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2012年12月23日 - 2012年12月29日

2012/12/27

『サンガジャパン Vol.12』 「無常」とは?

12

『サンガジャパン Vol.12』は、「無常」の特集です。


ほんと!
最近、いつも思いますが、

わたしって、ちょーーーー!ずれてるなあ。。。

よく、これで、毎回原稿依頼が来るものだと思う。


という、出だしで始まるので、内容的には、予想がつくかと存じます。

特集は 「無常」 というテーマです。


読んでみますと、
「無常」を、バックグランド・ミュージックのように使いながら、
それぞれ、みずからの活動や問題を自由に語る、内容になっているものが多いです。

無常そのものに肉薄しようという感じではありません。


======
= 無常 =
======


むずかしいテーマだと思いました。
とても、むずかしい。


わたしの書いたものが、
他の人々の書いたものがちがっているのは、
「無常」を、ブッダの文脈の中で語ろうとしたためだと思われます。


多くの人は、「無常」を、


「変化してやまない」


という意味にとっているようです。

「変化」を見てとることが
「無常」の意味である
と、理解して、
そこを、
みずからの「生きる」ということと結びつけようとしています。

ですから、みずからの活動や、みずからの問題について、
熱く語るのです。

「滅ぶ」というだけが、「無常」ではなくて
「育つ」というのも、「無常」のすがたである、というような感じです。

マイナス思考ではなく、「無常」をプラス思考にもっていこう、という感じ、かな。


        ◇◇◇


わたしは、そうはしませんでした。
「変化」を見ること、これを、「無常」とはしなかった。


★「生ずる性質のものは、滅する性質のものである」

というテーゼと組み合わせました。

★「衰滅するものは、行(サンカーラ)である」

という、悟りの境地を示すことばと結びつけました。


      「滅」


どんなに、心がいやがっても、「滅」ということを、納得しないと、
安らぎにはいけない、と、

お釈迦さまは、言うたねん。

生じたものは、必ず滅する、

それが、無常ということである。

無常なものは、苦である、

苦であるものは、いらない、

だから、無我(自己ならざるもの)である。


最後に消えるのは、行(サンカーラ)だよ、
最後の意志(行)を滅!して、悟りへゴー、ゴー!


        ◇◇◇


この教え、もっともだと思う。


わたしたちは、それだけ「消えていく」「なくなっていく」ということに
怯えるからです。
だから、情け容赦なく、教えてくれるんですね。


この教え、もっともだと思う。


こういうのは、お釈迦さまの意図ではないのです。
わたしたちが、それだけ「常住」を願うから、お釈迦さまは「無常」と
いわざるを得なかったのです。


この教え、しつこいけど、ほんともっともだと思う。


もっともなこの教えのことを、「方便」というんだよ。
だから、身に沁みて、わかったら、
この無常の教えは、また、消えてもいきます。


ブッダが、考えてくれた、この「無常」の教えは、

いかに、わたしたちが、「ある」や「生きる」にしがみついているか、ということから、
わざわざ、説いてくれた教えです。


        ◇◇◇

今回、この「無常」の特集を、あれこれ読んで、こんなことを思いました。


この、特集「無常」というテーマの『サンガジャパン Vol.12』

お釈迦さまの教えが、影のように、浮かび上がって来ている

そんな不思議な企画になっているのかも。。ね。

それにしても、何とかなりませんかね、わたし。。。

滅、っていうより、没、が心配かもかも

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2012/12/26

『ユダの福音書』を

ネコのブログでごまかしながら、
回復を待って、幾日。。

ようやく、なんとなく復活の予感です。

で、コメント欄で話題になっている

『原典 ユダの福音書』 をご紹介してみようかと。
121224_141535

どぞ!

