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2014年3月30日 - 2014年4月5日

2014/04/04

『大智度論』考。。つらつら気分

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春らしい風景を選んでみました。

どこが春なんですか?

きのこが不気味だけど、でも、雪が融けた証拠みたいなもんですよね。

久しぶりに、自分にも休暇を与えよう。
論文も一応書けたし、

と思って、街に出てみたら、なんとぉぉぉ、消費税が8%になってました。

そうだった、そうだった。。出遅れました。


うーー!
8%って、けっこう効きますね。

100円ショップで、お買い物しても、108円だっ!
自分のもの買わないで、
母にコートを買ったら、消費税でギョッとなりました。

これで、10%の消費税になったら、
自分のものも、母のものも、何も買えないなあ。。

まあ、いいか。。買い物する手間が省けて。。

と、前向きすぎること、考えながら、

龍樹に逃避 です。


        ◇◇◇


『大智度論』は、龍樹の作のように考えられないのは、
なぜだろうか?

と、考察してみています。


そもそも、龍樹って、何を書いてるのか、わからないから、
何を書いても、龍樹に見えない、
っていう、もっともな意見もあると思います。


でも、近現代の学者たちが、密かに思っていることは、
龍樹って、冷たい冷血動物のような人間じゃないか、
って、いうことではないか、
って、けっこう勘ぐってしまいます。

まあ、考えすぎなんですが。。。。

『中論頌』を、うまくとらえられないと、
『方便心論』でつまずくと
すごく冷たいヤツで、論理を振りかざして、
相手を糾弾するような人間に
見えてしまうかもしれません。

論法というのは、相手を非難するためにある、
と、考えてしまうと、
そうなっていくかもしれません。

しかし、ほんとうは、そうではないことが、

どんなに隠そうとしても(?)

見えてきます。


龍樹は、よこしまな考えで人を混乱させるような考え方から、
みんなを救おうとしたのだ、
と、実感されます。

多くの人が、これでいいのか、悪いのか、
迷うようなことがたくさんあるのです。

そのときに、理屈を通すということは、どういうことか、
はっきりと示した人

それが、龍樹であるように思います。

すべてが明るみに出るので、
引っかかりのある人には、嫌な存在となるのでしょう。


鳩摩羅什が、『大智度論』を書く、というのは
どういうことなのだろうか。
龍樹が、『大智度論』を書いたのではない、というのは
どういうことなのだろうか。


わたしの目には、ものすごくはっきりしていて、
これほどわかりやすいことはありません。

龍樹は、多くの書を著し、外教徒を教化したのです。

『中論頌』『方便心論』『廻諍論』『ヴァイダルヤ論』などなど。

そして、あらゆる人に対して、
それこそ、
ほんとうの意味で、あらゆる人に対して、

ブッダの教えを、

手に取るように、
わかるようなやり方で

明らかにしようとした。。と思います。


        ◇◇◇


   ★ルージュの伝言、ってか、龍樹の独り言★

みんなを救うため、いったい
どうやって書いたらよいだろうか。。

そうだ、これだ、『般若経』、このむずかしい教えに、
「ウパデーシャ(解説)」をつけよう。

『般若経典』は、誰が読んでもわからない。。
書いた人もわからないかも。。おいおい。。

だから、これを註釈するようにして、
そうして、何から何まで、問われたことに答えよう。

一から始めて涅槃に至るまで。。。そうしよう、そうしよう、いい考えだっ!


っと、龍樹は思ったのね  (わたしの中では)

経典は、
「わたしはこのように聞きました、ある時…」と始まる、

全部説明しよう。

「このように」も
「わたしは」も
「聞きました」も。

何もかも、ブッダの理屈で説明します。
お任せください、無料です。。あ、無量です。.
ごめんごめん、地が出たわ。


「ある時( エーカスミン サマイェー)」

「ある(エーカ)」とは「一つ」ということ。

そこで、「一(エーカ)」が解説されます。
論理に強い論法家は、「一」にこだわるから、

論理でいきますよ、
あなたの論法、使います、生かします。

そして、ブッダの教えに導きます。

どんなことも、説明されないことはありません。

「時」だって、説明しちゃうかんね。

「サマヤ(時)」と来て「カーラ(時)」じゃないのは、なぜですか?

