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2004年10月

2004/10/30

睡眠不足の一週間

今週は4時起きが多かったので、夜になると勉強してても意識不明になることが多くてまいっちまった。
昨夜はすでに10時前にダウン。

いつも金曜日に日記が書けないのは、哲学の授業でわたしも学生も消耗するからだと思う。
後期は、「言語」をテーマというより、合い言葉にやってるんだけど、みんなとまどってる。

「ドラゴン」「ペガサス」は想像上の動物だけど、この言葉で言い表されるものはあるのかないかというようなことを聞いてみんなを混乱に陥れたついでに、「まるい三角」や「カラスの歯」の話しをしたついでに、わたしの知ってる科学説フロギストン説を話したついでに、みんなにテストを出した。

数字の「1」「2」「3」…は、何を表してるのか。それが示すものはこの世界の中にあるのかないのか。
科学理論が必要とする言葉「素粒子」のような言葉が表しているものはあるのかないのか、って決まるのか?

完全にみんな固まってる!
ほんと。お地蔵さんみたいになっちゃった。
全体灰色で目が点々。鉛筆にぎってそのまんま。

すごくよくできる子がいるんだけど、1行書いては消し、じっと考え動かない。先週から動かないんだけど。
チャイムが鳴っても思いついたように書いては消しをやっていて、時間すぎてようやく2行書いて出してくれた。

OKだよ!
そんなもんだと思うよ。
たくさん考えてるときは1行も書けないものだし、たくさん書けるときはほんとの意味で1行も考えてないものだ。考え終わって書くものだからね。

こういう学生諸君の苦吟する姿をながめていると
自分もいつもこんなすがたなのかな、って思う。

まっこと、「はじめにロゴス(論理、言葉)ありき」なのであります。

問題は、論理と言葉、どっちが先か、ってことだろうか?

ニワトリと卵だなぁ。

論理がなければ言葉は生まれない。
言葉がなければ論理は表せない。

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2004/10/28

去るものは日々に反省するサル

どうかな?
って、何が?

反省ザルを見習う管理人です。

まず、この「ココログ」というウェブログ、どうかしら?っと、さっそく反省開始!
管理人的には、書いてる立場としては便利だと思うわ。
いちいちタグ入れなくてもいいし、あっちにファイル移動したりこっちにリンク貼ったりしなくていいから楽だわ。
だけど、この書いた分どうなっていくのだろうか。
ほっといていいのだろうか。
勝手に消えてくのだろうか。
いずれ自分のとこに保存しなけりゃいけないのだろうか。

っと、いろいろ心配になるのですが、面倒だから考えるのをやめてどうなるかただ見届けることにする。
成り行きまかせっ!です。(反省はいずこに?)

それより、もう少し考えなければならないことがあるのだ、反省ザルもどき、としては。

管理人の来し方行く末を見るに、「来し方」としては昨年から今年にかけてけっこう仕事をしたと思う。
論文も自分としてはまずまず成果をあげた……あ、わかったわよ……ような気がする、って言っとくわよ。

だけど、その成果が、まるっきり、これっぽっちも形になっていない。
昨年書いた論文が載るはずの雑誌は、まだ出る気配すらない。
博士論文も宙に浮いている。論文自体はまずできているのだけど。そして、これはどうなるかわからない。
ほかに、今年発表の研究も、まだそのまんま。かりに書いても、雑誌が出るのは再来年だし。

今年は、現実にはあくせく論文書いて暮らしていた。
けっこうたいへんだったような気がする。(今年終わってないっつうの。)

でも、この分じゃ、今年終わってみると「研究成果、何もなし」という年になりそうだ。
何もしなかったに等しい…ってのは、さびしい!(お、反省する気配が…)……が仕方ない。(やっぱり、反省になっとらん。)

実際は、こんなに成果があった年というのはめずらしいくらい豊作だったのだった。(過去形で語るところが反省風。だけど、まだ、今年終わってないって。)

唯一、発表したのが、このサイトに『方便心論』の和訳を註付きで載せたことぐらいだ。(ぱちぱち、賞賛も反省のうち。)

