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2019/04/30

知らないのに、でも、知っている

かろうじて4月ですね。

明日から元号が変わるということで、

ブログも更新してみることにしました。

まだ、桜は咲いているところは少ないですが、

ところにより、こんな風景も。見事。

Dsc02570

札幌駅から、大学まで歩いてみるかと思って、

歩いていると、こんな風景に。

道の脇につくしが並んでお出迎え。

Dsc02567

春が来ているようですね。

 

    ◇◇◇

 

雑事が、少しずつ減ってきているかもしれないので、

今年は、この先、何をしようか考え始めてます。

 

今は、とりあえず、全面的に『中論』を見直しているところです。

これを何とか、やっつけないと。。

 

自分のことを棚にあげて、他人の事を言うのはいけない、

わかっていますが、つい思ってしまう。

皆も、『中論』って、皆目わからないんだな、って!

 

あれこれ、論文あさってみても、

これはすごい!

というのには、出合わないです。

 

みな、どこか奥歯に物がはさまったような書き方になってしまう。

テキストに書いてあることを、

ただ、抜き出したり、並べ直しているだけだ。

 

そうだよなあ。

『中論』つかんだら、ブッダの覚りを手に入れることになるわけだから、

そんなに簡単にわかるわけもないよね。

 

     ◇◇◇

 

とつぜんですが

道子のワンポイント仏教講座

 

仏教には、大きく分けると4部門がある

 

縁起を説く部門

生き物(輪廻)を説く部門

空を説く部門

法(心)を説く部門

 

この4つの分野を縦横に説くのが、ブッダ。

これが「一切」なのです。

 

一切は、煩悩(内容)と論理(形式)からなっている。

煩悩を用いて、論理(覚りへの道)を組み立てる。

煩悩がないと、論理は表現出来ない。

ブッダの覚りがないと、煩悩をなくせない。

覚りへの道は、煩悩を見つめるところから始まる。

 

こういうことをコツコツ書いたのが

『中論』だと思ってる。

コツコツ示そう。

誰もわからなくても。。

 

と、言うとちょっとさびしいけど、

でも、誰も、本当にはわからないんだけど、

みんな知っている。

『中論』が、実は、ブッダにつながっている、ということを。

 

    ◇◇◇

 

仏教をやってて、時々感心するのが、

名もない凡夫という人々です。

 

わたしも、その凡夫のうちの一人だけど、それにしても、

凡夫というのは、すごいものだ。おそろしいほどです。

 

ブッダの教えを守ってきたのは、誰だろう。

偉いお坊さんやすぐれた学者?

それもあるかもしれないが、

「名もない凡夫」といわれる人々ではないだろうか。

 

ブッダの教えと同じくらいなぞが多い。

なぜだか知らないけど、何もわからなくても、ブッダの法は、

「わけわかんないけど、これは、お釈迦さまの説いたことだ、真実だ」

と、わかるのです。

 

このわたしにも、その真実を察知する感じがあって、

ただただ、その勘のようなものを磨くために、

日夜勉強していると言っても良いくらいだ。

普通の人は、ほんとに、その勘みたいなものが強くて鋭い。

 

時々呼ばれて話す「仏教講座」でも、すごくそう思う。

わたしが、ブッダの教えだなと思って話すと、

みんなも、なんとなくつかんでくれる。

ただの「立派な知識です」みたいなものだけだと、見向きもされない。

 

どんなに込み入っていても、ブッダの法を語っていると、

耳を傾けてくれる。。。

何だろう、って、いつも思う。

 

    ◇◇◇

 

大学で研究していた頃には、まったく存在していなかった感覚だ。

学者の世界が、ある意味、「真実をつかむ」ということから離れているとき、

真実は、凡夫の世界に逃げていっているのかもしれないな、と思う。

 

なんというか、「ああ、これは本当のことだなんだなあ」という感じ。

それを真理というのだろう。

 

真理

 

この不思議なことば。

何だかわからないのに、みんな、なんとなく知っている。

 

