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2005年5月

2005/05/31

ブッダは尊敬されるのに龍樹はバカにされるというナゾ

おっとぉ、38000のキリ番をふんじまったい。
今年は、すごいなぁ。
半年で8000いってしまった。
1年で10000というわかりやすい計算が大きく狂ってしまったわ。
うれしい誤算だわん。

好調の原因は、たぶん、

管理人の魅力!っ

ではなくて

龍樹の魅力!っ

こっちだわね、どう考えても。

味をしめた管理人は「龍樹大好き」の内容充実をねらっていきたいわ。

とはいえ、いまのところ、新たに載せるものは思いつかないしなぁ。

そのうち「ブッダ大好き」なんてコンテンツも作りたいけど、
こっちだと何かバチあたりそうだわね。

考えたら不思議だわね。

だって
龍樹だと、みんなけっこう平気でバカにしたりするのに(管理人だけ?)、
ブッダは、みんなの崇拝の的よ!変だわね。

ブッダは、ブッダ(目覚めたもの、覚者)だけど、
龍樹は、菩薩(まだ悟ってない修行中のもの)だからかしら。

でもね、龍樹も、菩薩といっても、ほとんどブッダ寸前、いつでも悟れる状態なんだけどな。

じゃ、思想内容かしら?
イヤ、変よ!
だって、龍樹の哲学や思想の内容は、ブッダの哲学や思想そのものなんだもん。

二人はどこがちがうのかしらね?
イヤ、これ、案外マジで、そう思うわ。

ブッダは倫理を説いたけど、龍樹は論理を説いたから…
ううん、龍樹だって、倫理を説いてるわよね。

わかんないわねぇ。
課題にしとこ。

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2005/05/29

西洋のイデアと東洋の因果律

世の中のことがらは、複雑に見えて単純だ。
単純だけど、その気になれば、すぐ複雑にもなっていく。
そんな世の中を牛耳る単純な原理さえわかれば、どんな複雑な世の中でも対応していける。

ブッダの考えたことは、そんなことだったように思う。

この冒頭のことばはベートーヴェンにもあてはまるような気がする。

ヘンリーさまの掲示板大作1965-68の「ベートーヴェン論」も、この考えにつながっていくかしら。

わたしが、ベートーヴェンの第5で「運命」を感じたのは、単純さの複雑な広がりだった。
単純な一つの主題がくりかえし形を変えて、そして、さまざまな楽器によっていっしょに演奏されると、
秩序の中にエネルギー(混沌)が生まれてくる。

オーケストラの個々のパーツは、
主題の音をただ引き延ばしていたり、
ただ細かくきざんでいたり、
ただ音を踏んでいるだけだったりするのに、
全体集まると、かくも多様な「世界」ができる。

不思議です。

「音符」の代わりに、「人の心」をもってくると、ブッダの哲学が生まれてくると思う。
ベートーヴェンもブッダも、根底にあるのは「論理」なんだと思うわ。
たぶん、わたしが、二人を好きなのはそのせいだと思う。

二人はおんなじだけど、また、ずいぶん違ってる。
あ、音楽家と宗教家ってんじゃなくてね。

「論理」という点では同じだけど、その根幹にある原理そのものにおいて、大きく違う。

それぞれどんな原理があるかというと…

それはどっちも「イ」で始まって、三つの音からなっている。

ベートーヴェンについては、全面的にヘンリーさまのすばらしい学説を採用させてもらいます。(不精者でごめんなさい)

だから、「イデア」

それじゃ、ブッダは?

こっちは、わたしが考えたのをっと…

それは、「インガ」


西洋人の魂のふるさとは、イデアだから、西洋の人はギリシアにあこがれるのだと思うけど、

東洋人の魂のふるさとは、インガだから、東洋の人はインドを忘れられないのだと思う。

何言ってるのかわからない?
西洋の永遠の「イデア」に対抗できるものは、

東洋では、これしかないと思う。

如来が世に出てもでなくても確定してるもの、決定してるもの…それは「因果律」。


結局、わたしは何の話しをしたかったんでしょうか?