思いますのに、管理人の研究のスピード(速い)と学術世界のスピード(遅い)とがあってないのだと思う。(これって、反省になるのか?ただのイヤミじゃないのか?)
…っと、分析したところでどうなるものでもないので、あんまりスピードに格差が出てきたら、そのうち、このサイトに勝手に論文載せようかな、っていう気も最近しているのです。(反省というにはあまりに……勝手な)

インターネット・サイトというのは、そういうためにあるんだとも思うわけ。どう思う?(やっぱり、管理人に反省ザルは無理みたいね。)

よし!今年の反省をしてしまったので(どこが!?)、今度は「行く末」の方も考えなくちゃね。
いずれ来年の計画も考えてみるわ。

他に先駆け、反省するサルを見習う管理人の反省風景でした。(ったく)

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2004/10/27

ありゃ、雪だ

昨夜遅くから吹雪いておりましたが、今朝もやっぱり吹雪いておる!真っ白け。積雪7センチだってよ。

こうなると朝は戦場だっ!子供をたたき起こして、たたきおこ、おこして、おい、おこして、ふう、起きない!いつものことだけど。
冬靴奧から出して、コートを探し、帽子を引っぱり出し、手袋どこだ!あ、もう自転車だめだかんね。車も冬タイヤにしてないから、車もダメ。一気におそう難行苦行って、かんじですわい。

雪国では、冬はこのようにいつも突然やってくる。雪の降った朝が「冬」スタート地点です。

さて、寒い。新潟も寒いだろうなと思う。きのどくだ。

そこで、寒いので、昨日のナーガールジュナ(いいにくいので龍樹にするわ、次から)のことを考えて、少し暖まることにするが、考えていくと暖まるどころかもっと寒くなりそうな気がしてくる。

つらつら考える。どうして龍樹って、こんなに誤解されてるんだろ。というか、正しく理解されてるのほとんど見たことない。
管理人が基本的に正しいと思う、梶山博士の書いた本はあんまり読まれてないみたいだし。

「空」というと、「虚無」だと思うのかしら。要するに何にもないってことだと思うのかな。ちがうのよ。そんなこと言ってないって。「言葉を超えろ」みたいなこと書いてる人もいるけど、言葉超えたら何にも言えないじゃん。
龍樹みたいな口から先に生まれた男が、自分でもぜったいできないようなこと言うわけないでしょ。
ま、「言葉は空だ」というときには、みんなの考えとは逆に、龍樹自身もっとも自分で言葉を使いやすく定義してると見た方がむしろ正解に近いと思うわ。
あ、でも、誤解しないでね。龍樹は自分のために『空』という考えを持ちだしたんじゃないのよ。それは、お釈迦さんの正しい理解のためだから、ね。

あらゆるものは、他を縁としてなりたっているから、本体をもたない。本体をもたないから空だと言ってるだけだわ。
それもね、他の人は「から」というのにやけにこだわる。本体をもたないから空というが、空だから本体をもたないという表現はない、って言ったりするのを見ることがあるけど、こだわるところが間違ってるような気がするわ。

つまりね、
「『空』って言葉は、じっさい空なんですわよ、空って言う意味わかります?『本体をもたない』ということを言い換えたものにすぎない、ってことよ。『本体をもたない』ってことは、他をよりどころにしてなりたってるってことね。
簡単にいっちまえば、これらは、みんな同じことを言い換えてるんだわよ。全部同義であるということだわ。」

これが間違ってると思うなら、全部龍樹の作品読んで、この解釈にあてはまらないとこ見つけだしてほしわ。見つけて教えてほしいもんだわっ!ぐわっ!(こ、こわい)

で、でも、見つかったら?

