« 2013年9月15日 - 2013年9月21日 | トップページ | 2013年10月6日 - 2013年10月12日 »

2013年9月29日 - 2013年10月5日

2013/09/30

『サンガジャパン』Vol.15「戒律」とあれこれ

617fwewc8sl__sl500_aa300_
『サンガジャパン』の新しい号がでましたので、
ここにご紹介します。

といっても、あまり読んでいないので、表紙だけです。

田口ランディ氏と佐藤剛裕氏の対談
「チベット密教修行と慈悲の行方」を
おもしろく読みかけているところです。

対談が生き生きしてますね。
知らないことがいっぱいあるので、
興味深く読んでいるところです。


特集の「戒律」は、五戒のお話しが多いですね。

わたしも、「五戒」について簡単にまとめています。
今回は、なんとなく、引き気味です。

どうも、「戒律」となると、
居心地が悪い感じがしてくるのは、
そもそも、戒律的でない人生を送っているからでしょうか。

戒律的に、一番興味のあるのは、

「嘘をつかない」という戒律です。

どう語ると、「嘘をつかないことになるのか」というのが

わたしの、人生のテーマのような気がします。

って、こんなにこだわったら、そもそも戒律にならん、
って気もしてきますね。

ネコに小判
わたしに戒律

そういえば、
うちのネコは、「アンタが、戒律」っていうくらい

戒律にきびしいのです。

えさの時間は、絶対厳守。。って、いうより、どんどん早まる。
えさを忘れるな!時間だ、時間だ!って、ニャーニャー

うるさいぞ。戒律にゃんこ


          ◇◇◇


土曜と日曜は、札幌でスマ長老さまの冥想会があって、
そちらに出席していました。

一年ぶりで、長老さまにお会いしたら、
痩せられて、健康になっておられました。

「おやせになりましたね」
「塩をやめたんですよ。あたらしいしゅーきょーをはじめました。
塩断教(えんだんきょう)というのです」


わはは、いいかも。


塩断教の他に、もう一つ新しい言葉がありました。。

「冥想」というのは、あたってないので、
「脳開発プログラム」と呼びます。

なるほど、だんだん、しっくりしてきました。
そうだ、これなら、「今っぽい」

たしかに、

仏教的冥想というより、脳開発プログラムかもしれない。。

自然に変容していく仏教のすがた

その中にある、ブッダの教えは変わらない。。

すごく、不思議な感じがします。

2500年前の、インドの沙門たちが、この世に現れて
「脳開発プログラム」の教えを受けたら、
なんて言うのでしょうか?

2500年前の「脳開発プログラム」(=冥想)って
どんなでしょう?

たぶん、かれらは「脳」にはそんなに気づいてないかもしれないですよね。

すごく違っているんでしょうね。
130921_151353


      ◇◇◇

ちょっと書いてもいいかな。
秘密かな。

会の中で質問が出て、仏教は、偶然論か必然論かというお話しがありました。

長老さまの答え:

偶然ではない (因果を説くから)

しかし

必然ではない (○○だから)

むずかしいけれども、「中道」という立場というのです。

○○は、ちょっとわたしも聞き逃したので。
後から考えると、長老さまは
条件法だから、という気持ちだったのかもしれないと思いました。

このようなご説明の後、
部屋に戻って、「必然ではない」というところ、
どのように思うか、お聞きになりました。

「<これ>がないとき <かれ>がない」のように
「<これ>がないとき」というのだから、条件があって成り立つので、

運命論や決定論には行かない

という風にお考えでした。

わたしも、同じように思ったのですが、

「行(意志)」ということを思いました。

意志が働くとき、運命論や決定論にはいかないように見えます。
しかし、その「行」もまた、「縁起」の理法の内にあります。

「何であれ、生ずる性質のものは滅する性質である」

というけれども、それは、法の眼としての大枠で、
「行」がいつ滅するかは、決まらない

というように、思って、そのように言いましたら

「生ずるものは、瞬時に滅する」と長老さまはおっしゃったので、

「ああ、そうだった、それが、上座部の教えだった」と
心の中で思いました。

では、「行の相続」が、いつ滅するのかわからない、

というのでもいいんだ、と思ったので、

そのまま、それで納得しました。

長老さまが、引っかかったのは、
「縁」(『サンユッタ・ニカーヤ』12.20)という経典の

「あるがままであること)」、
「あるがままを離れないこと」、
「異ならざること」、
「これに縁ること」

と、縁起の関係を規定している「ここ」だったと思います。

これは、この世の見方なのですが、
それは、ずっとそのようなあり方として見えるのであって、

固定的な「事態」として(定まって)あるのではなく

関係のあり方として(定まって)ある

と見ることだと、思ったので、
そのようなことを言おうとして、わたしももがきました。

たぶん、条件法という言い方でいいのだと思います。

だから、運命論でもなく決定論でもない

言えるのは、「今」についてだけ
未来のことは、「未来形でかたる」

これが、ブッダの法で、良いのだろうと思います。

こんな雑談をしていました。
130926_124133
こんな話をして、うちに帰ってきて、
今、思うんですけど、

「般若心経は間違いでない?」の記事で使ったのが、
「縁」という経典だったんですよね。

なんか、もしかして。。。
どこかで、
無意識世界の中で、わたしと長老さまは、

『般若心経』の話も、してたんでしょうか?

ぜんぜん、そのときは、意識にものぼらなかったんですけど。
130921_151638

なんか、長老さまって、おもしろいですね。

| | コメント (43) | トラックバック (0)

« 2013年9月15日 - 2013年9月21日 | トップページ | 2013年10月6日 - 2013年10月12日 »