« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月

2019/05/22

変化・へんげ・ヘンゲ

庭のチューリップ。

どこか不思議なチューリップ。

Dsc02595_1

最初は、黄色で外が白かった。

白いチューリップと一緒に咲き始めた。

Dsc02597

暖かい日の光に、開いてきた。

外側から赤い色がおりてきた。

黄色に赤が混じって、キレイというか、

Dsc02610

なんというか。。コワイというか。。なんで?

この日は、雨模様。紅がにじんだよう。

そして、今日。

Dsc02616

赤い色がどんどん降りてきて、黄色が消えいく。

すっかり赤いチューリップに。。

白のチューリップは、季節が終わって花が落ちてしまいました。

茎だけ残ってる。

 

このチューリップ、

その名も「マリーアントワネット」だそうです。

 

うーーん

断頭台の露と消えた、あのマリーアントワネットですよね。

 

     ◇◇◇

 

誰がつけたのか、このチューリップ。

花と名前が、合いすぎていて、妄想が膨らんでしまう。

 

どうも、コワいぞ。

考えすぎだ。

 

花の色はうつりにけりないたずらに

 

確かに、そうだけど、

いたずらすぎる、移りかただ。

 

諸行無常よりも変化(へんげ)といった方がいいような。

諸法は、幻のごとく、変化のごとく。

 

ところで、

『中論』、変化(へんげ)のごとく、色をかえて

分かってきました。

今までの解釈、何なんだ、という気がしてきます。

 

本を書かなくちゃならない! これは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (9)

2019/05/14

「自分」の中を過ぎていくものは「時」

    Dsc02596

黄色いチューリップも咲きました。

全部白くなったのかと心配しましたが、

黄色もちゃんとあったのね。

でも、気のせいか、白と黄色の縦縞みたいに見えるなあ。

 

    ◇◇◇

 

最近、自分のことがよくわからない。

今までも、そうだったのかもしれないけど、

自分って何だろう、と思う。

 

この「自分って何だろう」の「自分」は、

今まで考えていたような、大事な大事なこの「わたし」

という「自分」ではなくて

 

ほんとに、他人が見るように眺めた「自分のふるまい」のことです。

まあ、言ってみれば、お医者さんが認知症の患者さんを見るような目、

と言ったらいいのでしょうか、

そんな「自分」です。

 

プラットホームで、女の人がスマホをいじっているのを、

何となく見ながら、

「スマホに夢中の女の人を見ている、この自分は、どう見えるのだろう」

と思う。

スマホに夢中の女の人を眺めている古代人、のような気持がするけど、

たぶん、そうは見えてないだろな。

一応、他の人からは、ふつうの現代人には見えるだろな、と思う。

 

     ◇◇◇

 

だけど、一方で、

令和という時代を生きる現代人のわたしは、

すでに、昔「令和」っていう年号もあったんだね、って言ってる時代を予想している。

「万葉集から採ったらしいよ」なんて、豆知識を披露してみせる時代を考えている。

「万葉集って、令和より前に書かれてたんだ!知らなかった」なんて、

もしかしたら、言われているかもしれないな、な~んて空想している「自分」。

 

そんなもんだよ、「時」というのは。

そんなもんだよ、「自分」というのは。

 

生まれてから死んでいく、せいぜい長くて100年の間、

歴史が続けば、あとはなくてもいいんだよ、と多くの人は思っている。

 

いやいや、そんなことは思ってないよ。

歴史から学ぶことは多いから、大事にしなくちゃ。

 

いんや、そうではないよ。

ほとんどの人は、プラットホームでスマホを見て人生を過ごすんだ。

通り過ぎる列車は、時代の流れ。

でも、目の前をすぎても、スマホに夢中で気づかない。

 

時代の流れと別にじっと止まって、

個人個人は、スマホを見ている。。何を見ているんだろう。

スマホの画像は、プラットホームを列車が走り抜けてく風景かもしれないね。

   Dsc02595

何となく話がシュールな絵になってきた。

 

      ◇◇◇

 

Dsc02588

半分散った桜を眺めて、まとめよう。

 

