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2004年11月

2004/11/27

空と中とくれば…

なに?
空中分解!だってぇ~!

縁起でもないこと言わんでよ。
お、しまった。答えをいっちまったい。

そう、「縁起」です。

空とくれば龍樹、
中とくれば龍樹、
縁起とくれば龍樹…ってわけでもないかな。
縁起はお釈迦さんのもんだもんね。

この三つの言葉は仲良し兄弟。だんご三兄弟のように、串でつながっていて、ほとんど一緒のもんです。
だから、1個食べるとあとの2個もくっついてくるのよ。

さて、さて、久しぶりに龍樹の本が出ましたね。

瓜生津隆真博士『龍樹 空の論理と菩薩の道』大法輪閣

『大法輪』という雑誌に連載した永年の研究成果を一つにまとめた大作です。
わたしとしては、「空の論理」もですが「菩薩の道」の方に興味がわきました。

龍樹の研究書を読んだり、アビダルマの研究書を読むときは、少し前から他の研究書を読むときとはちがった読み方をしていることに気がつきました。
実際のところ、書いてあるさまざまな知識はもうそんなに真剣に読んでいないのです。
乱暴なことをいうと、そんなところはどうでもいいような気がするくらいです。(というのは極端ですが)

ただ、著者が一番引きつけられたところはどこか、とか、著者がつかんだ真実は何なのか、とか、著者の言葉で一番光っているのはどの言葉なのか、とか、ほとんど書いてない部分、つまり、行間を読むのに必死になります。

つまり、瓜生津博士の龍樹って、どんなだろ?という興味ですね。
何かそこに真実があると思うんですよ。
やっぱり仏教書は仏教書の読み方がある…って思う。

ところで、最近、言葉だけが上滑りしている本や論文て、読めなくなってきたなぁ。

ブッダも言ってるよね。

 名称で表現されるもののみを心の中で考えている人々は、名称で表現されるものの上にのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、かれらは死の支配束縛に陥る。

 しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が〔有ると〕考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾(かきん)となるもの(煩悩)は、もはやその人には存在しない。(中村元『神々との対話』三三~三四頁)

いや、まったくほんとだな、って思う今日この頃。

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2004/11/26

究極の自己中

今日も一日、無事すぎました。ありがとうございます、かみさま、ほとけさま。

というのは

今日の占いによれば、仕事運1,恋愛運1、金運1だった。
うれしそうに夫が教えてくれました。
最近、よく占いのところを見て教えてくれるのです。

しかし、前に仕事運5,恋愛運5,金運5の日があったけど、今日と全然変わらない人生だった。

恋愛運5なのに、なぁんにも起こらなかったっ!
1円玉一つ道に落ちてなかったっ!
仕事もめいっぱいあったっ!

運だけは、5だった。現実とは別に……とか言ったら、怒るから。

さて、ところで、今年の学生さんは、いろいろな出来事について偶然か運命かの判定には、偶然と割り切るより運命と考える人の方がやや多いことがわかりました。。
たとえ偶然と理解したとしても、偶然も運命のうちと見る人があんがい多いのにはちょっとビックリ。

数年前は絶対、偶然派の人が多かったけど。
不安な世相を反映してるんだろうか。
それとも、天変地異の多いせいもあるのかな。

過去を見ると、人は運命論者になり、未来を見ると、人は自由意志論者になる。

どうかなぁ。そうとは限らないか。

過去を見ると自由意志論者で、未来を見ると運命論者、ってのもね。
つまり、過去は勝手なことばかりやってきたけど、未来を見れば先行き決まっていて夢も希望もない、ってことになるのか。

ううむ、さびしい。しかし、この人生、まさしくわたしの人生だわね。
過去をふり返ると、ほんと好きなことやってんなぁ、と思うわ。
未来を見れば、もう運命的にこれと決まった人生しかないんだから、何をやってもいいんだ、好きなことやれば、それがそうなる運命なのだ!という、とんでもない理屈で生きてきたものね。

これ、究極の「自己中」の人生じゃなかろうか。

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2004/11/23

火宅の人なんです、あちっ!