因果律の宣伝……やっぱ、そうか…そうみたいねぇ。

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2005/05/26

波間の小舟よ!波風の立つ人生よ!

昨年10月からこのブログをはじめて、131個の日記を書いてきました。

つまんない日記だと、我ながら思います。
しかし、日記だから、つまる、つまらない、っという問題ではない。

わたしの日常だから、どうしようもないのです。

でも、

せっかく日記書いてるのだから、
もう少し波瀾に飛んだ人生を送りたい、って気もしてくる。

(本末転倒!)

そこで、これからの人生(と、いっても長くはない)設計を立てることにしました。

(転倒したまま!)

計画としては、波瀾万丈をねらうため、

何か選択を迫られる事態になったら、

「必ず波乱に富むだろうと予測される事態を選ぶ」

っという風にしよう。

こうすれば、少しは日記も「波風の立つ」楽しいものになるのではないかと思います。

よし!

いつもながら、わたしって計画だけは立派だ!

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、このような「波風の立つ」人生の指針を与えてくれたのは、もち、天下の龍樹先生ですが、

しかし、まぁ、彼は、どこでも波風立ててんのね。

現代においても、彼によって立てられた波風は数知れず。
昨日読んでた本にもこう書いてあったわ。

「現代において、龍樹の哲学は、哲学的な議論の逆巻く潮流の中、巨大なうねりのそのまっただ中にあって、翻弄される舵を失った船のごとくにみえる」

ラーマチャンドラ & マンジュのNagarjuna's Philosophy of No-Identity(Delhi,1991)より。

現代の学者がいかに龍樹に翻弄されているかを表す表現です。

ある人は、龍樹の哲学を、ヴェーダーンタ学派のような「絶対主義」と見、
別の人は、龍樹の哲学を、「虚無主義」と見、
別の人は、龍樹の哲学を、「不可知論」と見る。

このように書いてあった。

ったく!困ったもんだ!

わたしの意見を言わせてもらえば、

こういう誤った考えに陥るのは


『方便心論』を龍樹作品としてちゃんと読んでないからだぞぉ~~!

どうだっ!もっと波風たったかな?!

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2005/05/25

燕雀いずくんぞ…あとはぶつぶつ

ここ二日、カフカの『城』のような目にあってる管理人です。

この「カレー日記」を書こうとすると、
何かが起こる。
電話がなったり、
仕事があったり、
食事の支度だったり、
来客だったり、
町内清掃だったり…

ようやく、書けると思うと、
こんどは、このブログに入れない。
はいれない!っちゅうにぃ、っと、パソコンと格闘する。

ようやく入って、書き始めたら、こんどは眠くて、眠気と格闘する。
眠いのとんでけぇ~……zzz…ZZZ

ははは、負けた。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、今日こそ書くぞっと。

先日から、印順氏の論文のお話をちょこちょこしてますが、そんなお話をもうちょっと。

そんなお話って、どんなお話?
それはね

わたしは、いちおう学者っぽく、学問の世界に住んでるのですが、
その研究態度は、あまり学者っぽくないとこもある。

何となく、好きな研究と、そうでもないっちゅうか、肌に合わないっちゅうか、そういう研究とに分かれる。

学問上は、だから、どうということはないのですが、

楽しみという点から言うと、
好きな研究はだんぜん好きなので、しょっちゅう読むことになる。
くりかえし嘗めるように読んでしまう。

印順氏の研究も、じつは、すごく好きなタイプなので、
ほとんどラブレター読んでる感覚に近く何度も読んでしみじみしてしまう。

んで、そのラブレターによると、

龍樹の生涯と作品の概説があるんですが、

それがね、

ありゃ!わたしが「龍樹!大好き」に載せたやり方とおんなじなのよ。

ビックリよ!

『龍樹菩薩伝』のエピソードに添って、龍樹の活動とその作品をとりあげるというスタイルは、

わたしがやったもの…というより、

印順氏の論文の方が早く書かれているので(1993年初版)、

あちゃ、わたしが真似したみたいに見えちゃうか。

あらまぁ、ゴメンね。
でも、まったく同じではないので、
そのうち、印順氏の見た龍樹像も「龍樹!大好き」にあげておこうと思います。
印順氏の方が詳しいなぁ。
彼は、台湾の人だからね。漢訳方面に強い!いいわねぇ。

それでもって、ここからわかることは何か?

わたしと印順氏は相性がいい…ではなく
それぞれ別々に龍樹を探っていって、似たような結論に達しているということは…

この説は、ある程度普遍性があるのではないか、っということです。

龍樹作品とされるものを研究している人々が共通にもつ「龍樹像」、

これが、

明らかになってくると、

龍樹の姿もより鮮明になってくるのではないかと思う今日この頃でした。

あ、それで、印順氏が強調する龍樹像を一つ、二つ。

一つ。龍樹は、長命の論師であった。

一つ。龍樹は偉大な天才型の論師であった。
これについて、もおすこし。

『大智度論』研究者、ラモット教授は次のように言う。

『龍樹菩薩伝』に説かれる「龍樹」は、
崇高な理想を抱く冒険家であって、
「『中論』を著した鋭敏にして厳しい学者」や
「『大智度論』を著した博学の百科全書編者」
には相当しない

だから、『大智度論』作者は龍樹ではないだろう、とします。

印順氏の反論は

偉大な天才型の論師は、決まった型に限定されるものではない

というものです。

これは、

現代の学者が、分業スタイルで研究し、小さく小さくまとまってしまうことを皮肉っている

のではありません。

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、

ってことでもありません。

印順氏は、とても立派なお坊さんなので、そんなこと言うわけないです。
でも、読んでると、

どうしても、そんな気がしてきてしまうのは、

そう思っちゃうわたしが、悪い!わね。
悪いの、悪いの、とんでけぇ~…(だめだ!飛んでかねぇ)

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2005/05/21

春の夢!桜樹下龍樹かぁ。

昨日は、久しぶりに暖かく、教室の窓から外をながめると広い緑の空き地には、タンポポの黄色が鮮やかでした。

仕事帰りに買い物して、家に帰っても、まだ天気がよい!

んで、近くの公園に桜を見にチャリで散策。

昨年の秋の大風台風で、樹木が根こそぎ倒れて、スケスケの公園になっちゃって悲しい。
樹木も、まだ倒壊したままのもある。
深い森のようだったのに…
この公園だけでも100~200本は倒れたんじゃないだろうか。

桜も見つつ倒木も見つつ家に帰って、

食事を作って食べて

さあ、べんきょうだっ!

って、思ったら…

睡眠と読書が同時進行してしまう。
寝ながらでも、むりやりべんきょする。

そしたら…

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

夢の中で、満開の夜桜、樹下に、龍樹が出てきて(またなの!韻踏んで…ないね)、

「『大智度論』を書いたの僕だから、なんとかしてよ」と泣いて訴える。

「わかってるって!わたしがわかってるんだから、いいじゃない」とわたし。

「管理人がわかってたって、世に正しい仏法が広まらないから、イヤだ」と龍樹。

「でもさ、わたしが言っても誰も聞かないと思うよ。
っていうか、わたしが「『大智度論』の作者はりゅうじゅです」って言ったら、
かえって、みんなよけいにあやしいと思うかもよ。
あ、でも、よかったらさ、わたしが代わりに正しい仏法広めてあげようか?めちゃテキトーだけど。」っとわたし。

「ううっ、そ、それはイヤだ!それだけはやめてくれ。じゃ、いいわ」っと龍樹。

こらあ、夢の中とはいえ、なんなのよ。
もうちょっと、わたしの夢なんだから、登場人物は自覚してほしわ。
夢見てるわたしをたててよね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
印順氏の論文(前々日に書いたもん)を読みながら寝ちゃったせいよね。
変な夢だわ。リアルな願望って感じね。

『大智度論』の作者が、龍樹かどうかについては、学会ではいろいろな説があるわ。

『大智度論』の作者を龍樹とする、印順氏の論文拝読してみると、

いろいろわかることがあるのよ。

そして、さらに、ここに『方便心論』の研究をプラスすると…

どうにもならないか、あ、いや、そうでもないかも。(意味深な終わり方だわ。)

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2005/05/19

漢訳は、謎だらけね

鳩摩羅什の「破壊された一生」を考える管理人です。

印順氏の著作で岩城英規氏の訳
『『大智度論』の作者とその翻訳』(正観出版社)
を読書中。

鳩摩羅什がどのようにして翻訳したのかも含め
国家事業としての仏典漢訳の様子を説明する
この論文は貴重なものです。

鳩摩羅什が経典に「加筆修正した」とするのも、

ふうむ

かなり問題のある意見なのですね。

というのは、経典の漢訳は、当時、秦の国王自らも参加するほどの大きな事業だったということです。

鳩摩羅什は、秦語に口語訳しただけだ

って、印順氏は述べ、

加筆修正は、他の作業の人々が行った可能性があると述べています。

例えば、筆記者が、わかりにくい字にちょっと説明を加えるとか、文章を修正したりする者たちがいるとか、ね。

そこには500人以上の沙門たちがいて、翻訳にたずさわっていたのでした。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

何か、わかんなくなってきましたわ。

鳩摩羅什の微妙な立場も、浮かんでくるような、こないような。
鳩摩羅什って、けっこう、かわいそうだったかも。

秦語に訳せたといっても、ネイティブのようにはいかないので、不満も出たみたいだし。
筆記者の僧叡は、漢訳の流麗さとか文章の美しさを重んじたというし。

ふうむ

もう少し探りを入れてみるわね。
それにしても

漢訳の目的や意図をもっとはっきり知りたくなってきたわね。
名探偵シャーロック・管理人としては……ヤツはシロかも…って、言ってる意味自分でもわかんないけど。

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2005/05/18

鳩摩羅什の場合は…

テレビを見る暇がないと、書きながらテレビを見ちゃったわたし。
数日前です。
書こう書こうと思いながら、月日は流れて…

あ、見たテレビは「鳩摩羅什(くまらじゅう)」でした。

鳩摩羅什は、仏教経典の翻訳家として名高く、四大翻訳家のひとりに数えられています。

鳩摩羅什は、クチャの王子で、若い頃に出家し小乗・大乗の経典を学びました。
17年呂光に幽閉されるという苦難の後、長安に行って数々の経典などを翻訳するのです。
ま、こんな感じかしら。

結局のところ

鳩摩羅什について

【問題点1】  彼は破戒僧だった
         美女や贅沢な暮らしやら…
         こらぁ、何やってんだぁ、であります。

【問題点2】  経典に勝手に手を入れて訳した
         もとのサンスクリット原典にはない表現を入れて…
         ありゃ、いいんかぁ、なのです。

NHKのナレーター氏は、彼を「終始悩める破戒僧であった」と説明していました。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
学問的には、鳩摩羅什が慨嘆してようとしてまいとどうでもいいのよ。

問題なのは、

破戒僧だったから、経典も破壊した

のか

経典を破壊するようであったから、破戒僧になったのか

どっち?

がっこのせんせが

「服装が乱れてくると、生活が乱れてくる」という、ちょっと?な因果関係をもちだして、
校則を強化するような場合があるけど、

鳩摩羅什の場合はどうなんだろう、って考えちゃうわ。

あ、その前に、そもそも、経典に手を入れて勝手に訳すのは、
いいことなのか、悪いことなのか、評価が分かれるところかもしれないわね。

a)わかりやすくなって「いいことをした」

b)わかりにくくなって「わるいことをした」

と二つあると思うわ。
そもそもむずかしい教えをわかりやすくした、って考えと
正しく説かれていた教えをゆがめてわからなくした、って考えと

a)なら、破戒僧であることはあまりマイナスポイントにはならないわね
b)なら、破戒僧であることは、訳に悪い影響を及ぼしてるかもしれないって、考えるかもね。

このことは、けっこう大事かもって、気がするから、鳩摩羅什は要チェック人物に入れとくわね。

「終始悩める破戒僧だった」なんて、気取ってる場合じゃないと思うわ。

だって、さ、そんな彼の訳したもの読んで、

こちらこそ、「終始悩める理解NOだった」りなんかしたら、いや~んですわよ。

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2005/05/15

ノルンシュタイン氏の場合は…

日々、「奴隷の一日」を送っている管理人は、あんまりテレビを見る時間がありません。

たいてい通りすがりに3秒くらいでチェックする。
おもしろそうだと3分間ウォッチングで、情報を仕込んでその場を去るのであった。

奴隷一家の一日は、こんな風に昼も夜も忙しいのでありました。

昨日は、夜に帰ってきた、「部活」奴隷・息子2の瀕死の姿に、思わず足を揉んでしまう「哲学」奴隷・母だった。
足を揉みながら、久方ぶりに、何となくテレビを見ていたら、

「アニメの巨匠ノルンシュタインの世界」というのをやってました。
へぇ、知らないなぁ、誰だろ?
っと、興味もなく、そのアニメの制作現場とそのアニメのワン・シーンを見て仰天!

ガラス板に置かれた手書きセルロイドの事物絵や人物絵を
動かして、アニメにしていく技法です。
言ってる意味わかんないかもしれないけど、気にしないで(そんな!)。

おお!善行をすれば、さっそく報いがぁ~。

もう完全に死んでる息子をたたき起こす(チョー迷惑)。

すごいよ!見てよ!このアニメ!死んでる場合かぁ~!

おおお!宮崎アニメも吹き飛ばす(?)かどうかは、わかりませんが、
何にせよまったく別のチョー繊細な一つの世界をつくっているのでありました。

ゴーゴリの『外套』を手がけて、半分くらいまでつくったところだそうで…
モノクロの世界の中に、厳寒のロシアの風景とそこに生きる人間が丹念に描かれた作品…のようです。
「のようです」というのは、一部しか見てないので。一部でもすごい。
人間観察の鋭さには、あきれる!(ほめ言葉のつもり)

まぁ、どんなにすごいかは、ここでは言わないことにして、
さっそく触発される「哲学奴隷」なのであった。

んで、もち、哲学ばなしの方に引っ張るわよ!ごめんちゃい。

ノルンシュタイン氏は、
一茶にゆかりの、何とか寺(ゴメン!聞き逃した)を訪れて
座禅を初体験するんですが、

はじめてなのに、微動だにせずうまく座禅できちゃって、
おしょうさん(かわいい!そして、たぶん、高僧)にほめられていました。

そのとき、ノルンシュタイン氏は、こう言ったのです。

「座禅してて何もなくなる感じがするけど、
それは、わたしがアニメの仕事に没頭してて、
自分が何もなくなる感じと同じだ」

ふうん、そうかぁ。
やっぱり!
わかったぞ、っと。

何がわかったかというと、

「座禅する」のと「仕事する」のがおんなじだ、ということです。

「アニメ奴隷」のノルンシュタイン氏から
「哲学奴隷」の正しいあり方を学んだ管理人は、大いに満足するのでありました。

要するに、座禅するように仕事しろ、っということですね。
ぎゃくに、仕事するように座禅しろ、っということでもある。

うん!テレビは見るもんです。足は揉むもんです。
忙しい奴隷は、無駄なく生きなくちゃな!(30分もテレビ見ちゃった)

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2005/05/14

「常識ないヤツを大切にしましょう」の巻

どこを歩いても、桜が咲いててきれいです。
2分咲きくらいから満開までいろいろあります。

コブシも満開だしツツジも満開、ちゅうりっぷはまだかたいつぼみでしたね。
梅もそろそろかな。レンギョウもきれいです。水仙も咲き誇っています。サフランも見かけたし。

北海道は、春には、一度にいろんな花が咲くので、ほんと楽しめる。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
写真屋さんで、そこの人とおしゃべりをする。

「2年前にはじめたけど今まで写真を専門に撮ったことなかったんですよ」

おお大胆!だいじょぶか!

「プロには、ここは狭すぎて無理だと言われたけど、
ようし、それならっと、全部自分で設計して写真を撮れるようにしたんです」

ほんとに、すごい!ってか、せまい!

