« 2015年8月30日 - 2015年9月5日 | トップページ | 2015年10月18日 - 2015年10月24日 »

2015年10月4日 - 2015年10月10日

2015/10/06

こころは空気のように

すっかり、ご無沙汰の日記です。

9月は、母が腰の骨を折って、入院して、
あたふたしました。

もう10月ですね。

あれ? そう言えば
スマナサーラ長老の講演・冥想会からも、
10日近く経ってしまいました。

秋ですね。ほら!
Dsc01758s

秋の深まりとともに、
はるか昔にも思える
講演会と冥想会をふり返ってみましょう。


       ◇◇◇


講演会や冥想会で、
また、
札幌ダンマサークルの会で

年々といいますか
念々といいますか

強調されてくるのが、慈悲の冥想 です。

慈悲の冥想のパンフの中に

=========
「慈悲の心がなければ、
もはや仏教ではないといってもいいと思います。
=========

とすら書かれていて、 おお!
テーラワーダの心意気みたいな感じがしました。


今回、ダンマサークルの会で
チョー・ロングヴァージョンの
慈悲の冥想を書いたものを
頂戴しました。

何と、3頁半にわたる、冥想のことばが連なっています。

全部丁寧に読んでいるだけで 1時間近くかかりそう。。

「わたしは幸せでありますように」から始まって

大きな項目だけを挙げると

# 私に、他者に対する慈しみが現れますように
# 全ての生命は兄弟
# 私は、釈尊の言葉を念じます
# こころは空気のように
# 心は大地のように
# 皆、業を相続します
# エゴの錯覚
# 苦しむ世界で苦しみなく
# 慈しみの拡大

と、いろいろな内容のものが、取りあげられています。

全部、スマ長老さまが唱えてみなで唱和したのですが、

わたしは、その間、一生懸命、ことばチェックをしていて、
忙しかったのです。

経典のことばをもとに、組み立てられているんだな
と思いながら、

それにしても、膨大な内容を盛り込んであって、
これ、真面目に全部冥想しようと思ったら、
一日じゃ足りないかも。。。

と、いささか、「どうすりゃいいの」気分で読み終えました。


わたしとしては、個人的にフィットしたのが、これです。
=========
# こころは空気のように
 ・ 空気と空気が何の対立もなく一体になるように、
   私の慈しみの気持ちが、全ての生命のこころと一体になりますように。
=========

おお、これこそ ’仏教的な’ 慈悲だ、
って、思いました。


       ◇◇◇


で、なぜ、こんな話しをするかといいますと、

休憩時間になって、スマ長老さまに、

「慈悲の冥想がパワーアップしましたね」

と申しましたら、

長老さまは、

「こんなに長くやらなくても、いいんですよ。
『空気のように』
だけでも、十分です」

と、述べられたのでありました。

お!たった、一言になっちゃった。
しかも、わたしの心とぴったりフィット。

無精心を見抜かれたかもね。
でも、短くて、ホッとしますわ。


で、さらに、考察。

わたしの中では

「自己が愛しいなら、他を害するな」
という、ブッダのことばと

「空気のように」
ということばは

同じように聞こえるのです。


空気は、生きものを害さない
空気は、あってもじゃまにならない
あることすら、気づかれない

でも、

もし空気がなかったら、生きていけない、どんな生きものも。
自分も含めて。

慈悲の心も、同じようなものである。

慈悲は、生きものを害さない
慈悲は、あってもじゃまにならない
あることすら、気づかれない

いいんじゃない!
まるで「慈悲」のことじゃないみたいに聞こえるところも
気に入ったっす。

そんでもって、慈悲の心がなければ、
生きものは生きものらしく生きていけないのだ。


自分が愛しいなら、空気のように
生きなきゃならない、

って、ことなのか。

慈・悲・喜・捨の四無量心の中で
「捨(無関心、平等)」というのが、
けっこうむずかしいけど、

「空気のように」

は、「捨」のこころも、入ってるようです。

他を害さず、自分を害さず、
あるのかないのか、気にならない。。空気
Dsc01764s
何か、雲が鳥の形をしてますね、

空気は、雲も遊ばせる

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2015年8月30日 - 2015年9月5日 | トップページ | 2015年10月18日 - 2015年10月24日 »