だいぶお尻に火がついて焦るべき状況になって来たのですが、
どうもさっぱりおみこしがあがりません。

何かといえば、論文の準備ですが。
ううん、はぁ、…、まあ…いっか、という場合ではないっ。

しかし、どうもあれこれ浮気をしてしまう。

ヨーガの人に、小説『旧約聖書』というのを借りる。
貸してくれた人曰く
「『旧約聖書』なんて、身近に感じられないし、よそよそしくてわからないと思っていたけど、この本読んだらね、小説だから、登場人物が本から立ち上がって歩き出すの。二次元の世界だったのが、三次元のわたしたちの世界の中のできごとになって、すごく身近で、とてもおもしろかった。」

うまい比喩だなぁ。「立ち上がって歩き出す」ね。
そこで、昨日ですが、通勤の時読んだら、おもしろい!
まだ、最初の方しか読んでないけど。
で、がっこに着いても集中できずに、いろいろ授業前の準備の時にミスばかりする。
授業も何か変だった…らしい。
終わったら、どっと数人質問にきたもん。ううん、すまん。みんな。

昔、『旧約聖書』の登場人物を最初から暗記しようとして途中であきらめたことがある。
いっぱい出てくるので、誰の子が誰だったかわからなくなってしまうのだわ。
それに、人の名前なんかだんだんどうでもよくなってくるし。

だましたり、だまされたり、という人間世界でありながら、しかし、かわした契約は絶対なのが興味深い。
神さまとの契約というのも、よく考えたらすごいよね。
問答無用に契約かわすことになるんだわね。「いやです」と言えない雰囲気で話が進んでいくもの。

どんな嘘つきのように見える人でも、絶対に嘘をつかないところがある。何十年経っても約束は有効だったりする。
さすが、聖書だなぁ、と変なところで感心する。

人々の真実がどんなところにあって、どんなところでならば嘘をついたりできるのか、勉強になりますわ。
インドの社会を思い出してしまう。
インド人も嘘をついたりだましたり、けっこうしているんだけど、絶対嘘をつかないところがある。
バラモンは嘘をつかないと言われるし。

真実のあり方が、どうも日本人とちがうようだ。
どこら辺がちがうのか、少し読みながら考えよっと。

ああ、やらなきゃならない義務のあるときに限って、いろいろ関心を引くような魅力的なできごとが次々でてくるんだわよ!
世の中って、どうしてこうなんでしょ。

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2004/11/21

インド!

しばらくぶりに、インド!インド!を感じてしまいました。

ヨーガのみなさんにインド哲学関係の話しをするのですが、最近のインドを知らないわたしは、ちょっと勉強してました。
人口が10億超えたというニュースをやってたなと思っていましたが、な、なんと、2001年の調査で10億2702万人になっていたっ!人口増加率1.8%だって。これって、多いの?ネズミより?

すみません、ネズミと比べたりして。
あ、もしかして、ネズミにごめんなさいと言うべきなのか。あ、あ、ほんとごめん。もう言いません。

ヒンドゥー教徒が82.7%ね。すごいです。世界宗教だっつうの。
識字率、65.4%。よしっ!もう少しがんばれ!

それにしてもほどなく中国を抜いて人口が一位になるだろうと言うことを聞きましたから、まずは、仏教を生んだ国、知恵と勇気の支配する国、インド、そこに住む人々に、ある意味、これからの世界について期待したいが…。

このような戦乱の世になると、偉大な知性を求める声が大衆の中からわき上がる(はず)なのですが、それに応える人が出てきそうなところといえば…。

最近のインドはどうですか。むずかしいですか。ブッダ出ませんかねぇ。

なんて、話しをしようと思っていたら、最初の出だしをまちがって、世界地図の話しから入ってしまいました。
したがって、一生懸命調べた上の話しはまったくすることなく、家に帰ってきてから「あれ?話し忘れた」。
作ったノートは飾りになってるぞ。
まったく何やってんでしょ。

ああ、でも、自分でインド哲学史を概観できてよかった。めちゃくちゃいい加減な哲学史だったけど。
インドは、お釈迦さんさえおさえておけば、だいたいいいです、っといいながら、ついでに

下宿人さまの『ブッダの考えたこと』

もご紹介してきました。

ときどきインド哲学を概観して、その研究の発展ぶりをチェックしなくちゃと思うのだけど、ダルシャナ(いわゆるインド「哲学」)系統では、あまり目立った動きが見あたりません。調べ方が悪いのかもしれないですが。

こういうまるきりわたしの専門と関係ない勉強しているときにも、じつは『方便心論』はとても役に立つ。昨日の知識も大半そこから得たものだし。とくにインドラの話しなんか。

って、言うと、みんな「こいついったいどんな話ししてるんだ?」って思うよね。

うん、我に返ると、自分でもそう思う、まったく!

