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2014年10月26日 - 2014年11月1日

2014/10/28

人の心の底にはいにしえの記憶がある?

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地上は、まだ雪ではありませんが、
中央に見える遠くの山は、雪ですね。

寒いっすよ。

暖かい日や寒い日が交互に来て、
いったいどっちにしたいのだ、と
天気に文句を言いたいような。


       ◇◇◇


さて、さて、突然ですが、

人間の記憶 ということを考えています。
それも、遠い記憶です。

きっかけは、学生さんの宿題を読んでいて、
フッと思いました。

学生諸君に、宿題を出してみたら、
なんとぉ!やってきましたのだ。

えらい!

宿題は、
「神さまを一人連れてきなさい」
というものでした。

そうしましたら、
インドラ神を、連れてきた人がいました。

インドラ神について、いろいろ調べてくれて、
その中に、この神さまの起源は、
古く紀元前14世紀にさかのぼり、
ヒッタイトの国の条文の中に、すでにこの神の名前が出てくる、
と書いてくれました。

アーリア人がヴェーダの中に
インドラ神の讃歌をたくさん残しました。
こうして、
インドで活躍したインドラ神は、仏教の世界でも同じように活躍したのです。
やがて、仏教の護法神となって、西域から中国に伝わり、
朝鮮を経て、日本にまでやってきます。

そして、現代もまた、帝釈天という呼び名で、日本の人々にも、
知られるところとなっています。
寅さんの映画の冒頭では、「帝釈天の産湯を使い…」と決まり文句が入るので、
帝釈天の名前は、知られているでしょう。

若い学生さんでも、帝釈天は聞いたことがあるでしょう、きっとね。
そんな学生さんが調べてくれたインドラ神は、
何とすでに3500年以上も昔からいた神さまで、
身近にいる帝釈天と同じとは、何だか不思議な感じですね。


それにしても、さすが神さま、長命ですね。

ここから、ぼんやり、なぜか
人々の記憶の底にあるものは、きっとなくなることはないのだろう
という考えが浮かんできました。


      ◇◇◇


新しく聞いたように思うものも、
新しい発見であるように思うものも
たぶん、
それは錯覚であるのかもしれません。


生き物の遠い記憶の底に眠っているもの、
たとえば、多くのブッダが歩んだ道、
これも人類の記憶の底の底の底の
どこかに眠っているのだろうか。

ブッダ自身もまた、
多くのブッダが辿った道を辿っていったことを、
次のように述べています。

『サンユッタ・ニカーヤ』(12.65)「城邑」
==================
「比丘たちよ、たとえば、人あって森林を徘徊しながら、
古人の辿っていった古道、古径を発見するとしよう。
彼はその道に随って行きながら、
かつて古人の住んでいた古城、園林を備え、
うるわしい堤のある蓮池を備えた古都を発見するだろう。
そして、
国王に、古都・古城を発見したから、この古い城を築くようにと
報告するだろう。

それと同じように、わたしもまた、
過去の正覺者が辿りたもうた古道・古径を発見したのである、と。」
===================
(雲井昭善氏『インド仏教』平河出版社、p.159)


到達するまでは、自分一人の道で、一人で知った道である。
犀のように一人歩む道でもある。
師をもたず、みずから悟った道なのである。

それなのに、

到達してみると、
それは、古からの道である。
多くのブッダが、みな、歩んできた道である。

どう考えても、不思議な感覚だ。

一人でたどりついたのに、
過去のブッダがみんな歩んだ古道だったのだから。


       ◇◇◇


インドラ神が、おそらくは3500年以上も親しまれてきたように、

いや、もっともっと長く

人間には、


ずっと親しまれてきた真理の教えがある、


って、ことかなぁ。

いい考えみたいな気がするね。

今あるものは、かつてもあったし、これからもあるだろう。

これって、真理かな?どう思う?
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去年も、真っ赤だったな。


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