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2012年12月9日 - 2012年12月15日

2012/12/13

ユダヤ教とキリスト教 雑感

なんだか、知らないうちに、どっさり雪が降りました。
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ああ、つらい雪かきのシーズンですねぇ。
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車が、こんな恰好のまま止まっています。
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お、なんかおもしろいですね。
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あんまり急につもったので、自転車も、そのまま放置されてます。
もう、乗れないなあ。春までそのまま??

   ◇◇◇

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F.クリュゼマン、U.タイスマン編 大住雄一訳
『キリスト教とユダヤ教 キリスト教信仰のユダヤ的ルーツ』教文館
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この本を
図書館から借りて、読んでいますが、おもしろいですね。

ドイツで出た本です。

文字どおりの訳では
本書のタイトルは、訳すと

『我はイスラエルの神を信ず ― キリスト教信仰告白から
落ちている主題についての問いと答え』

という長いものです。

わたしたちには、あまりピンとこないのですが、

このタイトル、ドイツの人々にとっては、
挑戦的なひびきをもつのだそうです。

よく考えると、そうかも。。。


ドイツ人にとっては、ユダヤ人の問題は、

「抜き難い罪責のトゲである」とありますが、

しかし、いくらトゲであっても、

キリスト教の神の信仰告白に、

「イスラエルの神を信ず」とは、

言いにくいでしょう。


ユダヤ教の神も
キリスト教の神も
イスラム教の神も

みな同じ唯一の神である

とは、説明されます。


でも、そうだからと言って、
「イスラエルの神を信じています」
とは、

キリスト教徒の人たちは言わないですね。

あえて、このような表現をとって、タイトルにすることは、
たいへんな議論を引き起こすことになるでしょう。

しかし、

キリスト教とは何なのか

ということを、真剣に考える上では、
非常におもしろい問題提起であると言えます。


賛成や反対は、ひとまず置いておいて、

キリスト教とユダヤ教、
いったいどこまで歩み寄れるのか

キリスト教とユダヤ教、
信仰の色めがねをはずすなら、
それぞれどのように聖書を読みうるのか

いろいろな解釈が、率直に説かれていて
おもしろいです。
たとえば、イエス・キリストについては

イエスは待望のメシアであったか
イエスはファリサイ人たちの対立者であったか
イエスは十字架上で私たちのために死んだのか
イエスは神の子か
ユダヤ人たちはイエスの死について責任があるか

こんな刺激的なタイトルで、それぞれ、いろいろな人が論文を書いています。

読みますと、
従来の説が、ずいぶんと偏見に彩られていたようにも見えます。

このように、新しい読みや解釈が出てくるのは良いことです。

ユダヤ教とキリスト教が、宗教的な対立を乗り越えていこうと
しているように見えます。

   ◇◇◇

ずっと読みますと、いささかユダヤ教に好意的かな、とも思いますが、
でも、
たしかに、キリスト教的な従来の解釈には無理もあることがわかります。


細かなところは、省きますが


わたしの思ったことを一つ。


このような一神教は、ヘブライ語聖書というような、
文字で書かれたものを基準にして成り立っています。

口伝
というより
文字でしょう。

そのような場合、
いかに読んで解釈するか
ということにゆだねられるということです。

その意味では、絶えず、聖書は読んで考え読んで考えして、
自分たちの生きている 「今」 とすりあわせていかねばならない
ということでしょう。

すなわち、

時代が過ぎていくとき
人は行動を起こし、宗教的に解釈を与えます。

時代が過ぎていくとき、
宗教的な解釈は、人々の行動を規定もします。

時代が過ぎていくとき、
過去の解釈は、新しい解釈を呼び入れます。

時代が過ぎていくとき、
人々の行動は、新しい宗教的な動きとなっていきます。

こうして、常に、宗教は、絶えず入れ替わり動いて
時代をつくっていきます。


聖書というのは、それぞれの時代の中で、
人々がどれだけ深くどれだけ広く読みうるか、
という、
そんな人間の挑戦であるようにも思われるのです。


愚かな人間たちが、いや、どんなに愚かであっても、
智慧と知識と能力のありったけを尽くして、
「神」に応えようとする挑戦の記録。

それが、聖書の歴史なのかな、と思います。


聖書を読んでいると、

煩悩(罪)をもつ偉大さ

というものが胸にせまります。


一神教も、仏教も、いずれも、人間の限界に挑戦していますね。


なかなか!

人間って、けっこうすごい生き物かもしれないなあ。。


ねっ!サム
ねっ!ダン      
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にゃにかにゃ。。うるさいなぁ。。


 


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2012/12/10

猫には猫の哲学があるのにゃ。

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仕事のじゃまするにゃん!
管理人の膝にのって、テーブルに足をつっぱるの図だい。

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にゃんか文句、あっか。

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手にからまっちゃうも~ん、
ん!
にゃんか、いいもん、みっけ♪
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携帯のストラップ にゃん
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放すもんかっ!
仕事なんて、させるもんかっ!
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ああ、もう!

猫的人生は、退屈しないのう。


管理人、けっこう焦ってるのにゃ。
原稿、って、なんだ?
初稿、って、なんだ?

ぼくには、トンと、わっかりませ~ん、にゃ。

============
サムの 哲学 ニャンコ哲学 
============
ぼく、サム

飼い主の管理人は、最近少し頭が足りないと、
猫眼にも思うにゃん。

だから、代わりに、ぼくが猫哲学を披露するにゃ。


生きるということは、反応することにゃ。

お歳暮しばってる、プラスチックの紐とか
リュックからたれてる紐とか
携帯のストラップとか
ショルダーバッグのかたひもとか

そういうもんには、すぐ反応するのが、生きるということにゃ。
だって、反応しないと
すぐ、どっかにいってしまうからにゃ~。


人間も同じにゃ。
生きることは、反応することにゃん


何からしようか、
どれを先にしようか、
ああ、これ後でもいいか、

にゃ~んて、ことばかり、悩んでるから、
時間がなくなるにゃ

そして、そんなこと言ってぐずぐずするから、
人生すぐ終わっちゃうのにゃ。

どお。
すごいでしょ。
ニャンコ哲学!

こんな風に、すぐ反応して、すぐ終わっちゃう。
書いてるとおりでしょ。

反応早いと、すぐ終わって無駄がないのにゃ。。
3秒で、哲学できるのにゃん、よ。。

あとは、エサ食べて、寝るだけぇ~。。


あれ、管理人、なにやってんの。
ぼくのブログ、あっぷしといてにゃん、すぐやるにゃんよ!


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