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2004/11/18

二冊の本

昨日から読書三昧。
二冊本が届いたので、手にとってそのまま読んでしまう。

レイモンド・スマリアン『天才スマリアンのパラドックス人生』(講談社)
下宿人さまの『ブッダが考えたこと─これが最初の仏教だ』(春秋社)

両者ともなかなかに刺激的で、そして、過激な本ですね。
スマリアンはとても好きな論理学者だから、ギャグだらけのこの本もそれなりに興味しんしん。
それにしても、ほんと全部ギャグの本ね。パズルも入ってるけど。

刺激的で過激なものを一つご紹介。スマリアンお得意のジョーク。

デートの時に相手の彼女に「君に触らないでキスできる」といい、「できる」という方に賭けます。彼女の方は当然「できない」といいますね。そして、スマリアンは彼女にキスしていうのです。

「僕の負けだ」

この手を使って、パーティでも女の子にキスをしまくっていたそうですが、本に書いちゃったら、誰も引っかからなくなると思うぞ。あるいは、さもなければ、他のみんなもこのネタ使うのでは?

しかし、ギャグだけでできた本でも、その中に論理のひらめきが随所にあって、さすがスマリアン読ませます。スマリアンでなければ、これらのギャグも色あせて見えるかもね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、一方、下宿人さまの書は真剣勝負ですね。切れ味鋭くて明快です。
こういう仏教の本に出会ったのははじめてのような気がするわ。

なぜなら、読むと、書いてあることがわかる!(スマリアンのギャグみたいな文になっちゃった)

それに、他の人の説を批判否定しているのも、読者には仏教思想解釈の交通整理になってありがたいかも。
どんな説があるのかもわかるし。(これもスマリアンのギャグみたいだ)

なんだかまずいわね。スマリアン調にそまってしまって。

とにかく、仏教を研究している人はぜったい読まなければならない本ですね。
今までの仏教書で飽き足らなかった人にもお勧め。

それにしても、自分のすべき勉強そっちのけで、読書の秋に浸っていていいのだろうか?
学会発表も近いというのに。どきっ!何も準備しとらんよ。まずいよ。本気で。

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2004/11/16

冬将軍到来とコーヒーと漱石のはなし

吹きさらしのプラットホームが、ことさら寒い今日一日でした。
一日中吹雪いてるし。

こんな寒い日の朝は心もホットになる温かい飲み物がうれしいですね。
朝といえば、やはりコーヒーでしょう。朝は目覚めのコーヒーがなければ始まりません。

コーヒーは、やはり美味しく入れたいですわね。
一日元気が出ませんわ。目が覚めないし。

おいしいコーヒーを入れるコツ。これは先日テレビが伝授してくれました。
コーヒーははじめまんべんなくお湯を通して湿らせるようにするだとか、コーヒーの粉が盛り上がるように入れるだとか、中央部分にお湯を注いでいくだとか。

あと忘れちゃいました。

でも、入れ方忘れて適当でも、管理人は最近美味しいコーヒーを飲んでいるのです。
コーヒーも生協で400gなんと298円のお買い得品。なぜかこれが一番美味しい。
うーん、アロマ~はぁ~。

なぜおいしいかって?

それはね、コーヒーのドリッパーを100円ショップのものから陶器のカ○タのものに変えたからです。

ほんと、信じられないから。
プラスチックのコーヒードリッパーをお使いのみなさん。
だまされたと思って、白い陶器の豪華な(?)ドリッパーを買いましょう。

こんなにちがうの!っていうぐらいちがう。100円ショップのはキャンプに行くとき使うといいかも。

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さて、さて、インターネットで夏目漱石の「わたしの個人主義」を読んでしまう。ところどころとばし読み。
大正三年十一月二十五日学習院輔仁会での講演のようですね。