覚り、って何だか知らないのに、

ブッダが覚った人だということは、はっきり知っている。

とにかく、はっきりわかるのは、

「自分たちとまったく違う」ということだ。

だから、自分の思っていることではないことを、聞きに、

みんな、来るのでしょうか。

 

 

世の人おしなべてみな、真理のしもべ、なんですね。

やっぱり、本当のことじゃないと、誰もふり向かない。

ここにも小さな真理が、ある。

Dsc02574

庭の水仙が咲きました。

スノードロップもこんなに育った。

Dsc02571

 

仏教は、不思議でおもしろいな。

日常か離れないから、

不思議でおもしろいのかもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

> みんながブッダのことを知っている
と言えそうな気がします。
> なぜだろう?

気のせいです

みんな 自分 という ありよう  は 知らないが
( 生きるという意味は知らないが )
生きているということを 疑う者 はいない

「 死んでいるのも同然 」 という言 を 支えるのは

まごうことなき 迷誤の生

「 死 」 (生労病死) は 生 を起こすときに 起きる 

龍樹 の 名を知らぬのは 仏教(宗教)教育の ありようのせいです

日本人は すべての宗教を 仏教で解釈している
( すべての行為を 仏教から見ている )
( どう見ているかという解釈は 解釈の仕方 による )

言えることは、奈良の昔から “ 国教 ” は 仏教であり
天皇は 仏教徒であった ということです

信教の自由 は 仏教によって 保証されている

八宗の祖  に 龍樹がある


いくら 自証 を 求めようと
皆が乗れなければ
求める者は そこに乗ってはいない

皆 を  起こす  そこに  自分が入っている

悟りを得るものが 他であろうと
自らが 自らではない限り それは 他に入る

皆の中の どこを取ろうと  そこに佐鳥がなければ
自らという 幻想の主体は そこに入ってしまっている


このくらいの記述で わかりなさい


・   

投稿:  春間 則廣  | 2019/05/05 10:07

>中論(頌) を 誰も 本当に(は)知らない
>( 仮に )知っている者がいようと、 
>知らないモノには その存在( の 証たる 内容 ) を 知ることができない

>その知っている者は、 仮ではなく
>まごうことなき 知らぬものとして 目に映っている

>それは 「 ブッダ 」 についても 言えることです

ブッダについては、なぜだかわからないけど、
みんながブッダのことを知っている
と言えそうな気がします。

なぜだろう?

でも、龍樹については、誰も知らない、という気がする

お釈迦さまの申し子だということを。

お釈迦さまと同じことを言っているのに、
全然違う事を言ってることになっている。。

なぜだろう?

投稿: 管理人エム | 2019/05/05 06:07

平成 最後の日が  起きるのなら
( 変わるということが 起きるのなら )
令和 最初の日に   起きる
( 変わらぬことを   起こす )

    **********    

と、言うとちょっとさびしいけど、
でも、誰も、本当にはわからないんだけど、
みんな知っている。
『中論』が、実は、ブッダにつながっている、ということを。

    **********

本当には 分からないことを
本当ではなくとも 知っている
“   『中論』 は ブッダ に つながっている  ”

中論(頌) を 誰も 本当に(は)知らない
( 仮に )知っている者がいようと、 
知らないモノには その存在( の 証たる 内容 ) を 知ることができない

その知っている者は、 仮ではなく
まごうことなき 知らぬものとして 目に映っている

それは 「 ブッダ 」 についても 言えることです

誰も ブッダに 出会ってはいない
出会ったものがいようと、
その者以外には  その場所を(住処を) 同じくすることがない

もし あなたが そこに 同じる なら
あなたは あなたと 同じる者 の 
  存在を  同じ  仏前に  見る

(誰であっても)知らない者 という 同類に囲まれている
そのように 心強いことは 起きようがない

おなじ 境涯の人が そんなにも多く いて、
  どこが  (ひとり)寂しい  のですか ?

もし、 知っている者が 一人でもいれば
知らない者  という
 その言葉の意味さえ 知られてしまう


知っている者は  「 平等 」  を 説き
知らぬ者を 暖かく 見守る



投稿:  春間 則廣  | 2019/05/01 11:00

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