ニャンニャン、教えちゃうよ。

カーラは、「時」を宇宙の根源に置く派も、使うので、
先入見をもちやすいんだよ、ニャンコロリン。。

って、こんな感じで、どんどん説明しちゃうもん。


    ★ 龍樹の 伝言 終わります ★


こんな展開に、見えます、読めます。


『大智度論』の説明の、流れといいますか、感覚といいますか、

けっこう、わたしと気が合ってて、

わたしも、こんな風かな、と思っていると、

それが説明されてる感じがあります。。あ、龍ちゃんとおんなじ、みたいな。

。。親しすぎるぞ。ごめん。


         ◇◇◇


『大智度論』には、鳩摩羅什の訳の影響も感じますが、
それを引いても、
『大智度論』そのものに、勢いがあるし、流れもあります。

論の展開が、ああ、そうなるよなあ、っていう自然な思考に
導かれていく感がありますね。

だから、やっぱり、龍樹が書いた

っていうので、いいんじゃないかと、思うんだよね。


ぜんぜん、論理的じゃない説明してんな、管理人ってば。  by 龍樹

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伸びてけ、『大智度論』!

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2014/04/02

『百論』と『大智度論』の関係 でけた!論文!わい!

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とうとう四月になってしまって、
どうしましょう、という感じです。

あ、


っと、思ったら、もう四月。
でも、気分は、ようやくお正月を終えたような気分でいます。

なぜなら、お供えもちの片割れが、戸棚にずっと残っていて
早く食べようと思いながら、
気づくと、四月。。。

ようやく、お汁粉に入れて食べました。

カビも生えずに、えらい。
でも、ゴムのようなおもちだったっす。

ゴムにはカビは生えないですよね。

       ◇◇◇


とうとう、『大智度論』の二つ目の論文を仕上げました。
「『百論』と『大智度論』との関係」という題名です。

http://homepage1.nifty.com/manikana/prajna/prajna2.pdf

三月末日をめざしていましたが、四月にずれ込んでしまいました。

加藤純章先生が、提示していた

『百論』と『大智度論』の関係を

洗い直してみましたよ。


うーん、いろいろ、調べると分かることもありますね。


『百論』には、だいぶ、鳩摩羅什の手が入っていることが、
僧肇の序などから分かってきました。
経録なども、丁寧に読んでみなくちゃ、あかんですね。


それにしても、『大智度論』が、龍樹ではない、とする説が、
ずいぶんと多いようですが、

多いようなわりには、
きちんと、研究して、はっきり述べている人は、
少なく

いわば定説化したような雰囲気の中で、

なんとなく、龍樹じゃないらしい、って感じで

ちまたに出回ってしまっているようだと、にらんでいます。


『大智度論』は、さらっと、
読みやすくできているようなところがありますが、

一つ一つ味わって、考えながら、読むべきだっ!!!

と、今回、しみじみ思いました。

提婆の、『四百論』『百論』『廣百論』を、
拾い読みしたり、斜め読みしたり、
サンスクリットを読んだり、チベット訳をにらんだり、
漢訳に頭から突っ込んだりして

思ったこと。


提婆を、しっかり読みたいなら、やはり、
サーンキヤ、ヴァイシェーシカ、ニヤーヤなども
ちゃんと当たっておかないといけないなあ。。


★鳩摩羅什が、提婆や龍樹をどの程度つかんでいたのか、
少し、疑いながらも、
興味深く思っているところです。

鳩摩羅什については、わたしは、そんなに評価が高くないのだけど、
でも、
中国の文化との間で、仏教の真髄を伝えようと、
彼なりにがんばったと思って、ちょっと気の毒な気もしてくるのです。


★提婆は、やはり優れた人のような気がします。
もう少し、せまってみたいけど、
資料などが少ないのが、残念です。

とりとめなく、思ったことを書いてみました。


三論宗という、宗派の気分が、ちょっと分かったような気がします。


しかし


『方便心論』が、眼に見えない形で、
中観派の文献や龍樹著作の中に
いかにしみていっているかを、

あらためて思っています。


龍樹の時代は、インドの中で

あらゆる思想や文化が、行き交って
交流していた時代なんですね。

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そうだ!うちの庭の隅っこに、
とうとう出てきました。ふきのとう。

ようやく春です。
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