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2013年12月8日 - 2013年12月14日

2013/12/12

『大智度論』には、智慧を使うべし

Dsc00378s
大学のキャンパスの中で撮りました。

この時期になると、イルミネーションが輝いて、美しい。
講義が終わって、外が真っ暗になっているとき、
なかなか見栄えがします。


        ◇◇◇


どんなことでも、疑い出せばキリがない、という気がします。

何の話かというと、『大智度論』の作者問題のことです。


いったん、「龍樹ではないだろう」 と思い始めると、
何でもかんでも、そう見えてくるんでしょうね。

今、一つ、龍樹作の証明をしようと、
ある課題に取り組んでいるのですが、

決定的な証拠、というのが、
なかなか出しにくい、ということがわかってきました。

ぜったい、問答無用に、こうしか言えない!

とするような何かを言うことは、龍樹の場合、
非常に難しいです。

いろいろな解釈が可能なように、
そもそも作られているからです。

それも、道理で、
つまり自性をもたない龍樹の著作は
自性をもたないがゆえに
龍樹作であることも
決定的には言えないようになっているのです。

だから、龍樹なんだけどね(笑)

って、笑ってる場合じゃないわね。


       ◇◇◇


まあ、決定的に
「龍樹作だあ」とは証明しにくいかもしれませんが、

でも、はっきり言えることもあります。


理屈で考えると、
「より優れているのはどちらか」という観点が、使えるのです。

龍樹作でないとすると、こういう欠陥が出てくる
龍樹作だとすると、論理的に明晰になる

と、このように言うことはできるのです。

このような観点は、ブッダの用いる観点ですね。
ブッダは、どれも否定はしなかったのです。

他の、外教徒説を、どれも否定はしませんでした。

ただ、『梵網経』の中で

わたしは、もっと善いことを知っている

と、述べたのです。


これだな。。。


『大智度論』においても同じことが言えると思います。

もっとよい解釈をするなら、

こちらです

っと、
こういうことはできそうです。


     ◇◇◇


『大智度論』の全体が、
何をねらった論書なのか、

ということも、明らかに述べている人はいません。
『般若経』の注釈だと言いながら、
その内容は、原始仏典などから自在に引いています。

部派や外教徒の説なども、
どんどん紹介されていて、批判や解釈もなされます。

何を、どういう風にしたかったのでしょうね。
誰に向けた注釈なのでしょうね。

そんなことを考えて、

ある答が 浮かんできているところです。

もう少し、よく検討してみなくちゃね。


できるだけ、がんばって、
何か一つくらいは成果を発表できるように
していきたいです。


     ◇◇◇


たしかに「龍樹作かどうか」という問題も、
重要課題としてあるにはあるのですが、

それより、何より、
まずは、
きちんと!訳して、充分な解釈がつけられるかどうか、

って、ことが大事だと、

まるっきり、オーソドックスな考え方に到達しました。


要は、   ちゃんと 読めてるか


って、ことだけですよね。


学問の王道 だにゃー
急がば、まわれ、

なんちゃおう。
Dsc00376s
同じ写真だ、って?
失礼ね、縦と横が違うでしょっ。


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