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2013年6月2日 - 2013年6月8日

2013/06/08

『般若心経』は間違いではないのではないかについて

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チューリップが、せいぞろいしています。
一人だけ、飛び出している子がいるね。

ここ、数週間、死ぬかと思いました。。

といいつつ、ぜんぜん死んでませんが、
死んだら楽だろな、

って、心底思う日々でした。

『サンガジャパン』の原稿で、

仏教のネタ不足が深刻な今日この頃、
とうとう、『般若心経』で何か書いてみようと思い立ち、

追われるように、考察を開始したら、

いやはや、
死ぬほどひどい目にあって、
死ぬ と 死なない の 中道を 歩む羽目に陥りました。


それでも、窮すれば通ず、かどうか、わかりませんが
とうとう
『般若心経』がわかったような気がします。

まだ、荒削りですが、
ほぼ基本は抑えた感じで、

般若心経は、間違いじゃないんでねぇの、

って、ことくらいは、言えそうな感じです。

くろーしたので、勝手に宣伝しています。

今度の『サンガジャパン14』に、載る予定ですので、
お暇な方は、ご覧ください。


       ◇◇◇


はぁ~~~!

写真でも、みよ、っと。
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いやされますぅ~~。

まだ、完全に立ち直れてませんね。。この調子では。

それにしても、『般若心経は間違い?』という
スマ長老さまのご本が出てから
ずいぶん経ちますね。

いつか、誰かが、反論を書くのでは、
っと、待ち望んでいましたが、

どなたも書かないので、
わたしが書いちゃいました。

このまま、誰も何も言わないと

『般若心経』は、間違いのレッテルを押されたまま
あの世に行ってしまうかもしれません。
(あの世、って、どの世だ?)


     ◇◇◇

でもでも。。。

多くの人は、何もわからなくても、

見て、勘が働くのではないでしょうか。


これは、本当のことが書いてある大事なお経じゃないだろか?

って!


なぜか、わからないけど、真理というものは、
なんとなく伝わっていくものだと思います。

なんとなく、真理です、って、経典に書いてあるような
そんな気がするでしょ?
しないかな?


わたしは、
上から眺めたり
下から見上げたり
寝転がって見たり
頭に乗せてみたり
後ろから読んでみたり
前から読んでみたり

いろ~んなことをしてみた結果、


『般若心経』は、どう見ても、ありがたいお経である!


という感じが抜けませんでした。

そういう感じがする以上、
そのまま、あるがままに読んで
検討してみようと、決心して始めたのです。

『般若心経』は、
ずっと何年間も、いくら読んでも、
ぜんぜんわからなかったのですが、

どういうわけか、今回、
ひょいっと、読み進められました。

長老さまの、手荒い、情け容赦のない解釈が、
これまた、きくーーーっ、って、感じに沁みますね。

ああ、わかります、わかります、という感じで、
批判の根源も、批判のかわし方も、なんとなく
するするわかる感じに読み解けました。

ちょうど、わたしにとっては

『般若心経』は

読み頃の時機を迎えていたようです。

ものには、食すべき時が、あるんですね。

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観光も、見ごろを迎えた、赤煉瓦の道庁です。


それはいいんですけど、
書き終わったら、
いつも、めっちゃ眠たい毎日です。
死ぬほど眠いっ!ああ、眠いっ!

でもって

ああ、けだるい昼下がり。。
こんなのと。。
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こんなのと。。130511_200643
いいよねぇ、ネコは、
はんにゃしんぎょう、にゃんて、にゃに、ってせかいだもんね

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2013/06/05

如来の十号について

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桜が散ってきたら、ライラックが咲き始めました。

このところ、原稿書きに追われ、
ほとんど寝てないので、いつでも眠たい管理人です。

そんなとき、

3月の半ばに在家仏教協会の講演会がありましたが、
そこでお話した 「如来の十号」 の講演録が
『在家仏教』7月号に掲載されました。

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ちょっと、変わっている考察の仕方かもしれません。

編集後記 には、こんな風に書いてあります。

「ブッダは十の名前で呼ばれます。
詳しくは筆録 「如来の十号」 をお読みいただくとして、
意外だったのは周囲がそう呼んだのではなく、
ご自身が名乗ったということ。
自らに課した責務としての称号だったのです。」


そうなんですよね。

お釈迦さまが、
自画自賛して
こんなに立派なんだぞ、って、
言ってるように受け取られないためか、

称号は、世間の評価 と 
思われてきた感があるかと思うのですが、

経典を探って見ると、みな、お釈迦さま自身が
自己責任でつけていた名前ばかりでした。


煩悩の目で見ると、ダメですね。

煩悩ないから、

素直に

最高の名前を、自らにつけられるのですね。

つまり、そのとおりだから、嘘をつけないのです。

そして、それは、自慢しているのではなく、

真に 最高の状態を示すため、

そのようにつけているのだ、と知るのです。


ああ、煩悩って、ときに、ほんとに邪魔ですね。
そして
ことばどおりに受け取るって、ほんとにむずかしいですよね。

わたしたちって、変に謙遜したり、変に自慢するから、
変なのよね。

ふつうに思ったとおりに書くといいのね。。わかったわ!

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スズランです。
白いです。


よかったら、如来の十号、読んでみてね。

煩悩なくね。。。   でも、

    でもね

お釈迦さまって、変よね。
十も立派な名前をつけて、
その名前のとおりに、生きるんだから。。

だめだ!
抜けない、煩悩、ぼん、ぼん。。


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