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2012年12月30日 - 2013年1月5日

2013/01/04

坐禅の世界を探索する


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お正月っぽくないけど、ケーキ屋さんの店先で。

明けまして、おめでとうございます。
と言ってるうちに、もう、4日ですね。


昨年、『サンガジャパン』Vol.12のお話をしましたが、
そこに説かれている

田口ランディ氏と村上光照氏の対談

================
「ブラフマン世界の自然と仏教の解脱」
================

について、少しお話ししてみようかな、って、思います。

おもしろいでしょ、このタイトル。
おもしろくないですか?

「ブラフマン世界」というのも、不思議なことばだし
「自然」というのも、組み合わせると、「おやっ」だし
それに
「仏教の解脱」というのも、「へぇ~~なんだろな」でしょ。


とっても気になっていたのですが、
ゆっくり読む暇がなく、お正月、熟読していました。


村上光照氏は、曹洞宗のお坊さまです。
お名前からわかるとおり、日本人です。

ですから。。。仏教には詳しく、坐禅についてはエキスパートなのです。

坐禅、という基軸があると、なんでも語れてしまうという、
そんな感じがするほど、自由自在に思想を取りあげ、
思うように組み合わせて、村上仏教ワールドを披露してくれます。


ふつうの人は、このようなことはできません。
とくに、学者であれば、ちょっとあぶなすぎます。

しかし、

村上光照氏は、ビルとビルの間に綱を渡して綱渡りでもするように、
思想と思想の間に、禅定の綱をかけて、ひょいひょい渡っています。


正直言って、綱から落ちないか、若干はらはらしたのですが、
なんのその、です。

綱の上で身軽に歩く村上氏に、
インド・中国・日本の思想折衷の妙技をみる思いがしました。


        ◇◇◇

村上氏の仏教哲学を、勉強します!

ものすごく簡単に言いますよ。
違っていたら、ごめんだけど、これは、わたしの理解だから。
わかりやすくしなくちゃ、わかった、って言えないからね。

じゃ、やってみるね。あげてあることばは、
「ブラフマン」「自然」「小悟」「見性」というこのあたり。


ブラフマン (インド出身のことば)

自然    (道教出身のことば、また、日本の神道・仏教にも通ずるかも)


まあ、これらは、一緒や。
で、坐禅で、まず到達するのは、

インド的には;   梵我一如  村上流には、 梵我一体 (p.191)
道教的には;    大自然の天地と一致すること  (p.191)

でも、これは、まだ、解脱じゃないのよ。お釈迦様以前の悟り。

禅宗的には;  小悟(個人の悟り) 見性(天地と一体) とも言う。 (p.221)


了解!!
これらが、ブッダの悟りではないのは、ほとんどの人がわかるでしょう。

「小悟」の特徴は、「人間の悟り」であるということ。


        ◇◇◇

じゃ、次。 お釈迦様の悟り、つまり、「大悟」とは?

「仏性がカラッポ無色透明の人身を占有している状態のこと」(p.196)
「悟ったとも識らん(不識)」


むむ、まあ、素直に受けとめます。(ちょっと、引っかかるところもないではない)
もう少し、小悟と大悟の違いを、お聞きしてみましょう。

大乗ってふたつあるの。
一つ。「仏様の力によってわれわれは修行するので、
     自分の力によって修行するんじゃない」
一つ。「一所懸命修行して、菩薩道繰り返して     
     仏さんになるの」

前者が大悟に向かい、後者が人間の悟りである小悟に向かう、ということですね。
肝心のところだから、しっかり読むね。

====
ところがいつのまにか禅定宗が禅宗になって、禅定を求めるようになって、
その禅定(天地と一体)を見性とかいうけど、そうじゃない。
仏法僧なの。仏のあり方、存在、beingだね。そのあり方としての坐禅、
仏法としての坐禅。その代わり、無所得だから人間が入っちゃだめなの。
仏さんが人間の代わりに入ってのりうつる。
するとあきらかに後光がさしてるから師匠が礼拝する。
そこまで坐禅がいったときにはさとってる、それを大悟という。
果てしがない、永遠に。
=====(p.221)

おっしゃることは、わかった!!のです。

「無所得」とも呼び、別のところでは、人為が入らないので「無為」とも
呼んでいます。
そうなると、仏さまがやってこざるを得ないでしょう。。。

もう少し、違うことばで説明しているので、そこもあげましょう。
====
過去世のことは前際というの。現在は中際。で、来世が後際ね。
親鸞上人は「念仏は生じ輪廻の前後際の苦を断ず」と輪廻の生死を
ちょん切るといい、道元禅師は「前後際断」と言っている。
これが解脱なの。
=====(p.221)

みなさま、いいでしょうか。。何か、ありましょうか。

あ、ありますね、やっぱり。

その「仏さま」と「ブラフマン」と、どうやって区別するんですか?

こんなことを聞いているようでは、「ブラフマン」段階でしょう。
悟ったとも識らん、と述べているのですから、識らん、のです。
梵我一如の場合は、一体になったという自覚があるのでしょうね。


では、ここで、もう少し、ブラフマンについて、説明を聞きましょう。

===
宗教というのはね、世界にひとつしかないの。神さまっていうのは
ただブラフマン(梵、梵天)ひとつ。
ブラフマンを手伝うエンジェル、八百万の神さま。
これは世界中共通しているけど、その風土におうじて表現の仕方が変わる。
====(p.216)

====
宗教の「宗」は源。元はひとつでしょ。けっして忘れてはいけない
もっとも大事なことはブラフマン。お釈迦様はね、阿含経に
「あなたたちはブラフマンのような慈悲の生活をしなさい」と言っておられたでしょう。
ブラフマンというのはようするに慈悲のこと。慈しみ。
====(p.210)

ブラフマンは、仏教的な色合いを帯びながら、道教の「自然」とも重なりあって、
「神」とも言われます。慈悲の言い換えのようです。

ここは、まだ、世俗の世界ですね。その上に、仏教の解脱をおいています。


      ◇◇◇

では、わたしの理解による結論です。

みなさまは、村上光照氏の説明に納得されたでしょうか。

わたしは、100%というわけにはいきませんでした。
村上光照氏の説明はすばらしいもので、「なるほど、なるほど」と、
ほんとうに感心したのです。

で、思ったことなのです。

もし、村上氏のいうことが、ほんとうであれば、
坐禅は、とても大事だが、それより、もっともっと大事なことがある!!!

でしょう?
そう思うでしょう。それは何かといえば、

         仏法僧    です。

ご本人も、大悟の説明の中で、「大自然と一体」になることではなく、
仏法僧なのだ、とおっしゃっています。
これを、知らねば、仏教の悟りはない、ということですよね。

仏法僧を体得する手段、我が身に表す手段が、坐禅なのだ、

と深く納得いたしました。

仏法僧から離れないかぎり、そのかぎり、坐禅は、お釈迦様の「大悟」を
表し続けることでしょう。
「仏性がこの身を占有している状態」になることでしょう。

ここをおさえるかぎりにおいて、わたしには、なんの疑問もありません。


最後に、大きなブッダの源流に帰っていきましたね。
ああ、すっきりしました。

すっきりしたところで。。
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ちょっかいだしてみよ。ダン吉やーーー。ほら~、ひもだよーー。。
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お、のった。めずらし!
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