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2005/02/28

龍樹、手のかかるヤツ

龍樹の話どうだった?

あと、まだまだおもしろい展開が続くけど、論文にするので失礼しますわ。
できたら読んでね。

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龍樹については、龍樹専門ではないので、
ほんとうは、えらそうに何か言える立場ではないことはわかっているけど、
どうしても、一言二言言いたくなってしまう。

なぜかと言えば、彼についてはとてもよくわかるからです。
完璧に読んだものは『方便心論』一冊。
あとは、つまみ食い。

しかも、『方便心論』が龍樹の作であることは、「まだ」学会で認められているわけではない。

だから、こんなことぜんぶウソだと思う人がいても仕方ないかなと思う。

でも、あえて、

『方便心論』は龍樹の作で、
ことばについての空思想は『方便心論』の「言失」という二つの規則にまとめられていて、
それによって、当時の学問世界に衝撃を与えた

といいたい。

なぜ、そういいたいかというと、
そう考えると、彼の哲学思想関係の著作とされるほとんどすべてがきれいに解明でき整合的に説明できるからです、今のところ。

わたしに確信があるのは、

龍樹の、『方便心論』作者の、と言ってもいいかもしれませんが、
言っていることが、みなよく理解できる

からだけではないのです。

じつは、龍樹のものでちゃんと読んでない部分についても、
みなよく理解できるからなのです。

変な言い方かもしれませんが、そうなのです。
『方便心論』の内容からすると、おそらく
「こういうことも言っただろう」とか
「このことはこう考えたはずだ」とか
想像することも多いのです。
そこで拾い読みしたり、あれこれ探ったりすると、今のところそれがぜんぶピタリとあたっているのです。

ということは、彼は論理的に一貫しているということです。
だから、哲学関係でいえば、どの作品が龍樹作かということは、ほんとうは、すぐわかることだとわたしは思います。

龍樹には、龍樹にしかない文脈というのがある。

それを語ることのできた人は、龍樹以後にはいまだ一人もいないから。

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しかし、なんで、わたしがここまで龍樹に身を入れなきゃいけないかと自分でも思う、トホホですわ、まったく。

だって、龍樹に敵対してたニヤーヤ学派の研究やってんですもん。ほんとはね。

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