     ◇◇◇

 

時を忘れて、スマホに没頭していると

あっという間に、列車が過ぎていく。

 

自分の乗る電車を忘れないように、ね。

乗ってる電車の中でも忘れないように、ね。

 

時というのは、あなたの中にある。

「時」というのは「自分」です。

 

だから、気をつけよう。

時だけが過ぎていかないように。

自分だけが残ってしまわないように。

 

努め励めよ、っておしゃかさんは言ってる。

時にしたがいなさい、って言ってる。

 

今日も、何か変なこと書いたけど、良しとしよう。

時を考察しました、と書いておけば、いいか。

 

| | コメント (2)

2019/05/05

密林にさまよう。。ふきの?中論の?

庭というか、何というか、我が家の雑草畑(?)に

ふきが自生しています。

密集していて、密林だぁ。

2019-1 

今年は、すでにふきのとうも採って、食べたのですが、

ふきも食べられるのではないかと思い立ち、

採って食べてみました。

え!おいしい、柔らかい!

2019-3

ということで、今日も、採取。

何も植えなくても、勝手に生えてくるものがあるのは

良いことだ。

植えたものは育たないが、

植えないものにかぎって繁茂する。

 

植物は不思議です。

Dsc02583

チューリップが咲いたら、去年は黄色だったのに、

今年は白い。

水仙も、何だかやけに白い。

Dsc02586

スノードロップも白い。

一つだけ咲きました。

これはもともと白かった。

Dsc02582

いろんな色の花が咲いてほしいが、何だか白ばかりだわ。

思うようには、ならない、ってことですね。

 

      ◇◇◇

 

もう連休も終わりそうなのに、

さっぱり『中論』進みませんでした。

 

昨日は、夜中に、一生懸命解説を書いてて、

「もしかして、画期的な解釈かも」と思ったら、

とつぜん「再起動します」とパソコンが言って、

全部消えちゃった。。す。すっきり、さっぱり、なにもない。

 

くぅぅ~~    空~~

 

まあ、いいか。

一切空だし、諸行無常だし、一切皆苦だもん、ね。

 

仏教やっててほんとに良かった(;_;)

何が起きても、真理を実感できるから(とほほ)

 

まあ、それは冗談ですが、

『中論』も注釈や研究に頼らず

自分の得たものだけで読むとなると、

辛いながらも、やっぱり、辛いです。

だけど、おもしろいことも、おもしろい。

 

密林に紛れ込んだ冒険家の気分がしてくる。

どんな単語も、どんなフレーズも、密林の中では

魔物に見えたり、宝に見えたりする。

「宝行王正論」に

「ダンダカの曠野をふみまよう人は、

数限りない人間の樹に満ちた

おそろしい輪廻の森で、長い間にわたって

さまようでありましょう。煩悩の野獣によって

肢体を貪り食われながら」(1.12-13)(瓜生津訳)

って、あったけど

 

『中論』も同じだ。

ほんっと、そのまんま実感します。

 

ちょっと油断すると、煩悩の野獣が、

わたしの脳みそを貪って喰い散らす。

 

ただ、読んでるだけなのに、

なんで、こんなにボロボロに疲弊していくのか。

 

うわぁ!

 

 

なに?

 

『六十頌如理論』の落とし穴に落ちただけ、っす。

チベット語のキョンシーが踊ってる。

漢訳の虎があっちこっちで吠えてる。

サンスクリットとパーリは絡まった蔓草のよう。

 

うへぇ~~、ブッダはどこぞ?!

 

ところで、

何章読んでいるんだ?ですって。

まだ、第一章ですよ、

 

でも、もう十回くらいは読んでるんだけど。

まだ、というより、また、というべきか。。

 

こんなことで

密林から抜け出せるんだろか。

 

龍樹先生、わたしに光をお与えください。

せめて、星明かりでも、ろうそくでも、

ほたるの一匹でも、おねがいしますよぉぉぉ

へるぷ・み~~

 

よし、恥はかきすて。

あっぷしよ、っと。

 

| | コメント (2)

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »