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2017年7月30日 - 2017年8月5日

2017/07/30

心安らぐ忙しさ、忙中閑に、空の考察

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庭のラベンダーが、花盛り。

ようやく休みになったような。
本当は、まだ二つ講義と試験監督、それに膨大な採点がありますが、
気分は、休暇モードに入って、
現実には、母の介護と家事労働へとシフトしました。

忙しくても、許せる忙しさで、
心がまるきり涅槃寂滅モード。。

ひさしぶりに新聞も読めます。
インターネットのニュースも目次だけでなく
中身をクリックできるようになりました。


新聞読んでいたら、
稲田防衛大臣の辞任のニュースが報じられて、
最後に一言心境を聞かれて

「空ですね」
という意味深な言葉を残して去っていった

と書いてありました。


ああ、びっくりした!
こんなところに、「空」が!


記事を書いた新聞記者の人には、
意味深な言葉に見えたんですね。

仏教用語としての「空(くう)」も有名になったのかな。

     ◇◇◇

「空」という用語は、どんなに意味深に見えても

「からっぽ」

という意味以外のものは見あたりません。


それなのに、なぜ 意味深に見えるのでしょうか。


それは、「空」は、仏教的には実践の言葉でもあるからです。

そもそも、論理というのは、言葉と行いとの関係において
見いだされるものです。

言葉と言葉の関係に還元することも不可能ではないかもしれませんが、
わかりやすく、意味あるものとなるのは、実践とのかかわりです。

稲田元大臣の行いをもとに、その言葉の意味を考えてみると、

本当に、わたしは何をやっていたのだろう。
他人の言いなりになってやって来たけれど
すべてが虚しくすぎて、自分には何も残っていない

からっぽだなあ

っていう意味に取ると、
よくその心境を表しているのかもしれません。
Dsc02292s


       ◇◇◇


でも、仏教的には、
「空」は、心境を表すために最後に語ることばではなく、
実践の方法論を支える原理として用いると「意味深い」言葉なのです。


あらゆることは空である、と見るからこそ、
自分は、どういう行動をとらねばならないかが出てきます。

実践しおわって出てくる言葉ではなく
実践するための基本方針を支える言葉なのです。


空であるからこそ
他に依らず自己によって行動することができ、
世間や他者にまどわされず
自己の信念をも貫ける、ということにもなるのです。

なぜ、そうできるのか?

「自己」ということばに、さらに空を適用し、

自己に関して空(からっぽ)である

と、見るからです。

すなわち、 「自己に関して空」 であれば、
 「自己ならざるもの(無我)」 であると、
あらゆることを見ていくことになり、
そのため、自己を捨てて行動できるようになるので、
衆生の苦しみを抜く利他の行為へと
つなげていくことができるのです。

「自己」という言葉を用いていても、
行いにおいては、その人の「自己」はからっぽで、
どこにも見あたらず、ただ他を利する叡智が光るだけなのです。

そのための実践の理念が、「空」なのです。


     ◇◇◇


「空」という言葉は、そんなに難しい言葉ではありません。

でも、

その「からっぽ」という意味を、どのように現実に応用していくのか


そこに、智慧が必要になって来るので、

難しく感じるのです。


まあ、やっぱり、仏教は難しいかなぁ。

  実践の原理は、「空」か。。 自分で言って自分で噛みしめる

Dsc02295s
  


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