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2015年8月9日 - 2015年8月15日

2015/08/13

自力と他力は、縁起と空。。何このタイトル?

狭い花壇でいちばんいばっている草木、約一つ。
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5月には、小さい草の芽一つだった。
ナデシコの種のそばで、小さな芽を出していたので、
そのまま、放置したら、こんなになっちゃった。

おまえは、だ~~れ?
何という草なのだ。

やっと咲いたナデシコは、
でっかい侵入者に場所をとられて
脇で小さくなってます。
やっぱりナデシコだなあ。

ほんとに、耐えるナデシコジャパンという風情でしょ。
隅のきっついところに、ひしめいてるのに、
文句も言いません。

えらいわ、ナデシコ!

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それにしても、花も咲くのかしら。

ほんとに世の中と同じで、
思いどおりにはいかないものだ。

植えてないものに限って、めちゃ大きく育つのに、
毎日水をあげていた草花は、ひ弱で枯れてしまう。
(植木鉢は、ほとんど枯れてます)


       ◇◇◇


さて、管理人の雑草人生哲学は、
『ブッダ論理学五つの難問』を上梓してから、
10年の節目をむかえましたもようです。


そんな気がします。

というのは、
新たな展開に突入しそうな予感がするのです。


今回、8月3日に真宗高田派の講演会にまねかれ、
お話しをしてきたのですが、

そのために、

わたしは、短い準備期間でしたが、
新しいことをお話ししたいと思い、

ブッダから親鸞聖人への道筋を見つけようと模索しました。

わかったことは少ないながら、しかし、
明らかに、今までとちがうものを得ました。

うまく話せるかどうかは、わかりません。
また、
どこかに、きちんとしたものとして、まとめたい気もしています。

そんな、いろいろな想いがありますが、

ここに、少しお話してみましょう。
何か、もったいぶってますね。。
キンチョーするわ(笑)。


      ◇◇◇


親鸞聖人が、この世に現れ、
弥陀の本願他力をたのむことこそ、真宗である

と説いたとき、

2600年前に現れたゴータマ仏は、

その瞬間、

歴史上、この世に現れ人々を救った報身の仏として、

確立したのだ、という気がします。


なぜ、そのように言えるのか?

それは、よく言われるように

自力と他力

という観点から見て、一つの新しい見方を、

親鸞聖人は、はっきりとさせたからです。


自力の宗教に対して

他力の宗教という立場を打ち出したことにより、

新しい無我の見方が導入されたのです。


自力の、抜きがたい、我執の片鱗を、
きれいに払拭して、もとから断ってしまう見方、他力。


この見方を仏教に導入するのは、
ほんとにほんと!
容易ではなかっただろうと思います。


ゴータマ・ブッダ自身は、
どちらでも行けたのです。

自力宗教でも、他力宗教でも。

ただ、時代の流れ、当時の状況、因と縁のなせるわざ、
さまざまなものが絡んで、
仏教をたのむ誰もが望んでいた道とは限らない道を
仏教は歩むことになりました。

それが、自力の道、です。


パーリ仏典『大般涅槃経』の中で、
ゴータマ・ブッダは、悪魔と会話するのです。

その悪魔との対話によって、

その後の仏教の行く道が、「自力」と定められていった、

と見ることが出来るのです。

それは、ブッダ論理を駆使して分析する
縁起と空の見方によって、
解明されていきます。

縁起 と 空

と言いましたが、
本当は、親鸞聖人の場合は

空 と 縁起

と、この順序で語った方がよいかもしれません。

縁起から空にいくのは簡単だけれど
空から縁起にいくのはむずかしい。

むずかしいそのやり方を、うまく使いながら、

親鸞聖人は、

空の魔術(智慧)を使って、まずは、

「信」

を導いたのです。


えいぃぃ~!
「信」とはなんぞや? なんぞや? なんぞやぁ?

「信」とは、 無我なり、 空なり、他力なり。


どかんと、最初から、無我に入る道、往生廻向の道。

=====
真実信心(しんじちしんじむ)うるひとは、
すなはち定聚(ぢゃうじゅ)のかずにいる
不退のくらゐにいりぬれば
かならず滅度(めちど)にいたらしむ
=====(『浄土和讃』59)

ほら、仏法でしょ。
真実信心を、無我と解するなら、
そのまま悟りへの道を歩める、不退転だと、
述べています。

そして、信とは、無我に至ることによって、
得られるものだ、というのは、
おそらく、言わなくても分かるでしょう。

「信」を得ることは、われとわが身を振り捨て、
忘れ去ったときに現れてくるのでは
ないでしょうか。

ちなみに、上の、『浄土和讃』ですが
ふつうに訳すと

「他力を真実とするという信心を得る人は、即座に、
正定聚(必ずブッダになることが決まった者)に入る。
もはや退くことがない位に達すれば、
必ず、涅槃にいたらしむのである」
ということになりますね。