なにぃ!みつかるというのっ!しつれいな……みつかったら…みつかったら、え、そりゃ、もち、あやまるわよ。

って、最後がトーンダウンするとこが、管理人の弱いとこなんだけど、だけど、これはね、ほぼ確信ある。『廻諍論』の最後に、空性と他による生起は意味が同じとあるわよ。だからね、あたってるのよ。

さて、

昨日の「空のパラドックス」ね、あれ、だれかが、龍樹が他で使った論法を「一切空」の議論にドッキングさせたものだと思うわ。たぶんね。そのうち調べてみるわ。「一切空」をめぐる議論は、反論者の議論も龍樹の応答も全部龍樹が作ったものだって知ったら、あのパラドックスはどうなるのかな。

あの三浦氏が立てた反論者の解答の中にも、すでに一つ龍樹によって仕込まれたパラドックスが入っているんだぞ、っと。三浦氏は気づいていないみたいだ。

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2004/10/25

負けるな!ナーガールジュナ

台風に地震と、被害が重なる日本列島ですね。
あげく台風24号もなんだかこっちに向かってきているということで、もう来なくていい!っていいたいです。

何か日記を書こうと思うのですが、災害のニュースに気を奪われて、自分の一日なんてたいしたことないや、と書くこと思いつきません。

といってる間に思いつきました。
三浦俊彦氏『心理パラドックス』をつい買ってしまいました。
デパ地下で帰りに晩ご飯のおかずを買おうとしていたのになぜか6階の本屋さんにいて本を見ておりました。おかしいなぁ。どうしてここにいるんだろ。

などと言ってないで、買った本の話でも。
なぜ買ったかというと、「空のパラドックス」という問題があって、ナーガールジュナが出てきていたからです。
おお!おまえも有名になったなぁ。「インド仏教の論師」って書いてある、よかったね、詭弁家とか書かれなくて。
でも、ありゃ、虚無主義を説いたことになってるぞ。

まあ、こんな感じで、微妙に西洋っぽい!ところが、くすぐったい。
『ヴァイダルヤ・プラカラナ』って、本の名前が載ってて、ほお!
詳しい。
でも、下の議論は『廻諍論』にあるものを指してるのじゃないだろうか。『ヴァイダルヤ・プラカラナ』には空の議論はなかったと思うけど。

本の中には、ナーガールジュナの意見として

「『世界が空である以上、汝の議論も空であって、不確実なものではないかと反論者が主張するならば、その人はすでに(世界が空であるという)私の説を認めたことになるだろう』と。論争術としては巧みな議論だといえましょう。」

とあって、ナーガールジュナの説は論理的に正しいかどうか批判しなさいという問題がついています。

答えのところでは、反論者の説は次のような形をしているとして、以下のごとくに説明されます。

        仮定a  すべては虚妄である
                   ↓
              仮定aも虚妄である
                   ↓
              虚妄であるものは不確実である
                   ↓
              したがって仮定aは不確実である

そして、ナーガールジュナの誤りは、仮定aを「仮定」として提示してあるのに、反論者の主張と受け取ったことだとされて、反論者は虚無主義の批判に成功しているというのです。

うわーん(泣)。

そもそもこんな議論どこにあるんだぁ。はちゃめちゃにめちゃくちゃだぁ。

いろいろでたらめだけど、もういいわ。ただ一つ、「虚妄であるものは不確実である」というのを認めたとして(ほんとはそんなこと言ってないんだけど)、「仮定aが不確実である」と出てきたなら、そのまんまそれでいいんじゃない。仮定aは虚妄で不確実なんじゃない。それだけじゃん。虚妄なものが確実だって方がおかしいと思うけど。
「虚妄なものは不確実である」では「不確実」の語が対象言語だと思うけど、仮定aについて「不確実」というときはメタ言語にすり替わってるような気がするわ。でも、もういいわ、そんなこと。

もし、ほんとに、こんな議論をナーガールジュナがしていたことにされたとしても、それでもナーガールジュナはめげないと思うわ。

きっと彼はこういうと思う。
「仮定aが不確実なら、おまえは、その言葉とおり、仮定aが虚妄であると知ることになるだろう。不確実なものはすべてあきらかに虚妄といえるのじゃないか。確実なものですら虚妄だと言っているのである、不確実なものなら言うまでもなく虚妄だろう。」

