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2015年10月18日 - 2015年10月24日

2015/10/23

輪廻する秋 輪廻するわよ、わたし

Dsc01769s
しばらく前の写真ですが、久しぶりに自転車に乗ったので。

母の病院に通うとき自転車で行っていました。
堤防の上でパチリ。

もう廃車になりそうなほど、
乗っていませんでしたが、
ようやく乗るチャンスがめぐってきた

ってのは良いけど、
入院した母のお見舞いではなあ。。

それもつかの間、転院して、
また、自転車は、廃車路線を歩み始めていますだ。

秋ですね。

Dsc01778s

そう言えば、病院のまわりに公園があって、
病院を抜け出して
車いすで母を連れて散歩している時、

みっけました。
Dsc01773s
小さいお社。。

山の麓のこんなところにひっそりと。
Dsc01774s_3
写真に撮るとめちゃかっこいいですね。

一人前のお社だ!
お賽銭を入れようと思ったけど、
賽銭箱がないわ。。

お賽銭ないけど、早く母の骨折が完治しますようにっ!
頼んだよ。


     ◇◇◇


さて、ちょっと小出しに仏教ネタでも。

最近、ちょっと調子が出てきて、進展してます。

とうとう、四縁の謎が解明しました。

四縁というのは、アビダルマに説かれているやつです。


因縁 (へートゥ・プラティヤヤ)
等無間縁 (サマナンタラ・プラティヤヤ)
所縁縁 (アーランバナ・プラティヤヤ)
増上縁 (アディパティ・プラティヤヤ)

これらは、やはりブッダ論理を用いると
出てきます。
でも、基本は、ブッダの阿含経典にしっかりと説かれています。

どういうものか、よくよくわかりました。
そのうち、きちんと書こうと思います。


     ◇◇◇


あと、輪廻も気になっています。

取著の転回という経典ですが

あの中にあった、

===
名色の集起によって、識の集起があります。
名色の滅から、識の滅があります。
===

この個所です。

ふつうの場合は
名色が滅しても、簡単には識は滅しません。

たとえ身体が壊れて死んでも、識が残って、
ちがう身体に入ってしまうのです。
これが輪廻ですね。

ですから、
=================
* 名色の滅から識の滅があります *
=================
という、この一文が実現するのは容易ではありません。

★一つには、生きている間に、

名色の「名」と「色」のうち、

「名」を確実に滅しておく、という手があります。

未練なく「名」を滅するためには、
物忘れをする、とか、記憶をなくす、とか、
そんなことで済むはずはありません。

名称でいわれるもの一切を
すべて知り尽くして、それから、消すのです。
すべて消すためには、
どうやって「名」が湧き上がってくるのか
その根元を断つしかないのです。

智慧によって「名」を知り、それを滅する
空・無相・無願の瞑想で、それを滅する

いろいろ手段を尽くして、何とか滅したとしましょう。
そうなると、つぎに「色」を滅するので、
あとは死ぬのを待つだけ、
待ち遠しいわ、早く死なないかな
これで、識が滅するぞ

って、ことになると思うかもしれません。

この場合、名も色も、きれいに滅したとします。
そうなると、完全に解脱して、涅槃に至るのでしょうか。

いや

そういう保証は、ないように思います。
どうも、はっきりしないのです。

なぜなら、輪廻するときは、

識と名色は、
識に縁って名色があり、名色に縁って識がある
という関係になっているからです。

ですから、

名色が滅して、識が滅するとしても、

この名色に関係しない識が、まだ残っている可能性があります。
つまり
識に縁って名色がある
という縁起の式が、まだ手つかずで残っているのです。

もし、その残っている識が、名色をよりどころにしたなら、
また、また、生まれてしまいます。

残っている識がなければ、解脱するかもしれないし、
何とも言えません。

わたしたちには、こういう人のことは、わからないのです。
測定する基準が、なくなってしまったのだ、と
ブッダは、ウパシーヴァに語ったのです。
『スッタニパータ』の1076です。

=======
離れ去った者を測る手段は無い、ウパシーヴァよ、と
尊師はいった。
かれにたいして、
それをあれこれ述べるようなやり方は存在しない。
すべてのもの(法)が根絶やしにされたとき、
一切の論議の道もまた根絶やしにされたのである。
=======

だから、

かれを 「独存している者(ケーヴァリン)」 と呼ぶのです。


■大乗の菩薩たちには、こういう人もいるかもしれません。


あえて、識を残して、輪廻して行く人たちです。
かれらを、「死王は見ない」 というのでしょう。

それから、
わかりませんが、

識を完全に滅していても、
この世にあえて現れる 
タターガタ(このようにやって来た者)のような者
もいるかもしれません。
化身と呼ばれたりするかもしれません。


■では、声聞乗ではどうでしょう?


名色を滅して、識を滅した者で、
まだ、残っている識があれば、
欲界・色界・無色界のうちのいずれかに生まれます。

欲界・色界なら、再生してしまいます。
しかし、何度か輪廻したら、
解脱に到達することは保証されています。

無色界に生まれたら、どうなるのでしょうね。
ほんとにわかりません。
「色」のない世界なので、再生もできず、
どうなっているのか、わからない、と言われます。

だから、名色を滅して識を滅するのではなく、
十二支縁起のように

識を滅して名色を滅する

という、順序で滅して、確実な解脱への道をめざすのです。


こういうことだと思うな。
Dsc01801s
輪廻する秋 りんねりんね


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