて出版されたというので、買って読んでいます。
ちくま学芸文庫です。
字が大きくなってうれしいわ。読みやすい。

ラッセル節も、健在ですね。
ラッセルって、誰が訳しても、ラッセルなのね。ステキだわ。

好きです札幌、って、キャッチフレーズがあるんだけど、それにならって
「好きですラッセル」って、言いたくなる。
何か読んでると、合いの手が自然に入る。
(「愛の手」て、かってに変換したけど、それもいいかな)

「そうだ、その調子!」
「どんどんいけっ」
「負けるなラッセル」

っと、はげましのエールを送る。

内容的に賛成しているというわけではないけど、
論理を追求する態度が、首尾一貫していて気持ちいい。

気持ちいいラッセルの言葉の一つ「センス・データ」は最近どこに行ったんだろう。
感覚与件、感覚所与なんて訳されたっけね。どうだっけ?
使われないね。
その代わり、「クオリア(感覚質)」という、よくわからない説明のついている言葉が流行っています。

これがどんなものか理解するのに苦労したけど、最近ようやくわかってきました。
たんに「感覚」ということなんだけど、それに「この俺の」「このわたしの」という言葉のついた「感覚」のことです。

「(あんたのことは知らないけど、このおれの)感覚」を「クオリア」というのですね。
言い換えれば、「独我論者の感覚」、「自我意識つきの感覚」、「感受作用の自覚」ということかな。
そして、
「あんたのことはしらないけどさ」という意味を含んでるにもかかわらず、
そこには「誰でもあるだろ、『このおれの』感覚ってヤツは」という意味も含んでいるので、

どうにもやりきれない言葉です。
それが、どんな文脈でも顔を出すのは、勘弁してよ。

ラッセルは、自分の文脈では「センス・データ」と言い、「クオリア」というような、主体にかかわる意味を持ち込まなかった。やっぱり、彼は哲学の巨人だったのねぇ。

今は、科学の世界にも「クオリア」という語がもちこまれる。

今までの「科学の時代」は終わったんだ。

混沌とした「愚者」の哲学の世紀が幕をあけてきたようね。

「愚者」というのは悪口ではなくて仏教の用語です。

悪口にきこえる?
すみません、言い換えます。

「我執」の哲学、「我が儘(ママカーラ)」の哲学…なお、よくないか。

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2005/06/18

とりとめないかも

最近パワー不足を実感するので、おにぎりをもって仕事に行くことにした。

だけど

講師控え室では結局食べられなくてそのまま帰る。

ふと思いついて、いつもわきを通る公園のベンチで、ランチにする。

緑いっぱいで誰もいない広い公園は、いいなぁ。さわやかな初夏を満喫~。

梅雨で大雨のところもあるのに、ごめんね、はぁ~さわやか。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

印哲の友人と話していたら、
「今何やってんですか?
さっさと『ニヤーヤ・スートラ』と『ニヤーヤ・バーシャ』訳しちゃってくださいよ。
いつまで『方便心論』やってんですかぁ」
とハッパをかけられる。

そういえば、先日はちがう人から
「研究は進んでいますか」
とメールをもらった。

何も進んでないって、どうしてみんなすぐわかるんだろ。
においがするのかしら、 へんね。

それにしても、情け容赦ない友人て、ありがたい…かも。
ふっと気を抜くと、たちどころに檄が飛ぶんだから。
友人というより調教師に近い?あ、失礼しました。

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2005/06/15

正しいものとは?

24度という気温ながら、風がさわやかで、すごしやすい一日です。

このように天気がよいときには、わたしの得意料理(?)、紅ショウガを作る。
1.天日に、カットした新ショウガを半日干す。
2.赤しそと梅酢のなかにつける。
3.数ヶ月おく。
4.出来上がり。

ほとんど、わたしは何にもしてないす。
「干す」と「つける」だけ。
レシピの中の3と4は、いらないかも。
太陽と時間が、制作してくれる。

なのに、おとなりの奥さんに出来上がったのをあげると、

「ほんとにお上手ですね」と言われる。
「いえ、そんな、何にもしてないんですけど」

と、ほんとのことを言えば言うほど、
謙遜しているようにきこえるので、
なるべくたくさん言う。ははは。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
論文書きをしてますが、中断ばかりなので、すっかり忘れてしまって、
自分で何を書いているのか、完全にわからなくなる。
あらゆることが疑わしい。
自分で自分が信じられないとほんと困る。
何だか、みんな嘘っぱちみたいな気がしてならない。ああ、困ったなぁ。