ちょっとした壁が、レンガになってたり、
木目になってたり、
出窓まであったりして、
どんな背景でもOKになっている。
広さ3畳間もないくらいなのに。

すだれをかければ京都風、
レンガのところは小樽の異国情緒、
白いカーテンはなんだかチャペル風

写真の見本見ると、いろんな場所で撮ったようにみえる。

「写真のこと知らなくて、
常識がなかったのがよかったんですね。」

お!それ、わたしと同じ!思わず、意気投合。

「常識ないから、他の人とおんなじこと考えないんですよね。」
「というか、他の人とおんなじこと考えられない?」

ははは

「でも、常識なくて困ることも。じつはここも半年使えなくて…落ち込みましたよ。」
「ふうん、それもわかる。常識ないって、たいへんなんですよね。まさか人に聞けないですしね…常識だから。」

ははは

よくこの会話で嫌われなかったなぁ。
非常識者同士の連帯感ってヤツかしら。

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2005/05/11

寝るより楽はなかりけり

いくら北海道でも、この時期、6℃は寒いです。
それでも、桜が咲き始めているようで、ようやく春っぽくなってきました。

沖縄は梅雨に入ってしまっているんですね。ほんとに、長いわ、日本列島。

春、それは、眠いということ。
なぜだか知らないけど、春になると、猛烈に眠い。

昨日も、午後2時頃、睡魔のおそう時間帯。
仕事してるつもりが、完全に寝ている状態だった。

ピンポ~ン

意識を回復し、あわてて出ると、どこかの宗教団体の人だった。

「ご家族の娯楽についての過ごし方を書いたパンフレットをお配りしております」

寝ぼけているわたしは、
「あ、うちは間に合ってます」っという、わけのわからない対応をする。

しかし、意識が戻ると、
「なぬっ!家族との娯楽?過ごし方?余計なお世話だいっ!」と、いう気がしてくる。

「それに、家中、全員、娯楽の過ごし方なんて決定済みっ!」

暇があれば、みんなしたいことはただ一つ

それは、ね……

昼寝よ

ううん、なさけない一家だ。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ところで、最近、あんまり勉強できないわ。
っていうか、
やることいっぱいあって、まとまって本が読めないわ。

阿含経典をもう少し地味に、読みたいわ。
『中論』も地味ぃに、読みたいわね。
『ニヤーヤ・スートラ』『ニヤーヤ・バーシャ』を、地味ぃぃに読みたいわ。
他の龍樹作品も地味ぃぃぃに、読んだら楽しいわね。

やっぱり、勉強は、この「地味に」っていう作業がないと、どうも満足感が得られないわね。
枯渇していく感じだわ。

仕事と勉強ってちがうのね。
仕事は出すモンだけど、勉強は入れるモンだわ。

それに、勉強と研究もちがうわね。
勉強は起こすモンだけど、研究は寝かすモンだわね。

じゃ、ついでに。研究と仕事もちがっているわ。
研究は顕れてくるモンだけど、仕事は生みだすモンだわ。

この三つはバランスよくやらなくちゃ、
きっとダメなんだろうと思うけど…それは、むずかしそうだわね。

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2005/05/09

幸せのために

今日は、不思議なことに同じ言葉を二度聞いた。

仕事に行く前に、「学校の勉強は何の役に立つか」って、話しになったとき、
夫が

「いくら学校の勉強ができても、それが人間の幸せにつながっているケースはまず見たことがない」

と言ったので、
「そうだな」
と思いながら、仕事に行きました。

ってことは、がっこのべんきょを教えにいくわたしは、不幸のたね蒔いてるようなモンだわ、って思いながら…

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
授業が終わったら、まじめな学生さんがやってきました。

「板書とプリントとが、うまくつながらずによくわからない。
説明聞いたら、わかったような気がするけど、でもあとでわからなくなる」

と言って、板書を丁寧にしてくれるようにと言ってきました。試験が心配で…と言っています。

そこで、わたし。

心配性だなぁ。一番前で熱心に聞いているんだから、大丈夫だよ。
それに全部わからなくてもいいよ。
大学の講義なんて、わたしなんか聞いててわかったことないから。
変だと思ったら、自分で考えてみればいいんだから。

