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2015年1月18日 - 2015年1月24日

2015/01/20

足跡

Dsc01007ss

冬になると、目立つのが、足跡。
ふーむ、狐だな。
写るかどうかわからなかったけど、
まずまずだわ。


     ◇◇◇


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煩悩が滅尽し、
食(アーハーラ)においてとらわれなく、
空にして無相なる解脱を領域とする人々の足跡は
推し量ることが難しい。
空を行く鳥の足跡を量りがたいようなものである。
(『ダンマパダ』93)
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阿羅漢の境地を歌った詩です。

空ゆく鳥には、足跡はないが、
地をゆく生き物には、足跡がある。

でも

さまようものの無数の足跡で
埋め尽くされたら、
足跡は、もうわからないな。

他の足跡で消されてしまい
どれが自分のものか
自分でも確かめられない。

こうやって、足跡がついても
みんな、忘れて、気にしなくなってしまう。


     ◇◇◇


阿羅漢の行く先ははかりしれず、
空飛ぶ鳥にも飛行機雲のような
足跡はつかない。

凡夫は、自分の足跡をつけて
泥道・雪道を進んでいく。

足跡がつくのは、たぶんラッキーなのだ。

ふり返って、辿っていけるから。

どんなに愚かなことをしていたか
ちゃんと記録されてるのは、
まあ、
やっぱり、良いことなんだと思うな。

それを、消して、
わからなくしようとしてはいけないと思う。


    ◇◇◇

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心に先導される諸々のものごと(ダンマ)は、
心を最高のものとし、心からなっている。
汚れた心で話したり、行ったりするならば、
苦しみは、かれにしたがう。
あたかも、
車輪が、
車をひくもの(牛)の足跡(パダ)にしたがうように。
(『ダンマパダ』1)
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こういうことで、足跡がつくのだ。
汚れた心だから、足跡がつく のだとすれば
足跡に足跡を重ねて、
何だかわからないようにするのは

やっぱ、最悪だ。

足跡は、ふり返って見つめるものだな。
Dsc01012ss
おとなりの家からきた足跡だ。。

汚れた心が、悪いということはない。
苦しみがついてくるのが、イヤなのだ。

だから、

狐の足跡だって、生きようとするあかしだと思うと

苦しみも、愛しい。。むむ。

そこまでは言わないか。

でも、必死に餌を探している狐の
心は
あわれで愛しい。。。お互い、煩悩のある身どおし
なぐさめなくっちゃね。


     ◇◇◇


わかったことは、
足跡は、見つめるものだということだ。

見つめてはじめて、苦しい理由や原因が
見えてくる。

悪い行いこそ、黒くはっきりした足跡なのだから、
しっかり見つめるべきなのだ。
じっくり、反省もできるということだよね、きっとね。

最初から、空飛ぶ鳥になろうとしてはいけないのだわ。

最初は、リスの足跡くらいにして、
それから、ムササビをめざす

ってくらいで、いいのかもしれないな。

だってね、ほら、あっという間に
Dsc01019s
足跡も、また、消えちゃう。
反省するのも、雪降る前に、しなくちゃね。

この地上には、こんな煩悩の足跡が、
いったいぜんたい、どれくらいついているんだろう。


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