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2019/05/14

「自分」の中を過ぎていくものは「時」

    Dsc02596

黄色いチューリップも咲きました。

全部白くなったのかと心配しましたが、

黄色もちゃんとあったのね。

でも、気のせいか、白と黄色の縦縞みたいに見えるなあ。

 

    ◇◇◇

 

最近、自分のことがよくわからない。

今までも、そうだったのかもしれないけど、

自分って何だろう、と思う。

 

この「自分って何だろう」の「自分」は、

今まで考えていたような、大事な大事なこの「わたし」

という「自分」ではなくて

 

ほんとに、他人が見るように眺めた「自分のふるまい」のことです。

まあ、言ってみれば、お医者さんが認知症の患者さんを見るような目、

と言ったらいいのでしょうか、

そんな「自分」です。

 

プラットホームで、女の人がスマホをいじっているのを、

何となく見ながら、

「スマホに夢中の女の人を見ている、この自分は、どう見えるのだろう」

と思う。

スマホに夢中の女の人を眺めている古代人、のような気持がするけど、

たぶん、そうは見えてないだろな。

一応、他の人からは、ふつうの現代人には見えるだろな、と思う。

 

     ◇◇◇

 

だけど、一方で、

令和という時代を生きる現代人のわたしは、

すでに、昔「令和」っていう年号もあったんだね、って言ってる時代を予想している。

「万葉集から採ったらしいよ」なんて、豆知識を披露してみせる時代を考えている。

「万葉集って、令和より前に書かれてたんだ!知らなかった」なんて、

もしかしたら、言われているかもしれないな、な~んて空想している「自分」。

 

そんなもんだよ、「時」というのは。

そんなもんだよ、「自分」というのは。

 

生まれてから死んでいく、せいぜい長くて100年の間、

歴史が続けば、あとはなくてもいいんだよ、と多くの人は思っている。

 

いやいや、そんなことは思ってないよ。

歴史から学ぶことは多いから、大事にしなくちゃ。

 

いんや、そうではないよ。

ほとんどの人は、プラットホームでスマホを見て人生を過ごすんだ。

通り過ぎる列車は、時代の流れ。

でも、目の前をすぎても、スマホに夢中で気づかない。

 

時代の流れと別にじっと止まって、

個人個人は、スマホを見ている。。何を見ているんだろう。

スマホの画像は、プラットホームを列車が走り抜けてく風景かもしれないね。

   Dsc02595

何となく話がシュールな絵になってきた。

 

      ◇◇◇

 

Dsc02588

半分散った桜を眺めて、まとめよう。

 

     ◇◇◇

 

時を忘れて、スマホに没頭していると

あっという間に、列車が過ぎていく。

 

自分の乗る電車を忘れないように、ね。

乗ってる電車の中でも忘れないように、ね。

 

時というのは、あなたの中にある。

「時」というのは「自分」です。

 

だから、気をつけよう。

時だけが過ぎていかないように。

自分だけが残ってしまわないように。

 

努め励めよ、っておしゃかさんは言ってる。

時にしたがいなさい、って言ってる。

 

今日も、何か変なこと書いたけど、良しとしよう。

時を考察しました、と書いておけば、いいか。

 

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コメント

春間さま

予想外なコメントがつきました。


まとまらないし、変だなあと、自分では思ったけど、

「見つめる者を見つめる」という情景も、考察対象に乗るんですね。

意識しないで書いてたので、一つの考える視点ができました。
ありがとうございまっす。

投稿: 管理人エム | 2019/05/15 06:20

行ったり来たりの あなたの時が動く

チュ-リップが開くとき
桜色の 蓮 が開いている
(    白蓮 では ありません 、、、、  )

   ********

いつでもいるのです
その見つめる者を 更に見つめる者も

一人いる時に 二人と知る (  「 同行二人 」  )
二人いる時に 親鸞もいる

見る者(見られる者) と 、
 見る者 を  “見つめる” 者  そして 
  見つめる者 を  見渡す 者

見る者の視野は 一つにまとまる
見つめる者の視野は その(見る者の見る)視野を広げる

見渡すものは  遍く 広く 見ている ( 瞑想にある )


 「 永遠 」  という 場所=時 に 釈迦牟尼 が おわす


見つめる者を 見つめる時に  「 永遠 」  に ある

このことが  犀の角のように ( “唯” )一人 歩く  という意味です

歩むこと を 歩むとき に ( 「 永遠 」 を )歩むことがある

その一時( 一歩の場所 ) ・ その一歩( 動き )  は 
 「 永遠 」 を 開く

   ********

> 時だけが過ぎていかないように。
> 自分だけが残ってしまわないように。

時だけが  過ぎていくことはない
時が    あなたを置いていくことはない
( あなたが ときを置いていくこともない
    →   おいていくという時 を 運んでいく 、、、、 )

あなたは すべての時を 身(五蘊)に負って 歩みを進めているけれど
そう気が付くかどうかは
歩みには 影響しないのです


投稿:  春間 則廣  | 2019/05/14 19:05

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