気を落ち着けて、ソクラテス先生の言葉でもきくことにしよう。
彼は、ゴルギアスと問答して、こんなことを言ってる。

ソ:大工のことを学んだものは大工になるわけですね。そうではありませんか。
ゴ:そうだ。
ソ:音楽のことを学んだものは音楽家になるわけですね。
ゴ:そうだ。
ソ:医療のことを学んだものは医者になるわけですね。…略…
ゴ:たしかに。
ソ:同じ理屈で、また、正しいことを学んだものは正しい人間になるのではありませんか。
ゴ:まちがいなくそうだ。
(「ゴルギアス」『プラトン』Ⅰより)

正しいことを学んだものは正しい人間になるんですか?ほんとに?
たしか、わたしも正しいことを学んだはず。
正しい人間になってるはず。
だから正しい人間が論文書けば、正しい論文になってるはず。

よし!このまま鵜呑みにして、正しいはずの論文を書いてしまおっと。
何だか、自己暗示にすぎない気もしてくるけど…いんや、ソクラテス先生の言葉だ、
正しくなくてどうするだっ!

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2005/06/13

好き嫌いせず何でも読まなきゃ、ねっ

メタルというテンプレートにしてみました。
すずしいですか?
読みやすいですか?

あ、かわらんですか。
でも、クールに、しばらくの間これでいってみよう。

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いつも同じような仏典ばかり読んでいると、人間、視野が狭くなってしまう

これじゃいかん…視野を広げよう

っと、図書館で思いっきり!めずらしそうな本を借りました。

小長谷正明『ローマ教皇検死録─ヴァティカンをめぐる医学史』(中公新書)

めずらしすぎたかな。
さすが、お医者さんだけあって、関心がすべて死因に集中しているところがすごい。
フムフム、いろいろ、フム。
毒殺を疑われる人もたくさんいるようですね。

しかし、お医者さんが興味をもつと
聖職者も、ふつうの人以上にずっと生々しく世俗的に描かれてしまうのね。
おもしろいですね。

ところで、

ペスト菌はO型が苦手らしいですよ。
ヨーロッパ人の45%はO型だそう。
黒死病で生き残った人々ということなのかな。

ちなみに

日本人は、    A, O, B, AB型が、
 それぞれ    40,30,20,10%  なのに
ヨーロッパ人は  40,45,10, 5%  という比率だそうです。

めずらしい本読むと、めずらしい知識が増えるわねっ。
少なくとも、わたしは、ペストで死ぬことはなさそ、っと。

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2005/06/11

餃子のなぞ、なぞなぞのなぞ

ああ、すみませんねぇ。
「答えは明日」と書きながら、昨日はパワー不足でダウンしてしまった。

本気で体力ない。

二つめ講義で、もう、しゃべるのがイヤになってくる。
ま、いっか、これを言わなくても。
みたいな気分がしてくるのは、エネルギー不足のせいだ。

しかし、
ふりしぼって、講義を済ませ、
ふりしぼって、駅前であれこれ買い物をする。
ふりしぼって、帰って、餃子を100個作る。
フライパンのせいでくっついて、30個は、一つの団子になる。
本気で、文字通り
ふりしぼって、フライパンから餃子を引きはがす。
ううん、現代美術も真っ青の
立体芸術作品、皮と具のミックス・オブジェが出来上がる。

みんな、見つめて箸がとまっている。
あら、遠慮ぶかいのね。

「どうぞ、召し上がれ」
「どうやって食べるの?」
「口で食べるのよ」
「かあちゃんっ!そのくらいわかるよ」

フライパンを変えたら、後はうまく餃子屋さんのようになる。
ハァ、やれやれ。

さあ、答えでも書き込んで、後はちょっと勉強するかな。
その前に、ちょっと、ひとやす…zzzz。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ありゃ、爽やかな朝を迎えてしまう。
十二因縁のナゾもそのままだわ。
それじゃ、おもむろに、お答えをば。


お答えしま~す…かしこみ、かしこみ…<(_ _)>…

お釈迦様は、とってもかしこいお方。
だから、十二もたくさんの原因を数珠つなぎのように並べて
最後の結論「老死」を、導かれたのでございま~す。

「老死」、それは「苦」のもと。

つまり、これらの長い因果の鎖は、すべて「苦」の集まりを生ずるのでございます。

愁・悲・苦・憂・悩

ほらね、こんなにいっぱいの「苦」。
みてるだけで苦しくなっちゃいますねぇ。
うう、うう…

あれ?だけど、何が「苦」を生むんだっけ?
何個、原因があったっけ?
それ、どんなんだっけ?
「苦」っていくつあったんだっけ?

