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2014年6月29日 - 2014年7月5日

2014/06/30

一分で読むブッダの教え なのだけれど

先日、スマナサーラ長老『一分で読むブッダの教え』(サンガ)を
いただいたので、
車中で読める!って、思って、
持ち歩いて読んでいます。
Photo


まあ、長老さまだし、ね!

だから、長老さまなんだし、
まあ、はずさないだろな、

って、思いながら

読み始めたのですが、

なんとなく、不思議感が強くて、けっこうおもしろいです。

1ページのものと、わずか半ページのものと、
二種類あります。

長いもので、原稿用紙一枚程度(400字)
短いもので、原稿用紙半分程度(200字ちょっと)

ギリギリですよね、意味が通じるものとしては。

323個の文章が、収められています。

では、わたしも、短く感想を述べてみます。


真理を書く人は、みなどこかよく似ている


一行の感想でした。短いね。
おもしろいでしょ。

長老さまだから、
意外感!のあることを述べるのかしら、

って、思ったら、

何と、意外にも!、そうではありません。


多くの賢者が述べていることと
一つ一つは変わりません。


おお!おもしろいなあ、って、
変なところに感心してしまいました。


でも、323も、真理が集まると、
やはり
それなりですね。

個々には、誰でも言っているかもしれない。
ああ、アランの『幸福論』のようだなあ、とか
大乗のお坊さんの法話とおんなじだあ、とか、
思うわけです。

だけど、323集まると、オリジナルになる!

「一分で読む」
なんて言葉にだまされてはいけないのです。

323個読むんだからね。
323分かかるわけ。

5時間半はかかるのです。


おお!
こんな薄い文庫が、なんと5時間半ですぞ!

この事実の方が、驚きだって?
そうでしょう、そうでしょう。


で、


323個の文章が、
互いにどれも矛盾してない

って、ところに気づくと、
やっぱ、
ブッダの教えなんだなあ、って

しみじみ思ってくるのです。

Dsc00719s


     ◇◇◇


こういうことだと思う。

短く書くと、真理と自分が思うことしか書けない。
そうなると、
誰でも、同じようになる。

しかし、

それでは、わずかしか書けない。
真理なんて、そうそう見つからないので
すぐ尽きてしまう。
だから、

ヴァリエーションをもたせて、
真理を個別に適応させて書く

そうすると

細かくなりすぎて、些末になり、
しかも
意外感はなく、印象としては、どれもおんなじだ
という感じになる。

そうならないためには、
真理以外のことも混ぜる 
こともあるかも。。。あ、まずっ!

こうなると、矛盾がでてきて、
本全体がうそくさくなってしまう。


「すぐ読める」みたいな本は、
こんな風になってしまうことも、
ないわけではありません。


軽く読まれて、軽く捨てられていく本も多いのです。

うーーーん、むずかしいーーー!


こういう風に、真理を扱って、しかも、短く説くのは、
チョーむずかしい。

Dsc00721s


        ◇◇◇


短く書く、というのは、書く側からすると、
このように
本当にむずかしいと思います。

真理だから、わずかしかないのです。
おそらく、一つでしょう。

だけど、多様に描き分けねばならないのです。

そして、

そのどれも、
どこか新鮮な響きをもたねばならないのです。

だって、
真理なんですから。

そうなると、真理を書く人は、まさに、
自分のことを書くことになってしまう。


自分の生きている、その「今」を、
書くことになってしまいます。


そこにだけ、真理があるからです。

引用しましょう。『一分で読むブッダの教え』から。
===========
057 瞬間で見れば、悩み苦しみは存在しない

皆さんに、この今の一分で、今の六十秒で、
やり遂げられないこと、大変な悩みになることが何かあるでしょうか?
「今」、何か解決できない問題がありますか?

 …(略)…

今の一分で解決できない問題は、一つもないのです。
今の一分で、成功できないことは、一つも存在しないのです。
それなら、次の一分はどうでしょうか。同じことでしょう。
(『一分で読むブッダの教え』四九頁)
===========

今の、この一分に問題がないなら、
次の一分にも問題はない
と語るスマ長老さま。

ああ、以前に読んだ
アランの『幸福論』の言葉を思い出しますね。

===========
この一分の後には必ずつぎの一分がやってくる。
したがって、君が現に生きているのだから、
今生きているように生きて行くことは可能なのだ。
(『幸福論』岩波文庫、一七九‐一八〇頁)
===========

こうして、真理を語る者は、
同じようになっていく。

つまり、スマ長老もアランも、同じように、
「今」を瞬間瞬間クリアして、
生きていく姿を、人々に伝えるのです。

毎分新しく生きている自分を描いて
真理の本ができあがる

ということなんだなあ。

スマ長老は、一分一分の法話を欠かさない。
アランは、毎日毎日、自分で「プロポ」と呼ぶ
哲学の断章を書いたのである。


323分、真理を保ち続けることができる人は、
次の一分も、おそらく真理であるにちがいない、と、

信じて、

本を読むのです。


一分の中で、
真理を読んで、
それを検証し、
それを確信する人は、忙しいのです。

一分の中に三つのことを含めるから。
読む・検証する・確信する

323個の真理について、
この三つを、ずっと続けられると

やがて、自分も、

「一分で読む」

ということの意味を、

しっかり身につけることができるだろう。


ながいね、一分、ぷん!
Dsc00724s
三つのバラです。


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