負けるな!ナーガールジュナ。

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2004/10/23

話された言葉と書かれた言葉

ハイレベルをねらうわれら哲学学徒は、言語の探究に乗り出すのであった。

この荒波は…ウェイ、酔っちゃいそうだい…ってなもんで、みなさんけっこうすったもんだし始めましたよ。

「言葉は力をもつか」という下宿人さまお得意のテーマをぶつけてみたら、多くの人が「力をもつ」とあっさり答えてくれました。
友達のなにげない一言で傷ついたり励まされたり、感受性の強い彼ら学生諸君は言葉の怖さを敏感に感じとっているんですね。一言で何日も精神的に落ち込んだり、逆に「勝つぞ」の気合いを入れた言葉で試合の勝ちを拾ったりしている例がいろいろ述べられてました。

だから、「言葉そのものは無力である、言葉を使う者に力があるときは言葉は力をもつ」という、これまた納得の論理を展開してくれた子の意見に、みんなけっこう衝撃を受けたのでした。

管理人としては「へぇ、おもしろ!5年前なら逆だったな」と時代の流れをかんじるのでした。実在論の中では、記号(言語)はインクのシミだったり、空気の振動からなる音波だったりして、物体である、と、説明されてましたからね。今でもそう説明されていますかね。だから、「言葉なんか力をもつもんか、物にすぎないじゃん」って雰囲気でした。

ま、それはそれでいいんですが、気になったのが、ただ「言葉」というと、学生諸君の頭には「話された言葉」だけをイメージするようで、テレビ報道、友人・家族との会話が主体なのです。
あらん、どうも管理人とずれちゃうわ。

それで「話された言葉」ではなく「書かれた言葉」についても聞いてみなくちゃな、って思いました。

さて、学生諸君はなんと答えたでしょうか。

もち!「書かれた言葉」も力をもつ。

ふむふむ…いいぞ…ねらったとおりの答えが…ありゃ!

例えば、標識。「はいるなきけん」とあると「入ってはいけません」と言葉でいわれるより、文字の方がインパクトが強い。
例えば、広告。ダイエットの宣伝は気になっている人なら、嘘でも飛びついてしまう。
例えば、メール。友達の一言がショックだったりする。
例えば、受験の時の担任の先生の暑中見舞いのはがき。先生の言葉で受験を乗り切れた。(いや、今の先生って、えらいのよ!そういう子がいっぱいいた、受験の子を受け持つ先生はけっこうきめ細かく面倒見てるんですね)
例えば、寄せ書きや色紙。先輩や同輩、友人の「がんばれ」の寄せ書きをもって試合に臨んだ。

ううむ。ううううむ。ううううううむ。

あのう、本は?

吉本ばななの小説や、相田みつをの詩集に感動しましたというのがあったけど、あとは、出てきたのは教科書だけ。
教科書は、字だけ追っても頭に入らないので、考えながら読まなければならない、って書いてありました。

「そうですね」とは一応言ったものの、教科書、考えながら読まなければ意味が分からないとは、いままで思ったことなかった管理人はビックリしました。

ほかにもいろいろ読んでいるなと思う子は、実際はいるのだけど、それはやはり少数です。本読むのが好きな子は全体の1割くらいだった。
そして、やっぱり本読む子は明らかにちがう。書いてあること、言われたことの言葉の裏を読むことができる。要するに、文脈を理解できる。一文一文が単発に発せられているとは考えない。

しかし、残りのほとんどの子は…!

こりゃぁ、メールで殺人事件も起きる世界かも、っと本気で心配する管理人だった。
ほとんど直感で生きてる世界だぜ!