おしゃかさまは、凡夫の、あったまわる~い、姿を見て、悲しまれたのでございます。

せっかくわたしがむずかしい教説をつくっても、こりゃダメだ。
よし、わたしが何とかしよう。

「無明(無知)から(…略…)苦しみが生まれる」

とこう覚えなさい。

何個原因があるのか?

と聞かれたら

こうするのだ。

苦しみ、それは、くるしみ、それは、9るし3、それは、9+3、それは、12。

そこで、こう答えるとよい。

「12です、無明に始まる12の原因によって、苦しみが生まれます」

どうだ!かっこいいだろ!
君のの無明(無知)が目立たないようになっとるぞ。

最初の9は何だかわかるかな?
あ、無理ね。聞くまでもなかった。

じゃ、どれどれ、説明してあげよう。
12因縁は、むずかしく言うとこんなものだ。
見て、ビックリしておくれ!

無明(無知)→行(行為に向かう力)→識(意識)→名色(心と身体、また、名称と色形)→六入(六つの感覚器官)→触(接触)→受(感受)→愛(渇愛、欲望)→取(執着)→有(生命・生存)→生(生まれること)→老死(老いと死ぬこと)

(凡夫)
ヒェ~!お釈迦さんどうやって覚えたんですか?

(お釈迦)
開発者は、覚えなくてもいいの。
自分で開発したんだから、もう、わかってんの。
こまるなぁ、こんなに頭悪い凡夫もはじめてだよ。

(凡夫)
出来の悪い凡夫で悪かったすね。
どうせ、わたしのあたまは、オシャカですよ。

(お釈迦)
言うと思ったよ。それじゃ、オシャカなあたまに合わせて説明してあげよう。

「無明」から「取」までの9つは、過去も含めて現在の君のすがた。
「有」から「老死」の終わりの3つは、輪廻の生存を示している。
だから、
ま、君の未来のすがた、といってもいいかな。
こう見ると、来世も、なかなか厳しい人生が待ってるようだね。

ま、それは、ともかく
9と3に分けたのも、ちょっと気が利いてるだろ。

フフフ、ほんとぼくって、あったっまいい!
唯我独尊だもんね。
一切知者だもんね。

じゃあね、凡夫諸君、また、ぼくのなぞなぞに挑戦してくれたまえ!
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

お釈迦さんて言うより、怪盗ルパンみたいな退場の仕方でしたわね。

ふうん、「苦しみ」の中には、12の因縁がすべて入っているのか、「9るし3」ねぇ。
すばらしいわね。
お釈迦さんは天才ね。
日本人凡夫限定の説も説いていたなんて、ありがたいこったわ。
でも、さ、ちょっと思うんだけど、
9と3はいいんだけど、この「るし」って何かしら?…
ここにも、何かなぞが…深淵ねぇ、すばらしわ…感動!

(お釈迦さんの陰の声:まったく凡夫ってヤツは、どうでもいいとこばっかりこだわるんだから。)

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2005/06/09

仏教インチキ問題

イマイチ体力不足を感じる今日この頃。

今年は、ほんと、パワーに欠ける。
運動不足なのだろうか。

明日こそ、図書館に本を返しに行かなくちゃ。
先週の木曜日にそう思ってて、行く前に熱が勃発したのだった。

だから、返す本は一週間遅れて、返却期日をとうに過ぎて…むにゃ、むにゃ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

そういえば、昨日、寝ながら夢を見る。

「寝ながら夢見る」っていう表現も変だけど、
でも、
寝てるのに起きてるような状態だったので、
寝ている中で、どこか起きてる状態で見た夢、ていう意味でこう言っておこう。

夢の中で、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」をヒントに
仏教をネタに、アリスの出てくるおもしろいお話を作ろうと一生懸命アイディアしぼってるんだけど、

さすが夢なものだから

アイディアが出るわ出るわ、おもしろいように出てきて、
とても楽しかったわ。

主人公はアリスというのも、仏教のなぞなぞばなしの中じゃ、名前が合わないわね…
ってんで、「アリ子」って考えたけど
どっかにありましたわね、「アリ○の、入れます終身保○」なんて。

まずいわよ。

で、どっかで聞いたミチコという名前にしておく。
安直?そんなことないわよね。
しかし、どこで聞いたかな?(しらじらしく)