親鸞聖人にとっては、
あるいは、
或る人々にとっては、

自力は、悪魔のことばであります。


だから、『大般涅槃経』では、悪魔が出てくるのです。
(とも、言えます。時間が前後しているように思われるかも)

では、

どうなっているのか、見たいですね。
『大般涅槃経』から、該当個所です。
=====
3.7 ところで、悪魔である波旬は、
尊者アーナンダが去ってまもなく、
尊師のところに近づいていきました。
近づいて、一方の端に立ちました。
一方の端に立った悪魔である波旬は、
尊師に、このように言いました。
「尊師は、今こそ、般涅槃なさい、尊師よ。
善逝は般涅槃なさい。
今こそ、尊師の般涅槃すべき時です、尊師よ。
尊師よ、尊師は、実に次のような言葉を語りました、
『波旬よ、わたしの弟子である声聞たちが、聡明であって、
訓練がなされ、畏れることなく、多聞であって、法を保ち、
法にしたがった法をそなえ、正しく修行し、
法にしたがって修行し、自ら・師から学んだ後、
解説し、説き示し、知らしめ、設定し、明らかにし、分析し、
明晰にし、異論が起こったときは法をもってよく説き伏せて、
説き伏せた後、神変をもつ法を説き示すようにならないかぎりは、
わたしは般涅槃しないだろう』と。

3.8 「しかし、今や、尊師よ、比丘たち、尊師の弟子たちは、
聡明であって、訓練され、畏れることなく、
多聞であって、法を保ち、法にしたがった法をそなえ、
正しく修行し、法にしたがって修行し、
自ら・師から学んだ後、解説し、説き示し、知らしめ、
設定し、明らかにし、分析し、明晰にし、
異論が起こった時は法をもってよく説き伏せて、
説き伏せた後、神変を持つ法を説き示しています。
今や、尊師は般涅槃なさい。尊師よ。善逝は般涅槃なさい。
今こそ、尊師の般涅槃すべき時です、尊師よ。
==========(パーリ語仏典『大般涅槃経』)

どうです?
悪魔だなぁ、って、思いましたか?

それとも

いや、おかしくないじゃん、ふつうじゃん、
って、思いましたか?

世の中の出家在家の人々は、
ブッダの教えどおり、
すべて完璧にこなしているのだから、
ゴータマさんよ、涅槃にお入りになったら?

と、勧めているのです、悪魔は。


経典は、ほんと油断がなりません。
読んでるわたしたちをも、
試しているように思えてきます。

悪魔は、
ブッダの弟子たち、信者たちの自力の行を、
ブッダの公式(縁起)に載せて
語ったのです。

そのため、
ブッダは、もはや否定することもできなくなり、
後ろ髪(?)を引かれる思いで(??)
涅槃に入ることにしたのです。

アーナンダも、引き留めず、
誰にも引き留められなかったのです。
因と縁が作用するのが、仏教世界なのですだ(よよよ、涙)。

請われて生きるのがブッダですから、
請わないときは、涅槃に入ることになるでしょう。

自力の宗教として、仏教が、その特徴をそなえるのは、
こういういきさつなのです。

大悲の心を生かしきれず、
ブッダは、もったいなくも、涅槃してしまいました。


お願い!親鸞!
ブッダを生かして!


ブッダの大悲は、法蔵菩薩の願の中に、
たっぷりととじ込められました。
『大無量寿経』は、
ブッダの大悲を、阿弥陀仏に結晶させた経典です。


親鸞聖人は、
『大無量寿経』を跳び箱にして、
一気に、空(くう)に飛んだのです。

おのれをかけて、命をかけて、願いをかけて

空を操り、空に操られ、
虚空に飛んだ親鸞聖人は、
自力の階段を捨てて、他力の階段から
静かに地上に降りてきたのです。

空(くう)で飛んで、それから、縁起の階段を使うべし

って、言ったかどうか知らないけれど、

親鸞聖人は、
これまでとはちがうやり方でいく
新しいやり方を確立した
仏教の救世主なのかもね。


話し、わかったかしら?
さっぱり、見えない?