夏目漱石って、講演してるときも、何となく『坊ちゃん』の中の主人公の話し方に似てますね。
って、作者だから仕方ないか。
率直で、まじめで、堅物で、そんでもって話しが長いです。そっちょくなところが気に入りました。
話しが長いところがあきれました。講演てこんなに長く話すのかぁ。

無批判に西洋をありがたがる風潮を批判してるところが、なかなか感慨深い。
今でもそういう風潮なくなってないですよっ、漱石さん。って言ったら、ビックリするかな。
国家主義も批判しているところが漱石節でええですね。

小説読んだときの印象より、ずっとふつうっぽい人です。
「個人主義」っていうけど、東洋的な「自己本位」を説くから、あんまり自己主張が強く聞こえません。
ううん、もっとわがまましなさいっ!

それより、昨日読んだ(これもとばし読み)へルマン・ヘッセの『シッダールタ』の方が、「自己」や「自我」を殺してというか、消そう消そうとしているようなのに、けっきょく強烈に西洋的な「自我」を感じてしまう。主人公は最後に悟るんだけどねぇ。
ううん、もっと修行しなさいっ!

何だか知らないが、わたしにしては変わったものを読んでしまったわ。
でも、忙しいもんだから、どれも1ページおきにとばし読みです。わるいわね。
こんな読み方だから、感想というより、印象に近いわ。

あとでゆっくり読んでみたら、全然感想ちがうかもね。


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2004/11/14

行きと帰りのある道、ない道

ここ2日、久しぶりに『方便心論(ほうべんしんろん)』※を読んでいるのですが、もう、はまりそう!

※龍樹作と考えられるインド初の本格的論理学書。本格的イヤミ本。本格的詭弁論者養成コースのための解説書。本格的真理追究の本。本格的阿含経典丸わかり事典。本格的なぞなぞ本。本格的分析哲学書。本格的論争術教則本。

って、今まで、はまって研究してたじゃん。2~3年間。
そうだった!そうだった!

だいたい全体像をつかんで研究をまとめて、自分ではほぼ手中に収めたように思っておりました。
あとは、きれいに落ち穂拾いをして、残りをお掃除すれば、すっかりさっぱり解明したと言えるとずうずうしく思っていたのであった。

しか~し

な、なんとぉ!そうだったのかぁ。
しらんかった。まるっきり!という発見をしてしまい、この書はまだまだ探れば何でも出てくる、うちでの小槌であることを実感するに至ったのでした。

正直言うと、管理人は、この本、ほんと、好きです。もう大好きだと思うよ。
この本さえあれば、三度の飯はいらないと思っているのに、みんなは管理人に三度、「飯は?まだ?」というんですぅ。

なんて、そんなことはどうでもよろしい。
それより、題名とあってないぞ、中身が。

あ、どうもすみません。

いやね、じつは、ひょいっと遠山さんの『数学入門』(下)を開いて読んでたら、

「西洋のコトワザに『行きと帰りの両方に働けない方法はつまらない方法である.』というのがあるが、数学でも逆演算のない演算は使い道が少ない」

とありました。
ほお、そうか!そうだったのか、やはり~。腑に落ちますわ、すんごく。
現代論理学もみんな「行きと帰りの両方に働ける方法」を構造的にもっている。

P∧Q≡Q∧P、行きと帰りがあるよね。
論理学の命題計算もみんな行きと帰りの方法をもっている。
数学のように、分配律やら交換律やらがそろっていて計算できる。
現代論理学は、数学の中から生まれてきた経緯があるから、やはり「行きと帰り」をしっかり確保しているんだわね。

その点、『方便心論』は「行き」だけしかない。この論理学は、絶対帰れないようにできている。
帰ろうとすると、こっぴどく叱られる。なんて叱られるかって。
「こりゃぁ、おんどりゃ~、じかんがすぎてるぞっ!もどっちゃいかん。
そんなこと(=後戻りして対処)するのは、火事になって家がもう燃え落ちてしまってから、水をかけるようなもんだろがぁ」

きっついすね。
もちろん、帰ってもう一度見直すということは許されるけど、それは「行ってきます」と玄関でたあと、「あ、忘れ物っ」と気がついたときだけで、やっぱり忘れ物もったら、「行かなきゃ」ならん。

っということは、これから先の計算って、できないっちゅうことだわ。
ってことは、この論理学、出たとこ勝負の論理学ってことになる。
ってことは、臨機応変の論理学、猪突猛進の論理学、the oneway logic、てわけなのか。

やっぱり、だいぶ西洋論理学とは様子が違いますね。

あら、なんか、終わり方は穏やかだったわ。

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2004/11/11

哲学の推薦図書は?

