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2005/02/07

お出かけ前に一考察

宗教者と学者の問題、ここまで人気が出るとは!
なぜ?

みんな、あんがいテスト好きなのかしら。
これからは、全部テスト形式にしてみるのもおもしろいかも…ね。

あれ?ところで、東京行くんじゃなかったの?

あ、そうなんだけど、行く前にちょっと考察。
宗教と学問  そのちがいとは?

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学問は宗教とはちがう方法論で成り立っていると言われるがほんとうにそうなんだろうか?
最近、どうもこの点に疑問を感じて仕方ありません。

学問は、あくまでも客観的で実証的と認められなければなりません。
「主観的」と判断されるのは、学問にとってはいいことではありません。

しかし、何書いてあるかを知るためには、主観に頼るしかないわけで、本気で知りたいと思ったら、主観をフル回転(主観て回転するのかな?)させなければなりません。
とくに宗教的な特別の作品については、ミイラ取りがミイラになることをおそれては、その作品にせまりえないと思うようになりました。

たくさんの研究を読むと、その研究対象から多くの成果を引き出しているすぐれた研究は、必ず研究者が自己の存在をかけて取り組んでいます。最初はどうかわかりませんが、結局、自己の主体性にもとづいて研究していくとどんどん信じていくことになるのです。

ということがわかってきて、まずいぞと。

いちおう、表向きは(学問やってるので)仏教徒ではないといいながら、龍樹やってるときはほんとはまるっきりその思想に共鳴してるんですわ。つまり、どんどん信じてくる。そして、信じてくればくるほどわかってくる。わかりたいから、もっと真剣に信じようとする。

ということは、宗教者になってるんだろうか?
そうなると、西洋的な学問の定義では、もう学問にならないのかな?

知りたいから主観を活用する。
主観を活用すると学問にならない。
学問にならないと「知った」とはいわれない。
矛盾だなぁ。

だから、ね、思うんだけど、客観的で実証的っていうことは、学問研究にとって、そもそも、ほんとうに、ほんとうに成り立つのだろうか?それによって、一体何がわかるんでしょうか。

大いに疑問が渦巻いているのでありました。現在進行形でございます。
それじゃ、とりあえず、疑問のまま出かけよ。

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