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2014年6月15日 - 2014年6月21日

2014/06/20

岡潔『春雨の曲』をさみだれ的に

梅雨のない北海道、というのが
もはや成り立たない今日のこの頃。

毎日、何だかじとじと雨もようです。
Dsc00711s


        ◇◇◇

出かけると、必ず傘を忘れてくるのが、
わたしの習い性だったけど、
さすがに、帰りも降り続いていると、忘れないもんですね。

今まで、何本傘をなくしたか、数えきれません。

今の傘は、一年以上保持し続けています。
えらいぞ。

もっとも、使ったのは、ここ一週間くらいですが。
でも、一週間でも、使い続けられているのが、快挙です。
いつまで、この傘、もってられるかなあ。


        ◇◇◇


最近、慢性的に疲れているせいか、
ほんとにパワーが出なくなってきました。

って、昔は、疲れてても、
日記に、「疲れてる」って書くことなかったのに

今は、他に書くことが思いつかないので、
こんなことでも書くしかないかなあ、って感じです。

あ、思いついた!
遠佐さまから送られた


岡潔 『春雨の曲』(第七稿)と(第八稿)


ちょっと忙しくて中断していましたが、おりにふれて
ちらちら読んでいます。

「多変数解析関数論」というのも、
ちょっと短いノートのようなものを見てみてみるのですが、
何だか、さっぱりわかりません。

わかりませんけど、でも、『春雨の曲』と
雰囲気が、とてもよく似ています。
同じことが書いてあるような気がしてきます。

なので、このまま、
なんとなく眺めていよう、という気がしています。


さて、岡潔氏、かれの思想は、いかなるものなのか?


ピッタリ同じではないけど、
読んでいると、思い浮かんでくるのは、やはり!
ウパニシャッドの思想(家)です。


『春雨の曲』(第七稿) 二七頁
===============
 ここで唯識を紹介して置こう。

 前に云ったように佛教哲学である唯識はこころを
層に分かって説明している。

 心の最奥底(基盤)を第九識と数える。
 第九識は一面ただ一つ、他面個々別々である。

 第九識を其の個々別々と云う方面から見た時、
これを個(叉は衆生)と云う。この数は無数である。
個は一切生物の中核である。

 佛教の一宗に、前に云ったように「光明主義」と云うのがある。
此の宗派では唯一つと云う方面から見た第九識を如来と云う。

 各個の関係は、不一、不二である。個と如来の関係も不一、不二である。
=================

こういう説明を読むと、第九識を 「アートマン」とか
「ブラフマン」とか置けば、アドヴァイタ的な一元論に
なってしまうように、みえます。

ただ、この九識からさらに、十五識くらいまでは数えるので、
単純にアドヴァイタ的である、とも言えませんが、
考え方の構造が、
ウパニシャッドとすごく似ているところがあるように思うのです。

個我と最高我は、不一不二と見る見方も似ているでしょう。
他にも、随所に、ウパニシャッド的なものを感じて仕方ありません。

でも、
最終的に、岡潔が、「造化」と呼んでいる神に、
どのような解釈をなすのか、
そこにかかってもいるように思います。


何か、
期待のようなものもわいてきます。

構造的に、変化しうるようにも、
つまり、ウパニシャッド的なものを超えるようにも、

岡潔なら、そう理解するかもしれない、とも思うからです。


「変化を説く」


このことを、どこまで、「造化」の枠の中で書いているのか
あるいは
このことを、「造化」をも超えてしまうところがあるのか

見ていきたいと思っています。
どうでしょうね?

Dsc00713s


        ◇◇◇

一気に読まずに、
こんなにさみだれ的に読んでいるのも、珍しいのですが、

でも、

ものすごくおもしろい本だと思います。

誰も、こんなことを考える人はいないだろう、というところで、

純粋に希有な本でありますし、

でも、

誰もが、どこか、こういうことを考えてみたことはあるだろう、
というところで、

純粋にありふれた本でもあります。

そして、こういう風に 「純粋に」 といいたくなるところに、
数学を、感じてしまう。。。

Dsc00714s


       ◇◇◇


おもしろいと思ったところを、もう一つ書いておきましょ。

『春雨の曲』(第七稿) 120頁。
======================

「人には固定された自分と云うものは無いのである」
この原理さえ充分わかれば、
また日本民族が何よりも好きならば、
男ならば誰でもτ₁⁰の分身だから
わたしと同じ経験をすることが出来る筈である。

====================

「 τ₁⁰ 」 というのは、 男神 T(月読の命) の 分身(?)

天地開闢のはじめに生まれた男女一対の男の人を指す。
「 ₁ 」とあるのは、始めの意味で、「 ⁰ 」とあるのは、分身。

数学的ですね、こういうところ。
質的に同じ、という感じがしてきます。

で、

おもしろいのは、「 固定的な自分が無い 」というところです。

どっちに行くのか、興味深いです。

「どっち」というのは、

「 固定的な 」というのが、無い  という風に行くのか
「 自分 」  というのが、無い   という風に行くのか

という、「どっち」です。

この分かれ方で、ずいぶんちがってきます。

「固定的な」というのが、無いなら、
すべてが一つの原理から生じてくる、という感じ。

「自分」というのが、無いなら、
すべてが固定されない、という感じ。

ここかな、
ポイントみたいな気がしますね。

願わくば、「自分」が無い方で、行きたい、行ってくれぇ。

こうすると、多変数解析関数論、っていうのも、
どこか、分かりそうな感じがしてきます。

ブッダにも行けるかもしれないし、ね

ウパニシャッドに行くのか、ブッダに行くのか、みたいな。

じっくり読むべし、ね!

Dsc00715s


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