「ミチコの不思議な冒険」の中でいろいろあったんだけど、
中で一つ
夢の中で作った問題をご紹介。

「十二因縁説は、お釈迦様が開発されたむずかし~い説です。
無明(無知)から始まって、行(行為に向かう力)→識(識別作用)…と続いて
最後は、生(生まれること)→老死で終わる、十二の項目からなる因果関係の鎖を指しています。

書いてみようか。
無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死

つまり、必ず人間は、この無明から順にお釈迦さんの言うとおりの因果関係の系列をたどって、
生→老死と来て、そして、最後には苦しみの集起を経験するのです。
必ず、苦しみの集起があるんだけど、

それはどうしてだかわかる?
なぜ、十二因縁説にしたがって、無明から順にたどって行くと、最後にな苦しみにいたるのでしょう?
あててみて!」

こういう、問題を作りました。
ミチコのインチキ仏教問題です。
解いてみてよ!

夢の中の問題だから、その辺を考えてよ。
じゃ、答えは明日ね、ふふふ、解けるかな。

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2005/06/06

爽やかな一日

ほんとにさわやかな北海道の初夏の一日でありました。

北海道が一番美しい時期。
空気が抜けるように透明で、
あらゆるものがきらきら輝く初夏。
ライラックが風にそよぎ、チューリップに藤の花房、ふじ桜にスズラン、桜草に水仙。
花々に囲まれる季節、初夏。

誰もが詩人になれる季節、初夏!
(上のも詩だから。言っとくけどさ)

ほんとに、みなさん、北海道に来てほしいわ。
来るなら、5-6月を選んでね、絶対よ。
緑がほんとにきれいで、風もひやっと爽やかなんだから。
うっとりしちゃうから。

なに?
咲いてる花が変だ。
今年は、寒かったから仕方ないのよ。
何でも見れていいじゃん。

さて、こんなステキな午後の昼下がり、管理人はサイクリングで

病院へ(ガクッ)

熱は引いたけど、治ってなかったら困ると思って、チャリをこいで山の上の病院へ行きました。

へぇ、へぇ、坂道はつらいわ。

もと病人なんだから、チャリで行くのはまずいかすら。くたびれちゃう。

でも

結局、全部治っていたので、

「今日はいいです」

と言われて、お金を払わずにすみました。

え?お金払わなくていいんですか?
検査したり診察受けたんですけど。

不安だったので何回も聞き返して、
大丈夫のようだったから、
そろりと玄関をでました。

出たとたん
「無銭診療ぉ~!」

って、叫ばれないかビクビクしましたが、
誰も見向きもしませんでした。

わたしがお金払わなくてもつぶれませんように!ぱんぱん!
末永くこの病院が栄えますように!ぱんぱん!

ほんとに爽やかな一日でした。(とっても日記風。)
(管理人っ!爽やかだったの、お金かからなかったせいじゃ…)

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2005/06/04

熱にうかされると何が起こる?

6月は暇するぞ!っと書いたら、その通りになってしまいました。
熱を出して二日間ダウン!
うう~ん、暇そのものだぁ。

今、ちょっと気分がよくなったので、リハビリに日記を書いてるところ。

熱にうかされつつ、
中村元氏訳『ブッダのことば─スッタニパータ─』をあらためて読む。

最初の方はよかったけれど、
最後まで読んでみて、

疑問がわく。

ナゾの多い本だなぁ。
いってる意味がわかんないモンも多い。
ブッダがあんまり立派に見えない、管理人には。

ほんとに原始仏典の中で初期の作品なのだろうか。
いろんな経典のエッセンスを抜き取って、
作っているような…
むしろ、少し後で作られた…どう?
ちょっと大乗くさい感じもしない?

その根拠ですか?

高熱による第六感ですわ。
絶対熱のある時って、非凡な発想があるのよ。
ま、脳の中でアイディアが煮えたぎるわけ。

だから、あてにはならないの。
だけど、とにかく、アイディアはアイディアなんだし。
もしかしたら、
あたってたりしないともかぎらないともかぎらない…
(おおい!管理人が熱にうかされてるぞぉ!)

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2005/06/02

ヨーガの精神教えます

5月(ごがつ)は、枯渇(こかつ)だったことに、気づきました。

ああ、やっぱり忙しかったんだ!
ちっとも知らなかった!