管理人のさびしい人生には延べ人数にするとたくさんの友達がいます。
「何で延べ人数なんだ?」と言われるみなさん、延べ人数にしないとたくさんにならないのっ!

今年は、友達の当たり年でけっこうかまってもらえる。
なぜか、ひょんなことから友達ができたのです。

今年3月子供の中学卒業のとき、クラスのお別れ会を初めてやったら、そこで出会ったお母さんたちと友達になりました。
もう、卒業で別れるんだから、出会っても無駄なのだ、「会うが別れのはじめとは…」というせりふがそのまんまあてはまる状況で出会ったのです。
禁じられた恋ほど燃え上がるという道理に則り、別れがたくいまだにつきあうことに…。まったく、なにやってんでしょう。子供はそれぞれバラバラの高校にいってるんですわよ。

そうしたら、その中で、一人のお母さんがわたしに「お願いがあるんだけど」と言いました。
「え、なに?」
「哲学教えてるんだよね。せっかくだから、わたしでも読めそうでわかりそうな、何か哲学の本を教えて」
ううん、むずかしいなぁ。
読んでもわからないのが哲学だしなぁ。って考えてたら、その人は

「わたしね、二度とこんなことはないと思って。哲学やってる人と知り合うなんてぜえ~ったいないと思うの。これから先の人生でこんなことありえないでしょ、せっかくだから今勉強してみようと思って」

う、うん、そうお。エライ人だなぁ。べんきょしたいなんて。
しかし、何か引っかかるんだよね。気のせいかしら。

…何となくわたし珍獣みたいに思われてない?

…気のせいかなぁ。

…って考えながら、どんな本がいいのだろ?って考えました。
一般向けの哲学書。やっぱり、変な言葉だ。「一般向けの」という言葉は「哲学書」という言葉とくっつかない。磁石のS極とS極みたいなもんだ。

『ソフィーの世界』…ううん?
野矢茂樹『哲学の謎』…良いかなぁ。
永井均『<子ども>のための哲学』…どうかしら?
池田晶子『14歳からの哲学』…いいかも。本の題名に「哲学」ってあるしね。

あとなんかなかった?

あ、
『ビックリ!インド人の頭の中』をあげるってのは?…ううん、そうね、それもいいかなぁ、でも、でも、珍獣としては友達失いたくないしなぁ、って、どうしてそういう考えが浮かぶかな。

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2004/11/09

暑かったです

今日も、授業でがんばる管理人です。

初冬の寒さはどこへやら、今日は暑くてたまりません。
さてさて、今日は、みんな寝ませんでした。

なぜでしょうか。

なぜなら、わたしが起こしてまわったからです。
ほとんどみんなの机のまわりでノートをのぞいてチェックしたので、みんなは寝る暇ありませんでした。

「問題やるのよ!みんな!
みんなだって、がんばればできるわ!めげちゃだめよ!くじけちゃだめ!(☆の瞳で言うのです、きらーん、少女マンガ風)」

そして、
やってない子には、そばで愛のこもったはげましのメッセージを送り続けるのです。
愛がたっぷりこもっているので、みんな拒否できないのです。

っていうか、いつまでもそばにいるので始めざるをえない…かも。
渋々でもはじめりゃしめたものです。
そうよ!やればできるじゃない!
その調子よ!っと、げんなりするくらいほめちぎるのが、コツ!

うん!げんなりしてる!

