2024/11/21

三日連続で書いてます!

こういう日もあるんだなあと思います。

三日坊主すら出来ない。。って嘆いていたのに

なんと、三日連続書き込みでっす

 

書くこともあるんだよ。

最近、snsなどの情報を鵜呑みにする人たちのことが言われているけど、

わたしは、こんな事を思うんです。

ブッダに出会ってから「知らない」と思うことはなくなったな、って。

 

縁起は、今ではただの迷信のように言われたりするけど、

わたしは「理法」だと思ってます。

起こったことと起こらなかったことによって知る

と考えます。

 <これ>があるとき<これ>がある

 <これ>がないとき<これ>がない

 

 たとえば

 <戦争>があるとき <人の死>がある

 <戦争>がないとき <人の死>がない

死はどこにでもある、というかもしれないけど、この式がそうだなと思うのは、

戦争がないと戦争による死は起こらないということです。

 

私たちは自分たちの判断として選び取っていくことが出来るのです。

起こったことと起こらなかったことを考えることによって。

 

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2024/11/20

直証しながら進む道(菩薩道)

そういえば、と、またまた昔の話題を引っ張り出す。

日記は毎日書くもの、というけれど、三日坊主すらできないわたしは、どうしようもない。

三日坊主というのは三日は書くということだからなあ。。1日で終わる私には、ハードル高いっす。

 

雪が降って昨日は寒かったけれど、今日もあいかわらず寒いです。

「稲芋経」を読んでいます。

 

読んでいると、道元が浮かんできた。

彼の「現成公案」は、稲芋経から来ているのか。。って思いました。

道元は中国語が堪能だったから、そこを通じて仏法(空)を手にいれたのね。

なるほどぉぉぉぉ。

 

こういう風に何を読んだから、身となり骨となったか見えてくるのが、

仏法の分かり方なんだなあと思う。

 

縁起を見るものは法を見る、法を見るものは仏を観る

繋がっていって、あるとき、全部氷解する。。という風にして分かるのが、

仏法なのです。

だから、根拠を示しても、根拠だと思われないかもしれないのです。。空だからね。

 

だけど、なぜか、わかる人にはわかるのね。

仏法の不思議

 

アートマン(我)をもつ人には、なかなか分からない。。エビデンスのない道。

いや、エビデンスがないのではない、しかし、あるのではない、そんな道。

 

 

 

 

 

 

 

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2024/11/19

11月も後半

11月後半に入りました。

息子は微熱です。

先週の火曜に発作が起きて、

それからほとんど一週間です。

いったん回復はして来ていますが、

日中も夜も寝られなくなっています。

 

そうかと思うと爆睡したりして、

昼夜逆転現象も起こっています。

どうなっているんでしょうか。

 

ナトリウム不足だろうか?

いろいろ考えたりしていますが、

わからないことだらけです。

なすすべなく見守ります。

 

 

 

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2024/11/02

なんと11月です。。

良くもなく悪くもないという中道の人生を送っています。

 

息子は、イマイチ。

絶好調というというわけではありませんが、目立ってひどいというほどでもありません。

息子も中道。

血圧が低いときがあるし、以前は、高いときもありました。

高い方で90台をマークするときがあって、心配になります。79というときも過去にはありました。

普通は100台、110台くらいで安定してます。

めまいが出るようになり、これもやや心配です。

 

わたしには、息子は病気だという意識はないのです。

栄養は胃瘻だし、痰の吸引はしなくちゃだめだし、ほとんど寝ていて、車いすなんだけど、普通に暮らしてると思ってます。

まあね、いろんな人生があるからね、

だから、わたしも『中論頌』を普通に読んでます。介護の合間に、ですが。

 

昔『方便心論』を読んでた時を思い出したりしています。

時間がたっぷりあったのに、わかったことはごくわずかだったなあ、って思い出したりしています。

でも、それがあるから今があるのかもね。

 

少年老いやすく学なりがたし。。いまいちばんしみる。。

 

何回も輪廻するから気にしないことにしよう、っと!

 

最近、思うことはこればっかです。つぎだ、つぎ、ってね。。

空ですね、死王は見ない、っていわれているし。

 

ブッダも輪廻してたんだから、八万大劫かけて悟れればいいや、って!

 

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2024/09/12

久しぶりに『日記』でも書くかな

もう、九月も上旬を過ぎました。

忙しかった。。のです。

仕事が入りました。二種類。

それとインタビューがありました。

うまくお話しできませんでした。

龍樹とブッダの宣伝しようと思っていたのに、まるきり外しました。

邪念が災いしたか。。

 

ところで、息子は、八月の始め以来元気です。

いくらかはぼーっとしたりするときもあるけど、基本は、

体調がいいのです。

 

塩に気をつけています。大量に摂っています。

看護師さんのアドヴァイスで、腸内環境に気をつけています。

味噌、ヨーグルト、甘酒などなど。アトピーが消えました。

かきむしるとすぐに保湿するようにしています。

血液検査の肝臓の数値も改善してきて問題なしです。

 