     ◇◇◇


ブッダ論理の好きな人に、説明すると、

<これ>があるとき<これ>がある(1)
<これ>がないとき<これ>がない(2)

を用いて、
親鸞聖人の到達点と、悪魔の意見を比べると
きれいに出てくるのです。


もう少し話すと、
(2)は、ブッダが作っています。

<比丘たちが、~法を説き示すこと>がないとき
<わたし(ブッダ)は涅槃すること>がない

(1)に、どんなことばを入れるかが、問題なのです。

悪魔は

<比丘たちが、~法を説き示すこと>があるとき
<わたし(ブッダ)は涅槃すること>がある

と、作って、ブッダにせまったのです、
「ねはんどきですよぉ~ 」  (* ̄0 ̄)ノ
ってね。

これ以外にも、公式を満たす表現はあるだろうか?


あなたなら、どうする?
親鸞聖人は、どんな表現を入れたのだろう?


「縁起」をよく知っていないと、
この公式は基本どおり使えない。

かつ、

「空」をよく知っていないと、
この公式は正しく応用できない。

両方を駆使して至った親鸞の答え!


答えは、またね。
考えてみて。

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2015/08/10

熊野三山めぐり~那智2(大社と瀧)~

那智大社と第二鳥居です。
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たくさんの人でにぎわっています。
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護摩木もあって、密教の影響もあるようですね。


すぐお隣に、青岸渡寺というお寺があります。
如意輪観音が祀られているのだということです。
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本堂の中にある観音像は、
玉をもって座っている姿ですが、
こちらは立ち姿。

座った姿の観音様が、なかなかステキです。
遠くでよく見えなかったけど、
youtubeにアップの姿がありました。

下にある補陀洛山寺のところに
そのyoutubeをリンクしたので、
そちらで参照してください。

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青岸渡寺には、いろいろあります。

大黒天も祀られています。
マハーカーラといわれるインドの神さま。シヴァ神の別名かな。
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三重の塔と遠くに那智の瀧。
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何でもそろって、うれしいな。

これが、三重の塔。
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中は、コンクリート製。
那智の瀧を、写せる場所ってことかな。
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では、いざ、那智の瀧へ。
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那智の瀧の水。長寿を願う人は飲んでください。
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最後は、那智駅近くの補陀洛山寺。
ここも神仏習合のなごりがあって、お隣が神社です。
また、真言密教の要素も入っているので、
護摩木を焚いてくれるのです。
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こちらは、神社の方ですね。
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お寺の建物に入ると、
このyoutubeに出てくる方がいました。
https://www.youtube.com/watch?v=7gLsGfZfxKw

十一面観音のお話しやら、土地のお話し、最後は、
すっかり北海道旅行の話しで盛り上がってしまいました。

そして、わたしも、お金を少しはらって、ご開帳してもらいました。
ラッキーだぁ。
準国宝級の十一面観音像をじっくり拝見。

下から見上げると、すごく優しいお顔ですが、
正面から見ると、きりっと強いお顔です。
仏師のノミの力で、
一つの顔でも、十一面にも見えるのかもしれませんね。


熊野は、自然と人と神と仏でできている。


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熊野三山めぐり~那智1(大門坂・夫婦杉)~

熊野三山最後の大社は、那智大社です。

熊野三山といわれるのは

新宮市にある 速玉大社
本宮町にある 本宮大社
那智勝浦にある 那智大社

の三つです。

民間信仰、修験道、神道、仏教など、
さまざまな信仰形態のアマルガムです。

「熊野信仰」という呼び名を、五来氏は、『山の宗教』の中で、書いています。


熊野信仰


いいことばだ!
そのとおりだと思う。

自然と人とが融和して作りあげてきた文化的な景観。

これが、熊野信仰 と名づけられるところなのだろう。


わたしが思うに、日本の宗教の良いところは、


思想がない!


という点だ。


上の、民間信仰、修験道、神道、仏教などが、一つになって、
けんかもせず、矛盾もしないのは、
「思想がない」という点で、一致しているからだと思う。


ここでは、仏教も、仏教本来(?)の「思想のなさ」を
いかんなく発揮して、見るもの聞くものすべてが、
苦もなく、幸せ感でいっぱいです。

それでは、今日も元気に、見所いっぱいの那智に詣りましょう。

レッツゴー、ゴー!


       ◇◇◇


朝の紀伊勝浦駅前、ひなびた感じが何とも言えない。
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那智の大門坂駐車場のあたり。
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ここも、日本の景観百選なんてのがあったら、
選ばれそうだよね。

さあ、大門坂を歩いて那智大社に向かうぞ!
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振りヶ瀬橋。俗界と神域を分ける橋だとか。
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ほんとに驚いたことに、人の住んでる庭先が道路です。
よそのお家の中を通ってる気分で、悪いなあ、って感じがするくらい。
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この家ではないけれど、中から人が出てきて、
「おはようございます」っていいながら、
道を横切って、向かいの物置のような家に入っていきました。

有名な夫婦杉。
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並んでそびえています。樹齢は、800年。
熊野にある大きな木は、ほとんどすべて樹齢800年って、
書かれてました。
ほんとにほんとなのかは、なぞだけど、
鎌倉時代あたりって考えるといい、ってことかな。

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もっと上まで見上げると、人が豆粒のようになりますね。

ザ・熊野古道!
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一の鳥居
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おっと、ここで、写真が限界に来たようです。

那智大社の社殿と瀧は、次回をご期待ください!


