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2016年6月19日 - 2016年6月25日

2016/06/19

「信」について

「信をもつものであるからこそ法を受容し、
智慧があるからこそありのままに知ります。
両者の中では、智慧は主要ですが、
一方、それに先行していくのが、信なのであります」
(『宝行王正論』1.5)

法における安楽 と 至福(解脱)

この二つが求めるもので
そこに至る手段が

この
 と 智慧 なのだ 
と、龍樹は述べています。


『大智度論』の中にある

仏法の大海には、信から入って、智慧に至る
(佛法大海信爲能入。智爲能度)

という個所とよく符合しますね。


★「信」 というのは、 「聞こうと思う心」 ということだ。★

「聞こうと思う心」はたとえば、こんな風。
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どこに行くかわからないけど、行ってみよう

って、思わなければ、誰も、こんな道を行くことはない。

そこから

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こんなに大きな道になってきた

ということもあるだろう

しかし

あれ
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これって、道なの?

って、ことにもなるかも。。

どっちにしても、聞くことは大事なことです。
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昔の人が行ったお城への古道に出会うかもしれない。

ブッダの道。


       ◇◇◇


仏教が、むずかしいのは、
「信」を起こすことが、むずかしいからだろうね。

合理的な解釈だから、科学のようですばらしい。
だから、わたしは、聞く。。でも、なに?
りんね?
ジャータカ?

これは、ちょっと信じられないな。
こんなこと、お釈迦さんが説くはずないでしょ、

えい、この個所は、おシャカにしちゃえ

って、ことになってしまうと、どうなるんだろう。

「半分だけ信」ってのは、半信半疑ということだよね。


わからなくても、「聞いておく」 というのが、
「とりあえずの信」 ということかもしれないね。


わからない部分は、ずっと心にとどめて置くのも

「信」のあり方かな

と思っている。

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そのうち、こんなに花咲くことも、あるかもしれないから。


       ◇◇◇


騙されるのがイヤだって、みんな言うけど

騙されてもいいよ、って言った人は、親鸞だ。


このくらい「信」に信をおくと、
道は、イヤでも開いてくるんだかも。

開く鍵は、魔法のことば 
南無阿弥陀仏


「信」から、入るのが仏教です。


半信半疑から入るのも、仏教です。
自信もって入るのも、仏教です。
不信から入っても、仏教だな。。。

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