インド的には9つの門といわれる、目と耳と鼻と口と肛門と尿道。

目と耳と鼻は二つずつあるので、全部で9つになる。

機能としては働いてないけど、気づいているのが息子。

みんな、不思議に思ってるけど、本人はあたりまえに思っているらしい。

 

一番健康に気をつかって暮らしているのが、息子です。。周りが、なんだけどね。

 

家族はぼろぼろです。

 

 

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2024/08/02

覚悟を解いて。。

息子の調子が悪くなったとお話ししてから、

バタバタと時が過ぎ、

息子は、テレビを、観るともなく見るまでに回復しました。

 

「人の命ははかない」と覚悟しましたが、

息子が蘇ったので、覚悟を解きました。

これを称して「覚悟」からの「解脱」。。。冗談みたいですね。

仏教用語が出そろってます。。

 

つくづくと、庶民は強いなあ、って思います。

仏教の法(真理?)を逆手にとって、凡夫の理解を押し通してしまうのですから。

 

こうして、本来の法(教え)の意味は失われていき(?)、巷の用語解説には人口に膾炙した解釈があふれかえる。

 

たとえば、「子煩悩」 ということばがあります。これを解釈してみよう。

 

「自分が自分のものでないのに、どうして子が自分のものだろうか」

と教えられても、

子に対する愛着をそのままもつのが凡夫です。

 

せめて

子に対する愛着がある、のではなく、ない、のではない、という道を歩もう。。

 

これは、誰に対して言ってるの?

子煩悩な人に言っている。。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024/07/14

昨日はたいへんだった

息子の様子がおかしくなり、昨日は心配しました。

 

リビングで車いすで過ごしているうち、

ボーッとなって意識が遠のいていくようだったので、

部屋に戻って寝かせました。

 

考えてみたら、朝の薬を入れてから、

昼に夜の薬を間違えて入れていることが分かりました。

 

てんかんの発作止めなども処方されているから、

順序を間違えたらダメじゃん!

 

深く反省しました。

 

順序は大事だぞ!!

肝に銘じておこう。ここに書いておきます。

 

 

 

 

 

反省

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2024/07/08

毎日毎日同じ話題です

仏教の話題を発信し続けて今日に至ります。

見えてるものが、本当に見えてるとおりにあるのかどうか、

そこを問い続けて今日まできました。

 

見えてるとおりにある と書こうと

見えてるとおりではない と書こうと

そんなに変わらないことに気づきます。

 

人の思いは変わっていくからです。

変化するから日常があるのです。

 

わたしたちは、肯定したり否定したりして暮らしているのだと知るのです。

肯定と否定で一切である、と見たのはブッダだけれど、同時に、それは、

三つに分かれることも見てとりました。

肯定と否定の極端な答えと、共に、「どちらでもない」という選択肢があることを知るのです。

二つに分けるか、三つに分けるかで、世の中は成り立っていると知ります。

 

二つに分けると争う。

三つだと争わずにすむ。

 

そこで、人は争わないようにしようと三つの道を歩むのです。

三つ目は、仏教では、中道という。

 

二つに分けた肯定と否定でも、三つ目を選べるのが、おしゃかさま。。

 

それはなに?

それは、そこに近づかない、という道だよ、と教えてくれる。

 

なるほど、はだしでどこまでも歩くブッダは、何かに近づくことはない。

孤高のブッダは、ひとりでどこまでも行く。

 

涅槃の楽を味わっている。

 

そういえば、息子は自宅介護になって、今日で二年七ヶ月です。

 

 

 

 

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2024/06/20

何か善いこと

ブッダは、29歳の時、何か善いことを求めて出家した、と自ら語っている。

 

つまり、「善いことを求めた」というのが最終目標になっているのです。

それを読んで、ブッダは理論的にはほとんど完成していたんだな、とわかります。

いつでも悟れたけど、あえてカピラ城に生まれることを望んだかのようなのです。

誰もが求める甘い道(うまい道かも)を選ばなかったゴータマ。

だから、かれは、厳しい道(時の道)を選んだ。誰でも、繰り返してやり直せる道を選ぶだろう。

しかし、かれはちがう。かれは時に従って語る、待ったなしの道を「縁起」と名付けたのだ。

だから、かれは、カーラ・ヴァーディン(時を語る者)と言われる。

 

ふうん、そうなのか。。自分で書いて自分で納得しているなら、世話ないね。

 

 

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2024/05/27

楽と苦

「人生楽あれば苦あり」とはよく言ったもの。

楽と苦に気づく人生になってしまう。。

 

そういうもんかな?

そういうもんだよ。

 

楽を求め苦を避けるのが生き物だと。

ここに三つの分類が出てくる。楽と苦とどちらでもないのと。

楽を求め苦を避けるのがふつうの生き物。

生き物には四つの生まれ方がある。

卵から生まれる、しめった処から生まれる。胎から生まれる。突然生まれる。

ボンと生まれるのは化生という。神さまなどの生まれ方。

この世には七つの世界がある。天空地の三界の外、四つ。

3×4×7は、84

84に関わる数字が、仏典やインド哲学では登場してくるのは、こういうわけなのか。

 

感受の世界に区切って語るブッダ。今さらですが、感謝してます。

よくぞ、説いて下さった。しみじみしちゃうな。

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