やっぱり授業は愛よねっ!あいっ!…うるさいな!愛で「推論」がわかるかっつう声もあり。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

さて、こうやって、学生で遊んだ管理人は、西洋言語哲学の勉強をするのでした。行き帰りの汽車の中。
こちらは、まったくわからない世界だわ。分析哲学って、わたしのこと嫌いなんじゃないかと思うくらいだわよ。

一回読んだけどあんまりわからないので二回目読んで、しかも書き込みまでしてるってのに!
はっきりした作者の結論がないのよね。みんな欠陥がある説だっていうのよ。必ず作者の「だめだし」があるのよ。

フレーゲの「意味」と「意義」について。文の「意味」と「意義」もある。
ラッセルの確定記述、または、記述の理論。
ストローソンの批判。
確定記述の指示的使用と帰属的使用。
固有名にかんする「記述の束」説
クリプキの指示の因果説

管理人には、どれもそれなりにステキな説に見えるんだけど。全然変じゃないし。

でも、作者は、彼の「直観」に反する、っていうのだわ。
こうして、作者の「直観」がぴょこぴょこ出てくるの。
そのたびに、その検討している説は軌道修正をせまられて、最後は何が何だかわかんなくなって、次の節に行くのだわ。

西洋哲学はインド哲学とちがうのだとは思うけど、もし作者が変な説だと思ったら、管理人の考えでは、変な説は言わなくていいと思うのよね。紙の無駄だし。一番良いと思う説だけ説明すれば、それで済むんじゃないかと思うわけ。
でも、そしたら、本にならないか!

西洋は、核心をわざとはずして、周囲をカフカの『城』のようにぐるぐるまわるのが好きなのかな。
東洋じゃ、身も蓋もなく核心一言で済んじゃうよね。相手がわかろうがわかるまいがお構いなし。

どっちもわからん世界であることには変わりはないかもしれないけど、ずいぶん気分的にちがうわね。

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暖房が入ると…

寒い朝です。
北国の朝は、とても寒い。
ぶるる!手袋はいててよかった。(北海道じゃ、手袋ははめない。靴下と同じで「はく」というのです。)

でもって、学校に着くと、おお、あったかいのです。
暖房でぬくぬくです。
窓から朝日も差し込んで、いっそうぬくぬく。

何の話ししてるかって?

つまり、ね、

みんな、寝ちゃうってこと。

おい!起きるのよ!授業だってば。
1割から2割、確実に寝てる。
そして、起きてる子も、冬眠中のクマみたいに鈍い!

あらゆるものが眠る季節、冬。

ということは、わたしも授業しながら寝ちゃうかも…前件…肯…定……し……き…とは zzz
明日あたり危ない!

ところで、まじめに話しますと、掲示板で、横井さまの書き込みから、「定義」について考えはじめて、今は完全に混乱しているところです。
全然わからん。
「記述」と「定義」の区別がつかなくなっちゃったし。
ラッセルの確定記述も何だかよくわからなくなってきたし。

なぜ「独身者とは、結婚していない人です」というように、被定義語+定義語の語順で、定義が語られるんでしょうか。
なぜだろう。なぜかしら。…と思いながら、答えが出そうででません。

あ、早く寝なくちゃ。ほんとに明日寝てしまうかも。(あ、また、もう9日になってる、明日じゃなくて今日だわ)

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2004/11/07

うん、よしっ!

さて、7日の日記を書くか。
昨日の6日の日記が7日のところに来ているので、どうなるんだろうと思うけど、とにかくやってみることにする。
勇気を出して。(こんなことに勇気がいりますかね)

タイトルの「うん、よしっ!」というのは、かけ声ですが、それは自分に向かって自分が言った言葉です。
この言葉は、お釈迦さんの感興の言葉(ウダーナ)とおんなじで、感動したときにだすライオンのようにうなる声(獅子吼)なのです。
ガォ~ッ、ってことです。

そうか!お釈迦さんも、吼えてたんですね。そして、感動のうなり声とともに自分の教えを短い警句や金言のようにして明かすのでありました。『ウダーナ・ヴァルガ(感興のことば)』という経典もありますね。
それでは、わたしも感興の言葉とともに自説を一言。

ガォ~!
「ものごとは始まらなければ終わらない」

よかったっす。ほんと!
やりたいことがあったのですが、はじめようがなくて苦しんでたのだった。
それでも何とかはじめるとこまではこぎ着けて、やれやれだったが。
しかし、今度は、いつまでも終わらなくて、どうなるかと思ったっす。はらはらドキドキの人生ね。