いちおう懸案事項が一つ片づいてみると、
何だかいろいろ沸いてきそうな気がしはじめました。

これまでは、沸いてきたときに書きとめていたことも多かったのですが、
最近では、その「書きとめる」という作業すらできなかったことに気がつきました。

よし!
6月は、少し暇するぞ!っと、かた~く決心する管理人だった。

しかし、こういうもんは、決心するもんなのか。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
それでは、今日も、昨日に続きまして、とりとめなく…第二弾

ヨーガの人に教えてもらったことです。

(ヨーガの人)最近、ヨーガはブームなんですよ。知ってます?

(わたし)え?そうなん。知らなかった。

(ヨ)でも、昔のブームとはちがうんです。ぜんぜんヨーガなんて違うものになっちゃってるんですよ。

(わ)へえ。

(ヨ)今、ヨーガの本場はニューヨークなんですよ。
インターネットで探ると、ヨーガのサイトはニューヨークが発信源になっていることが多いですから。
この前なんか、テレビみててビックリしちゃったですよ。
ニューヨークあたりのアメリカ人のインストラクターが、

「これはインドのヨーガですね(わたしたちのではなく)」

って、言ってたんですよ。
もう、開いた口がふさがりませんよ。

「ヨーガはインドだろ、ってツッコミ入れたくなっちゃう。

ニューヨークの方が、新参者だって自覚がないんですよ。

(わ)へえ。

(ヨ)もうとんでもないヨーガになってますよ。
エアロビみたいなヨーガおしえてください、とか来るんですから。

(わ)東洋思想は、欧米に渡ると、何でもねじ曲げられて悪くなりますね。
そういえば、アイアンガーさん(ヨーガの教師で有名)も、欧米人がインドで聞きかじったことをすぐに自国にもっていって知ったかぶりでめちゃくちゃを教えてるって、文句言ってましたよね。

(ヨ)いや、せんせ、ヨーロッパ人ですら、同じこと言ってますよ。
何でも、海を渡ると(=アメリカに伝わると)、ダメになる、って。

(わ)へえ。そうなのか。「欧米」というけど、「欧」と「米」は分けて考えなくちゃいけないのね。

なるほどね。
ちょっとかじると、すぐ金儲けの材料にしちゃう、そういうのがうまいのね。
思想の上澄みだけを、ファッション感覚で身にまとうのね。

颯爽とかっこいい自信にあふれたニューヨーカーの皮を一枚めくれば、

太った体と貧しい心…何か、わたしって、けっこう毒舌家?

やっぱり、ヨーガはまるごと学ばなきゃダメだわよ。
ヨーガのめざすところは逆だもの。

太った精神と貧しい体…これさ!

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2005/06/01

どこまでも訴訟は続く

6月です。
ライラックとスズランが咲き始めました。今年はずいぶんおそいわね。

勉強不足なのかしら。
ここのところ、どうも枯渇した感じが抜けていかないのよ。

粘り強く考えられないわ。

っていうか、すぐちがうことしなきゃならないから、
長く考えてられないのかな。

ここ1ヶ月くらい、とりとめない話しばっかりだもんね。

え?なんすか。
その前も、ずっとそうだった、ですって。

あらん、そうだったかすら。
ま、いいわ。じゃ、今までどおり、とりとめなく、だらだらと続けるわよ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
時事英語の先生が、教えてくれたお話。

アメリカじゃ、何でも訴訟の国だわよね。

ファストフード店で熱いコーヒーをくれたので、こぼしてやけどした、どうしてくれる、なんていう訴訟やら、
たばこ吸い続けて病気になったのは、たばこ会社のせいだというので訴訟になったりね。

それこそ、自己責任じゃないの、という内容のことまで訴訟に持ち込むのが、アメリカ社会です。

ここまで、みなさん、ご存じよね。

そしたら、アメリカでもさすがにひどいと思ったらしく、

今度、「そういう訴訟はしてはいけない」という法律ができた、

って英語の先生は教えてくれたんです。

うううん、すばらしい、画期的、って言いたいけど、
どこかにパラドクスがひそんでいるようないないような。

あのね

そういう訴訟がおこされたとすれば、この法律に照らして、違法であると判決が下るわけよね。

でもね

訴訟が起こされちゃったら、判決が出るまでは審議されねばならない。

そして、裁判で出る判決は、
この訴訟が「訴訟してもよいたぐいの訴訟かどうか」っていうことなのよね。

よいと決まれば、それからあらためて訴訟を起こすと…

…うううん、訴訟の数を減らすために、こういう法律作ったんでしょうけど、

これじゃ、場合によっては


訴訟の数を逆に増やしてませんか?

まさか、じっさいは、こんなことにはならないと思うけど、

思うけど…


思うけど…

思うけどねぇ…

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