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2013年9月1日 - 2013年9月7日

2013/09/03

『廻諍論』と「犀経」と、そして、善き友

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庭のカボチャを収穫しました。

どこから見てもカボチャです。
よくこんな大きなものができたなあ、と。。
肥料も何もやらずに、ほったらかしで。

割ってみます。どきどき。
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おお、カボチャですね。

煮て食べてみたら、ふつうにカボチャでした。
ほくほくして、まあ、けっこうおいしい。。。

売ってるカボチャのようで、ほんとに不思議です。


庭の異常さも、少し、これで緩和された感があります。


           ◇◇◇


さて、ほんとに、

zapoさまには、心から深い感謝をささげます。
道場での議論、ほんとにどうもありがとうございます。

たいへんだったと思いますが。。
こちらも、ほんとに、たいへんでしたが、
わたしは、どこかに着地したような感じがあります。

いろいろ教えていただいてありがとうございました。


          ◇◇◇


『スッタニパータ』の第一章 蛇の章 の中の第三番目
「犀」という経典があります。

これは、「犀の角」という題で、一般には知られるものです。
『ブッダのことば』(岩波文庫)にも、そのように訳されています。

カッガ・ヴィシャーナ ということばが、原語です。

カッガ: 刀
ヴィシャーナ: 角

ということなのですが、「刀の(ような)角をもつもの」ということで、
これ全体で、「犀」を意味するのだ
と、スマナサーラ長老さまが語っています。

http://www.geocities.jp/dhammini131/howa375.html

長年、伝統的に「犀の角」と訳されてきて、
かなりなじんでしまったことばですが、
おっしゃるように、
「犀の角」というより、
「犀」と訳した方が、ブッダの説くところはよくわかります。

なので、「犀のように」と訳していきましょう。

さて、この「犀」という経典は、
「犀のように、ただ、一人行じなさい」という定型句が
最後におかれるもので、非常によく読まれている経典です。

その経典をずっと読みながら、

「ただ一人行じなさい」

という意味を噛みしめておりました。


この経典は、全部で40の偈からなっています。
単純に読むと、「一人で行じなさい」「一人で行きなさい」
と言っているのです

たとえば、最初の偈です
===
35. あらゆる生き物に対して刀杖を下に置き(=暴力をふるうことなく)、
それらのいずれをも害することなく、子を欲しないようにしなさい。
まして、どうして仲間がいるだろうか。
犀のように、ただ一人行じなさい。
===

「不殺生」の戒めが、ここで説かれ、
子を求めたり、仲間を求めていくことがないように、
と説かれます。

一人行じなさい、ということばに、
厳しさを感じでしまうのです

が、

実は、一つだけ、定型句のない偈があります。
第45偈です。

===
45.もし、智慧ある者で、共に行を行い、善く住する、
賢明なる者を友としたならば、
あらゆる危難に打ち勝って、心に満足をもって、
気づきをそなえて、かれとともに行じなさい。
===

ここ読みますと、わかることは、

「犀のように、ただ一人行じなさい」

というのは、
現実的に、物理的に、「ただ一人で行く」という意味でない
ということだと、明らかになりますね。

賢明な者を友とするとき
かれとともに行きなさい

と述べているのを知るのです。

この経典は、まとめると、こんなことを述べているのだ
と知ります。

すなわち
====☆☆☆☆====
賢明な者を友として、かれと行きなさい
もし、そのような者がいないなら
犀のように、一人で行きなさい
====☆☆☆☆====
ということが、説かれているのだと知るのです。

経典の、何度もくりかえされる

「犀のように、ただ一人行じなさい」

ということばに、非常に厳しいイメージをもつのですが、
善き友を得て行く道を、合わせて説く、この経典は、
ほんとうは、とても優しい経典です。

そして、ここを言いたいのです。
ここを通過したのが、龍樹だなあという、
そんな気がする偈です。

===
55 見解の悶着を脱して、決定を得て、道にいたり、
「わたしに智が生じた。他の人によって導かれる必要はない」として、
犀のように、ただ一人行じなさい。
===

ちょうど、ここに、『廻諍論』が置かれていると思います。
「諍論から逃れていく、回避していく」という論が、
『廻諍論』ではないでしょうか。

さらに、見ましょう。「犀」の経典は、こうも語ります。

====
58 弁才があって、広く豊かで、多くを聞いた、
法を保っている友に親しみ近づきなさい。
さまざまなことがらを知って、疑いを調伏しなさい。
犀のように、ただ一人行じなさい
====

善き友を得て、いっしょに行くとしても、
親しく近づいて交流するとしても、
最後は、やはり、
犀のように、ただ一人行ずることを忘れてはいけない

ということでしょうか。

諍論を乗り越えて行く道を示して、
ブッダは語りかけていますね。
議論や討論がそれ自体で虚しいのではなく、

大いに討論して乗り越えるとき、

それらを語りあえる善き友に出会うことは

道のすべてである

と言えると思います。
これも、ブッダが、アーナンダに語ったことばです。

「アーナンダよ、よき友情をもち、よき仲間をもち、
よき交遊を有するということは、
これは聖なる修行のなかばではなくして、
そのすべてである」(『サンユッタ・ニカーヤ』45.2 増谷先生訳)

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