編著者 ロドルフ・カッセル マービン・マイヤー グレゴール・ウルスト
     バート・D・アーマン
 
出版 日経ナショナル ジオグラフィック社

121224_141740
この写真は、最終ページということなので

この本の最終ページも合わせて、ご覧に入れます。
121224_141848

「はじめに」より、若干抜粋。

===
 『ユダの福音書』最大の読みどころは、イエスが宇宙の神秘について
ユダに教える場面だろう。

グノーシス主義の福音書はどれもそうだが、
イエスはそもそも教師である。

知恵と知識を開かす人物であり、
世界の罪を背負って生命を落とす救済者ではない。

グノーシス主義によれば、人間が抱える根本的な問題は、
原罪ではなくむしろ無知である。
それを解決するには、信仰よりもむしろ知識が重要だ。

イエスは無知を根絶し、自己と神の意識に通じる知識を、
ユダと『ユダの福音書』の読者に与えた。
==(p.10)


仏教に親しんでいる人なら、この解説に、違和感はないだろう。
また、これを読んで『ユダの福音書』を読むと、
いっそう、違和感はないかもしれない。

わたしが気に入ったのは、

イエスが教師だ

という点である。

知恵と知識を明かす人物とされ、
人類の罪をひとり背負う 贖うもの ではない、というところである。

もう少し、引用しよう。「はじめに」より抜粋。

===
イエスがユダに語ったところによると、まずはじめに、
すべてを超越した無限の神性が存在していたという。
それから複雑な創造と流出の過程を経て、
天は光と栄光に満たされた。

……

そして地上の世界は、ネブロ(「反逆者」の意)または
ヤルダバオートという下位の創造神が支配している。

その創造神は狭量で悪意に満ちており、
わたしたちの世界が問題だらけなのはそのせいだ。

それゆえ知恵の言葉に耳を傾け、内なる神聖な光に気づかなければならない。
===(pp.11-12)


最後に、ここも抜粋しよう。

===
この福音書には、すべての人は自分の星をもっていて、
星が運命を導くというプラトン思想と通じる部分もある。

ユダにも彼の星があるとイエスは語る。
そしてこの福音書の終わりのほう、
ユダが光り輝く雲のなかで変容し、覚醒する直前に、イエスはユダに、
空を見上げ、たくさんの星と光の輝きを見よと告げる。

空にはアマタの星があるが、ユダの星は特別なのだ。
「皆を導くあの星が、お前の星だ」
===(p.13)


この最後の部分は、なぜか、「よだかの星」を思い出して仕方がない。

宮沢賢治の「よだかの星」を、諸法実相で、
読み解いた小論を、
『文芸教育』(99号)という雑誌に載せてもらったのだけれど、

この『ユダの福音書』を読むと、

よだかは、仏教でなければ、
『ユダの福音書』に出てくるユダでもいいような気がしてきます。


あらゆる人から嫌われ敵視されるような そんな運命をもつユダ

しかし

彼がいなければ、何も始まらなかった。
イエスでさえも、存在できなかった。

キリスト教の正邪は、ユダの行為の上にあるんですね。。

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2012/12/24

諸法実相猫実相

みなさま、こんにちへーーーっくしょい!
しつこい風邪だわ!

猫ブログの管理人、カレーなエムです。
少し熱で、脳もやられてしまいました。

話が、おかしいですか?

猫ブログ。。。おかしくないよね。
カレーなエム。。。おかしくないよね。

おかしいよ

カレーなのは、「一日」 だからさ。

どこに何がかかるのか、よく考えないと!管理人!


はいはい。ではでは、


ことばが崩れているように
この世も崩れていくさまをお見せしましょう。

題して、   

諸法実相猫実相
121224_095003
猫が、一匹。名前は、ダン。

121224_095106
猫が、一匹。名前は、サム。

121224_095212
猫が、にーひき、だん&さむ 
にひきは、まだまだ、にひきです。

プラスチックの紐は、だいすきあいてむ、にゃんころりん!
121224_095232
ひも、ひも。。巳年をうらなう へびのひも。

だんとさむは、むちゅうです。
121224_095244_20
む、むちゅう。。わたしもだけど。。
ああ、にひきとひもとわたしは、
121224_095252
ほうべんのせかいをこえて
しょほうじっそう、ねこじっそう

しろくろまだらのそうは、むそうのそう。。


だんもなければ
さむもない
ひももなければ
ひもをあやつるものもない
ひもにおどるものもない


しんえんですね。。。


あ、なに?

おまえのせいで、ねつでてきたって?

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