急きょ、予定を変更して、

「話された言葉」→信じやすい傾向がある…のに…そこには大なり小なり嘘が混じる
「書かれた言葉」→理解しずらい傾向がある…だが…そこには大なり小なり真実が混じる

と黒板に書きました。ふう!みんな、人間やめないでくださいよ。(あ、これ、直感で生きずに思索に生きろということです。)

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2004/10/21

とことん行きたい

仕事は二つ片づけた。
あと、とりあえず大物二つ残るだけ。

日記に書くネタも二つ仕込んでおいたけど、だんだん生きが下がってきちゃった。
何でもそうだけど、ものには書くべき時機ってのがありますね。

やっぱりある程度テンションがあがってないと、勢いづきません。
ずっと暖めておくのはいいんだけど、そのうち腐敗してきちゃうものがあってまずいわ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

何回も中断したもの、中断させられたものは、どうも具合が悪い。乗り切れないし考えきれないので不満がたまる。

それから、いろんな人の気まぐれにつきあわされて、無駄に思考しなければならないもの。これも具合が悪い。必然性がないから苦しみだ。

それから、書いてる人がわかってないのにそれらしく書いたものを読まされているとき。けっきょくなんだかわからない感じだけが残る。具合が悪い。無為に過ごした後悔だけが残ってしまう。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

以上、けっこう苦しめられているもの三つあげました。とくに最後の一つ、最近買った仏教の概説書なんだけど、これがつらい。「~だろう」という表現が多くて断定的に語ってくれないので、読んでてすっきりしません。

そして、この人が感じてる「わからない」という感覚は、自分にも体験があるだけにひしひしと伝わる。
いっぱい仏教の知識は並んでいて、本の名前や仏教の用語や概念などは説明されてるから、いかにもいろんなこと知ってるみたいに見えるし、ふつうの人ならだまされちゃうだろ。
だけど、この上っ面の知識をはぐと、けっきょくなんにもわかってない、ってことが見えてくる。

この人自身、非常に居心地の悪い思いをしながら書いてることがわかるから、読んでるとつらい。

ってのが、最近の本の読み方なんです。なんかフラストレーションたまる読み方だなぁ。

けっきょく、ね、自分で何かやるにしても、人のやったものを読むにしても、とことん行きたいわよね。行けるとこまでとことん。

ああ、書いたらすっきりした。よし、寝よ。

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2004/10/19

「ならば」は深淵です

鉄は熱いうちに打たなくちゃ。
ではでは、今日の勉強から、一つ。

「彼女に子供がいるならば、彼女は母親である」

これは「ならば」で結びついた文ですが、この「ならば」はなんの「ならば」ですか?

はいっ!あなた!答えて。
え?って、きょろきょろしてるパソコンのまえのあなたですよ。答えてね。

ええっ!習ってないのでわからないよぉ~、って。そうですか。そうですね。
じつは教えてるわたしも、「なんだろ?」と思いました。おい。

因果関係を表すと思う?それとも、言葉の定義上の関係だろうか?
どっちでもいいかなあ、なんてあいまいにお茶濁してたら、超優秀な学生さんがこう言いました。きりっ!

「せんせっ!子供を産んだというだけなら、因果関係によって、母親になることができますが、今日、子供を産んだというだけでは「母親」とは言えないとされています。虐待や育児放棄などが問題になっているので、母親として子供をしっかり育てうる能力のある人が「母親」と言われねばなりません。だから、言葉上の関係の「ならば」ととるなら、これは問題があると思いますっ。きりっ!」

ほう!負けました。すばらしいです。さすが、看護師さんの勉強してるだけはある。

「生みの親」というように、生物学上の親子を意識している人は、因果関係とる可能性が高い。、
「育ての親」というように、法律上の親子を意識している人は、言語上の関係ととる可能性が高い。 

子供がいれば、その結果、お母さんになる、ときは、 生物学上の因果関係。
子供がいれば、すなわち、お母さんである、ときは、法律上の言葉の定義の関係。

そして、看護師さんは多くの場合、職業柄「ならば」の意味に、「因果」を見る。つまり、因果関係はもっとも幅広い基本的関係である。そして、今回の超優秀な学生さんのように、言語上の関係の「ならば」は特殊な限定された関係として解釈することが多い。

一方、わたしは、これも職業柄「ならば」の意味に言語上の関係を読み取りたがる。これは、定義なのだから真であることがはっきりする基本的関係だと考える。そして、因果関係は、これを用いて推論しても必ずしも真なる結論が得られないので、あまり積極的に使いずらいものだと思うのだ。

