« 2014年1月12日 - 2014年1月18日 | トップページ | 2014年1月26日 - 2014年2月1日 »

2014年1月19日 - 2014年1月25日

2014/01/23

論理には、論理的に対応したいわ、と言いつつも

火曜と木曜は、岩見沢でした。
アーケードのようになった駅前通路から垂れ下がる雪です。
140121_143402

数年前の大雪ほどではないけど、やっぱり多いわ。
ちょっと脇道に入ると、一台車が通れるかどうか、というところですが、
でも、慣れたもので、譲り合いながら運転しています。

一方、

月曜日には苫小牧に行ったけど、あちらは、ほとんど雪がありません。
自転車に乗っている人もいました。

同じ北海道でも、ほんとに全然違いますね。
140123_120609

140123_120634

とは言え、やっぱり寒い日が続きます。

-10℃近いと、ウールのコートは寒い。

寒いなあ、って、思いながら、デパートの中を通り抜けていたら、
何と70%オフで、ダウンのコートが並んでいたので、
思わず、手に取って、そのまま買ってしまいました。

うーん、ふところは寒くなったけど、たしかに身体は暖かい。

あまりに寒くて衝動買い。

どっちをとるかだわね。
ふところの寒さか、身の寒さか。。。

今年は真冬の労働が多いから、仕方ないかも。


      ◇◇◇


な~んて、よもやま話はおいておきます。


何だか、ごちゃごちゃ命題論理でもめてますが、

いろいろ出てくると、初心に返った方がいいかも、って思います。


そもそも、人工言語として生まれてきた記号論理学。

命題論理も、日常言語の論理とは、一線を画していたはずなのに、

初心者向けの論理学の本は、どうしても、日常言語の例題を

もたざるを得なくなって、


よく見ると、いろいろなところで不都合を生じているのではないか、

と、思われるのです、前々から密かにね。

でも、あまり、その点は、問題にされてこなかったように思うのです。

人工言語の記号だ、ということが強く意識されていたときは
まだ、そんなに困ったことは起きなかったのですが

次第に

日常言語が自然に領域内に入ってきているように思うのです。

そんな西洋論理のルーズなところが目について仕方なかったので、

日常言語の論理をあるがままと認めるブッダの「ものの見方」は、

ほんとうに、

新鮮な意味をもって、せまってきたのです。

そのような事情で生まれてきたブッダ論理なのですが、

どうも、ややこしい混乱が生じているように、思われます。

実際、「論理」というのは、見方一つで、どうにでもなる、

という側面があることを、知っておかねばなりません。


人の見方次第で、世の中のできごとや思惟の産物は、

どのようにでも考えることができるのです。

こうして生まれてきて、学校で教えられているのが

現代では、

たとえば、
「集合」 というものだったりするのです。

「集合」を用いると、このパターンでしか、ものを捉えられなくなります。

集合や概念間の包摂関係ということが、主流になってしまって、

それにしばられて、図式化されていくのです。


インド論理における、西洋論理からの解釈も、みなそのようだったのです。

インドの論理やブッダの論理は、因果関係を基本とする論理学ですが、
そこに、むりやり集合論だの概念思考の論理を入れようとして、
ずいぶん解釈をゆがめてしまったりしたこともありました。

考え方そのものが違うのに、勝手に読み替えて、記号や図式を入れると、
もう、ブッダの教えではなくなってしまうことが多いのです。

入れるなら、ブッダに合わせなくてはなりません。
そして、
ブッダの説くとおりに記述できねばなりません。

ブッダが説いている通りに考える「ものの見方」(論理)
仏教が考えていく通りに記述する「ことばの用法」(論理)


これを大事にしてきたのが、ブッダ論理です。

同じできごとを見ても、

受け止め方が違うと、まったく違うように見えるのです。


乳から、バターやチーズが作られる

というのを見て、


================
乳は、バターやチーズの原因である
================
という風に考える考え方もあります。

また、

===================
バター・チーズという概念は、乳製品という概念の中に含まれる
===================
という風に説く場合もあります。
(ちょっと直しました。「乳」という概念に含まれるとしていたのですが、
こっちの方が、いいかな、って思うので)


誰もがおいしくバターやチーズを食べても、

みな、バターやチーズと乳との関係については、さまざまなことが言えるのです。


見方がちょっと変わっただけで、
全然違う論理が、生じてくる。


これを、一つだけではなくて、一切のものにおよぼすと、
そこに「論理体系」が成り立ってくるのです。


だから、
論理ほど、融通がきいて、どうにでもなるものもない、
とも言えるでしょう。

ブッダの場合は、「一切」ということをおさえましたが、
西洋論理の場合は、完全に「一切」ということをおさえているわけではないので、
解釈にいろいろな幅が出てきて、
人によりいろいろなことが言われるのだと思います。


それを争っても仕方がないことなのですが、

どういうわけか、争いたがる人たちがいます。


まあ、いいか。。。

と、どうしても、すぐこうなっちゃうなあ。。


ブッダさえしっかりしていてくれれば、大丈夫ぃ !

わたしたちには、ブッダと龍樹がいるんだもん !

かれらは、一切智者といわれているのです。

一切智者の、智慧の論理を勉強しよう。

140123_121952

あんまり論理的でもないけど、
こんな感じで、てきとーに書いてみました。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

« 2014年1月12日 - 2014年1月18日 | トップページ | 2014年1月26日 - 2014年2月1日 »