と、やさしく励ます(?)。何せ、不幸のたねの役に立たないがっこのべんきょだもん。
しかし、学生さんは余計不安になったらしい。ぜひ板書をしっかりしてくれ、っと、わたしは念を押される。

まずかったすか。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
控え室に戻って、英語の先生とおしゃべりをする。
英語の先生も
「むずかしくてわからない」とか、「全部英語でしゃべらないでくれ」とか
学生から言われるらしい。

最近では、大学で、中学・高校の英語の復習をするようになってしまい、困ったものだという話しを聞く。
やさしくしたからよくわかるようになるかというと、そうでもないというような話しを聞いているうち、
その先生が、生きた英語をやらずに基礎の文法ばかりやっても役に立たない、って言いながら

「学校の勉強をやってても、幸せになれるわけじゃないから」

って、言ったので、びっくりしました。

あら、今日、その言葉を聞いたの二度目だわ。

そう考えると、人々の幸せのために哲学体系つくったお釈迦さんて、やっぱりえらいんだわねぇ。

そういえば、このごろわたしもそう思ってた。
学校で習うことって、全部忘れても一つも困らないことばかりだなぁ、って。
一つも幸せのために役立たないよね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ところでね、最近、仕事に行って他の先生と話す話しがこんなのばっかり。
もっと人々が善く生きられるように、幸せになれるように、って言うことを考えなくちゃ、教えなくちゃ、っていう話しばっかり。

今の世の中、やっぱり、おかしいのかしら。

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2005/05/08

生と死

ご無沙汰しております……ってかく日記もありますか…ね。

しかし、更新されないまま月日は経ちますね。
そして、曇って寒いまま月日は経つのでした。

あまりの寒さに

とうとう、再び、暖房を入れることになりました。
よかった!
あったか!
ぬくぬく!
北海道じゃ、6月半ばまで用心しなくちゃいかんでよ。

ここ一週間の仕事づけもようやく終わりました。
めでたい!
うれぴい!
はっぴい!
原稿を12000字だらだら書いてしまいました。

仕事に行く途中駅のホームの柵に鯉のぼりが張りつけになってるのを見ました。
苦しそう!
かわいそ!
泳ぎたい!
いくら何でも鯉のぼりの張りつけは、いただけませんわ。

同じパタンで書くのも、いい加減にしよ。
ところで
授業で、「生と死について考えてみましょう。あなたの命が3年だと告げられたら、あなたは何を考えますか」という問題をやっています。

4年制の学校だから、一年足りないのよ、卒業するには。
ここがみそ。みんな、必死で、何するか考えてくれました。

始めは「えーっ!死ぬんだぁ」とか思って、ショックで泣き明かすとかいろいろ書いてくれました。
しかし、ショックから立ち直ると、いろいろ人生を考えはじめます。

結婚して子どもを産んで自分の遺伝子を残す。
バイトして生きてる間に親孝行する。
学校やめてバイトでお金貯めて旅行する。
家族や友達との生活を大事にする。
とにかく自分が生きた証拠に日記を書く。
遊牧民のような暮らしをしてひとり静かに死ぬ。
ぜったい3年以上生きてやる!っと思う。
ふつうと変わらない生活をする。
オロオロ、充実した生活しなきゃ、っと思いながら、何していいかわからず焦る。
犯罪にはしるかも、いや、家族に迷惑かけないようにする。
人のために臓器移植をしようと思う。

生と死について考えてもらうつもりだったけど、みんなが考えてくれたのは、「生」オンリーでした。

考えてみれば、そうだよね。
「死」が見えてきたとき、はじめて「生」のことを人間は考えるものなんだわね。
だから、
楽な人生をお膳立てされて「生」しか見えないとき、人は「死」を考えて自殺したりするのね。

こういうわけで、死後の世界のあるなしや、輪廻転生のあるなしや、死とは何かや、そういったものについて思う存分考えることは意味があると思うのよ。
例えば「非科学的」「縁起でもない」などの理由で、死後のことや死について考えさせないようにするのはよくないと思うな。

死を考えないものは、生きられない…案外あたってる?