いや、おもしろいなぁ。どうも、住んでる世界がだいぶちがうぞ!
けっこう、ちょくちょくこの手のギャップを感じるのよ。すごく新鮮で「ほおっ」って感じだわね。

ときどき看護師さんの世界に生きてみたいと思うわ。こういう因果の世界に生きて仕事してたら、絶対「占い」信じてると思う。とくに血液型占いなんちゃって。

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2004/10/17

睡眠学習

最近、つらつら思うに、寝ている間に考えごとをする癖がついたと思う。

寝るときというのは、人生の中で一番楽しみなものですが(さびしい人生すかね)、寝入りばなは夢ともうつつともつかない感じなのですごく考えごとには向いている。
「さあ、寝るぞ」っと思うと、まったく文字通り「夢がふくらむ」思いがする。
考えなければならない案件のリストを作っておこうかな、って寝ながら考えたりするところも、すごい。

しかし、寝入りばなは寝入るためにある時間なので、考えの途中で完全に寝てしまうのが欠点だ(そういうもん?)。

その点いいのが目覚めの前の夢うつつのとき。
夕べの続きから考えが始まって、ちゃんと脈絡もついているのがうれしいわね。
けっこう「おお!」っというアイディアがでるし、考えもまとまる。文章も下書きできる。

起きたら実行にうつせばいいから、なんかもうけた気分だし。

無駄に寝てないって感じで、それはすごくいいんだけど、でもね、ほかに問題が一つあるのだわ。

それはね、通勤途中の電車や地下鉄の中でぜったい起きてられないということ。
完全に熟睡するのがなぁ、何とかならん?ほんとはここで思索にふけるといいような気が…。

けっきょく、寝る時がふつうの人とは違ってるだけ、ってことだったりする?

がっかりね。

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2004/10/16

ほんやくこんにゃくぅ、の巻

あれこれとんでもない事態をひきおこしつつ、無事に過ごして(どこが無事だ!)まいりました管理人です。

掲示板でも「家宝は寝て待ったり」する失策をおかし、「果報」なんて昨日もおとといも使った言葉だったりすることに愕然とし、(つながってないぞ!文が)、冷蔵庫の整理をかねて、久しぶりにまともに晩ご飯を作ったのでした。

主食:カツ丼

おかず:レタスのサラダとイモサラダ

みんなが一斉に文句を言う。「なんで、イモサラダと、ツナ・レタスサラダと、おんなじもんが二つもあるんだ!食べきれないよ。どうすんのさ?」

ちっ!イモとレタスなんて、どこも似てないじゃん。それに、レタス腐りそうだったし…っと、心の中で思うが、「じゃ、レタスのサラダ食べてっ!」とさりげなく、しかし、断固言う。

まだ、もう一つ冷蔵庫にレタスがあるというきびしい現実を彼らは知らないのだ…。
他にも、冷蔵庫には使われなかった元・食材が…。

これらをどうすべきか、頭がいっぱいになる。仕事をしようと本を開くが、こんにゃく4個と豆腐3丁と古い豚肉のことを思い出して、すごく暗くなる。それから、袋に入ったまんまの三日経ったマグロの中落ちみたいなものが「実在」している。あるいは、大根、二本あったかもしれない、っと不安がおそう。生協でたのんでたかも…うう。

そんなことより、仕事しよ。
ニヤーヤ学派の言語論について…さ、残りを訳してしまおう。「訳す」と言えば「翻訳」、「ほんやく」といえばぁ、ドラえもんに「ほんやくぅ、こんにゃ~くぅ」ってのがあったなぁ…ああ、こんにゃく、どうしよ。

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2004/10/14

病は気から、ってことで

よく考えたら、のんきに病気になっている暇がないことが判明。

やばっ!と思って、どんどん懸案事項を片づけることにするが、いっぱいありすぎて何から手をつければいいかわからない。
仕方ない。まずはあしたの予習をしてしまおう。薬が切れる前に。
わたしの身体で実験した結果、抗生物質は15分から20分ではっきり効き始める。そして、8時間経つと完全にきれる。
効率よく薬の効果を持続するには8時間ごとに飲むのが最適である。なるほど、ふむふむ。
きれてくるととたんに仕事の能率が落ち、あらゆる思考が停止するのですぐわかる。

