« 2016年5月1日 - 2016年5月7日 | トップページ | 2016年6月19日 - 2016年6月25日 »

2016年5月15日 - 2016年5月21日

2016/05/21

脇道を行ってはいけません 迪(みち)に恵(したがえ)えば…

通勤途中、北大を抜けて行くとき
ちがう道を行ってみたら。。。こんなことに
Dsc02015s
恵迪寮という北大生の寮の跡が
原始林化していました。

いや、もともと原始林だったの?
よくわかりません。

前の恵迪寮は、今は、「開拓の村」というところに
一部移されて、観光されています。

現在も、恵迪寮はありますが、
そこには、わたしは行ったことがないので、ウィキで
見てみよう。
恵迪寮
ふうん、そうなのか。。

Dsc02014s
エンレイソウなの?ちがうかな?

Dsc02016s
字が書いてあるのでパチリ。
Dsc02017s
後で読もう。
さっさと行かないと、どこを歩いているのかわからない。

北大は広いなあ。
こんな人の歩かないようなところもあるんですね。

道をかき分け、踏みつけ道みたいなところを歩いていると。。
Dsc02019ss
おお、羊が寝ている

アップにすると
Dsc02019s

草むらから抜け出して
いつもの道に来た。。ああ、よかった
Dsc02022s

学校に行くだけなのに、
スリリングなことをしてはいけません。

よい子は、まっすぐ学校に行きましょう の巻。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2016/05/16

『スッタニパータ』から『中論』へ

Dsc02000s
Dsc02003s
紅白で、ご覧ください。

もう、桜も終わりかけていますが、
八重桜の系統は、まだまだ花盛りです。

       ◇◇◇


『『スッタニパータ』と大乗への道』

いろいろなご感想もいただいています。

本は、出版されてしまうと、
勝手に歩き出すので、
もはや、著者の手を離れて、
独立の存在です。

『スッタニパータ』と、大乗仏教を
結びつけているところに
関心をもつ人も多いようで、
そのようなご指摘もいただきます。


そうなのか。。。

って、思っているところです。


『スッタニパータ』第4章

「八偈品」


ここは、わたしの目には、
はっきりと、
龍樹が見えるのです。


まんま、龍樹だな、って感じなのです。


ブッダの意図を、しっかり読み取った龍樹。


ブッダは、相手にあわせた対機説法によって
あらゆる人にわかりやすく教えを説いた

といわれています。

それは、まったくそのとおりだと思うけど、
ブッダに教えがあるなら、
ブッダの意思や意図もあるはずなのです。

主張はしない
見解はもたない
言い争わない

これらを守りながらも
しかし
教え(法)があるなら

何かは、ブッダの中から出てきているものが、
あるはずなのです。

あらゆるものを傷つけず
しかし
苦しみだけを取り除く

そういう方法を開示する
その「理論」みたいなものが
なければおかしい。。。

何かは言っているのだから
何かはなければならない  はず


こういう意識でさぐると
出てくるものは
  論理
ということになるのです。

「理論」をひっくり返して「論理」にしたのね
って、思った人もいるカモしれない

「家出」をひっくり返して「出家」 みたいに


ブッダだから、まあ、そういうことも言えますが、
ブッダの道は、

出したものは 引っ込める
という道なんでしょうね。

理論を出して、論理で回収

こんな感じなのかな。


こうすると、
あらゆる世界の生きものに
迷惑もかけないし
傷つけないし
壊すこともない


そういう枠組みだよね

「八偈品」は、
そういう枠組みを示す経典です

だから、

ブッダの、意思と意図が、

やっぱり
明確にある


ブッダの、意思と意図をつかんで、

独自に開いたのは
龍樹が最初なんでしょう。


『中論』が、はっきりと見えてきましたね。


「見解を捨てる道」 を説いた龍樹

龍樹の考えたことが、
今なら
ようやく見えてきたかな、というところです。

ブッダに行かなくちゃ
龍樹もわからない

っていう、よく考えれば
あたりまえのことに
ようやく気づいて、ここまで来ました。


『中論』を解明するまで
下積みが長かったけど、
下積みから中積み、
中積みから上積みまで

だいぶ来たようです。


積み上げたものを
きれいに
壊す
中の道、『中論』

Dsc02004s

Dsc02002s

 


| | コメント (20) | トラックバック (0)

« 2016年5月1日 - 2016年5月7日 | トップページ | 2016年6月19日 - 2016年6月25日 »