ほんとに、もうちょっとで、次のような感興のことばになるとこだった。
「ガォ~」じゃなくて「ギャォ~」という獅子吼ってのが悲しい。

ギャォ~!
「ものごとははじまったって終わらねぇ~」

ま、そんなわけで、ひとつ仕事を終えたということで、自分の書いたもの読んで「うん、よしっ!」っと、納得していたのでした。
何とか今書いたものは、世の中に出てくれることを願っていますが、どうなるでしょうか。
これからいろいろがんばってみるところであります。

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ちょっとすっきりです

ようやくひとつ仕事を片づけました。
まだ、後始末はあるかもしれないけど、少しすっきりしましたわ。

さて、っと、次の仕事にかかるか。
という時間でもないですね。あと20分で7日だっ。
(アップしてみたら7日になっちゃった。今日の日記書けないや。昨日の日記が今日の日記のところに来てるとき、今日書いたらどうなるんだろう…なんて、ぐずぐず考えてないで実験してみたらよかと。どうなるか)

ところで、昨日は、駅前のデパートの8階に本屋があるのを見つけました。
1年間以上知らなかった。
8階なんて、遠すぎる。
直線距離にしてみるとけっこう遠いと思うよね。

しかし、本屋さんて、どうしてへんぴな場所にあるんだろう。デパートでも上の方だもの。

最近勉強になっているのは、言語論です。『言語哲学入門』だったっけ、それを読んで勉強しようと思っているんですが、なぜかあまり勉強になってる気がしない。西洋哲学はどうもまだるっこしい感じです。
それより、ブッダの阿含経典読むと、言語哲学の勉強になることがわかりました。
阿含経典ていいですね。

そうだ!論理学の勉強しなくちゃと思うとき、これ読むと論理学の勉強になるし
そうだ!言語論の勉強しなくちゃと思うとき、これ読むと言語論の勉強になる。

なんでも、勉強したいものが出てきたら阿含経典読めばいいってことか。便利だなぁ。
って、かなり本気で思ってるところがこわい!です。


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2004/11/04

大統領選挙によせて

いつのまに11月になっていたんでしょうか。
しかももう4日です。
今年も終わりですね。

ついでに人類の歴史も終わりに近づいてるかも、ね。

今朝は、話題がまったく出ません。
暗い!暗すぎる!

気分は地球最後の日ですわ。
再選されたブッシュ氏は「歴史的に勝利」したと語っているようですが。

管理人はあと4年人類の歴史は続くのだろうかと心配しています。
4年地球がもてば、まだ人類に未来はあるかも。
規約により、ブッシュ氏が再々選されることはないのだから。

しかし、この間、地球はどんどん猿の惑星化していくだろう。

論理も通じないし倫理も存在しない状態はますます加速するだろう。

そして、物欲と我執だけが我がもの顔に世界を闊歩するのであります。

出でよ!菩薩!この地球の生きとし生けるもののために。
出番ですよぉ、ったら。

これが「大統領選挙によせて」という題で書くことかな?

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2004/11/01

スズメ、スズメ、おまえはどこだ

冬になると、おとなりの庭にスズメがちゅんちゅん来るので、おとなりの奥さんに聞いたところ、えさをまいているのだそうです。
なるべく離れた庭木のところにえさをまいておくとスズメがたくさんきて見てると飽きないと言っていました。

そうか!そんないいことしてたんか。
どうして隣のうちにばっかりスズメ来て、うちに来ないんだろと思ってたけど。
えさで釣っていたのか。なるほど。うちにはあんまり食べるもの落ちてないから来ないのか。
よしっ!うちもやってみよ。

っと、思って、少し離れたところに夫がぱぁ~っとお米をまいておきました。

次の日の朝、お、ちゅんちゅんといっておるぞ!
かわいいなぁ…って思ってたら、とつぜん、夫が

「あ、あれなんだ?スズメじゃないぞ!あれ!?ありゃ、ネズミじゃないか~っ!」

ああ~っ!走り回ってお米を食べてるぅ。朝に、人目につくところに出てくるなんて!
野ネズミみたいで小さいのですが、しっかりえさをあさっております。
けっこう、ずうずうしくない?

「ネズミが通ったあとには米がないぞ」と夫。

ううむ!まさしく「米食ってチュウ♪」ですわね。

明日から一族郎党ぞろぞろ連れてでてくるなんてことないよね。
スズメのお宿じゃなくて、ネズミのお宿でもいいかっ!

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