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2013年6月16日 - 2013年6月22日

2013/06/22

たとえていえば、たとえば、たとえ

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今日は、朝カルで 『スッタニパータ』の第一章を、講義してきました。

終わったあと、みなさんといっしょに、
「むずかしいぃぃなぁあ~」と、ため息が出ました。

読んでわかって、実践するのは、た~いへんです。

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1 蛇の毒が広がるのを、薬草によって抑えるように、
わき上がる怒りを抑える比丘は、
こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
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わき上がる怒りが、わっと広がる蛇の毒に喩えられます。
譬喩が譬喩にならないほど、リアルな感じですね。

きっと同じようなものに違いない。
蛇の毒と、怒りとは。

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2 池に咲く蓮の花を潜って断ち切るように、
むさぼりを残りなく断ってしまった比丘は
、こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
====

むさぼりは、池に美しく咲く蓮の花。
いくらでも増えていき、いくらでもほしくなるむさぼり。
これを断つには、池の下の方まで潜っていって断ち切らないと
断ち切れないのだ。

むさぼりを断ち切るって、何で切るんだろう。
潜っていって切ったら、レンコンが採れるんじゃないだろか?

なーーんて、言ってるようじゃ、いかんいかん。

===
3 流れる奔流を涸らして断ち切るように、
渇愛を残りなく断ってしまった比丘は、
こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
====

渇愛なんて、ちょっとやそっとでなくならないのよ。
むさぼるような欲求だから。
どうするかっていうと、激しい渇愛の流れは、
干上がらせてしまうほかない。。すごいなあ。

涸らして干上がらせる、って、どうするんだろう?
わかる?
欲求を、ミイラ化するんでしょうか。。。しかし、それって何?


===
4 きわめて弱い葦の堤(橋)を、大暴流がなぎ払うように、
慢心を残りなく打ち払った比丘は、
こちらの岸(この世)とあちらの岸(かの世)をともに捨てる。
あたかも、蛇が、老朽の古い皮を脱ぎ捨てるように。
====

今日いっちばん、実感したのが、これ!

たしかに、葦の堤は、ひよひよとして弱そう。
それがたくさん生えていても、激流にはあらがえない。
その激しい流れに翻弄されてしまう。

だけど、相当の大暴流でも、水が引いたあとを見ると
ぺっちゃんこになって、葦のいくらかが
なぎ倒されて泥に埋まっていても、ちゃんと残っている!

そうなんですよ。
こんなにすごい大暴流でも、全部の葦を
根こそぎ運ぶのはむずかしい。

ちょっと残ってしまったり、流されてなかったり、
弱い葦は、意外にしぶといのだ。

だから、慢、高慢、といったものは、
最後の最後まで修行によっても、
流されてしまったりしにくい。。

あれ、まだあるよ、

ってな、具合に、残っちゃうんだよね、慢て。

困りますね。


       ◇◇◇


まあ、しかし、何ですね。
ブッダの教えで、用いられる喩えは
ほんとうに、巧みでうまい。

仏教は、喩えをうまく用いることによって、
人々の心の中に、入っていったのだ、といわれたりする。

でもね、この”喩え”って、

ほんとうに、喩えなのだろうか、という気もするね。

だって、

心の中にあるもの
心の外にあるもの

どちらも同じ名前で呼ばれたりするんだよ。

たとえば
「行(サンカーラ)」

心の中では、「意志」を意味する。
心の外では、「現象」を意味する。

意志と現象

全然ちがうように思うのに、
ブッダは、どうして、同じ「行(サンカーラ)」という
名称で呼んだのだろう。

そんなに、似てるものなのかしら。
おんなじものなのかしら。

不思議だね。
では、ちょっと調べて見るかな。

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現象世界では、このように、
牛が草を食べている。

それを見ている心は、
どこに向かう?
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わたしも、ご飯たべにいこ。。

あ、やっぱり、同じもんだ。
黒い牛が、黒いコーヒーに変わってる。。

ん、なわけないでしょ!

お花でごまかそ。
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