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2015年5月24日 - 2015年5月30日

2015/05/24

詩の経典  ヴァンギーサのうた

庭のボタンが咲きました。
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モロッコインゲンも、元気です。
Dsc01294s
パンジーも咲いています。
Dsc01293s
黄色いのは、わからない。


        ◇◇◇


亀の歩みのようですが、少しずつ進んでいる
『スッタニパータ』です。

第二章12「ヴァンギーサ経」をやりました。

ここは、なかなか複雑な経典です。


如来の   「授記」  


が問題になっているけど、
ストレートに現代人は理解に入ってこない部分です。


信者の○○さんは、亡くなった後、どうなっちゃうんですか

という疑問に、

ブッダがいちいち答えてくれる個所だからです。


どうして、現代のわたしたちは、こういうところでひっかかるのかなあ。

素直に、書いてあるとおりに読めばよいだけだと思うけど、
どうもむずかしいようだ。

わたしには、理屈の通った話しだと思うので、
何の疑問もわかないのだけど、
いろいろ疑問もわく人も多いのかもしれないね。

そもそも輪廻を信じられない、ということがある。
輪廻を信じられないから、
死んだ後どうなるかを語るということも、信じられない。
しかも、あのお釈迦さんが、死後を予言するなんて、
という感じになるようだ。

ここでは、無余涅槃か有余涅槃かが、問題になっているけど、
そこにも、多くの疑問があるようだ。

まあ、やっかいな点だと思うから、
わたしも、今回は、あっさり流して読みました。


       ◇◇◇


で、今回、問題にしたのは、
ヴァンギーサ尊者の試作について。

かれは、お師匠さんのニグローダカッパが

般涅槃し(亡くなっ)たのを知って、

お釈迦さまに尋ねます。

=====
354 カッパ師が、求めて行った清浄行は、
かれにとって虚しいものだったのでしょうか。
かれは、消え滅びた(=無余涅槃した)のでしょうか。
それとも、生存の元を残して(有余で)いるのでしょうか。
かれがどのように解脱したのか、それを、わたしたちはお聞きします。
=====

質問は、単純です。
しかし、ヴァンギーサは詩人なので、
それを尋ねる詩が、なかなか凝っていておもしろいのです。

真面目で、師匠思いのヴァンギーサ尊者。
まだ、煩悩を残しているような詩の表現が
何とも言えず、ほほえましい。

思ったとおりに素直にうたう、
純粋なほとばしる気持ちが、
共感を呼びます。

=====
350 速やかに、妙なる上にも妙なることばを発してください。
白鳥たちが首を伸ばしておもむろに鳴くように、
整った簡潔な声によって語ってください。
わたしたちはみな、あなたにまっすぐに向いて聞きましょう。

351 生と死を残りなく捨て、抑止して汚れを浄めた方に、
法を説いていただきましょう。
なぜなら、
凡夫は、
望む願いすらかなえること(カーマ・カーラ)はできませんが、
如来たちは、
考えるべきことがらをかなえる者(サンッケーヤ・カーラ)で
あるからです。

352 この完全な授記は、
真正な智慧をもつあなたによって
つかみ取られているのです。
この礼拝者(であるわたし)は、最後に敬礼いたします。
最高の智慧者よ、知っているのに、
(わたしたちを)迷わせないでください。
=====

羽を休める白鳥たちが、首を伸ばして、
高く声を発するように、
お釈迦さんも、おもむろに、
簡潔に声を上げてください。

みなが、固唾を飲んで待ち望む様子が
ありありとしますね。

351の詩で、おもしろいと思ったのは、

カーマ(欲、愛欲)という煩悩用語(?)が、
ヴァンギーサには、よい意味で用いられていることです。

凡夫は、どんなに悟りたいなあとカーマを起こしても、
そんな願いをかなえることすらできませんが、

如来たちは、カーマももたずに、
「考慮すべきである」とクールに出てきた結果のとおりに
その道を進んでいける、
そんな点も、すごいなあ、と
ヴァンギーサが感嘆しているさまが浮かびます。

なんだか、用語の使い方が、
仏教の説くとおりじゃないけど、
でも、要所がきちんと押さえられていて、
しっかりそれらをわきまえた上で、

しかし、

ちょっとひねった使い方になってるところが

おもしろいでしょう?
すばらしいですよね。

また、352では、

授記が「つかみ取られている」というところ、
ユニークです。

「つかみ取る」は、ふつうは、
執着しているさまを表すことばです。

それが、お釈迦さんに用いられています。

お釈迦さんは、師匠のカッパが般涅槃した詳しい内容を
「つかみ取っている」
と表現して、
お釈迦さんは、「知っているのに」
教えずにいて、
わたしたちをじらしたりしないでください

と訴えています。
ちょっと、
お釈迦さんが意地悪してるような言い方を
あえて使っているところが、
何とも愛らしくおかしいのです。


ヴァンギーサ尊者は、吟遊詩人だったとも、
遊行の占い師だったともいわれているのです。

人々を惹きつけてやまない放浪の詩人。
そんなかれの姿が浮かんできます。


どこか哀愁のただようような

悲しい凡夫の性を知っていて

そこを歌にこめつつ

お釈迦さんにたいする尊敬と思慕が

あふれている感じがしますね。

さらに、師匠のことを思う切々とした気持ちも
伝わります。

かれは、修行を積んで、阿羅漢になりました。


優しいかれの歌は、

経典になりました。


ブッダも、喜んで聞いた

ヴァンギーサの詩。


経典は、様々な人々によって

言い伝えられているのだと

知るのです。

誰が残しても
真理は、真理だね。

Dsc01290s

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