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2005/05/03

論文はいかに処理すべきかという問題についての一考察

そろそろ暖かくなってきたので、
数日前に、おじいちゃんが鶴の一声「よし、暖房をとめるぞ」と宣言して、家中の暖房が止まりました。

そしたら…

急に寒い日が続いて、みんな震え上がりました。

冬でも着なかったセーターを引っぱり出した…何やってんだ、うちは。
風邪をひいた…何やってんだ、わたしは。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ええ、そんなわけで掲示板の書き込みが滞っておりまして、すみません。
antoonさま、しばしお待ちください。

それにしても、インターネットって、いいなぁと思います。
インターネットがなかったら、
いったいぜんたい、わたしの論文を読んでくれる人なんているでしょうか?

否、だんじて否っ、

っであります(そこまでいうかいな)。

まあ、専門の学者は読んでくれるかもしれない。
でも、読み方にいくらか問題もあるような…

なぜって
学者というのは、批判するものなのです。
批判するのはサガなのです。
だから、何でもとりあえず批判するのです。
そして、
それから、「ええっと、どこが変だっけ?」と考えるのです。

「あなたの論文、中身が変ですね」
というか、
「あなたの論文、文が変ですね」
というか、
どっちにしようかなって考えるのです。

ま、しかし、これは大事なことでもある。
厳しい試練にさらされて学者は育っていくのよ。
だけど、それは学問の中の世界だけで通用すること。

一般の人が入り込めない隔離された学問の世界は、いくら学者どうしで批判しあっても、
どうしても固定観念という罠にはまっちゃう

っと、わたしは考えます。

だから、インターネットのような誰でも読めるところに、論文さらしものにして、
ホントに風雪に耐えられるか試さなくちゃな

っと、かように思うのです。コホン。
かっこいいって?
いや、まぁ、そんなぁぁあ、照れるなあ。

え?ちがう。
え、何ですか?

論文さらしすぎて、ぼろぼろ、原形とどめてない!?

こりゃ失礼しました。

(※しかしなぁ、さらしものにすればぼろぼろだし、
学者の世界に秘蔵すればカビ生えてくさるし、
そうかといって、龍樹の個人情報(?)だから安易に捨てられないし、

論文って、処理に困るのよねぇ…

そうだっ!いい考えがある

しまい忘れたふりして、インターネットに放置しとこ。
ここなら、誰にも文句言われんし、見つからない…

ん?わたしへんなこと言ったかしら?)

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2005/05/01

チャリンコ・ペリパトス?

今日から、五月だったんですね。
しばらく「カレーな日記」もお休みしてたら、月日がたっちゃいました。

おい!管理人、何してたんだ?
え?何にもしてなかったんですけど、特別。

連休は暇かもしれないと思っただけでうれしくて、
「ぼーっ」っと舞い上がってしまい、
暇になったときの気分を想像しながら、

経典散策の旅に出たり、
掲示板思索の旅に出たり、
図書館検索の旅に出たり

してたんですけど、連休前にそんなことする暇なかったのに気がついた。

しかも、
連休用の仕事もきちゃったす…
しかも、
息子は毎日部活で学校に行くし…
しかも、
寒くて桜も何も咲いてないし…

なんだ
ふつうとかわんないじゃん(涙)
何が、大型連休だいっ!

と、グチをこぼす管理人だった!
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
去年は、今ごろ、桜が満開で「早いなあ」と思ったけど、
今年は、ようやくコブシがほころんできている程度。
よその家の庭でサフランが福寿草とともに群れて咲いててきれいでした。

そうだ、今年はアリストテレスのペリパトス(逍遙)学派に入門してみようかな?
現代風に、別の派をたててみよっと。
その名も、
チャリンコ・ペリパトス学派

あのねぇ、管理人、
ただ自転車であちこち行くってだけのことを、もったいつけて言うな!っつうの。

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