デンプン質の食べ物を食べないと脳がうまく働かないこともわかっているので、朝はパンを食べる。
とたんに脳が働く(んなわけねぇです)。
それではあまりにサイボーグ管理人です。

けっきょくあんまり働かないので、ウォーミングアップに日記をしたためることにする。
今日一日のできごとを書くには、あまりに情報が少ないが致し方ない。
というか、まだ何も起こっていないではないですか。

いいのだ!そういう問題ではない!さっさと片づけるべきものを片づける…って、なんか間違ってるような気がする
なぁ。

ところで、こんなことを書きながらも、昨日読んだ仏典の一節をしみじみかみしめる。いいわぁ。

「老死とはなんであろうか。生きとし生けるものが、老い衰え、朽ちやぶれ、髪しろく、しわ生じて、齢かたむき、諸根やつれたる、これを老いというのである。
また、生きとし生けるものが、命終わり、息絶え、身体破れて、死して遺骸となり、棄てられたるこれを死というのである。かくのごとく、この老いとこの死とを、比丘たちよ、老死というのである。」(増谷文雄『阿含経典』第一巻より)

いつ読んでもその通りだと思うことしか書いてないわ。でも、ここには「病」の項目がないわね。老病死っていうのもあるから、「病」もほしいわね。よし、管理人が「やまい」の項目を作ってみるわ。何しろ今実践形態であるからして。

「病とはなんであろうか。生きとし生けるものが、体温に異常が生じ、顔色青ざめ、生気を失い、表情うつろにたおれ臥す、これを病というのである。」

なかなか、いいんじゃない。頭の血もめぐったところで活動開始するとするか。んじゃ。


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2004/10/13

予言は破られる

日記は毎日つけなきゃ、ねっ。
と言いつつすでに、その切ない願いは破られるのであった。

どうも体調不良ですね。昨日仕事帰りに用事を済ませようと歩いていたら、ずんずん熱が出てきてつらくなる。
そもそも仕事がつらい。学生より頻繁に進まぬ時計を見てるもの。
つらいなぁと思うが、それは無視する。ぼうっとしたまま手当たり次第に晩の食材を買う。

心頭を滅却すれば火もまた涼しかったっけな、と思い、ひたすら無の境地で家までたどり着く。
家に帰って炊飯器をセットしたら、そのまま帰らぬ人となったのでした。

今日は、さすがに病院に行き薬をもらう。
15分前に薬を飲む。
いま、腰の痛みが消える。(ほんとに暗示にかかりやすい性格だと思う。小麦粉を薬といわれたら、それでも治りそう)

何はともあれ、現代医学の恩恵に深く感謝する管理人だった。

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2004/10/11

カレーにしてね、管理人!

世にいうウェブログなるものを管理人もしてみようと、思い立ち、してみるのであります。
なにせ掲示板と日記が一緒という、見るも哀れなサイトをやっておりますので、たまにはカレーに、もとい、華麗に極めてみてもいいかな、なんて、余計なことを考えたのでありました。

つまり、日記は日記帳に、掲示は掲示板に、カエサルのものはカエサルに、っとこのようなわけなのであります。

しかしだよ、

そうなると…どうなる?
そうなると、カレーなのはこの日記帳だけということになる
そうなると、掲示板はさらにさびれる
そうなると、「ロゴスの穴」、これの立場はなくなる
そうなると、このサイト、穴だらけサイトの様相が…
そうなると、…

ええい!そういう余計なことばかり考えるから、決断できんのだ。
「無料っ!」なのだから、やるだけやってみよ。

という優柔不断風な決断ですが、ここにカレーな管理人日記が公開されることになったのであります。

ああ、花束なんて、そんな気を使わなくてもいいのに。そおお、わるいなぁ。(自作自演のストーリーもさびすい)

それじゃ、花束を記念して、背景のいろはピンクの「さくら」っていうのにしてみよう。

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