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2015/08/09

熊野三山めぐり~中辺路2(本宮大社)~

熊野本宮大社への道は、長いですね。

それでは、三軒茶屋のおトイレのところから、
再び、中継です。

では、どうぞ。

脇には、関所跡があります。
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少し行くと、見晴台に寄り道しなさい、と看板がありました。
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はいはい、やることは何でもやります、はい。

絶景かな。
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正面に小さく大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見えますか?
(写真をクリックすると大きくなります)

すばらしい眺めですが、写真ではわかりにくいかも。
昔は、本宮大社は、大斎原の場所にあって、
ここまで来た参詣者は、ここでひざまずいてお祈りしたとか。

今は、鳥居しか残っていないのです。

はぁ、息切れしてきました。
エネルギーが切れたのと、水が切れたので、クラッとするけど、
無視することにする。

ようやく、本宮大社の。。裏門かな、鳥居に来ました。
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やっと着いた。
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このあたりの写真は、とにかく、朦朧としながら、撮る。。

肝心の本宮大社なのに、気分は、酸欠、水欠、ガス欠で、
フラフラしてきます。

もういいや、降りよう。
まったくなさけない、何しに来たんでしょう、管理人は。

うわ!階段だぁ~、急だなあ~
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で、下でふり返る。パチッ、「あれ!」。。ぶれた。。
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と、一瞬思うけど、でも、右は、はっきり写っている。

後から見たら、何となくおかしな写真です。
左はぶれて、右はぶれてない。
階段が、明るい筋があるようにも見えます。

神さまとすれ違ったのかしら??

そんなことより、
何でもいいから、水が飲みたい。
食堂で、かけつけ四杯、水を飲む。
うどん定食(めはり寿司付き)
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はあ、やれやれ。。

これで、無事本宮大社にもお詣りしたし。。

ん?ちゃんと、お詣りしたの、ほんとに?

まあ、いいか、
神さまは、きっと気にしないよ、そんなこと。

それより、ペットボトルは二本もって行きなさい、
っていう、
お告げを受けました。


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熊野三山めぐり~中辺路1(発心門王子)~

熊野古道を歩きたい、という一念で、
今日までやって来ました。

ってのは、大げさですが、

しかし、初心者コースと言われようと何だろうと、
いにしえの人々の歩いた道をたどるのは、
やっぱり、今と昔を結びつける行いだろう、

って、思うのです。

和歌山県の田辺から熊野本宮大社にいたる古道を

中辺路(なかへち)と言います。

多くの参拝者が通ったルートなのです。

http://www.tb-kumano.jp/kodowalk/#walkcourse

この地図で言えば、左端、紀伊田辺から、右端の本宮大社に至る道ですね。

この右端近くに、発心門王子というところがあって、
ここから本宮大社まで歩くのは、比較的歩きやすいのだとか。


     ◇◇◇


行って見るべし!レッツゴー!

熊野交通のフリー切符を利用すると、ほんとにフリーパスなので、
すごく楽ちん。
けっこうバス代もかかるのに、申し訳ないすね。
本宮大社を横目に見ながら、発心門王子まで、
とりあえずバスで行きます。
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ここが発心門王子です。
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のどかな野道。。降りた人も少ない。
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さぁ、堪能しておくれ、いいなぁ~、古道は。
ここが、すばらしいのは、ただの野道や山道ではなく、
生活道であって、ここで暮らしている人がいる!ということ。

そこを、こちらが歩かせてもらっている、という感じです。
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民家の向こうに「果無(はてなし)山脈」が。
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説明つきです。
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どれどれ、説明文の山の形に合わせて見てみると
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このあたりまでは、元気がいっぱい。

ところが、この後、ペットボトルの水が切れる。。
そう言えば、ホテルの朝食で、バイキングだったのに
小さいパン二つとコーヒーしか摂らなかったことに、
今頃気がつく。。。
もっと食べてくればよかった。。お腹すいた。

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これは三軒茶屋跡。休憩場所になっていて、
おトイレがヒノキで、木の香りがとてもいい。

なんて、ぜいたくなおトイレだ。。

などと言っていると、
もう、写真が載らないわ。

えい!エイッ~~、クリックしても反応しない。。

あと少しで、本宮大社というところで、
とりあえず、終わります。

第二段は、次にあげます。

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